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玉石

 瓊英は声を上げずに泣いた。

 葉清の妻、安氏から母親の消息を聞いたのだ。

 気丈な子だ。抱きしめる安氏は思った。許さない。瓊英を、こんな運命に巻き込んだ田虎を許すものか。安氏は、瓊英をさらに強く抱きしめた。

 鳴き疲れて眠ってしまったようだ。安氏は瓊英を寝台に運ぶと、そっと部屋を出た。

 瓊英は夢の中にいた。

 うっすらと靄がかかっており、場所ははっきりとは分からない。

 その靄の中に人影があった。

「親の仇を討ちたいのか」

 目の前に現れた男が静かに言った。どこか人間離れした、神人のような感じがした。

 瓊英は迷わず、首を縦に振った。

「よろしい。ではそなたに武芸を授けよう」

 その言葉通り、夜ごと夢の中に神人が現れ、瓊英に武芸を教えた。

 瓊英は目を覚ましても覚えており、鄔梨の目を盗んでは稽古をした。もともと聡く賢かった瓊英はみるみる武芸の腕を上げていった。

 やがて幾年かが過ぎた。

 いつものように夢の中で神人にまみえる瓊英。

「そなたの精進は目を見張るものがあった。もはや私が教えられることはない」

「そんな、神人さま。もっと技を教えて下さい。両親の仇を、憎き田虎を討つため、力を」

「慌てるでない。別の者を連れて参った」

 神人の背後から、ひとりの男が姿を見せた。顔は、やはり霞んでいて見えない。

「この者は天捷の星だ。異(い)なる技を使いこなす。お主にぴったりだと思ってな」

 天捷の星が、薄く笑みを浮かべたようだった。

 目を覚ますと、顔が熱かった。

 今は冬。体を冷やしてしまったかと思ったが、違った。天捷の星を思い出すと、顔が火照るようになるのだ。何だか落ち着かなくなり、部屋から出た瓊英。気付くと、手頃な大きさの石を手に取っていた。

 そしてそれを屋根に向かって投げた。

 天捷の星から授かったもの、それは石礫(いしつぶて)の技だった。

 瓊英の放った礫は、見事に屋根瓦に命中し、激しい音を立てた。

 驚いたのは猊氏だ。

 気まずそうな瓊英と、砕けた瓦を交互に見やる。

「一体何をしたのです」

 仕方なく、瓊英は打ち明けた。

 ただし、父代わりの鄔梨を手助けして功を成すために神人が教えてくれた、という内容に変えて。

 その言葉に鄔梨は飛びあがらんばかりに喜んだ。

「やはり神が私に遣わせてくれた娘だった」

 瓊英はそれからも腕を上げていき、礫に至っては百発百中の手並。まさに矢のような礫から、瓊英はいつしか瓊矢鏃(けいしぞく)と呼ばれるようになった。

 しかしある夜から夢の回数が減ってゆく。

 三日に一度となり、さらに五日に一度と間が開くようになっていった。

 目覚めた瓊英は不安を覚える。このまま夢を見なくなってしまうのではないか。

 そしてある夜、夢で神人に告げられた。

「稽古は今日で終わりだ。天捷の星も、技をすべて伝え終えた」

「待って下さい。私はまだ仇を」

「その時は、必ず来る。ゆめ精進を怠らぬように」

「あの、あ、ありがとうございました。えと、あの」

「どうした」

「いえ、その、あの」

 瓊英の顔が熱くなる。

 はたと気付いた神人が言った。

「天捷の星とは、いずれまた見(まみ)えよう。向こうも会いたがっておるようだしな」

 また会える。

 目覚めた後、瓊英はその言葉を何度も呟いていた。

 

 出陣の時が迫った。

「立派よ。でも、あなたを戦になど出したくないわ」

 甲冑を纏った瓊英を見て、安氏が目を潤ませる。

「心配しないで、おば様。仇を取るまでは、生き伸びてみせるから」

 その気丈な言葉に、安氏の胸が痛んだ。

「ところで、おじ様は。最近様子を聞かないけれど」

「あの人は襄垣(じょうえん)に派遣されているわ。あなたが向かうと聞いたら、きっと驚くのではないかしら」

「うふふ、おじ様に会えるのが楽しみです」

 葉清は半年前に派遣され、襄垣を守っていたのだ。

 腰の袋にそっと手をやる。中には礫が入っている。

 ひとつ取り出して、握ってみた。

 夢を思い出す。

 天捷の星の一挙手一投足を覚えている。

「行ってまいります」

 瓊英の声は、希望に満ちていた。

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