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攻城

 方瓊、張翔を討ち取られ、鈕文忠は怒りで震えていた。兵も二千は失った。大敗である。

 床には粉々になった杯が散乱している。

 誰もが言葉も出せぬまま、徒に時が過ぎようとしていた。

 静かに、貔威将の安士栄が進み出た。

「奴ら、きっと油断していることでしょう。今夜、わしが一軍を率いて寝込みを襲い、必ずや仇を討ってみせます」

「よし。安士栄、お主に五千預けよう。頼んだぞ」

「はい。お前たち、準備をしろ」

 安士栄の言葉で、配下の四将が応じた。沈安、盧元、王吉、石敬である。いずれも禍々しい気配を纏っていた。

 夜(よ)が更けた。風がやや強い。

 安士栄は闇の中でほくそ笑んだ。城は風上だからだ。奴らが気付いた時には、すでにあの世という訳だ。

 兵は軽い軍装で、馬にも枚を噛ませている。

 安士栄が静かに合図を出す。五千が、風のように動いた。

 すぐに梁山泊陣営に到達する。兵たちが駆けながら刀を抜く。

 安士栄が速度を上げた。配下の四人もそれに続く。この四人は悪神の如き不吉な渾名を背負っている。梁山泊め、まさに運の尽きだ。

 安士栄軍が雄叫びをあげ、陣に飛び込んだ。

 しかし、陣の中には気配が一切感じられなかった。

「待て。何かおかしいぞ」

 誰かが言った。それと同時に、周囲が明るくなった。安士栄たちが松明に照らされていた。

「退け」

 そう命じたが遅かった。

 喚声と共に、潜んでいた梁山泊軍が白刃を煌めかせた。

 必死に応戦するが、安士栄軍は乱れに乱れた。

 その窮地を、鈕文忠が救った。

 城に戻った鈕文忠は、怒りを募らせた。血を流しながら、安士栄も唇を噛む。

 沈安と王吉が討たれた。さらに鈕文忠と共に駆けつけた、石遜が深手を負い、息も絶え絶えであった。

 重い空気の中、おずおずと部下が報告に来た。田虎からの使いが来たというのだ。

 だがその内容に、鈕文忠は唖然とした。

 天文を司る者が見たところ、罡星が晋の地を侵す象があるので守りを堅くし、間違いのないようにせよ、というものだった。

 何を呑気なことを、と激怒しそうになるが、何とかそれを思いとどまった。使者が悪い訳ではないのだ。

 いま梁山泊、司天監がいうところの罡星、が攻めてきていることは、やはり威勝には伝わっていないらしい。

 呼気を整え、鈕文忠は現状を報告すると共に援軍を要請した。

 顔色を変えた使者はすぐに取って返した。

 鈕文忠は籠城を決めた。

 いかな梁山泊とて、この堅牢な城は陥とせまい。援軍が到着するまで、英気を養っておくべきだと判断した。

 さあ、来るなら来てみろ。

 鈕文忠は床几に腰を下ろし、目を閉じた。

 

 蓋州が堅く門を閉ざした。

 城門の上に見張りがいるだけで、一兵たりとも出てくる様子もない。

 呉用も朱武も渋い顔をしていた。

 夜襲を察知し、勝利したまでは良かった。だが城に籠られてしまうと、手が出せないのはこちらの方だ。

「さて、どうする。このまま指を咥えていろというのか」

 盧俊義が腕を組み、訊ねる。宋江も答えを待つ。

 呉用が静かに言う。

「はい、このまま待っていてもらいます」

「なんだと」

「盧俊義どの、城攻めの難しさは、分かっているはず」

 朱武が割って入る。横目で見ると、呉用は黙って羽扇をくゆらせている。呉用はいつも迂遠な言い方をするので、誤解を招きやすいのだ。 

 咳払いをひとつ。

「見ての通り、蓋州は堅城です。下手に攻めるならば、蜂の巣を突くようなものでしょう」

「だからと言って、攻めねば蓋州は陥とせんのだぞ」

 盧俊義の言う事ももっともである。

 宋江は呉用に聞く。

「軍師どの、敵が出てくるまで根(こん)比べをするというのか」

 その時、兵が飛び込んできた。

「李逵どのが、蓋州城へ。申し訳ありません、誰も止められず」

「鉄牛め。すぐに馬を持て」

 宋江が立ち上がり、命じた。

 李逵が鮑旭ら歩兵を率い、蓋州を攻めるために向かったというのだ。

 馬に飛び乗り、宋江が駆ける。盧俊義が続き、駆けつけた花栄も、後を追った。

 歩兵たちが城壁に接近した。

 守備をしていた楊端、郭信がこれに気付いた。楊端の命令で、一斉に城壁から矢が降り注ぐ。

 雄叫びをあげる李逵。両手の斧で矢を叩き落としながら駆ける。

「無茶だ。戻れ」

 宋江が悲痛な叫びを上げる。

 鮑旭も腿に矢を受けながら、突き進んでいる。

「宋江、お前は下がれ。李逵は任せろ」

 花栄が宋江の側に寄り、叫ぶ。

 私も行く、と固辞する宋江。

「花栄の言う事を聞け。お主は総大将なのだぞ」

 盧俊義に強く言われ、やっと宋江が速度を落とした。

 花栄が弓を取り出したのを見ていた楊端が気付いた。

 奴は、方瓊さまと張翔の命を奪った男。ここで仇を討ってやる。

 部下の弓を取り、矢をつがえる。郭信の拳にも力が入る。

 向こうは歩兵たちが気になっているようだ。気付かずに、こちらに駆けてくる。

 死ねい。

 矢が放たれた。真っ直ぐに花栄に迫る。

「やったぞ」

 郭信が叫んだ。花栄が馬上でのけ反っていた。

 楊端もにやりとした。

 しかし、花栄がむくりと身を起こした。手に矢を持っている。

 何だと、矢を掴み取ったというのか。

 花栄の手に弓が握られていた。

 矢は、どこだ。

 と、探そうとした楊端が吹っ飛んだ。

「楊端」

 郭信が駆け寄るが、楊端はすでに事切れていた。

 何という腕前だ。あの距離から、正確に射抜くだと。

 馬を止め、花栄が矢をつがえ、城壁に向けた。

「次はどいつだ」

 守備兵たちが蜘蛛の子を散らすように逃げた。

 その隙に盧俊義が、李逵らを退避させる。もちろん李逵も鮑旭もなかなか退こうとしなかったのだが。

 歩兵の帰還に、宋江はひとまず安堵した。

 李逵が悪びれた様子もなく、

「すまねぇ、宋江の兄貴。大将の首を獲って来ようと思ったんだけどよう」

「まったく無茶をしおって。もう良い、とにかく怪我の手当てをするのだ」

 そう答えた宋江の目尻が光っていた。

 陣に戻った宋江は目を丸くした。

 陣の外に何十台もの荷車が停められていたのだ。

 呉用が宋江を迎えた。

「あれを待っていたのです」

 荷車の側で指揮をしていた男が、こちらを向いて軽く頭を下げた。

 青眼虎の李雲だった。

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