
108 outlaws

鳳雛
二
鈴が揺れるたびに鳴った。馬上の耿恭の刀の柄に、括られたものである。
横に並ぶのは唐斌。
二人は昭徳府攻撃の先鋒として名乗り出たのだ。
一万の兵を進めながら耿恭が神妙な面持ちで前を見つめている。
「想像できなかったかね」
「ええ。まさか、と思いましたよ」
田虎軍がここまで苦戦するなど。
耿恭は薄く微笑んだ。
それに、自分が梁山泊軍に加わっている事も、である。
斥候から報告があった。
西北に敵陣を発見。その数、およそ二千。
驚く数ではない。しかし耿恭が、斥候の次の言葉に顔色を変えた。
「それは確かか」
「はい。しかとこの目で見ました」
敵が掲げる黒旗、そこに刻まれていた文字に、唐斌の目が鋭くなった。
「あの喬道清が出てくるとはな。しかしそれだけ田虎も追い詰められているという事。ここで勝利を得られれば、一気に弾みがつく。耿恭、覚悟はいいか」
耿恭は唇を噛みしめ、頷いた。柄の鈴が、ちりんと鳴った。
やがて敵の姿が見えてきた。相手は喬道清だ。兵数の差など、何の意味もない。
行軍する唐斌らに向かって、駆けてくる一団があった。
伏兵か。
「おう、待ってくれ。おいらたちが斬り込んでやる」
李逵が率いる五百の遊撃隊だった。
「待て、李逵。相手は生半な強さではないのだ」
と唐斌が言い、耿恭は遊撃隊を見る。項充、李袞そして鮑旭の姿があった。
何だよ、と李逵が口を尖らせた。
「樊瑞でしたか。ここに来ていないのですか」
「ああ、壺関の守りに就いてるぞ」
耿恭が顔を曇らせる。術が仕える樊瑞がいたならば。
「何だよ、もういいだろ。あいつらはおいら達がやっつけてくるからよ。じゃあな」
「あ、待て」
という唐斌の制止を聞かず、李逵たちが走り去ってしまった。
「仕方ない。耿恭、お主は樊瑞を呼びに行け。わしは李逵を援護する」
馬に鞭をくれ、唐斌と耿恭がそれぞれの方向へ駆けた。
喬道清は中央に陣取っていた。四人の編将を左右に従えている。それぞれ雷震、倪麟、費珍、薛燦という。
突進してくる李逵を見て、喬道清も編将たちも嘲った笑みを浮かべていた。
編将の一人、雷震が言い、馬を進めようとする。
「ふふふ、向こう見ずな連中ですね。私が行きましょう」
「いや、待て」
喬道清自ら前に出た。
「力の差を見せつけてやるとしよう」
す、と背負った宝剣を抜き放ち、切っ先を天に向けた。
そして一喝。
雲ひとつ無かった空に、たちまちにして黒雲が立ち込め始めた。そして風が吹き始めると、あっという間に狂風となり、土や塵を捲き上げた。
李逵は構わず突進してゆく。
率いられた歩兵たちも、顔を守るように団牌を上げて、駆ける。
止まりそうにない李逵の背を見ながら、項充も覚悟を決めた。
「ええい、怖気づくなよお前たち。こんなもの樊瑞で見飽きてるだろ」
「吼えろ。こんな風など、雄叫びで押し返してしまえ」
そして李袞の言葉に、兵たちが応じた。
怯まない兵たちにも、喬道清は眉ひとつ動かさない。
「ならば」
と宝剣を李逵たちに向けて一喝した。
天を覆っていた黒雲が、地面にまで下りてきた。それが李逵たちを包み込むようにした。
後ろを駆けていた唐斌が急いで隊を回避させた。
悲鳴を上げる間もなく、李逵たちが闇に呑みこまれてしまった。
「くそっ」
唾を吐き、矛を構えたまま疾駆する唐斌。
どうする。どうするのか。
このまま戦いを挑んでも、李逵の二の舞いか。おそらく。
目を閉じた唐斌。
「関勝、お主ならどうする」
まぶたの裏の関勝が、爽やかに微笑む。
「だよな」
腿を締め、馬の速度を上げる。矛を掲げ、唐斌が吼えた。
喬道清は微動だにせず、邪悪な目を唐斌に向けた。
耿恭が、宋江のいる中軍に辿り着いた。
宋江はすぐに壺関に使いを走らせ、自軍も進軍を決めた。
「樊瑞の合流を待つべきです」
という呉用の言葉を押し切った。李逵が心配で仕方ないのだ。
先の場所には戦いの痕跡が残るだけで、李逵や唐斌の姿はどこにもなかった。憤りを胸に梁山泊軍が昭徳に迫る。
宋江は陣を敷き、号令を発する。
軍が両翼に分かれた。そして宋江の横に郁保四が進み出た。兵が荷車で運んできた巨大な旗を、ぐいと両手で持ち上げた。兵が四人で持てるかどうかの重さである。
腰を落とし、地面を支点に旗を上げてゆく。
「梁山泊、推参」
郁保四が叫び、替天行動の帥字旗が翻った。昭徳の城壁で、その勇壮さに驚きの声が起きた。
喬道清はそれを憎々しげに見ていた。そして四人の編将を従え、出陣をした。
喬道清が宝剣を引き抜き、宋江に突きつける。
「貴様が梁山泊の宋江か。少しは見込みのある連中だと思っていたが、国の狗になり下がるとはな」
郁保四が吼えた。
「ぬかせ。まあ、燕雀には鴻鵠の志など分からんだろうがな」
「私を雀と愚弄するか、木偶の坊が」
宋江が郁保四を見上げるようにした。
「すみません、宋江どの。思わず言っちまいました」
「ふふ、嬉しいよ。お主がそんな事を思っていたとはな」
「へへ。さあ、来ますぜ」
うむ、と前に向きなおり、宋江が進軍を命じた。
喬道清が宝剣を天に向け、一喝する。
駆ける林冲の脳裏に不安がよぎった。高唐州での戦い、高廉を思い出した。
「来るぞ。攻撃に備えろ」
林冲が咄嗟に叫んだ。狂風か、紙の獣か。ともかく、何かが来る。
宝剣が示した先の空に、蠅のような小さな黒い点が湧いてきた。それが徐々に大きくなってゆく。
いや、違う。こちらへと近づいてきているのだ。
それは金の鎧甲を纏った将の形をしていた。百ほどの将が、まっすぐに梁山泊めがけて飛来してきた。高廉など及ぶべくもない。獣ではなく人を術で顕現させたのだ。
だが。術は術。種は必ずある。
蛇矛を構え、林冲が吼える。
「怖気づくな。相手は見えている。いつも通り倒せば良いだけだ」
そう言って、飛来した金甲兵を自らが突き刺してみせた。放り捨てられた兵は、煙のように消えた。
それを見た梁山泊兵が意気を取り戻した。金甲兵を倒してゆくが、やはり中空からの攻撃に苦戦する。
喬道清が再び宝剣を天に向けた。黒気が湧き出し、梁山泊軍を包みこもうとする。さらに狂風が吹き始め、砂や石が舞いだした。
まずい。
見ると郁保四の旗は、この中でも揺らがずに立っている。
「替天行動の旗を目指せ。宋江どのを守るのだ」
林冲が先頭、索超が後詰めとなり離脱を計る。
「くそう、ふざけやがって」
郁保四が唾を吐き捨てる。両手で帥字旗をしっかりと支え、一歩ずつ進む。目に砂が入り涙が止まらない。激しい風に、旗の重さが何倍にも感じる。腕が千切れそうだ。
だが倒す訳にはいかない。
揺らいだ旗を、郁保四は雄叫びと共に真っ直ぐに立て直した。