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落草

 あれから史進との交流が続いていた。史家村からは王四が伝令の役を負い、何度も少崋山を往復していた。

 時が過ぎ、やがて中秋の頃。史進は月を肴(さかな)に三人と酒を酌み交わそうと思い立ち、王四を少崋山へ送った。

 少崋山でも知られた顔となった王四は朱武に手紙を渡した後、その配下たちに引きとめられた。それほど酒に強くない王四であったが、王四どの王四どのと持ち上げられ、かなりの量を飲んでしまった。

 何とか帰路についた王四だったが、千鳥足で足元がおぼつかず、次第に瞼は重くなるばかり。知らぬ間に道の端(は)の草むらで寝息を立て始めた。

「あれは王四じゃねぇか」

 山中で兎を追っていた李吉は草むらへと近づいた。

「やはり王四か。おい、こんな所で何してる。山賊どもに襲われるぜ」

 李吉は揺するが、王四は高鼾(たかいびき)だ。ふと見ると王四の懐から光るものが見える。そっと取り出すと銀子ではないか。さらに李吉は手紙らしきものを見つけた。字は読めぬが、朱武や史進などと書いてあるらしい事はわかった。

「史進め、山賊とつるんでいやがったのか。へへ、俺にもやっと運が向いて来やがった」

 手紙と銀子を袋に入れ、李吉は足音を消してその場を去った。

 数刻後、王四は目を覚ました。まだ酒は残っているが、何とか山を下りられそうだ。

 懐に手を入れると、朱武からの返書がない事に気づいた。冷や汗と共に一気に酔いが醒めてゆく。どこかで落としたのか。銀子はともかく手紙を誰かに見られては大事だ。

 来た道や草むらをくまなく探したが、紙切れ一枚見つからない。

「どうしたものか」

 王四は少しの間、思案し史家村へと戻った。

 中秋の宴に朱武、陳達、楊春三人とも必ず来るという報告を受けた史進は喜んだ。史進に、返書はないのか、と聞かれた王四は言った。

 返書も礼の品も丁重に断りました、途中で間違いがあってはいけないと思いましたので、と。

「さすがは賽伯等、よく気が利く男だ」

 もったいないお言葉、と謙遜する王四だったが、嘘でごまかす才能は王伯等まさりかもしれなかった。

 場を辞した王四は、背中に絞れるくらいびっしりと冷や汗をかいていた。

 

 中秋の名月。

 満月が煌々と地上を照らしていた。地上では四人の男たちが月を愛でながら話に花を咲かせていた。

「その役人も庄屋も、身から出た錆だな」

 朱武の話を聞いた史進は、憤るように杯を干した。

「役人もそうだが、まったく庄屋どもにも碌(ろく)な奴がいねぇ」

「兄貴」

 楊春の目配せに気づき、陳達が慌てて言う。

「おっと史進、あんたは別だぜ」

「はは、わかっている」

 楊春はほっと溜息をつくと酒を飲んだ。陳達も笑うと豚の足にかぶりつき、こぼさんばかりに杯をあおった。

「兄貴、落ち着いて食べなよ。せっかく中秋の宴なのに」

「ふん、月より飯だ。月を見てたって腹は膨れんからな」

「本当に昔からお前は変わらんな」

 朱武の言葉に一同が笑い声を上げた。

 月も位置を変え、空(から)の酒瓶が増えていった。

 一同が武芸談話に熱を上げていると、ふいに屋敷の外で喚声がおこった。史進は何事かと席を立ち、塀の上から覗いて見た。

 外には幾つも松明が揺らめき、まるで昼のように屋敷を照らしていた。目を凝らすと華陰県の県尉の姿が見える。県尉は都頭二人と兵たちに屋敷をとり囲むよう命じているようだ。

「賊は屋敷の中だ」

「生死は問わん。賊どもを逃すな」

 三、四百人ほどだろうか。兵たちがめいめい武器を持ち、叫びながら押し寄せてきている。

「一体どういう事だ。三人ともちょっと待っていてくれ」

 史進は門へ行くと、都頭の一人をつかまえ訪ねた。

「夜中に一体何の騒ぎです、都頭さま」

「史の若旦那、とぼけるんじゃない。今日、ここに少崋山の山賊の頭領が来ているのは分かっているんだ」

 史進は一瞬、言葉に詰まるが何とか平静を装う。

「何の根拠があるというのだ」

 もう一人の都頭が口を挟む。

「兎捕りの李吉から連絡があってな。山賊どもと旦那との手紙を、王四という男が持っていたとな」

 手紙だと。史進は都頭らを待たせ、奥へ戻った。

「王四、一体どうなっている。手紙は無いと言っていたな」

 やって来た王四は、全身から汗を流しながらもごもごと言っている。いえ、実は、手紙は、本当は、あの、帰りに、その、失くして、だから、えぇと。

「もういい」

 史進は最後まで聞くことなく、王四を殴り飛ばした。

「すまない、俺の手違いだ」

 朱武たちの前に戻ると、史進は膝をつき頭を下げた。

「我らに縄をかけ役人に引き渡すのだ、史進。我らはすでに覚悟はできている」

 朱武の言葉に、史進は慌てて顔を上げる。

「前にも言ったが、そんな真似はできん。何とかしなければ」

 屋敷はすでに十重二十重(とえはたえ)に囲まれている。中へ入ってこないのは、ひとえに史進の武芸を怖れているためである。

 唇を噛みしめ思案する史進。

 覚悟、か。

 す、と立ち上がると三人に向かって言う。

「ここから脱出する。俺について来てくれ」

 さらに史進は家人たちを集めた。

「すまない、俺たちはここを脱する。お前たちもここから逃げるのだ」

 朱武らが止める暇もなく、史進は行動を起こしていた。家人から受け取った松明で、屋敷に火を放ったのだ。

「無茶な、史進」

「三人とも準備を。突っ切るぞ」

 武器を手にした史進が叫ぶ。

「おい兄貴、四人で突っ切れるのかよ」

 陳達が叫び、楊春も心配そうな顔をしている。朱武は懐から何やら取り出し、間に合うと良いが、とそれに火をつけ夜空へと向けた。

 ひゅう、という音と共に火球が尾を引いて昇っていき、上空で破裂した。

 花火であった。

「行くぞ」

 まるでそれが戦いの狼煙であったかの如く、屋敷の門が開かれた。

 

 兵たちの中を矢のように突き進んでゆく。

 三尖両刃刀が唸りを上げるたび兵たちが倒れ、道が空く。点鋼槍と双刀は左右からの敵を寄せ付けず、追いすがる者は大桿刀(だいかんとう)で切りふせられた。馬は速度を落とすことなく駆けてゆく。

 後方で大きな音がした。屋敷全体に火がまわり、崩れはじめたのだろうか。

「史進、少崋山へ向かえ」

 史進は額に汗を浮かべながらも、その膂力(りょりょく)に疲れは見えなかった。まるで竜の如く吼え猛りながら得物を振り回している。

 斬っても斬っても兵たちが襲い来る。

「兄貴」

 陳達は歯を食いしばり朱武を見た。

「信じるのだ」

 朱武は月明かりに照らされ、暗闇に浮かびあがる少崋山を見ている。

 さらに兵が追いすがる。楊春の大桿刀がそれを防ぐ。

 ふと視線の先で山が揺り動いた気がした。

「間に合った」

 朱武は双刀で兵を切り捨てると笑みを浮かべた。

 

「さっさと賊どもを捕えろ。たった四騎に何を手こずっているのだ」

 華陰県の県尉は遠くから怒鳴っていた。横には兎捕りの李吉が汗を浮かべている。

「県尉さま、懸賞金はいただけるんですよね」

「しつこい奴だ。奴らを捕えたらくれてやると言っておろうに」

 三百人近くからなる兵たちの包囲網の中を突き進んでくる史進たちを見ると、李吉は気が気でならない。

 いくら史進とはいえ、これだけの包囲を抜けられるはずがない。腕は立つといっても相手はたかが四人である。はじめはそう思っていた。

 屋敷から花火が上がり、門扉が開かれた。四騎が弾かれたように突進してきた。とり囲む兵たちを割りながら、四騎が駆けていく。彼らに触れようとする者は、ことごとく弾き返されていった。

 県尉の焦りが大きくなる。まさか。そんな馬鹿な。

 しかし史進たちにも疲れが見え始めた。徐々にではあるが、進む速度が落ちてきたようだ。ここが攻め時だ。

「総員押し包め。何としても逃してはならん」

 そう言った直後、背後から圧力を感じた。地面が小刻みに揺れている。地震か、いや違う。騎馬がいななきながら竿立ちになった。県尉は何とか態勢を整え、少崋山を見やった。

 山が動いている。いや違う、少崋山から大群が押し寄せてきている。その数、四百ほどか。

 県尉は思い至った。

 花火か。あの花火が危機を知らせる合図だったのか。

 山津波のように駆けてくる山賊に背を見せる形となってしまった。県尉は急ぎ、兵の三分の二を背後の山賊に充てた。

 兵たちとぶつかったのは二百ほどだった。賊の半分は兵たちを左右に大きく避け、燃え盛る屋敷の方へ突き進む。そして屋敷へと至ると反転、少崋山へと向かう史進たちの背後へとついた。

 挟撃。

 戦意を失い武器を捨て、多くの兵たちが逃げ始めた。雄たけびをあげ、山賊たちが前後から押し寄せる。残っている兵たちも、総崩れの様相だ。

 これが山賊の動きか。まるで訓練された軍ではないか。

 県尉は、朱武らがこれまで討伐されなかった理由を思い知った。

 いつの間にか史進が目の前にいた。

 県尉は見た。その後ろにいる、口ひげの男が松明を振って仲間に指示を出しているのを。

 神機軍師、この男か。

 ひっ、と李吉は短い悲鳴を上げ、その場から逃げようとした。だが足がすくんでしまった。

「ものども、この男を」

 県尉の声と同時に馬が馳せ違い、刃が閃いた。

 県尉と李吉の首が、中を舞っていた。

 

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