
108 outlaws
無頼
一
武学の場が騒然としていた。
宋江率いる梁山泊軍が田虎軍を討伐したという報が、東京開封府にもたらされたからだ。
一同の前に立つ蔡京は、やや辟易していた。
田虎め、あれほどの勢力を誇っておきながら破れるとは。もう少し骨のある奴だと思ったのだがな。まあ良い。梁山泊も簡単に勝てた訳ではない。損害は大きくはないのだ。
どのみち、わしにとって都合が良いのだがな。
「静かにせよ。ここをどこだと心得る。聞く気のない者は出ていってもらおうか」
ここ武学とは、先帝の神宗帝が設立した、官僚たちに兵法の講義を行う施設だ。蔡京はここの教諭である武学諭でもあった。
その蔡京の言葉に、一同が粛然とした。
「まあ、お主たちの関心は田虎討伐にあるようだ。ならば、此度(こたび)の戦の展開でも語ってやろうかのう」
蔡京にしては珍しい。武学の聴衆たちも喜色を浮かべた。
梁山泊が田虎軍相手にいかに戦ったかを、蔡京が語った。だがその内容は、梁山泊の戦略がいかに稚拙であるかを滔々と述べるものであった。
「田虎ごときにおよそ半年も時をかけるなど、話にもならん。勝てたから良かったものの」
次に自分ならどういった戦略を取るか話そうとした時である。
むっ、と蔡京が唸った。
講義を聞いていない者を見つけたのだ。なんと天井を見上げ、あまつさえため息をついているではないか。
「お主、どういうつもりだ」
羅戩という男で、彼も武学諭であった。
羅戩は答えずに蔡京の方をちらりと見た。軽蔑するような目だった。同じ目だ。宿元景などの、無駄に正義を振りかざす連中と同じ目だ。気に食わん。
そこへ帝の来訪を告げるお触れがあった。
蔡京も他の官僚も居住まいを正した。
どういう事だ。帝が来るなど聞いておらぬぞ。
帝が姿を見せた。脇に王黼を従えていた。
一同が平伏する中、羅戩が進み出た。
護衛たちが剣を突きつけ、下がれと命じるが、帝がそれを制した。
がばりと羅戩が平伏した。
「武学諭、羅戩。万死の罪をおかし、謹んで奏上いたします」
武学の空気が張り詰めた。誰もが最悪を予想した。
帝が静かに言う。
「良い。続けよ」
「奏上したきは、淮西の強賊王慶の事にございます。王慶が謀反を起こし、すでに五年。やっと討伐に赴いた童枢密はすでに潰滅しております。おそらく天子さまには、偽りの報告がなされていることと存じます」
帝が驚いた顔をした。羅戩の言う通りらしい。
蔡京は憐れむような、笑っているような目をした。
童貫め、ばれたぞ。果たしてどう取り繕うつもりかな。
「王慶はさらに領土を広げ、罪なき民を恐怖に陥れており、我が郷里、雲安も奪われてしまいました」
喉の奥で嗚咽を堪え、羅戩は続けた。
「なにとぞ王慶討伐の聖旨を出されますようお願い申し上げます。なにとぞ」
帝に直接嘆願するなど、己の命も顧みない羅戩に一同は驚嘆した。
わずかな沈黙の時。
そして帝が口を開く。
「お主の思いは伝わった。しかし童枢密をも退ける連中だ。誰かふさわしい将軍がいるだろうか」
羅戩は自信満々に答えた。
「梁山泊なら、適任かと」
ここまで思い通りに事が運ぶと、かえって怖くなるな。
すれ違った者が振り返るほど、にやつきを隠しきれない王黼。
羅戩を焚きつけたのは自分だ。正義感の強いあの男の事だ、ひと言ふた言囁いただけで案の定、火が付きおった。
童貫には気の毒だが、いずれは露見すること。早いに越したことはあるまいて。それも己が悪いのだ。
王黼は思い返す。
武学での蔡京の顔を。
己の職務の場で、しかも帝の前で、顔に泥を塗られたのだ。
怒りと恥辱を必死に押し殺す、引きつったあの顔よ。
思わず笑い声が漏れ、またすれ違う者が怪訝そうに目を向ける。だがそんな些事は気にならないほど、王黼は愉悦に浸っていた。
もちろん、帝の足を武学に向けさせたのも王黼だ。
王黼は蔡京に向かって、心中で呟く。
もはや帝を、いやこの国を操っているのは、この私だ。
あなたが叶えられずにいる大事を、私が成してみせる。
梁山泊を潰す。私にはそれができる。
私にもあなたが知らない情報網を持っているのですよ。もうあなたの時代は終わったのです。田舎で余生でも過ごしたらいかがですか、蔡京どの。
そして皺だらけの蔡京の顔を思い浮かべた。
思わず噴き出した王黼は、軽やかな足取りで宮中を出ていった。