top of page

鳳雛

 ある日、羅真人が少年を連れて戻ってきた。

「こいつは誰です、お師さま」

 訊ねる喬道清に答えず、羅真人はその少年を奥の部屋に寝かせた。

 数日後、いまにも死にそうだった少年が小さく唸っていた。

「お師さま、目を覚ましました」

 子供の髪は真っ白になっており、喬道清は驚いた。しかし羅真人の次の言葉の方に、驚く事になる。

 羅真人がその公孫勝という少年に言った。

 今日からわしの弟子だ。そして今からお主は一清となる、と。

 頭の中が燃え上がるように熱くなった。言葉も出なかった。

 自分が道号を授けられるまで、どれだけ苦労したと思っているのだ。なのにこいつは。こいつは。

 頭を下げる公孫勝の目をまともに見ることができなかった。

 最後に母に会って来いと言われ、公孫勝が下山した。

 喬道清はその姿を憎々しげに見つめていた。

 

「山を下り、世の中を見てくるのだ。術を学ぶばかりが修行ではない」

 羅真人の言葉で、喬道清が下山した。本当に久方ぶりの下界だ。不安な分、楽しみでもあった。

 故郷へ帰ってみよう。喬道清は一路、西を目指した。

 この地方では日照りが続いており、人々は苦しんでいた。作物の取れない大地と同じくらい、人の心も渇いていた。太陽を呪うように、虚空に手を伸ばしたままの亡骸を見るたび、喬道清の足も、心も重くなっていった。

 国は何をしているのか。苦しむ人々を救いはしないのか。

 悶々としたまま喬道清は安定州に着く。

 比較的穏やかな土地だったが、旱魃の影響はやはり大きいようだ。

 その州で、お触れが出されていた。雨を降らせる者があれば、三千貫の賞金を与えるというものだった。

 羅真人の言葉の真意はこれだと悟った。これまで学んだ術を使う時なのだと。

 剥ぎ取った触れ紙を手にしていると、声をかけられた。

 その書生風の男は何才と名乗った。

「そいつを一体どうするつもりです。まさか雨を降らせようなんて考えてるのでは」

「そのまさかさ」

 何才に向かって喬道清は不敵に笑ってみせた。だが何才の顔は曇ったままだった。

 無理もない、出会ったばかりの男が雨を降らせると言っているのだ。信じろと言う方が無理というものだ。しかしそうではなかった。

「役人を信用してはいけない。たとえ貴方が雨を降らせたとしても、賞金を渡すことはしないぞ」

「それでも、やらねばならないさ」

 真剣さを感じ取ったのだろうか。何才はそれ以上何も言わなかった。

 かくして祭壇が組まれ、喬道清が壇上で祈りを捧げた。

 およそ五か月ぶりの雨だった。乾いた大地が水を吸い、命を吹き返した。苦しんでいた民は歓喜し、喬道清を神のように讃えた。悪くない気分だった。

 だが問題はそれからだ。何才の言ったように、役所は賞金を出そうとはしなかった。

 何才は仕方ないという顔をした。話が通じる役人がいるから掛け合ってみるという。

 戻った何才は複雑な表情をしていた。

「旱魃以来、この土地の租税の入りが悪くてな。何とか手を尽くしてやり繰りしているのが実情だそうだ。なので賞金は、預けているという形にしてくれないかという事だ」

 賞金目当てではない喬道清だったが、釈然としないものはあった。肩を叩き、何才が笑う。

「お主のほどの腕ならば、金などいらぬだろう。賞金は入り様な時に取りに行けばよい」

「そうだな」

 喬道清はそう納得した。確かに雨は降らせたが、作物が育ち、実るまでにはまだ時が必要だ。どのみち銭は民に配るつもりだったのだ。

「州を代表してなどとはおこがましいが、礼をさせてもらえんか。贅沢などできはしないが」

 何才は居酒屋を示して笑った。

 喬道清は眉尻を下げた。

 

 安定州で幾日か過ごしたが、そう長居もしていられない。

 何才を探したが見つからない。喬道清はひとりで役所へと乗り込んだ。喬道清を見ると、 役人は露骨に嫌な顔をした。

「いま出納(すいとう)役はおらぬのだ。そもそもあの男、何才から聞いていないのか」

「私もそろそろ発(た)たねばならないのだ。州の事情は聞いている。だから証文と、少しでいいから路銀を貰いたいのだ」

 役人は腕を組み、渋面を作る。そして懐から何かを取り出し、喬道清に放り投げた。

 三貫の銭であった。

「あんたには助けられたよ。それだけでもありがたいと思ってくれ」

 喬道清は冷静になるように努め、堅く握りしめた拳をゆっくりと開いた。

 自分は人のためにやったのだ、銭のためではない。そう言い聞かせ、役所を後にした。

 酒でも呷りたい気分だった。

 だが大通りまで出て、喬道清は思わず身を隠してしまった。

 何才がいた。赤い顔をしており、一緒にいる出納役も同じだった。二人は妓楼から出てきたところであった。

「あ」 

 と何才が間(ま)の抜けた声を上げた。二人の前に喬道清が立っていた。

 二人はしたたかに酔っていたのか、逃げようとして足をもつれさせた。

 察しがつく。喬道清の賞金を、出納役を丸めこみ、山分けしたのだ。

「術を使うまでもない」

 喬道清の拳が何才の顔面を襲った。血と共に何本かの歯が飛んだ。そのまま喬道清が出納役に蹴りを打ち込んだ。そして何度も何度も、拳と蹴りを打ち込んだ。

 二人が動かなくなっても、しばらく止むことはなかった。

 腸(はらわた)が煮え繰り返る思いだ。

 なぜこの男を信じてしまったのか。

 やはりこの世は腐っている。

 道服が返り血に濡れ、拳も赤く染まっていた。

 天に向かって喬道清が哭くように吼えた。

「力が欲しいか」

 ふいに脳裏に言葉が浮かんだ。

 幼い頃聞いた、あの言葉だった。

「欲しい」

 喬道清は答えた。

「すべてを壊す力を、俺に」

 喬道清が両手を天に向けて広げ、高らかに叫んだ。

 黒雲が突如湧き出し、天を覆った。

 雷鳴が轟き、雨が降り出した。

 雨は次第に強くなり、立っていられないほどの豪雨となった。

 人々が逃げ惑う中、喬道清は同じ姿勢のまま笑っていた。その裾さえも、一切濡れずに立っていた。

 英雄は幻魔君へと変容した。

© 2014-2024 D.Ishikawa ,Goemon-do  created with Wix.com

bottom of page