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本領

​一

「追わないなんて、言わないよな」

 秦英が言った。

 孫安が地図を広げる。

 宛州城の辺りは山水に取り囲まれており、陸の海とも称されている。

 ここを大軍で守ったならば簡単には打ち破れはしない。こたびの火計を見ても、敵は地の利を把握している。おそらく兵を増援し、守りに入るだろう。

 攻めるなら、今だ。

「もちろん追うさ。全軍に伝えてくれ」

 にやりと秦英が口元を歪めた。

 孫安は遠い日を思い出していた。

 

 流罪にされたが何者かに救われ、逃れた。

 そして人目を避けて生きた。その間、父の仇を討つという思いが消える事はなかった。

 しばらく安化鎮に隠れ住んでいた。故郷の涇原(けいげん)からはるか南である。だがいつまでもここにいる訳にはいかない。そう思い、孫安は旅立った。

 幾日か歩き、行く人もまばらな街道、呉山(ござん)の近く。

 やがて人影はなくなり、自分だけになった。次の町まではまだ距離がある。少し急ごうか。

 しかし数里行ったところで、孫安が足を止めた。

「出てこい」

 孫安が言った。誰もいない道である。

 孫安は口を閉ざし、その場に立ったままだ。

「よく気付いたものだな」

 そこに男がいた。隠れる場所などなかったはずだ。

 孫安も半信半疑だった。だが微かな違和感と、直感を頼ったのだ。

 目の鋭い、痩せ気味の男だった。

 現れた時と同じように、いつの間にか両手に刀を手にしていた。

 追い剝ぎか。

「あいにく金目のものは持っていなくてな」

「大丈夫だ。お前の首が、金になる」

「私の首が」

 懸賞金がかけられているようだ。あの知県と李助の仕業に違いない。

「そう言う事だ。観念するんだな」

 だが男は足を止めた。

 孫安の手に剣が握られていたのだ。相手と同じ、二本だ。

 無用の戦いはしたくないが、仕方あるまい。

「ほう、なるほど。少しはできるようだな」

 言うが早いか、男が跳ぶように突進してきた。右からの刀を上段から振り下ろす。

 足を下げ、刀をかわす孫安。体勢を戻す勢いを利用して、男に突きを放つ。だがそれは男の左の刀で弾かれた。

 孫安はすぐに下がり、男と距離を取った。

 男は意外そうな顔をしたが、すぐに笑みを浮かべた。そして再び飛び込んでくる。両手での攻撃。孫安もそれぞれの剣で応じる。

 十合、二十合と剣戟の音が無人の街道に響く。

 一瞬の隙もない。強い。

 さらに、男の手数が増えた。孫安が一回攻撃すれば、男は二度反撃する。さらに二回攻めると、今度は四回の返し技を放ってくる。

 怯んだ。

 攻撃に転じた男の腕が四本に見えたのだ。

 孫安は防ぐので精一杯となってしまった。腕、腿、肩と孫安の体に血の筋が増えてゆく。

 この男、かなりの賞金首を獲ってきたのだろう。

 だが、ここで首を渡す訳にはいかない。

 どうする。

 男は手を緩める事もなく、四本の刀で攻め立てる。いや、実際は二本なのだが。

「終わりだ」

 男がぼそりと呟いた。 

 孫安が奥歯を噛みしめた。やられて、たまるものか。

 臆せず、孫安が前に出た。

 男は構わず、一度に四つの刀を放つ。

 孫安は腕の動きを小さくし、細かく剣を振るった。攻めず、守りに徹した。集中し、刀を弾く。しかしひとつ弾くと、また次が襲ってくる。だがそれも確実に弾いてゆく。

 攻めているはずの男が、苦悶の表情を浮かべ出した。かたや孫安は冷静になっていた。

 一体何度、剣と刀がぶつかり合ったのだろう。

 男が目を剥いた。肩で息をしている。刀の速度が落ちてきた。四度の攻撃が三度に、そして二度になった。

 しかし孫安も、もはや限界を迎えていた。

「くそったれが」

 男の腕が震えている。ゆるゆると持ち上げた刀を、突き込んできた。

 孫安の腕も震えている。剣が百斤あるかのように重い。

「うおおおおおっ」

 力を振り絞り、剣を上げ、男の刀を防いだ。

 男の手を離れ、刀が飛んでゆく。しかし孫安も剣を落としてしまう。

「くそったれが」

 男がもう一度言い、倒れた。

 それを見届けることなく、孫安も地面に突っ伏した。

 二人が意識を失い、どれほど経っただろうか。

「獲れなかった相手は、お前が初めてだ」

 ふいに目を覚ました男が言った。

 同じく意識を取り戻した孫安は苦笑した。

 そして男の次の言葉に驚いた。

「決めた。お前について行くぞ。必ず、首を獲ってやるからな」

「何を言っているのだ、お前は」

「冗談じゃないぞ。お前がどこへ行こうと付いて行くからな」

 始終、命を狙われるなどたまったものではない。

 だが男は言った。

「安心しろ。お前の首を狙う者がいたら、俺が殺してやるからよ」

 孫安は呆れた。言っている事が支離滅裂ではないか。先ほどまで命のやりとりをしていたというのに、変わった男だ。

 孫安がゆっくりと立ち上がり、剣を拾う。そして男に向きなおった。

「お主、この辺りには詳しいのか」

「それほどではないが、なんだ」

「何か腹にたまるものを食える所を知らないか」

 きょとんとした顔をして、男はそれから笑った。

「ついて来い。金は出せよ。俺はないからな」

 孫安は笑いながら、男の背を追った。

 それが斬鬼、秦英との出会いだった。

 

「見事でしたな」

 盧俊義の側に林冲がやって来た。

 敵襲を退けた事に対して、だ。

 うむ、とだけ盧俊義は答えた。

 だが黙って見つめる林冲に耐えかねたのか、言葉を継いだ。

「やはり用兵は、宋江どのよりも格段に上だな」

「言いますね」

「わしはいつも正直だが」

 林冲が何か言いたげな目をした。

 盧俊義は目を閉じ、静かに息を吐いた。

「恨みは目を曇らせる」

「李助という男ですか」

 うむ、と盧俊義が唸った。そして、自分に言い聞かせるかのように言う。

「愛する者の仇。時にそれは信じられぬ力を生むものだ。だが」

 林冲が眉間に皺を刻む。思い当たる節があり過ぎる。

「そうですね」

 と静かに呟き、孫安を見やる。

 側に喬道清がいた。魏定国と単廷珪もいる。そして田虎軍以前から付き従っている梅玉たちがいた。

​ そして、梁山泊がいる。

 孫安は、独りではないのだ。

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