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落草

 手が震えている。

 屋敷から少崋山まで、休むことなく得物を振るっていたからだろうか。

 呼吸はやっと落ち着いてきたようだ。

 まだ手が震えている。

 史進はじっと手を見つめる。掌、指、あちこちに乾いた血が残っていた。

「史進」

 楊春が部屋に入って来た。

 部屋の外では宴が行われている。その喧噪はまるで別世界のように感じた。

「史進、あんたでもそうなるんだな」

「そうなる、とは」

 史進は座ったまま楊春を見上げる。

「その手さ。はじめてだろ、人を殺(あや)めたのは」

 史進は己の手をじっと見た。まだ震えている。

 人を殺めた。この手で命を奪ったのだ。

 楊春が近くに腰かけた。

「やらなきゃ、こっちがやられていた。仕方ないのだ。いつも自分にそう言い聞かせているよ、俺は」

 楊春も己の手を見つめていた。

 史進は噛みつくように言い返す。

「ちょっと興奮しているだけだ。すぐに慣れるさ」

「馬鹿を言うな」

 立ち上がり楊春が怒鳴った。

 初めて見る、楊春の怒りだった。

 楊春はすぐに表情を戻し、座りなおした。

「慣れるものか、慣れてはいけないんだ。重かった。命を奪うという事は、そいつの命を背負(しょ)うという事だ。その重さを忘れてしまった時、人は人でなくなると思うのだ。あんたにはそうなって欲しくないのさ」

 どうも喋りすぎた、酔ったのかな、そう言って楊春は宴へと戻って行った。

 史進の手は、もう震えてはいなかった。

 

 王進に会いたい。

 一晩考えて、そう決めた。

 朱武らは、自分を頭領にしたいと言った。

 屋敷を焼いてしまい、官兵たちを敵に回した。もう史家村には戻れない。自分の軽率な行いがもたらした結果だ。山賊になるしかないのではないか。そうも思ったが、どこかに未練があった。

 陳達はどうしても行かせない、と言った。

 朱武は、そんな陳達を諌め、待っていると言ってくれた。

 楊春は黙って見つめるだけだった。

 史進は旅立った。

 王進に会って、どうするのか。会ったところでどうなるのか。分からない。分からないが、会えば何かが分かるかもしれない。

 強さゆえに危難に巻き込まれることがある。その覚悟があるか。

 晴れ渡った秋空を見上げながら、王進の言葉を思い出す。

 史進は掌を見つめ、歩を止めた。

「覚悟、か」

 そうつぶやくと拳を握りしめ、歩き出す。

 そろそろ刈入れの時期か。ふと、そう思った。

 草むらから兎がひょっこりと顔を出していた。

 

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