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仇敵

 銅鞮山に籠った李天錫らが投降した。そして盧俊義軍が残りの拠点を奪還し、田虎軍との戦いは終わりを告げた。

「よう待ってたぜ、小悪来」

 史進に声をかけられた卞祥は、少し困ったような顔をしていた。

 宋江と対峙した後、綿山を下りた。そしてすでに威勝が陥落し、田虎も捕らえられた事を知った。

 卞祥は深く、長いため息をついた。

 強大な勢力と版図を誇っていたはずの田虎が、敗れた。梁山泊とはそれほどのものだったのか。

「行くところがなくなった。俺を置いてくれるか」

「歓迎するぜ。あんたほどの好漢が来てくれるなんてな」

 そうだ、と史進が思い出したように言う。

「梁山泊に行ったら、会わせてみたい奴がいてね」

「俺にか」

「陶宗旺って奴で、そいつも元は農夫だ。なんだか似ていると思ってな」

「そうか」

 とだけ卞祥は言った。

 田虎を裏切った、という自責の念は、史進の明るい口ぶりでいくらか楽になったような気がした

 宋江たちが梁山泊へ、整然と行進をしている。街々や街道では、田虎からの解放を喜ぶ人々からの喝采を惜しみなく浴びた。

 殿を行く孫安が振り返り、一帯を見渡した。

 梁山泊になることができなかった。それが田虎軍だ。

 多くの者が田虎に賛同した。腐った役人たちに対する憤りは、それほどだったのだ。そしてその中には秀でた者もいた。頭目を数えれば百人近くになるか。梁山泊と同じだ。

 だが、敗れた。

 活かしきれなかったのだ。晁蓋が頭領になる前の梁山泊がそうだったという。王倫という男は器ではなかったという事だ。

 そして田虎も。

 いや、自分もか。

 孫安は、流れる雲に目を細めた。

 

 目を開けると張清の顔が飛び込んできた。

 ゆっくりと上体を起こし、記憶を呼び起こす。

「田虎は」

「捕らえられたよ。しかし無事で良かった。気が気じゃなかったよ」

「ありがとう」

 と言われ、不思議そうな張清。

「田虎と戦っている時、あなたの声が聞こえたの。それで勝てたのよ。ありがとう」

「そうか。とにかく良かった」

 張清はやっと安心したように、肩の力を抜いた。

 ありがとう。あなたと出会えて、本当に良かった。

 そしてありがとう、お母さん。

 体が癒えた頃、石室山を訪れた。

「この石が、お主の母だったとは」

 囲いの中の白石を見て、李雲がしみじみと言った。葉清の、三年前の話とも符合する。瓊英の母は、ずっと娘を守っていたのだ。

 囲いの撤去を待ち切れず、瓊英が石に抱きついた。

 石に縋り泣き続ける姿に、張清も李雲も葉清も胸が張り裂けんばかりだった。

 その時、風が吹いた。

 あっ、と瓊英が驚きの声を上げた。張清たちも目を疑った。

 白石が、人の姿になっていたのだ。それは確かに瓊英の母、宋氏の姿だった。

 娘をよろしくお願いいたします。

 宋氏の声が聞こえた気がした。

「奥様」

 葉清も滂沱の涙を流した。 

 その後、李雲が建てた廟に、宋氏の亡骸は葬られた。

「ありがとうございます。これで母も、父も安らかに眠ることができます」

 頭を深々と下げる瓊英。

 去り際、李雲が張清に囁いた。

「これからはお前が守ってやるのだぞ」

「はい」

 張清が力強く頷いた。

 

 田虎が田豹、田彪と共に処刑された。

 東京開封府は見物人で溢れかえっていたという。

 宋江が杯に口をつける。田虎処刑の報に、深く目を閉じた。

 田虎の末路は、かつての梁山泊の末路だ。田虎の叛乱も、腐った役人に対しての怒りが根底にあったという。だが目的はいつしか田虎の欲を満たすためのものに成り果ててしまった。だから崩壊したのだ。

 宋江が目を開ける。替天行動の旗が翻っていた。

 己の心に言い聞かせる。信念が揺らぐことはない、と。

 隣で呉用が、見透かすようにこちらを見ていた。

 心配するな。という表情で、宋江が酒を飲み干した。

 張清と瓊英の婚姻を改めて祝う、この酒宴。田虎軍から投降した面々も参加していた。

 唐斌、山士奇、卞祥、馬霊、喬道清そして孫安。主だった者だけでもかなりの戦力が加わり、喜びもひとしおだ。

「孫安どのも仇を追っているとか」

 張清が訊ねた。

 大方、姚約か金禎あたりが喋ったのだろう。まあ別段、隠し通すことではないが。

「そうだ。だが足取りが杳として知れなくなってしまってな」

 孫安は、父を殺した占い師と道士の話をした。

「すまん、話が聞こえたのでな」

 と武松が側に腰をおろした。

「その道士の手口、聞いたことがある気がしてね。名前は何というのだ」

「王とだけしか。あと確か飛天なんとかと呼ばれていたかな」

「もしかして飛天蜈蚣か」

 孫安は思わず立ち上がっていた。

「そうだ。その占い師が、そう呼んでいた」

 あの時の記憶を思い出す。知らず、眉間に皺が刻まれていた。

「その飛天蜈蚣、王道人は俺が仕留めちまった」

 すまんな、と無表情で武松が言った。

「そうか。いや、礼を言わねばならんな」

 孫安は、なんだか拍子抜けした。あれだけ追っていた相手が、いつの間にか殺されていたのだ。しかも梁山泊の者に。

 だが、もう一人。占い師に関しては、武松も他の者も知らないようだった。

「なんだ、もう始まっちまってたのかよ。間に合うと思ったんだけどな」

 白勝だ。宋江の指示で、淮西で叛乱を起こしている、王慶の事を探っていたのだ。

 白勝の報告が聞こえ、孫安が立ち上がった。

 そして宋江の元へと歩いてゆく。一同の目が、孫安に釘付けになった。

 孫安が言った。

「失礼は承知の上です。もう一度、今の報告をお聞かせ願いたい」

 宋江が促し、白勝が戸惑いながらも繰り返した。

「王慶は、梁山泊が田虎軍と戦っている間にも勢力を広げ、いまや八州八十六県を占領し、自らを楚王と称している」

 八州とは南豊、荊南、山南、雲安、安徳、東川、宛州、西京である。田虎の支配地は五州五十六県だった。それよりも広大な地域だ。

「宛州を攻められた時、さすがに帝の耳にも入り、童貫が討伐に出たんだが、王慶軍に大敗しちまった。だがそれを帝が知っているかどうかは定かじゃない。まあ、おそらく知らないのでしょうがね」

 これまで通り、蔡京たちが揉み消していると思われる。

 だが孫安が聞きたかったのは、その後の事だった。白勝も、そっちの話かい、と意外そうな顔をした。

 どうやら王慶には軍師がついているらしく、その男のおかげでここまで勢力を拡大できたのだという。

「その軍師ってのが、もともと占い師らしい。なんでも、金持ちなんかに嘘の占いを信じ込ませて、最後には屋敷や土地を奪っちまうなんて悪どい事をしていたようですぜ」

 その占い師も只者ではなく、剣の腕もなかなかで金剣先生などと呼ばれているという。

「金剣先生、か」

 間違いない。

 その占い師が、父の仇だ。

 あの時、王道人の横にいた、剣を帯びた占い師。

 あの顔、今の今まで、一時たりとも忘れた事など、ない。

 孫安の目が、鋭いものに変わっていた。

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