
108 outlaws
本領
三
梁山泊軍は無謀に攻め続けている、と見せかけた。
それは攻城兵器轆轀を組み立てる時を稼ぐためであった。
その間に宛州の守将劉敏は、援軍の要請を送った。だが孫安と朱武はそれを見越していた。
宛州から北東側に林冲、そして東南側に呼延灼を布陣させた。援軍は、王慶の拠点がある西からは来ないであろう。梁山泊軍を挟撃できる東側からと予測したからだ。
林冲の元へ斥候が駆けこんできた。
「敵兵を捕捉。臨汝州の方向から来ます」
「数は」
「およそ二万ほど」
「よし、蹴散らすぞ」
林冲が号令を飛ばし、兵たちが駆ける。その数、およそ一万。
しかしどの顔も兵数を気にかけている様子はない。林冲と共に幾多の戦場を駆けてきた精兵たちである。むしろ自信に満ちていると言えた。
敵の斥候が慌てて馬首を返し、逃げようとした。
林冲の馬が飛び出した。彼我の距離があっという間に縮まり、林冲が愛用の蛇矛に手を伸ばした。
敵斥候が信じられぬという顔をしている。そのまま、斥候の首が飛んだ。
蛇矛の血を振るい落とし、高く掲げる。
鼓舞された兵たちが林冲の後を追い、速度を上げた。
宛州へ向けた援軍を指揮していたのは、張寿という男であった。
ならず者上がりのこの男。団花袍と渾名されるように、派手ないでたちをしていた。
彼方に砂煙が見える。斥候が戻ったか。
違和感を覚え、目をまた砂煙に向けた。
違う。あれは、梁山泊軍か。何故ここに。斥候は、どこへ。
考えてる間にも、梁山泊軍は風のようにこちらへ向かって来る。
「ええい、迎え討て。あれほど、ものの数ではないわ」
張寿軍が林冲軍に向けて疾駆した。
互いの軍が真正面からぶつかった。
剣と、槍と、甲と、馬蹄とが、ぶつかり合う音がした。
張寿は必死に堪え、この嵐を乗り越えた。どこかに傷を負っている事は分かる。だが痛みは、まだ感じない。
馬首を返そうと自軍を見た。驚きの声さえ出なかった。
倍はいたのだぞ。
目を瞬き、何度も確かめた。
信じたくないがこの一瞬で、同等いやそれ以下に減っていたのだ。
もう一度、突っ込め。
その言葉が、張寿には出せなかった。体のあちこちから痛みを感じた。
自軍が一斉に散った。
背後から風が吹いた感覚に襲われた。
張寿は振り返ってしまった。
直後、林冲の蛇矛が閃いた。
「懐かしいな」
思わず呼延灼が口にしてしまった。
梁山泊入山前、統制を務めていた汝寧州が近くだからだ。
敵兵発見。その報に、呼延灼の表情は一変した。一瞬で武人のそれに変わった。
踢雪烏騅が嘶(いなな)いた。
呼延灼が苦笑した。
「わしより先に号令をかけるでない。そんなに駆けたいのか」
そして呼延灼が鉄鞭を掲げ、兵たちが応じた。
いいだろう烏騅。ここはかつて駆け回っていた地。共に駆けようぞ。
駆けながら踢雪烏騅が鼻を鳴らした。
敵兵は南側から進軍していた。安昌県から柏仁、義陽県から張怡の二隊だ。
宛州を攻撃している梁山泊軍の背後を突け。王慶からの命令だ。
「しかし、面倒くさいな。なあ張怡よ」
「まったくだ、柏仁。そもそも智伯の策略が失敗したせいで、自分の首を絞めていると聞いたぜ」
「そうなのか。そいつはとばっちりだな」
「その通りだ。どれ、さっさと片付けてしまおう」
「そうしよう。そうだ、安昌に寄らないか。近くの村で器量の良い娘たちを手に入れたのだ」
「気が利くじゃないか。よし、急ぐとするか」
などと話している所へ、斥候が飛び込んできた。
梁山泊軍、発見。伏兵のようだ。
援軍に備えていた訳か。まあ少しは頭の回る奴もいるようだ。
柏仁と張怡が目で合図をし、それぞれの兵を率いて二つに分かれた。挟み撃ちだ。
すぐに捉(とら)えた。兵数はこちらの半分以下。張怡はほくそ笑んだ。やはり、すぐに終わる。
号令を飛ばし、梁山泊軍に襲いかかる。反対側からは柏仁の隊。
梁山泊軍は動くことすらできない。
迫る柏仁と張怡。
ぶつかる。そう思われた刹那、梁山泊軍が消えた。
いや、消えたように見えたのだ。
動けないのではない。あえて動かなかったのだ。
敵の数、騎乗の練度、統率の具合。柏仁と張怡が迫る中、呼延灼はしっかりと見据え、それらすべてを把握した。
そして一瞬にして馬を疾駆させ、包囲網から離脱せしめたのだ。
柏仁と張怡の隊が止まりきれず、ぶつかり合い、揉み合いになってしまう。
どけろ。邪魔だ。こっちにくるんじゃねぇ。痛いだろうが。
罵声が飛び交う様を、呼延灼が周囲を旋回しながら見ていた。眉をしかめる。
少しいない間に、こんな奴らをのさばらせてしまったとは。
残念だ。
間断を置かず呼延灼が号令を発した。
烏合の衆と化した柏仁、張怡らに勝ち目はあるはずもなかった。
梁山泊そして宋の旗が、宛州城に翻っている。
それを眩しそうに見つめる男がいた。陳瓘という宋の高官である。
陳瓘も昨今の役人たちの腐敗に思うところがあり、蔡京らに楯突いた事がある。だが正義感に溢れてはいるものの、蔡京の狡猾さの方が上だった。
却って非を指摘され、失職寸前にまで陥れられる。しかしそれを宿元景に救われた。以来、宿元景を信頼するようになり、帝の覚えもめでたくなった。
そして今、梁山泊軍の王慶討伐に当たり、安撫使に任ぜられたのだ。
東京開封府から同道してきた蕭譲に声をかけられた。
「長旅、お疲れ様でした。少し休まれますか」
「いや、平気だ。早速会うとしよう」
と陳瓘は答えた。
実のところ蕭譲の言葉通り、とても疲れていた。だが、自分よりも華奢に見える蕭譲が、その素ぶりも見せていないのだ。これでも宋に仕える官僚だという矜持があった。見くびられてなるものか。
そして孫安と対面した。
「酒と軽い肴を用意しております。話は、飲みながらでも」
うむ、と陳瓘が頷いた。まあ、良しとしてやろう。
討伐の現状を聞き、引継ぎ事項を確認する。
まずはこの宛州で、安撫使としての任に就くのだ。
地図を見ながら陳瓘が訊ねた。
「して、次はどこを攻めるつもりで」
「ここから南、山南の襄陽、そこを奪還します」
孫安が地図を示した。
南は洞底湖を果てとし、北は函谷関を控えている。かつて楚と蜀が境界を接していた要害の地である。よってこの城を奪うことは、敵勢力の中央に楔(くさび)を打ち込むこととなる。
しばしの歓談の後、孫安が場を辞した。出発の手筈を整えるようだ。
残された陳瓘は、蕭譲と酒を酌み交わした。
「あの者、孫安どのは、信用が置ける人物かね」
「何をお考えですか、陳安撫」
「いや、何。つい先日まで田虎軍だった男だ。もしも、という事はありえないか」
「孫安どのが、裏切ると」
「無いとは言えまい。しかも、この討伐に自分から名乗り出たというではないか」
それはと言いかけ、蕭譲は口を閉じた。
孫安の父の仇討ちのためだ。それは言う必要がなく、陳瓘が知る必要もない事だ。
「心配いりませんよ。信頼できない人物であれば、宋江どのが味方に引き入れませんからね」
杯を空け、蕭譲は笑顔を作った。
「そうか。気に障(さわ)ったかな。疑う事も私の役目なのだ、分かってほしい」
蕭譲が酒を注ぐ。あの蔡京や童貫といった魑魅魍魎と渡り合っているのだ。このくらい用心深くなければ生きていけないのだろう。
「ところでお主、聖手書生と呼ばれるほど書が達者だと聞いておる。何でも、その技であの蔡宰相にひと泡吹かせるところまでいったとか」
「いえ、そんな大した話では」
蕭譲は胸を高鳴らせた。宋江を救い出すために蔡京の書体を真似て手紙を書いた。だが、あと一歩という所で見破られた。いや、成功する寸前だったのだ。その話が知られていたなんて。
「大したものだ。聞いた時、いけないと知りながらも痛快な気持ちになったものさ。ささ、詳しく聞かせてくれないか」
「陳安撫、お酔いになられているのですか」
「何を言っている。お前も酔うのだ。ほら」
陳瓘が蕭譲に酒を勧める。
では、と杯を上げ、一気に飲み干す。
少しだけ、誇らしい気持ちになった。