
108 outlaws

鳳雛
二
宋江らが退き、李雲の攻城部隊と合流した。
気付いた劉唐が駆け寄ってくる。
「どうしたこんな所まで、林冲。む、宋江どのまで」
「妖術だ。奴ら追ってくるぞ、態勢を整えろ」
林冲の指示を飛ばし、李雲は、宋江を守るように荷車を配置した。
兵たちが空を指している。
先ほどの金甲兵が二十人ほど飛来してきた。
梁山泊軍がゆっくりと下がる。
「宋江どの」
李雲が叫んだ。
振り返った宋江は目を大きく見開いた。
どういう事だ。これも妖術なのか。
今の今まで、周囲は平原だった。だがいまは、大洋のように満々と水が張られていたのだ。そして遥か彼方まで広がっており、どこまでも深く見えた。
「本物、のようです」
水に足を踏み入れた李雲が言う。裾がしたたかに濡れている。
退路が断たれた。
その間にも金甲兵が迫る。
「くそっ、おめおめとやられるかよ」
劉唐が朴刀を構え、金浩兵を迎え討つ。
おらあっ、と気合一閃。金甲兵の体が真っ二つになった。
一気に梁山泊の士気が上がる。林冲が一体を屠れば、劉唐がさらに一体をぶった斬る。
しかし、昭徳府の方角からさらに十数体の金甲兵が飛来した。
三体目の首を飛ばした劉唐。だがその背後に新たな金甲兵が現れた。
劉唐は振り向く事もできず、背後からがっしりと抱きかかえられた。李雲が救出に向かおうとするが、阻まれてしまう。林冲もひとりで四人を相手取っている。
劉唐を抱えた金甲兵が飛びあがった。
「劉唐」
宋江が手を伸ばすと、その金甲兵の軍装の端を掴むことができた。しかしそのまま宋江まで空中に持ちあがってしまう。だが宋江の足首を、すんでのところで郁保四が掴んだ。
「俺にかまわず放してください。宋江どのまで捕まっちまう」
「放すものか。このまま引くのだ、郁保四」
郁保四がありったけの力を込め、歯を食いしばる。
だが金甲兵は動かない。宋江の体が無理に引っ張られるだけだ。
両手ならばと思うが、左の手には帥字旗がある。これを、旗を倒す訳にはいかない。
「くそっ、この野郎」
振りほどこうと劉唐がもがくが、微かに揺れるだけだ。
金甲兵はしばらく感情の無い目で宋江らを見ていたが、やがてさらに空中へ上がり始めた。
郁保四の右腕に太い血管が浮かぶ。
その腕に矢が突き立った。すぐにもう一矢。
一瞬、力が抜けそうになったが、それでも放さなかった。
「くそったれがあ」
血に塗れ、郁保四が吼えた。
金甲兵に加え、昭徳の軍が追いついてきていたのだ。
劉唐、と宋江が叫んだ。
宋江が手を放してしまった。限界をとうに超えていたのだ。
見る間に金甲兵が豆粒くらいに小さくなってしまった。
「宋江どの。郁保四も大丈夫か」
李雲が兵と壁になる。
「観念しろ。降伏すれば命は助けてやるぞ」
敵将の声が聞こえる。だが帥字旗が雄々しくはためいているを見て、近づくことはしない。
感覚の無くなった手を擦りながら、宋江が険しい顔をする。
万事休すか。
郁保四が持つ、梁山泊の旗を見上げる。
敵に捕らわれるよりは。
宋江が腰の刀を抜いた。
「お待ちください」
宋江らの前に、突如見知らぬ者がいた。
「ご安心ください。あなた達をここから逃がして差し上げましょう」
実に奇怪な風貌だった。
体は青黒く、髪は赤みがかっている。さらに目を引くのが、額に盛り上がるように突き出た二本の角であった。牛のようなものではなく、肉でできた角のようだった。
安心しろと言われても、不安は拭えない。
李雲が宋江に告げうr。
「宋江どの、信じてみましょう」
刀を下げ、宋江が頷いた。
では、と謎の男が足元の土を掬(すく)った。横目に宋江たちを見る。
「しばらくの間、そなたたちは災厄に遭う定め。だが持ちこたえよ。必ず運気は開けよう」
謎の男が土を水の上に投げた。
すると見る見るうちに水が引き、もとの平原が現れた。
梁山泊軍が驚きと歓喜の声を上げる。
謎の男が、李雲にぼぞりと告げた。
「過日は世話になった、その礼だ。あの彫り師にもよろしく伝えてくれ」
優しく微笑むと、角のある男の周囲に風が起きた。そして風が止むと、その姿が消えていた。
梁山泊軍が退却した。昭徳府軍は追ってこなかった。
水の術を破られ怯んだのだろう。
五、六里行くと扈三娘、孫新らの隊と会った。
助かった。
呉用の待つ陣に戻り、郁保四が旗を据えた。
そして大きな息を吐き、地面に大の字になった。腕には矢が刺さったままであった。
替天行動の旗が翻る。
李雲はそれを見ながら、満足そうな顔をしていた。
退却中、古い廟がある場所を過ぎた。そこで思い出したのだ。角のある男が何者なのかを。
太原、石室山からの帰路、この付近を通った。そしてひと騒動あった後、廟の修復をした。祀られていたのは確か、戊己の神だった。
戊(つちのえ)己(つちのと)すなわち土。五行でいう土克水、土は水に克つ。なるほど、術を破れる訳だ。
こうなることを期待した訳ではない。だが結果、梁山泊を救う事となった。
李雲は、金大堅の驚く顔を早く見たいと思った。
果たして、信じるだろうか。