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本領

 宛州奪還の祝宴。

 陳瓘の元を辞した孫安は、兵たちの元へと足を向けた。戦いを終え、笑顔で酒を酌み交わす兵たち。

 その中にひときわ騒ぐ配下を見つけ、ふと昔を思い出した。

 

 秦英の案内でたどり着いた五里鎮で、居酒屋に入った。

「このあたりでは、ここしか知らん。味の保証はしないが、量だけはある」

 孫安は、運ばれてきた料理を貪るように平らげた。腹が満たされ、人心地ついた。

 酒を頼み、飲み始めた。

 秦英は酒の量が増えると口も軽くなってきた。

 刀は自己流だが、地元では負け知らず。でかい事を成そうと決意したが、何事も続かず路銀を使い果たしてしまった。そこで腕を頼りに賞金稼ぎを始めた。そして涇原で、孫安の事を知ったという。

「確かにその腕ならば、かなり稼げるだろうな」

「だが負けた。上には上がいるぞ、なんて地元の年寄りどもは言っていたが、本当だったって訳さ」

「しかし」

「もういいのさ。何かを成そうなんて思いも、本当にあったのかも分からん。ただ同じ場所で燻(くすぶ)っているのが嫌だったのさ。まあ、あんたを狙うって目的もできたしな」

 と言ってにやりとする。

 どこまでが本心なのか。孫安としては勘弁してほしいところである。

 ひとつ良いかい、と秦英。

「俺もそこそこ賞金首を見てきた。だが、あんたはそんな人間には見えねぇ。興味本位で聞くが、あんた本当に父親を殺したのかい」

 その言葉に、孫安がぴくりとした。

 顔をやや伏せて、奥歯をきつく噛みしめた。

「ああ、すまん。いいんだ、話したくなきゃ」

 実は、孫安が顔を上げ、真剣な目を秦英に向けた。

 占い師と王道人の手口。そして父を殺され、自分が捕らえられた顛末を。

 秦英は酒を口に運びながら、しばらく黙っていた。

 そしてまたにやりとした。

「なるほど、そういう事だったのか」

「信じるのか」

「言ったろう。そんな人間には見えないと」

 よし、と秦英が杯を卓に置く。

「あんたの仇討ちに力を貸そう」

「どうしてお主が。ありがたいとは思うが、私の問題だ」

「ふん。まあ、どのみちあんたについて行くことに変わりはないんだ」

 と孫安の杯に酒を注いだ。

 孫安がそれを飲もうとして、遮られた。

 しゃがれた大きな笑い声を上げながら、男が店に入って来たのだ。大きな男だった。盛りあがった肩、太い腕、腹は出ているが肥満という訳ではない。

 一緒に入ってきた男が、薄笑いを浮かべて相槌を打っている。大男と並んでいるせいで、小さく見えるが決してそうではない。さらにこの男、目つきが悪く、大男よりも凶悪そうに見えた。

 店は満席である。だが二人は迷わず卓へ向かう。

 先客が、四人座っていた。

「どきな。そこは俺たちの席だぜ」

 大男が当然のように言った。呆気にとられる先客たち。

 目つきの悪い男が追い打ちをかける。

「聞こえないのか。俺たちの席だって言ってるんだよ」

 大男の腕が、客の一人の胸ぐらを掴んだ。そのまま引き抜くように持ち上げると、放り投げてしまった。

 何と言う怪力だ。

 残りの三人が事態を飲み込み、悲鳴を上げながら逃げ出してしまった。

 大男と目つきの悪い男が笑いながら腰を下ろした。

 おずおずと給仕が二人の元へ行く。

「おう、また来てやったぜ。しかし最近の客は態度が悪くていけねぇな」

「突っ立ってないで、早く酒と肴を持って来るんだ」

 へ、へい、と給仕が厨房へと駆けこんだ。

 孫安が秦英を見る。

 放っておけ。秦英の目がそう言っていた。

 しかし、うるさい。

 大男の声が店中に響き渡り、隣の声も聞こえないほどだ。

 どこの誰それをぶちのめしてやったとか、あそこの役人どもを返り討ちにしてやったとか、他愛もない自慢話を延々としている。

 ごろつき、か。

 孫安と秦英は、しばし黙って酒を飲んだ。

 酔いが回ってきたのか大男の声が、さらに大きくなる。

 して他の客たちに絡みはじめた。給仕も店主も怖くて何も言えないようだ。

 また来てやったと言っていたが、店にとってはいい迷惑だ。

 大男たちは上機嫌だ。

「誰か俺さまたちと勝負する骨のある奴ぁいねぇのかよ。張り合いがなくて退屈なんだ、なあ金禎よ」

「へへ、まったくだ。腰ぬけばかりですね、姚約の旦那」

 大男は姚約、目つきの悪い男は金禎というようだ。

 姚約は客に、お前はどうだと尋ね回るが、みな逃げるように店を出ていってしまう。

 それはそうだろう。人ひとりを軽々と持ち上げる男に楯突こうなどという者は、そうはいない。

 品定めするように、金禎が店を見渡す。

 そして孫安らを見とめた。

「なあ、あんたらちょっとは骨がありそうじゃないか。どうだいひとつ」

 秦英は、無言で杯を空けた。

 そして、

「おい、酒が切れた。二本ほど追加してくれ」

 と、給仕に告げた。

 まるで姚約と金禎などいないかのように振舞う。

 金禎の目つきがさらに鋭くなった。

「なんだあ、手前ぇ。聞いてるのかよ」

 それでも秦英は何も言わない。

 酒が運ばれてきた。金禎が卓に置かれたそれを払い落してしまった。瓶が割れ、酒が床に飛び散った。

「生意気な野郎だ」

 金禎が、秦英に向かって殴りかかった。

 座ったまま秦英は、少し体を傾けた。拳は空を切り、勢い余った金禎は卓につんのめるようにしてよろけた。

 手前ぇ、と毒づくが秦英は穏やかだ。

 孫安は口の端を歪めた。

 この男では勝てるはずもない。

「おい、舐められてるんじゃないのか」

 ぬっ、と姚約が立ち上がった。やはり、でかい。孫安たちを圧倒するように上から睨みつける。

 立ち上がろうとした孫安を、秦英が制した。

 さらに、

「すまん、酒がこぼれた。もう一本追加してくれ」

 これには孫安も呆れた。肝の座った男だと、改めて思った。

 姚約が岩のような巨大な拳を握り、孫安たちの卓に振り下ろした。爆発したように、卓が粉々に破壊された。

 にやりとした姚約の表情が一変した。

 二人の姿が消えていたのだ。

 床に転がったままの金禎が悲鳴を上げた。秦英が顔に刀を突き付けていたのだ。

 秦英に殴りかかろうとする姚約の肩に、孫安が手をかけた。

「お前の相手は私だ」

 姚約は体躯の割に素早かった。壁が崩れるのではないかというほどの大音声で吼えながら、拳を孫安に放(はな)ってきた。

 孫安は両腕を体の前で交差するようにして、それを受けた。

 孫安が吹っ飛び、壁に激突した。孫安が嗚咽を漏らした。口の端から血が垂れた。

 秦英が叫ぶ。

「なぜ避(よ)けない、馬鹿野郎」

 孫安を見て、姚約が不思議そうな表情を浮かべた。

 倒れなかった相手は初めだ。だが再び拳を握り、打ち込んだ。

 孫安は動かない。

 舌打ちをして助成しようとする秦英。しかし金禎が足を掴んでいた。

「貴様」

「やっちまえ、姚約の旦那」

 こいつの腕を切っても、間に合うかどうか。

 秦英が孫安を見た。

 孫安は右手を前に出し、左手をやや引いていた。

 姚約の剛拳が迫る。その拳が当たる、そう思われた瞬間、孫安が片足を下げ、体を捻るようにした。

 姚約には孫安が消えたように見えた。そのまま拳が壁にめり込んだ。

 そして、ひたり、と首筋に冷たいものを感じた。

 姚約のうなじに孫安の剣の腹が当てられていた。

「終わりだ」

 姚約が吼えた。

 拳を引っこ抜き、その勢いで再び孫安に殴りかかった。

 だが結果は同じだった。拳は当たらず、背後からまたも剣を突きつけられる。

「くそぅ」

 姚約が、何度めだろうか、吼えた。だがまたも、拳がかわされた。

 そして姚約が白目を剥いた。孫安が剣の鞘で当て身を打ったのだ。

 巨体が音を立てて崩れ落ちた。

「あ、手前ぇ」

 金禎が秦英を振りほどき、小刀を手に立ち上がった。そして秦英に向かって行くが、姚約と同じように気絶させられてしまった。

 それを孫安が意外そうな目で見ていた。

「首を斬り落とす、と思っていたのだがな」

「俺を何だと思っている。あんたがやらなかったから、俺も同じ事をした。それだけだ」

「そうか。さて、こいつらをどうしようか」

 孫安は肩から力を抜き、床に転がる姚約と金禎を見ていた。

 

「うおおおおっ」

 目覚めた姚約が拳を振りまわした。

 すぐに我に返り、目の前に二人の男がいる事に気付いた。

 孫安と秦英である。

 この野郎、と立ち上がりかけ、また気付いた。

 拘束されていないのだ。隣で転がっている金禎もだった。

「この町から出るんだ。それで店主は許してくれるとさ」

 二人の目が覚めるまで、孫安は店の者や町の者に訊ねた。

 大叫吼(だいきょうく)の姚約そして魔眼子(まがんし)の金禎、そう呼ばれているという。

 確かにならず者だが、言うほど悪事を働いている訳ではなかった。今日のように、気に喰わない者を痛めつけたり、脅してただ酒を飲んだりしていたようだ。

 役人を呼ぼうとした店主を止めた。自分も追われる身なのだ。

 二人の事は任せて欲しいと告げると、面倒事を嫌った店側も承諾した。さらに迷惑料と修理費として、姚約たちが持っていた金を全部渡した。

「何だって、人の金を勝手に」

 と吼えた姚約だが、

「自業自得だろう。命があっただけでもありがたいと思え」

 という秦英の言葉に口を噤むしかなかった。

「じゃあな。好きなところへ行くんだな」

 秦英が言い、孫安と共に歩き出した。

 金禎が不安そうな目で姚約を見る。

「旦那、どうしましょう。俺たちどこへ行けば」

「どうするったってよう」

 ぎろりと孫安たちを見た。そして立ち上がり、その後を追った。金禎も慌てて付いて行く。

 気付いた秦英が刀に手をかける。

「あん、何だお前たち。まだ、やり足りないのか」

「ち、違う。行く方向が同じなだけだ」

「屁理屈言いやがって。自分たちの面倒は自分たちで見ろよ」

「そんなの当たり前だろ」

 二人のやりとりを微笑ましく見ていた孫安が、金禎に向けて袋を投げてよこした。

「これは」

「お前たちの金だ。全部と言ったが少し残っていたようだ。忘れていたよ」

 姚約と金禎がきょとんとしている。

「あんた、人が良すぎるぜ」

 秦英が大きなため息をついた。

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