108 outlaws
反旗
四
城壁に翻る梁山泊の旗を見上げながら、盧俊義が門を潜る。
喧騒はすでに納まっており、史進が談笑している姿が見えた。今回は戦う機会があったからか、機嫌が良いようだ。
朱武もそれを目にし、やや苦笑していた。
「上手くいったな、朱武」
「はい。耿恭どのでなければ、成功しなかったでしょう」
「そうだな」
耿恭が裏切らないとも限らなかったのだ。そのため兵の中に李逵と鮑旭を紛れ込ませていたのだが。
耿恭の力とその覚悟を確かめ、さらに城まで獲った。
神機軍師、怖ろしい男だ。
耿恭が報告に来た。
耿恭と共に突入した兵、および韓王山の軍にほぼ損害はない。守将の張礼は李逵が討ちとり、趙能は乱戦の中で死んでいたという。
「うむ、お主も休んでくれ。次は蓋州だ」
「ひとつお聞きしたいのです、盧俊義どの」
「何だ」
「なぜ宋ではなく、梁山泊の旗が立っているのです。あなた方は官軍に負け、招安を受け入れたのでしょう」
盧俊義が少しだけ驚いた顔をした。
朱武は口を歪めていた。
「そうか、そう言う事か。奴ら、自分たちの保身のためならば、何でもするのだな」
「なるほどな」
なにを二人で納得しているのだ。耿恭には何の話か分からない。質問の答えにもなっていない。
すまぬな、と盧俊義が耿恭に向きなおる。
「間違った情報が流布しているようだから言っておく。我々、梁山泊は童貫、高俅の軍に勝っている」
え、と耿恭が漏らした。
官軍に勝った、だと。
では何故。どうして招安など。
「それは、もうすぐ合流する宋江どのに聞いてくれ」
そう言って盧俊義が去っていった。
耿恭の疑問が、声に出ていたらしい。
梁山泊は官軍に負けたのではないのか。どちらが正しいのだ。
盧俊義の背を見やる。あの男は嘘など言う人物ではない事は分かる。
梁山泊は、勝っていた。
耿恭は、何度もその言葉を反芻していた。
衛州の城外に陣を敷いていた宋江の元へ、勝利の報が届けられた。
「どうだ、宋江。期待通り、先鋒の役目を果たしてみせたぞ」
自慢げな花栄の顔が浮かぶようだった。
また報告にはこうあった。
陵川の副将、耿恭という者が協力に応じた。必要な者だと、盧俊義が判断したのだ。宋江はそれに口を挟むことはしない。
さらに、その耿恭の尽力で高平県も陥としたという。
いきなり二拠点を奪回するとは、幸先が良い。宋江は素直に感嘆した。
よし、と宋江が膝を打ち、立ち上がる。そして呉用を呼び、告げた。
「高平へ出発する」
「わかりました」
梁山泊軍がにわかに活気づいてきた。
雪がちらついてきたが、彼らの上で溶けて消えてしまうような、熱気を帯びていた。
やがて陵川を越えたあたりで斥候の報告があった。
陵川が陥ちたことを知り、近隣の町を包囲していた田虎軍が撤退したというのだ。
宋江は喜ばしい事だと言ったが、呉用の表情は違った。
「この短期間で、確かに僥倖です。しかし敵に我々が進軍してきたことが、これで知れ渡ることになるでしょう。ここからは油断できない戦いとなります」
「なるほど。喜んでばかりもいられないのだな」
「田虎軍が手に入れようとしていた衛州は、東に太行山系、南に黄河を擁する要害。我々が衛州を離れたとなれば、その隙を狙うでしょう。そうなると我々は東西に分断されてしまいます」
「それは避けねばならんという事だな」
そこで呼延灼と公孫勝に、衛州を守らせることにした。さらに陵川には柴進と李応を残した。
やがて高平県に着いた。
門が開くと、そこに花栄が立っていた。
「遅かったではないか、宋江」
「お前が早いだけだ、花栄」
二人が同時ににやりと笑った。
盧俊義と合流し、状況を確認する。
地図を見ながら呉用と朱武が綿密に策を練る。次は蓋州である。
そこに盧俊義が耿恭を呼んだ。宋江に会わせるためである。
「あなたが耿恭どのですね。高平県での尽力、感謝しております」
はい、と言って耿恭が黙ってしまう。盧俊義の視線に気付いた耿恭が続ける。
「不躾で申し訳ありません。ひとつだけ、お聞きしたいのです」
「何でしょう」
「梁山泊はどうして招安を受けたのですか。腐敗した役人を倒すため、国と戦っていたのではないのですか。それがどうして奴らの側に」
「民を救うためです」
宋江ははっきりと、迷いなく言い切った。その目は真っ直ぐに耿恭を貫いていた。
耿恭は理解した。
この宋江と言う男、本人が知ってか知らずかとんでもないことを言っている。
宋江の言う民の中に耿恭も含まれているのだ。敵である自分をも、救うべき民だというのだ。
答えはそれで充分だった。
耿恭は城壁に上り、空を見上げた。
澄み切った空のように、耿恭の迷いも晴れた気がした。
見張りをしていた孫如虎と李擒竜が驚いたようだ。