top of page

本領

 梁山泊軍は無謀に攻め続けている、と見せかけた。

 それは攻城兵器轆轀を組み立てる時を稼ぐためであった。

 その間に宛州の守将劉敏は、援軍の要請を送った。だが孫安と朱武はそれを見越していた。

 宛州から北東側に林冲、そして東南側に呼延灼を布陣させた。援軍は、王慶の拠点がある西からは来ないであろう。梁山泊軍を挟撃できる東側からと予測したからだ。

 林冲の元へ斥候が駆けこんできた。

「敵兵を捕捉。臨汝州の方向から来ます」

「数は」

「およそ二万ほど」

「よし、蹴散らすぞ」

 林冲が号令を飛ばし、兵たちが駆ける。その数、およそ一万。

 しかしどの顔も兵数を気にかけている様子はない。林冲と共に幾多の戦場を駆けてきた精兵たちである。むしろ自信に満ちていると言えた。

 敵の斥候が慌てて馬首を返し、逃げようとした。

 林冲の馬が飛び出した。彼我の距離があっという間に縮まり、林冲が愛用の蛇矛に手を伸ばした。

 敵斥候が信じられぬという顔をしている。そのまま、斥候の首が飛んだ。

 蛇矛の血を振るい落とし、高く掲げる。

 鼓舞された兵たちが林冲の後を追い、速度を上げた。

 

 宛州へ向けた援軍を指揮していたのは、張寿という男であった。

 ならず者上がりのこの男。団花袍と渾名されるように、派手ないでたちをしていた。

 彼方に砂煙が見える。斥候が戻ったか。

 違和感を覚え、目をまた砂煙に向けた。

 違う。あれは、梁山泊軍か。何故ここに。斥候は、どこへ。

 考えてる間にも、梁山泊軍は風のようにこちらへ向かって来る。

「ええい、迎え討て。あれほど、ものの数ではないわ」

 張寿軍が林冲軍に向けて疾駆した。

 互いの軍が真正面からぶつかった。

 剣と、槍と、甲と、馬蹄とが、ぶつかり合う音がした。

 張寿は必死に堪え、この嵐を乗り越えた。どこかに傷を負っている事は分かる。だが痛みは、まだ感じない。

 馬首を返そうと自軍を見た。驚きの声さえ出なかった。

 倍はいたのだぞ。

 目を瞬き、何度も確かめた。

 信じたくないがこの一瞬で、同等いやそれ以下に減っていたのだ。

 もう一度、突っ込め。

 その言葉が、張寿には出せなかった。体のあちこちから痛みを感じた。

 自軍が一斉に散った。

 背後から風が吹いた感覚に襲われた。

 張寿は振り返ってしまった。

 直後、林冲の蛇矛が閃いた。

 

「懐かしいな」

 思わず呼延灼が口にしてしまった。

 梁山泊入山前、統制を務めていた汝寧州が近くだからだ。

 敵兵発見。その報に、呼延灼の表情は一変した。一瞬で武人のそれに変わった。

 踢雪烏騅が嘶(いなな)いた。

 呼延灼が苦笑した。

「わしより先に号令をかけるでない。そんなに駆けたいのか」

 そして呼延灼が鉄鞭を掲げ、兵たちが応じた。

 いいだろう烏騅。ここはかつて駆け回っていた地。共に駆けようぞ。

 駆けながら踢雪烏騅が鼻を鳴らした。

 敵兵は南側から進軍していた。安昌県から柏仁、義陽県から張怡の二隊だ。

 宛州を攻撃している梁山泊軍の背後を突け。王慶からの命令だ。

「しかし、面倒くさいな。なあ張怡よ」

「まったくだ、柏仁。そもそも智伯の策略が失敗したせいで、自分の首を絞めていると聞いたぜ」

「そうなのか。そいつはとばっちりだな」

「その通りだ。どれ、さっさと片付けてしまおう」

「そうしよう。そうだ、安昌に寄らないか。近くの村で器量の良い娘たちを手に入れたのだ」

「気が利くじゃないか。よし、急ぐとするか」

 などと話している所へ、斥候が飛び込んできた。

 梁山泊軍、発見。伏兵のようだ。

 援軍に備えていた訳か。まあ少しは頭の回る奴もいるようだ。

 柏仁と張怡が目で合図をし、それぞれの兵を率いて二つに分かれた。挟み撃ちだ。

 すぐに捉(とら)えた。兵数はこちらの半分以下。張怡はほくそ笑んだ。やはり、すぐに終わる。

 号令を飛ばし、梁山泊軍に襲いかかる。反対側からは柏仁の隊。

 梁山泊軍は動くことすらできない。

 迫る柏仁と張怡。

 ぶつかる。そう思われた刹那、梁山泊軍が消えた。

 いや、消えたように見えたのだ。

 動けないのではない。あえて動かなかったのだ。

 敵の数、騎乗の練度、統率の具合。柏仁と張怡が迫る中、呼延灼はしっかりと見据え、それらすべてを把握した。

 そして一瞬にして馬を疾駆させ、包囲網から離脱せしめたのだ。

 柏仁と張怡の隊が止まりきれず、ぶつかり合い、揉み合いになってしまう。

 どけろ。邪魔だ。こっちにくるんじゃねぇ。痛いだろうが。

 罵声が飛び交う様を、呼延灼が周囲を旋回しながら見ていた。眉をしかめる。

 少しいない間に、こんな奴らをのさばらせてしまったとは。

 残念だ。

 間断を置かず呼延灼が号令を発した。

 烏合の衆と化した柏仁、張怡らに勝ち目はあるはずもなかった。

 

 梁山泊そして宋の旗が、宛州城に翻っている。

 それを眩しそうに見つめる男がいた。陳瓘という宋の高官である。

 陳瓘も昨今の役人たちの腐敗に思うところがあり、蔡京らに楯突いた事がある。だが正義感に溢れてはいるものの、蔡京の狡猾さの方が上だった。

 却って非を指摘され、失職寸前にまで陥れられる。しかしそれを宿元景に救われた。以来、宿元景を信頼するようになり、帝の覚えもめでたくなった。

 そして今、梁山泊軍の王慶討伐に当たり、安撫使に任ぜられたのだ。

 東京開封府から同道してきた蕭譲に声をかけられた。

「長旅、お疲れ様でした。少し休まれますか」

「いや、平気だ。早速会うとしよう」

 と陳瓘は答えた。

 実のところ蕭譲の言葉通り、とても疲れていた。だが、自分よりも華奢に見える蕭譲が、その素ぶりも見せていないのだ。これでも宋に仕える官僚だという矜持があった。見くびられてなるものか。

 そして孫安と対面した。

「酒と軽い肴を用意しております。話は、飲みながらでも」

 うむ、と陳瓘が頷いた。まあ、良しとしてやろう。

 討伐の現状を聞き、引継ぎ事項を確認する。

 まずはこの宛州で、安撫使としての任に就くのだ。

 地図を見ながら陳瓘が訊ねた。

「して、次はどこを攻めるつもりで」

「ここから南、山南の襄陽、そこを奪還します」

 孫安が地図を示した。

 南は洞底湖を果てとし、北は函谷関を控えている。かつて楚と蜀が境界を接していた要害の地である。よってこの城を奪うことは、敵勢力の中央に楔(くさび)を打ち込むこととなる。

 しばしの歓談の後、孫安が場を辞した。出発の手筈を整えるようだ。

 残された陳瓘は、蕭譲と酒を酌み交わした。

「あの者、孫安どのは、信用が置ける人物かね」

「何をお考えですか、陳安撫」

「いや、何。つい先日まで田虎軍だった男だ。もしも、という事はありえないか」

「孫安どのが、裏切ると」

「無いとは言えまい。しかも、この討伐に自分から名乗り出たというではないか」

 それはと言いかけ、蕭譲は口を閉じた。

 孫安の父の仇討ちのためだ。それは言う必要がなく、陳瓘が知る必要もない事だ。

「心配いりませんよ。信頼できない人物であれば、宋江どのが味方に引き入れませんからね」

 杯を空け、蕭譲は笑顔を作った。

「そうか。気に障(さわ)ったかな。疑う事も私の役目なのだ、分かってほしい」

 蕭譲が酒を注ぐ。あの蔡京や童貫といった魑魅魍魎と渡り合っているのだ。このくらい用心深くなければ生きていけないのだろう。

「ところでお主、聖手書生と呼ばれるほど書が達者だと聞いておる。何でも、その技であの蔡宰相にひと泡吹かせるところまでいったとか」

「いえ、そんな大した話では」

 蕭譲は胸を高鳴らせた。宋江を救い出すために蔡京の書体を真似て手紙を書いた。だが、あと一歩という所で見破られた。いや、成功する寸前だったのだ。その話が知られていたなんて。

「大したものだ。聞いた時、いけないと知りながらも痛快な気持ちになったものさ。ささ、詳しく聞かせてくれないか」

「陳安撫、お酔いになられているのですか」

「何を言っている。お前も酔うのだ。ほら」

 陳瓘が蕭譲に酒を勧める。

 では、と杯を上げ、一気に飲み干す。

 少しだけ、誇らしい気持ちになった。

次へ

© 2014-2026 D.Ishikawa ,Goemon-do  created with Wix.com

bottom of page