
108 outlaws

玉石
二
宋江らの軍が到着した。
扈三娘らの戦闘を発見し、林冲と孫安が合流してきた。騎兵を率い、風のように駆け抜ける。
「私が行く」
言うと同時に林冲が前に出た。
敵を見て、林冲が眉をしかめた。若い女か。
だがすぐに思い直す。扈三娘が仕留めきれなかったのだ、それほどの相手という事だ。
瓊英が林冲に気付いた。その視線だけで、心が折れそうになる。
「父上、母上」
と呟き、そして天捷の星さま勇気を、と加えた。
林冲が突きを放つ。瓊英が戟で軌道を逸らす。体中が痺れる。
打ち合いでは到底敵わない。そう判断し、礫を探ると、林冲めがけて放った。
礫、だと。
一瞬、対応が遅れたが蛇矛を回し、それを弾いた。しかし、すぐに二投目が迫っていた。
間に合わない。林冲は体を捻るように避けた。
はずだった。
ふいに礫が、軌道を変えた。
「なにっ」
林冲を追うように曲がった礫が額に命中し、鮮血が飛び散った。
「林冲」
孫安が叫ぶ。
あの少女は鄔梨の娘、だ。何故ここにいる。武芸を修めていたなど聞いてなどいない。それに何だ、今の技は。
林冲が額を押さえ、その場から離れる。孫安が入れ替わろうとした時、背後から喊声が聞こえてきた。
梁山泊歩兵隊だ。中央で李逵が吼え猛っている。
「わははは、どけどけぇ。おいらに任せとけ」
田虎軍がぶつかるが、李逵の両手の板斧で、次々と倒されてしまう。返り血を浴びながら吼える李逵は、まるで鍾馗のようだ。
瓊英が礫を飛ばした。
礫は真っ直ぐ飛び、李逵の額を割った。顔をのけ反らせた李逵だったが、流れた血をぺろりと舐めて、また駆けだした。
瓊英は戦慄しながらも、再び礫を放つ。
二つ、三つ、四つ。すべて李逵の顔面に当たっているのだが、まったく怯むことなく向かって来る。
「下がるのだ、娘よ。後はわしが引き受けよう」
援軍を率いて到着した鄔梨が咆えた。
助かった。瓊英は素直にそう思った。
鄔梨が大潑風刀を回し、梁山泊の歩兵軍を蹴散らし始めた。李逵が奮闘しているものの、敗色が濃くなってくる。
そこへ孫安が突っ込んだ。
「お前たちは歩兵を援護しろ。私は鄔梨を」
梅玉、秦英ら部下たちに命じ、馬を飛ばす。
田虎軍は逡巡した。
孫安の姿を見て、援軍かと思ったのだ。鄔梨も同じだった。
「孫安、梁山泊に敗れたと聞いていたのだが」
「ええ、敗れましたよ」
孫安の刀が鄔梨を襲った。咄嗟に撥風刀で防ぐ。
「何の真似だ」
「梁山泊に降りました。よって、今は敵同士です」
さらに二手、三手と鋭い攻撃を繰り出す孫安。流石の鄔梨も、武芸では敵わない。
鄔梨の援護に唐顕が援護に入った。
だが、
「鄔梨さま、ここは」
と言い終わらぬうちに、唐顕が一刀の元に斬り伏せられてしまった。
この隙に鄔梨は後方へと退(ひ)いた。
逃さぬ。孫安が馬の向きを変えた時だ。
殺気を感じた。
反射的に防御の態勢をとる。肩口に衝撃と、そして痛みを感じた。
矢か。いや違う。足元に石が転がっていた。攻撃の方向を見やると、彼方に瓊英がいた。
あの技か。面白い。
神話、伝承、奇書に造詣の深い孫安である。刀さえ手にした事のない少女が突然強くなっていようと、なにも不思議ではない。
むしろ興味さえ覚え、瓊英に向けて駆けだした。瓊英の側に鄔梨がいた。これは好機。
しかし、
「歩兵の損傷が大きく、もう持ちません。深追いはまずいですぜ」
馮昇が側に寄り、注進してきた。
歯噛みする孫安。
「くそっ、逃がすかよ」
陸清が弓矢を構えた。
矢は勢いよく飛び、鄔梨の首筋に命中した。鄔梨は悲鳴をあげ、落馬した。
「やったぞ」
陸清がが手を叩いて喜ぶ。
退却の鉦が鳴った。
鄔梨を守るように、田虎軍が撤退を始める。
それを見やり、孫安は追わず、歩兵の援護に向かった。
林冲が本陣に帰還してきた。額に巻いた包帯が赤く染まっている。
待機していた張清は驚いた。林冲ほどの手練を負傷させるなど、どんな相手なのか。
林冲が言った。
「張清、お主と同じ技を使う者がいた。それも若い娘だ」
「なんですって」
張清はそれ以上言えず、すぐに宋江の元へと駆けた。
すぐに前線へ出なければ。その少女がいるならば、会いたい。いや、会わなければならない。
激しい衝動に突き動かされ、張清は馬を飛ばした。
だが到着した時には、すでに田虎軍が撤退した後であった。
返り血で真っ赤な李逵が意気揚々と引き揚げてきた。
「おう、遅かったな。もう終わったぞ」
ああ、とだけ張清が答えた。
「なんだい、変な奴だな」
張清の目は襄垣に据えられていた。
そこに見えた。
確かに、瓊の文字の旗が見えた。
あの少女がいる。夢の中の少女が、ここにいる。
張清の目はいつまでも襄垣から離れなかった。
「すまない、入るよ。具合はどうだね」
葉清が部屋の外から声をかけた。ゆっくりと戸を開ける。
部屋の隅で、瓊英が膝を抱えていた。顔を上げると、目の縁が赤くなっていた。今まで泣いていてのだろう。
「大丈夫です」
そのはずがない。武芸を身に付けたといっても、戦など初めての、十六の娘だ。こんなところに来るべきではなかったのだ。
それでも瓊英は笑顔を作ろうとする。
「仇を討つために、来たのです。覚悟はしていました。それに、あの人の事を想うと」
あっ、と瓊英が口を隠すようにした。みるみる顔が赤く染まっていく。
訊ねると、瓊英は恥ずかしそうに語り始めた。
「なるほどな。それで武芸を身に付けたという訳か。そして礫も」
「はい。あのお方が、仇討ちに力を貸してくれているようで、勇気が湧くんです」
どうやら天も味方しているようだ。この子のためにも、仇討ちを成功させなければ。なんとしても、だ。
「とにかく。今日はゆっくり休むと良い」
「そうします」
部屋を出た葉清は眉間に皺を寄せ、しばし考えた。
戦の場に、孫安の姿があったという。梁山泊に敗れたと聞いていたが。
ならば、今しかない。
そう決意すると、襄垣から姿を消した。