
108 outlaws
本領
二
宛州から十里の所に陣を敷いた。
周辺は静まりかえっており、伏兵もないようだ。やはり守りに徹する構えか。
孫安は秦英たちに宛州城を攻めさせた。城壁から矢の雨が降り注ぐ。無理に近づかず矢を避け、また攻める。だが何度攻めても、城門は開く気配すら見せなかった。
盧俊義が堪りかねたように言う。
「どうする。埒が明かないぞ」
「梁山泊は攻めるしか能のない連中だ、そう思わせます。林冲どのたちに指示を」
盧俊義が馬を駆り、後方に下がる。
その間にも秦英、姚約らは王慶軍を揶揄する言葉を投げつけていた。
膠着状態が六日続いた。
劉敏もはじめは余裕を見せていたが、日が経つにつれ次第に顔色を曇らせ始めた。
「援軍はまだ来ないのか。王慶さまは何をしているのだ。一体、何日経ったと思っている」
「六日でございます」
「そんな事は知っている」
班沢の言葉に、劉敏が杯を叩き割った。
そういう事じゃない、まったく気の利かぬ連中だ。
劉敏は深く息を吐き、椅子に深く腰掛けた。
落ち着け。梁山泊がここを陥とす事はできん。落ち着いて待つのだ。必ず援軍は来る。
折よく、使者が戻ってきた。
遅いぞ、という言葉を飲み込み、報告を聞く。
援軍の許可が下りた。命令はすでに発せられており、間もなく来ると。
良し。これで奴らは袋の鼠も同然だ。
「韓喆、班沢、出る準備をしておけ」
ふふ、智伯ここにあり。
これで王慶さまの覚えもめでたくなるという訳だ。
援軍は宛州の北と南から出る手筈だ。それぞれ臨汝州と安昌、義陽である。
だが翌日になっても、梁山泊軍の動きに変化はなかった。敵の後方も乱れた様子はない。
まだか。もう来ても良いはずだ。
そして昼近く、ついに動きがあった。
劉敏が城壁から身を乗り出すようにした。すぐに韓喆らに命令を飛ばした。だが、よく見ると様子がおかしい。
梁山泊軍に混乱した様子はない。むしろ整然と陣容を整えている。
む、と劉敏が目を凝らした。
「ま、まずい。守れ、守りを固めろ」
まさに出陣しようとしていた韓喆と班沢が混乱した。
梁山泊軍の後方に、大きな影があった。
軍が左右に広がり、その大きな影が前方に進みだした。
劉敏が目を見開き、動けずにいた。
「李雲どの、さらなる攻城兵器をお願いできないだろうか」
王慶討伐の勅使が帰還した後、孫安が頭を下げてきた。
孫安は、李雲が建て直した五竜山の神廟を見て感動したという。以前の姿を踏襲しつつ、より重厚で洗練した建築に生まれ変わった。そう、周りに李雲の腕を褒めそやしていたらしい。
悪い気はしない。
だが、
「出陣まであと三月(みつき)では」
「やはり足りない、かな」
「いや、十分だ」
どこか挑発的な物言いに、思わず口走ってしまった。
とにもかくにも李雲は覚悟を決めた。
毎日、陽が落ちるまで、時には月明かりの下でも、作業をした。
その日も遅くなってしまった。
足が、朱富の店に自然と向いた。
「おや、お師匠さま。お一人で来られるなど、これは珍しい」
李雲は下戸だった。部下を連れては来るのだが、一人ではほとんど訪れない。
朱富が満面の笑みを浮かべている。よほど嬉しいのだろう。李雲の食事の好みは知っている。注文も聞かず、手早く卓に並べてゆく。
李雲が物言いたげな目をしていた。
「今夜は、飲まれますか」
軽い奴を、と言ってすぐに、
「やはり、きついのをもらおうかな」
「とっておきがあります。お師匠さまにお出しできるなんて」
と、止める訳でもなく、朱富が酒瓶を携えてきた。
杯に酒を満たす。杯を持つと、李雲は一気にそれを飲み干した。
酒が喉を通るのが分かる。
熱い。いつもより熱い。
かあっ、と息を大きく吐く。
空いた杯に、朱富がまた酒を満たす。
今度は舐めるようにちびりとやる。
「順調、ではなさそうですね」
「孫安が、なかなか出来に納得しなくてな」
「あとふた月を切っているのに」
ああ、と言って李雲がちびりと酒を飲む。
「部下たちも音を上げそうでな。このままでは間に合わぬ、そう言おうと思っていた」
だが、と李雲は続けた。
今夜のことである。李雲はひとり、作業を続けていた。
孫安から、修正してほしい個所があると言われた攻城兵器である。
目を眇め、指摘された箇所を検分していた。だが特におかしな所はないように見えた。
そして何度か動かした時である。
軋む音がした。そして嫌な音を立て、その部分が壊れてしまった。
李雲は青い瞳を大きくし、立ち尽した。
これが実戦で起きたなら、どんな悲劇を招いただろうか。
李雲は、眉間に皺を深く刻んだ。
なるほど、と朱富が唸った。
「戦を預かる身として、当然のことだったのだ。良くも悪くも、宋江どのは私や部下を信頼しており極力口を挟まない。それを当たり前と思い、私は慢心していたのかもしれない」
朱富は何を言わず、杯に酒を注いだ。
翌日、やや痛む頭を抱え、孫安の反応を見守った。
「さすがは青眼虎どの。そしてあなたの部下たちも、期待以上です」
孫安が破顔し、李雲らに礼を述べた。
今夜は部下たちを連れ、朱富の店に押しかけよう。
たまの二日酔いも悪くない。
梁山泊軍の攻城兵器が城に向かってくる。
劉敏が慄く。
援軍はどこだ、もう来ているはずだ。どこにいる。
くそ、と毒づき、城内へと戻る。
「城門を堅く守れ。弓兵は城壁へ急げ」
それでも智伯と呼ばれる男、指示を飛ばしながら自身も城壁へと向かった。
孫安、朱武が指示を飛ばす。
四方から攻城兵器が近づいてゆく。それは物見櫓に車輪を付けたような形だった。下部は箱状になっており、中に入った兵が攻城兵器を前進させる。上部の櫓には攻撃のための兵が乗っている。
劉敏は矢を射かけさせるが何本か刺さるだけで、中の兵士に影響はない。次に火矢を射かけるが、これも対策されていた。
劉敏は歯嚙みをし、策を巡らせる。その内にも攻城櫓は宛州城の手前まで進んでしまった。しかし攻城櫓はそこで動きを止めた。目の前に幅四丈ほどの濠が口を開けていたのだ。
劉敏の表情がやや緩んだ。
その櫓では濠を越えられまい。再び火矢の準備を命じようとした時、攻城櫓の方から音が聞こえてきた。
木が軋むような音。何の音だ。目の前の櫓は動いていない。だが確実に聞こえている。
ふいに音が止んだ。
そして攻城櫓が動き出した。
おかしい。櫓が近づいて、来る。
「何故だ」
劉敏は叫んで、城壁から身を乗り出した。部下たちが戦袍を掴み、何とか落ちることは阻止した。劉敏は、半分宙に浮いた格好のまま、見た。
攻城櫓の前方の濠の上に橋が架かっていた。その橋の上を進み、攻城櫓が近づいてきていたのだ。
劉敏さま、という部下の声で我に返った。転がるように城壁の上に戻ると、兵たちに命じた。
「乗り込んでくるぞ。矢を放て。ありったけ放て。石でも何でもいい、ぶつけて倒してしまえ」
しかし攻城櫓が一丈の所まで迫ると、宛州の兵たちは恐慌をきたした。
櫓前方の戸板が開き、そのまま城壁に橋のように引っ掛かる。
雄叫びを上げ、中から団牌を持った梁山泊たちが飛び出してきた。
我先に城壁に飛び移り、宛州兵を斬り捨ててゆく。
その攻城兵器は轆轀(ろくおん)と名付けられた。
劉敏が聞いた軋むような音。それは轆轀が発していたものだった。
宛州城の濠の手前で止まった轆轀。下部の箱状の部分、そこから長い板のようなものが伸び出した。板の両側は、鉄で補強された太い木材で支えられている。
まるで舌を出すように板が伸びてゆき、やがて堀の向こう側に達した。
そして轆轀の前に、橋ができた。轆轀が自ら橋を生み出したように見えた。
橋の素材は下部に積み込まれていた。内部で兵が組みたてながら、取っ手を回して伸ばしたのだ。
それを越え、轆轀が宛州城に迫った。
暴れまわる梁山泊軍。宛州兵はもはや逃げ惑うばかりだ。
負けるの、か。
逃げてください、という声にも応じず、劉敏はただ轆轀を見続けていた。