
108 outlaws
本領
一
「追わないなんて、言わないよな」
秦英が言った。
孫安が地図を広げる。
宛州城の辺りは山水に取り囲まれており、陸の海とも称されている。
ここを大軍で守ったならば簡単には打ち破れはしない。こたびの火計を見ても、敵は地の利を把握している。おそらく兵を増援し、守りに入るだろう。
攻めるなら、今だ。
「もちろん追うさ。全軍に伝えてくれ」
にやりと秦英が口元を歪めた。
孫安は遠い日を思い出していた。
流罪にされたが何者かに救われ、逃れた。
そして人目を避けて生きた。その間、父の仇を討つという思いが消える事はなかった。
しばらく安化鎮に隠れ住んでいた。故郷の涇原(けいげん)からはるか南である。だがいつまでもここにいる訳にはいかない。そう思い、孫安は旅立った。
幾日か歩き、行く人もまばらな街道、呉山(ござん)の近く。
やがて人影はなくなり、自分だけになった。次の町まではまだ距離がある。少し急ごうか。
しかし数里行ったところで、孫安が足を止めた。
「出てこい」
孫安が言った。誰もいない道である。
孫安は口を閉ざし、その場に立ったままだ。
「よく気付いたものだな」
そこに男がいた。隠れる場所などなかったはずだ。
孫安も半信半疑だった。だが微かな違和感と、直感を頼ったのだ。
目の鋭い、痩せ気味の男だった。
現れた時と同じように、いつの間にか両手に刀を手にしていた。
追い剝ぎか。
「あいにく金目のものは持っていなくてな」
「大丈夫だ。お前の首が、金になる」
「私の首が」
懸賞金がかけられているようだ。あの知県と李助の仕業に違いない。
「そう言う事だ。観念するんだな」
だが男は足を止めた。
孫安の手に剣が握られていたのだ。相手と同じ、二本だ。
無用の戦いはしたくないが、仕方あるまい。
「ほう、なるほど。少しはできるようだな」
言うが早いか、男が跳ぶように突進してきた。右からの刀を上段から振り下ろす。
足を下げ、刀をかわす孫安。体勢を戻す勢いを利用して、男に突きを放つ。だがそれは男の左の刀で弾かれた。
孫安はすぐに下がり、男と距離を取った。
男は意外そうな顔をしたが、すぐに笑みを浮かべた。そして再び飛び込んでくる。両手での攻撃。孫安もそれぞれの剣で応じる。
十合、二十合と剣戟の音が無人の街道に響く。
一瞬の隙もない。強い。
さらに、男の手数が増えた。孫安が一回攻撃すれば、男は二度反撃する。さらに二回攻めると、今度は四回の返し技を放ってくる。
怯んだ。
攻撃に転じた男の腕が四本に見えたのだ。
孫安は防ぐので精一杯となってしまった。腕、腿、肩と孫安の体に血の筋が増えてゆく。
この男、かなりの賞金首を獲ってきたのだろう。
だが、ここで首を渡す訳にはいかない。
どうする。
男は手を緩める事もなく、四本の刀で攻め立てる。いや、実際は二本なのだが。
「終わりだ」
男がぼそりと呟いた。
孫安が奥歯を噛みしめた。やられて、たまるものか。
臆せず、孫安が前に出た。
男は構わず、一度に四つの刀を放つ。
孫安は腕の動きを小さくし、細かく剣を振るった。攻めず、守りに徹した。集中し、刀を弾く。しかしひとつ弾くと、また次が襲ってくる。だがそれも確実に弾いてゆく。
攻めているはずの男が、苦悶の表情を浮かべ出した。かたや孫安は冷静になっていた。
一体何度、剣と刀がぶつかり合ったのだろう。
男が目を剥いた。肩で息をしている。刀の速度が落ちてきた。四度の攻撃が三度に、そして二度になった。
しかし孫安も、もはや限界を迎えていた。
「くそったれが」
男の腕が震えている。ゆるゆると持ち上げた刀を、突き込んできた。
孫安の腕も震えている。剣が百斤あるかのように重い。
「うおおおおおっ」
力を振り絞り、剣を上げ、男の刀を防いだ。
男の手を離れ、刀が飛んでゆく。しかし孫安も剣を落としてしまう。
「くそったれが」
男がもう一度言い、倒れた。
それを見届けることなく、孫安も地面に突っ伏した。
二人が意識を失い、どれほど経っただろうか。
「獲れなかった相手は、お前が初めてだ」
ふいに目を覚ました男が言った。
同じく意識を取り戻した孫安は苦笑した。
そして男の次の言葉に驚いた。
「決めた。お前について行くぞ。必ず、首を獲ってやるからな」
「何を言っているのだ、お前は」
「冗談じゃないぞ。お前がどこへ行こうと付いて行くからな」
始終、命を狙われるなどたまったものではない。
だが男は言った。
「安心しろ。お前の首を狙う者がいたら、俺が殺してやるからよ」
孫安は呆れた。言っている事が支離滅裂ではないか。先ほどまで命のやりとりをしていたというのに、変わった男だ。
孫安がゆっくりと立ち上がり、剣を拾う。そして男に向きなおった。
「お主、この辺りには詳しいのか」
「それほどではないが、なんだ」
「何か腹にたまるものを食える所を知らないか」
きょとんとした顔をして、男はそれから笑った。
「ついて来い。金は出せよ。俺はないからな」
孫安は笑いながら、男の背を追った。
それが斬鬼、秦英との出会いだった。
「見事でしたな」
盧俊義の側に林冲がやって来た。
敵襲を退けた事に対して、だ。
うむ、とだけ盧俊義は答えた。
だが黙って見つめる林冲に耐えかねたのか、言葉を継いだ。
「やはり用兵は、宋江どのよりも格段に上だな」
「言いますね」
「わしはいつも正直だが」
林冲が何か言いたげな目をした。
盧俊義は目を閉じ、静かに息を吐いた。
「恨みは目を曇らせる」
「李助という男ですか」
うむ、と盧俊義が唸った。そして、自分に言い聞かせるかのように言う。
「愛する者の仇。時にそれは信じられぬ力を生むものだ。だが」
林冲が眉間に皺を刻む。思い当たる節があり過ぎる。
「そうですね」
と静かに呟き、孫安を見やる。
側に喬道清がいた。魏定国と単廷珪もいる。そして田虎軍以前から付き従っている梅玉たちがいた。
そして、梁山泊がいる。
孫安は、独りではないのだ。