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玉石

 宋江らの軍が到着した。

 扈三娘らの戦闘を発見し、林冲と孫安が合流してきた。騎兵を率い、風のように駆け抜ける。

「私が行く」

 言うと同時に林冲が前に出た。

 敵を見て、林冲が眉をしかめた。若い女か。

 だがすぐに思い直す。扈三娘が仕留めきれなかったのだ、それほどの相手という事だ。

 瓊英が林冲に気付いた。その視線だけで、心が折れそうになる。

「父上、母上」

 と呟き、そして天捷の星さま勇気を、と加えた。

 林冲が突きを放つ。瓊英が戟で軌道を逸らす。体中が痺れる。

 打ち合いでは到底敵わない。そう判断し、礫を探ると、林冲めがけて放った。

 礫、だと。

 一瞬、対応が遅れたが蛇矛を回し、それを弾いた。しかし、すぐに二投目が迫っていた。

 間に合わない。林冲は体を捻るように避けた。

 はずだった。

 ふいに礫が、軌道を変えた。

「なにっ」

 林冲を追うように曲がった礫が額に命中し、鮮血が飛び散った。

「林冲」

 孫安が叫ぶ。

 あの少女は鄔梨の娘、だ。何故ここにいる。武芸を修めていたなど聞いてなどいない。それに何だ、今の技は。

 林冲が額を押さえ、その場から離れる。孫安が入れ替わろうとした時、背後から喊声が聞こえてきた。

 梁山泊歩兵隊だ。中央で李逵が吼え猛っている。

「わははは、どけどけぇ。おいらに任せとけ」

 田虎軍がぶつかるが、李逵の両手の板斧で、次々と倒されてしまう。返り血を浴びながら吼える李逵は、まるで鍾馗のようだ。

 瓊英が礫を飛ばした。

 礫は真っ直ぐ飛び、李逵の額を割った。顔をのけ反らせた李逵だったが、流れた血をぺろりと舐めて、また駆けだした。

 瓊英は戦慄しながらも、再び礫を放つ。

 二つ、三つ、四つ。すべて李逵の顔面に当たっているのだが、まったく怯むことなく向かって来る。

「下がるのだ、娘よ。後はわしが引き受けよう」

 援軍を率いて到着した鄔梨が咆えた。

 助かった。瓊英は素直にそう思った。

 鄔梨が大潑風刀を回し、梁山泊の歩兵軍を蹴散らし始めた。李逵が奮闘しているものの、敗色が濃くなってくる。

 そこへ孫安が突っ込んだ。

「お前たちは歩兵を援護しろ。私は鄔梨を」

 梅玉、秦英ら部下たちに命じ、馬を飛ばす。

 田虎軍は逡巡した。

 孫安の姿を見て、援軍かと思ったのだ。鄔梨も同じだった。

「孫安、梁山泊に敗れたと聞いていたのだが」

「ええ、敗れましたよ」

 孫安の刀が鄔梨を襲った。咄嗟に撥風刀で防ぐ。

「何の真似だ」

「梁山泊に降りました。よって、今は敵同士です」

 さらに二手、三手と鋭い攻撃を繰り出す孫安。流石の鄔梨も、武芸では敵わない。

 鄔梨の援護に唐顕が援護に入った。

 だが、

「鄔梨さま、ここは」

 と言い終わらぬうちに、唐顕が一刀の元に斬り伏せられてしまった。

 この隙に鄔梨は後方へと退(ひ)いた。

 逃さぬ。孫安が馬の向きを変えた時だ。

 殺気を感じた。

 反射的に防御の態勢をとる。肩口に衝撃と、そして痛みを感じた。

 矢か。いや違う。足元に石が転がっていた。攻撃の方向を見やると、彼方に瓊英がいた。

 あの技か。面白い。

 神話、伝承、奇書に造詣の深い孫安である。刀さえ手にした事のない少女が突然強くなっていようと、なにも不思議ではない。

 むしろ興味さえ覚え、瓊英に向けて駆けだした。瓊英の側に鄔梨がいた。これは好機。

 しかし、

「歩兵の損傷が大きく、もう持ちません。深追いはまずいですぜ」

 馮昇が側に寄り、注進してきた。

 歯噛みする孫安。

「くそっ、逃がすかよ」

 陸清が弓矢を構えた。

 矢は勢いよく飛び、鄔梨の首筋に命中した。鄔梨は悲鳴をあげ、落馬した。

「やったぞ」

 陸清がが手を叩いて喜ぶ。

 退却の鉦が鳴った。

 鄔梨を守るように、田虎軍が撤退を始める。

 それを見やり、孫安は追わず、歩兵の援護に向かった。

 林冲が本陣に帰還してきた。額に巻いた包帯が赤く染まっている。

 待機していた張清は驚いた。林冲ほどの手練を負傷させるなど、どんな相手なのか。

 林冲が言った。

「張清、お主と同じ技を使う者がいた。それも若い娘だ」

「なんですって」

 張清はそれ以上言えず、すぐに宋江の元へと駆けた。

 すぐに前線へ出なければ。その少女がいるならば、会いたい。いや、会わなければならない。

 激しい衝動に突き動かされ、張清は馬を飛ばした。

 だが到着した時には、すでに田虎軍が撤退した後であった。

 返り血で真っ赤な李逵が意気揚々と引き揚げてきた。

「おう、遅かったな。もう終わったぞ」

 ああ、とだけ張清が答えた。

「なんだい、変な奴だな」

 張清の目は襄垣に据えられていた。

 そこに見えた。

 確かに、瓊の文字の旗が見えた。

 あの少女がいる。夢の中の少女が、ここにいる。

 張清の目はいつまでも襄垣から離れなかった。

 

「すまない、入るよ。具合はどうだね」

 葉清が部屋の外から声をかけた。ゆっくりと戸を開ける。

 部屋の隅で、瓊英が膝を抱えていた。顔を上げると、目の縁が赤くなっていた。今まで泣いていてのだろう。

「大丈夫です」

 そのはずがない。武芸を身に付けたといっても、戦など初めての、十六の娘だ。こんなところに来るべきではなかったのだ。

 それでも瓊英は笑顔を作ろうとする。

「仇を討つために、来たのです。覚悟はしていました。それに、あの人の事を想うと」

 あっ、と瓊英が口を隠すようにした。みるみる顔が赤く染まっていく。

 訊ねると、瓊英は恥ずかしそうに語り始めた。

「なるほどな。それで武芸を身に付けたという訳か。そして礫も」

「はい。あのお方が、仇討ちに力を貸してくれているようで、勇気が湧くんです」

 どうやら天も味方しているようだ。この子のためにも、仇討ちを成功させなければ。なんとしても、だ。

「とにかく。今日はゆっくり休むと良い」

「そうします」

 部屋を出た葉清は眉間に皺を寄せ、しばし考えた。

 戦の場に、孫安の姿があったという。梁山泊に敗れたと聞いていたが。

 ならば、今しかない。

 そう決意すると、襄垣から姿を消した。

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