
108 outlaws

鳳雛
一
ある日、羅真人が少年を連れて戻ってきた。
「こいつは誰です、お師さま」
訊ねる喬道清に答えず、羅真人はその少年を奥の部屋に寝かせた。
数日後、いまにも死にそうだった少年が小さく唸っていた。
「お師さま、目を覚ましました」
子供の髪は真っ白になっており、喬道清は驚いた。しかし羅真人の次の言葉の方に、驚く事になる。
羅真人がその公孫勝という少年に言った。
今日からわしの弟子だ。そして今からお主は一清となる、と。
頭の中が燃え上がるように熱くなった。言葉も出なかった。
自分が道号を授けられるまで、どれだけ苦労したと思っているのだ。なのにこいつは。こいつは。
頭を下げる公孫勝の目をまともに見ることができなかった。
最後に母に会って来いと言われ、公孫勝が下山した。
喬道清はその姿を憎々しげに見つめていた。
「山を下り、世の中を見てくるのだ。術を学ぶばかりが修行ではない」
羅真人の言葉で、喬道清が下山した。本当に久方ぶりの下界だ。不安な分、楽しみでもあった。
故郷へ帰ってみよう。喬道清は一路、西を目指した。
この地方では日照りが続いており、人々は苦しんでいた。作物の取れない大地と同じくらい、人の心も渇いていた。太陽を呪うように、虚空に手を伸ばしたままの亡骸を見るたび、喬道清の足も、心も重くなっていった。
国は何をしているのか。苦しむ人々を救いはしないのか。
悶々としたまま喬道清は安定州に着く。
比較的穏やかな土地だったが、旱魃の影響はやはり大きいようだ。
その州で、お触れが出されていた。雨を降らせる者があれば、三千貫の賞金を与えるというものだった。
羅真人の言葉の真意はこれだと悟った。これまで学んだ術を使う時なのだと。
剥ぎ取った触れ紙を手にしていると、声をかけられた。
その書生風の男は何才と名乗った。
「そいつを一体どうするつもりです。まさか雨を降らせようなんて考えてるのでは」
「そのまさかさ」
何才に向かって喬道清は不敵に笑ってみせた。だが何才の顔は曇ったままだった。
無理もない、出会ったばかりの男が雨を降らせると言っているのだ。信じろと言う方が無理というものだ。しかしそうではなかった。
「役人を信用してはいけない。たとえ貴方が雨を降らせたとしても、賞金を渡すことはしないぞ」
「それでも、やらねばならないさ」
真剣さを感じ取ったのだろうか。何才はそれ以上何も言わなかった。
かくして祭壇が組まれ、喬道清が壇上で祈りを捧げた。
およそ五か月ぶりの雨だった。乾いた大地が水を吸い、命を吹き返した。苦しんでいた民は歓喜し、喬道清を神のように讃えた。悪くない気分だった。
だが問題はそれからだ。何才の言ったように、役所は賞金を出そうとはしなかった。
何才は仕方ないという顔をした。話が通じる役人がいるから掛け合ってみるという。
戻った何才は複雑な表情をしていた。
「旱魃以来、この土地の租税の入りが悪くてな。何とか手を尽くしてやり繰りしているのが実情だそうだ。なので賞金は、預けているという形にしてくれないかという事だ」
賞金目当てではない喬道清だったが、釈然としないものはあった。肩を叩き、何才が笑う。
「お主のほどの腕ならば、金などいらぬだろう。賞金は入り様な時に取りに行けばよい」
「そうだな」
喬道清はそう納得した。確かに雨は降らせたが、作物が育ち、実るまでにはまだ時が必要だ。どのみち銭は民に配るつもりだったのだ。
「州を代表してなどとはおこがましいが、礼をさせてもらえんか。贅沢などできはしないが」
何才は居酒屋を示して笑った。
喬道清は眉尻を下げた。
安定州で幾日か過ごしたが、そう長居もしていられない。
何才を探したが見つからない。喬道清はひとりで役所へと乗り込んだ。喬道清を見ると、 役人は露骨に嫌な顔をした。
「いま出納(すいとう)役はおらぬのだ。そもそもあの男、何才から聞いていないのか」
「私もそろそろ発(た)たねばならないのだ。州の事情は聞いている。だから証文と、少しでいいから路銀を貰いたいのだ」
役人は腕を組み、渋面を作る。そして懐から何かを取り出し、喬道清に放り投げた。
三貫の銭であった。
「あんたには助けられたよ。それだけでもありがたいと思ってくれ」
喬道清は冷静になるように努め、堅く握りしめた拳をゆっくりと開いた。
自分は人のためにやったのだ、銭のためではない。そう言い聞かせ、役所を後にした。
酒でも呷りたい気分だった。
だが大通りまで出て、喬道清は思わず身を隠してしまった。
何才がいた。赤い顔をしており、一緒にいる出納役も同じだった。二人は妓楼から出てきたところであった。
「あ」
と何才が間(ま)の抜けた声を上げた。二人の前に喬道清が立っていた。
二人はしたたかに酔っていたのか、逃げようとして足をもつれさせた。
察しがつく。喬道清の賞金を、出納役を丸めこみ、山分けしたのだ。
「術を使うまでもない」
喬道清の拳が何才の顔面を襲った。血と共に何本かの歯が飛んだ。そのまま喬道清が出納役に蹴りを打ち込んだ。そして何度も何度も、拳と蹴りを打ち込んだ。
二人が動かなくなっても、しばらく止むことはなかった。
腸(はらわた)が煮え繰り返る思いだ。
なぜこの男を信じてしまったのか。
やはりこの世は腐っている。
道服が返り血に濡れ、拳も赤く染まっていた。
天に向かって喬道清が哭くように吼えた。
「力が欲しいか」
ふいに脳裏に言葉が浮かんだ。
幼い頃聞いた、あの言葉だった。
「欲しい」
喬道清は答えた。
「すべてを壊す力を、俺に」
喬道清が両手を天に向けて広げ、高らかに叫んだ。
黒雲が突如湧き出し、天を覆った。
雷鳴が轟き、雨が降り出した。
雨は次第に強くなり、立っていられないほどの豪雨となった。
人々が逃げ惑う中、喬道清は同じ姿勢のまま笑っていた。その裾さえも、一切濡れずに立っていた。
英雄は幻魔君へと変容した。