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玉石

 瓊英に会える嬉しさで、葉清は心が浮き立っていた。

 襄垣から五百ほどの兵を率い、出迎えた。

 妻からの便りで安否は聞いていた。だがなんと立派に成長したものか。実際に目の前にすると、涙が溢れてしまった。

 抱き合い、しばしその時を噛みしめる。

「元気そうだな」 

「おじ様も」

「立派な姿だ。まさか武芸を嗜(たしな)んでいたなんて。しかし、お前を戦に巻き込みたくはないのだがな」

 ふふ、と瓊英の蕾のような唇がほころんだ。

「なにが可笑しいのだ」

「だって、おば様と同じ事を言うものだから」

 そうかと笑い、葉清は鼻の奥がつんとなるのを感じた。

 だが瓊英が神妙な顔つきになる。

「うまい具合に虎穴から出ることはできたものの、後から鄔梨も参ります。逃げることは難しそうです。それに悟られてしまっては元も子もない、と躊躇っていたところなのです」

「私の方でも、なんとか手立てを探っているのだが」

 喜びの再会も束の間、重苦しい空気となってしまった。

 そこへ、梁山泊軍襲来の報。

 瓊英の表情が変わる。

「行きます。おじ様は襄垣の守備を」

 うむ、と頷く葉清。

 凛としたその背をしばし見守っていた。

 

 王英と扈三娘が馬を並べている。襄垣への斥候隊を率いていた。

 王英がどこか落ち着かない顔をしている。眉をぴくぴくさせたり、眼をぎらぎらさせて、絶えず周囲を睨みつけている。

「どうしたのよ、おかしな顔して」

「敵がいつ来るかわからねぇだろうが」

 扈三娘の言葉に、王英が吠えた。

 扈三娘は呆れたような顔をした。

「あんまり肩肘張ると、いざという時しくじるわよ」

「なんだと」

 舌打ちをし、眉根を寄せると、横目で扈三娘を見る。

 扈三娘は、言葉通りに落ち付いていた。静かに周囲を見回している姿は、思わず見とれてしまうほど優雅で、美しかった。 

 その美しい眉がぴくりと動いた.

「敵よ」

「わ、わかってら」

 襄垣から数里の所、五陰山北に敵陣。田虎軍の旗が見えた。

 王英は馬を飛ばした。

「見てろ、先手必勝だぜ」

「あっ、待ちなさい」

 という声も届かず、王英は槍を構えて突進してゆく。

 仕方ないという顔で扈三娘も後を追った。

 

 梁山泊の斥候が仕掛けてきた。

 瓊英は馬に乗り、待った。

 胸が早鐘のように鳴る。

 手綱を掴む手が震えていた。ぐっと力を入れ、何とか堪える。

 これが、戦なのね。

 喉が急に渇いてきた。

 敵が迫る。相手から伝わってくる殺気に、再び手が震え出す。

 突進してくる梁山泊の斥候の目が、自分を捉えている。

 悲鳴が漏れそうになった。

 気付くと右手が、腰の袋に重ねられていた。夢の中での修業を思い出す。

「天捷の星さま」

 と唱えるように呟くと、肩から力が抜けるのを感じた。

「行きます」

 兵たちに告げ、馬を進めた。いや自らを鼓舞していたのかもしれない。

 敵陣から進み出てきた瓊英を見て、王英が目を剥いた。

「あれは、女か」

 しかも美貌の持ち主だ。

 鼻息も荒く、王英が突っ込んだ。瓊英は戟で迎え討つ。

 瓊英が颯々と槍を捌く。思わずたじろいだ王英だったが、なおも食い下がる。

 神人に武芸を授けられた瓊英だったがこれが初陣。場数で勝る王英に、次第に押され始めてしまう。

「へへ、観念するんだな」

 優勢になった王英。よく見るとまだ年端もいかない少女ではないか。こんな少女を前線に送るほど田虎軍は窮しているのか。

 王英はぐいっと馬を寄せ、瓊英の腕を掴んだ。

 もう田虎のために戦うことはない。

 そう言おうとしたが、

「不埒なっ」

 瓊英は顔を真っ赤にさせ、力づくで王英の腕を引きはがした。そして戟を回し、王英に突きを放った。

「痛ってえ」

 戟は太腿を貫いた。落馬した王英に、田虎軍が押し寄せる。

 しかしそこに、扈三娘が立ちはだかった。

 王英に逃げるよう言い、瓊英と対峙した。

「覚悟なさい」

 冷たい瞳が瓊英を見据えた。

 この人、強い。瓊英は直感した。だが引き下がるわけにはいかない。戟を構え、扈三娘に突っ込んだ。

 驚いたのは扈三娘だ。この娘、幼いように見えるがいっぱしの武芸を使う。

 しかし、まだ未熟ではある。

 扈三娘の二刀が、戟を颯々と捌く。

 戟が届かない。瓊英の顔が、疲労と焦燥で歪んだ。

「ええいっ」

 瓊英が戟を思いっきり振り上げるように薙いだ。一旦、距離を開けた瓊英はそのまま馬首を返し、逃げだした。

 させるものか。扈三娘は太腿に力を入れ、馬を駆けさせた。

 すぐに距離が詰まる。馬術はそれほどでもないようだ。

 む、と扈三娘が違和感を覚えた。なにかがおかしい。

 逃げる瓊英の右手が腰のあたりに伸びた。

 はっと違和感の正体に気付いた。得物を左手に持っているのだ。

 半身(はんみ)になった瓊英の目が扈三娘を捉えていた。右手がこちらに向けられていた。

 これは。わざと逃げていたのか。

 扈三娘は無理やり上体を傾いだ。だが鈍い音と共に、右腕に激痛が走った。辛うじて、刀は落とさなかったが、瓊英を追うことはそこで断念した。

 今のは。まさか。

 いや、やはり、今のは礫だ。

 張清(ちょうせい)が使うような、礫だった。

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