108 outlaws
攻城
一
蓋州の守将、鈕文忠が面白くなさそうに酒を呷っていた。
「ったくよう、裏切るとは舐めた真似してくれたなぁ。そいつ耿恭だったか」
部下が運んできた酒瓶をひったくり、浴びるように飲んだ。空になった酒瓶を放り投げ、酒臭い息を吐く。
「許せねぇなあ。田虎さまに歯向おうって奴はよ。後悔する暇もなく、殺してやるぜ」
この鈕文忠、山賊あがりである。三尖両刃刀を得意とし、八臂鬼王と呼ばれ怖れられていた。鈕文忠は金銀財宝を略奪しては田虎に貢いでいた。もちろん甘い汁を吸うためである。その甲斐あってか、鈕文忠は枢密使の地位を得(え)、この蓋州を任されるに至った。
蓋州の兵力は約三万。
兵を統べるのは、鈕文忠が山賊時代からの配下であった四人の将だ。
猊威将の方瓊。
貔威将の安士栄。
彪威将の褚亨。
熊威将の于玉麟。
いずれも猛将で、四威将と呼ばれ、怖れられていた。
この四人にそれぞれ四人、合計十六人の編将が従っている。彼らが蓋州の主力であった。
一同が軍議の間で酒を飲み、降将らを罵っている時である。物見の兵が駆けこんできた。
「もう来たか。誰が出る」
「俺が行きます、親分」
そう言って立ちあがったのは猊威将の方瓊。配下の四人も共に立ち上がる。方瓊が出るのに、誰も異論を挟まない。もちろん鈕文忠もだ。
方瓊、と鈕文忠が言う。
「十分気をつけろ。わしも後から加勢に行く」
「陵川、高平)は武力ではなく、卑怯な策で落とされたのです。誰か一人でも首を獲るまで、戻るつもりはありません」
にやりと笑い、鈕文忠は方瓊らを見送った。
城門が開かれ、方瓊と五千の兵が飛び出してゆく。
方瓊は配下の四将、張翔、郭信、蘇吉、楊端を振りかえり、軽く頷いた。
梁山泊の斥候が、その動きを察知した。
すぐに陣営から四将が前に出た。花栄、孫立、秦明、索超である。
「水溜りの盗っ人どもめ」
という方瓊の言葉に反応したのが孫立だった。
索超、秦明のお株を奪わんばかりに旋風の如く、方瓊に打ちかかった。
二本の槍が唸りを上げ、意思を持ったように互いの急所を攻め立てる。三十合を越えたあたりで、方瓊の槍の速度が落ち始めた。
固唾を飲んだのが方瓊配下の四将である。
その一人、張翔が逸った。弓を取り出し、矢を放ったのだ。
矢は、孫立の乗馬の目を射抜いた。馬が棹立ちになり、孫立が振り落とされた。
体勢を崩した孫立の頭上から槍が迫る。
「でかしたぞ、張翔」
しかし方瓊の顔はすぐに曇った。孫立が身を起こす勢いを利用し、左手の鉄鞭で槍を弾いた。
槍と鉄鞭を、両手にだと。
孫立が、馬上の方瓊に槍を向ける。
「馬を失ったくらいで、私を倒せると思ったか」
甘い、と叫び、槍と鉄鞭を嵐のように打ち込んだ。
射損ねたと見た張翔は刀を抜き、加勢すべく馬を駆った。
だが秦明がその前に立ちはだかった。
「そこを退け」
「退けと言われて、退く奴がどこにいるのだ」
秦明が吼えた。狼牙棒が唸る。
紙一重でそれを避けた張翔。その時、梁山泊軍の陣が目に入った。
弓を構えている将が見えた。方瓊を狙っている。
その将は、もちろん花栄であった。
「僭越ながらお見せしよう。矢はこうやって射るのだ」
言うやいなや、矢が放たれた。
空を切る音を聞いた孫立は、口の端をやや歪め、後ろへと飛び退(すさ)った。
矢は、方瓊の眉間を貫いた。
吹きだした鮮血が地面をしとどに濡らした。
「そっちが先にやったのだ。文句はあるまいな」
秦明がそう言って、張翔を睨んだ。
方瓊が討たれた。
助太刀しようとしたことが裏目に出てしまったのか。
血に濡れた方瓊が、恨めしそうにこちらを見ているのは気のせいか。
いや、違う。
ゆらりと張翔が刀を動かす。日の光で、刃がまるで彩雲のように輝いた。
出しかけた狼牙棒を、秦明が引いた。こ奴、気配が変わった。
躊躇した隙を待っていたかのように、張翔が刀を繰り出した。今度は秦明が紙一重で避ける番だった。
激昂すると思っていたが、却って冷静になったようだ。刀気が満ち始めている。
さらに蓋州の陣から郭信が馬を飛ばし、張翔の援護に加わった。
郭信が刀を閃かせる。まるで氷雪の如き、冷たさを感じる切っ先だ。
しかし、それで怯む秦明ではない。二対一の不利さも、秦明をむしろ鼓舞させるものだった。二刀の攻撃を捌き、霹靂のような雄叫びを上げる。
三騎が入り乱れ、刀と狼牙棒がぶつかり火花を散らす。
梁山泊の陣で、花栄が再び矢をつがえた。満々と弓を引き絞る。
そして、ふっと息を強く吐き、矢を放った。
秦明が狼牙棒を振り下ろし、張翔と郭信が左右に別れた。
その刹那、前に出ようとした張翔がのけ反った。
「張翔」
郭信は驚愕の表情を浮かべた。張翔の胸から、矢が突き出ていた。
矢に貫かれた張翔は、血を吐いた。そしてそのまま体勢を崩し、馬から落ちた。
郭信はすぐに馬首を返し、逃げた。
だが秦明が追う。花栄、索超そして馬を代えた孫立がそれに続く。
蓋州軍の楊端、蘇吉が兵を率い、それにぶつかった。
索超の金蘸斧、秦明の狼牙棒が、押し寄せる敵を割ってゆく。遠くから花栄が矢を放ち、孫立は槍と鉄鞭で敵を屠る。
蓋州軍は堪え切れず下がってゆく。
「押せ押せ押せ」
索超が吼える。
だが蓋州城の方から喊声が轟いた。土煙と共に、軍が二手になって押し寄せてきた。それぞれ五千ずつを、貔威将の安士栄と熊威将の于玉麟が率いていた。
敗走しかけていた蘇吉らも士気を取り戻し、花栄らに襲いかかってきた。
三方からの攻撃に、秦明らも耐えきれず、なんとか逃れようと馬を回す。
そこへまたも喚声が起こった。今度は蓋州ではなく、四方から聞こえてきた。
敵の刃を潜りぬけながら、花栄が不敵な笑みを浮かべた。そして秦明らに告げる。
「来たぞ。もう一度だ」
秦明が孫立が索超が、力強く応じた。どの目も、決して諦めてはいなかった。
地平から現れたのは梁山泊)軍だった。宋江ら本隊が来たのだ。
中央の宋江が剣を天に掲げ、檄を飛ばしている。
「攻めよ。花栄たちに加勢するのだ」
于玉麟、安士栄のさらに外側から、梁山泊軍が押し包むように攻め上げる。形勢がまたも逆転した。
ついに退却の鉦(かね)が鳴った。
逃げる蓋州軍、追う梁山泊軍。
だがあと一歩のところで、蓋州軍は城へ逃げ込んでしまった。
城を攻めようとするが、頭上から大木や巨石を落としてきた。
やむなく宋江は撤退の指示を出し、陣を敷いた。
ひとまずの勝利に湧く中、宋江が花栄を迎えた。
「さすがの腕前だな、花栄」
「ふふ、いつも通りさ」
その横で、呉用が吹き始めた風に眉をしかめていた。