
108 outlaws
本領
四
宛州奪還の祝宴。
陳瓘の元を辞した孫安は、兵たちの元へと足を向けた。戦いを終え、笑顔で酒を酌み交わす兵たち。
その中にひときわ騒ぐ配下を見つけ、ふと昔を思い出した。
秦英の案内でたどり着いた五里鎮で、居酒屋に入った。
「このあたりでは、ここしか知らん。味の保証はしないが、量だけはある」
孫安は、運ばれてきた料理を貪るように平らげた。腹が満たされ、人心地ついた。
酒を頼み、飲み始めた。
秦英は酒の量が増えると口も軽くなってきた。
刀は自己流だが、地元では負け知らず。でかい事を成そうと決意したが、何事も続かず路銀を使い果たしてしまった。そこで腕を頼りに賞金稼ぎを始めた。そして涇原で、孫安の事を知ったという。
「確かにその腕ならば、かなり稼げるだろうな」
「だが負けた。上には上がいるぞ、なんて地元の年寄りどもは言っていたが、本当だったって訳さ」
「しかし」
「もういいのさ。何かを成そうなんて思いも、本当にあったのかも分からん。ただ同じ場所で燻(くすぶ)っているのが嫌だったのさ。まあ、あんたを狙うって目的もできたしな」
と言ってにやりとする。
どこまでが本心なのか。孫安としては勘弁してほしいところである。
ひとつ良いかい、と秦英。
「俺もそこそこ賞金首を見てきた。だが、あんたはそんな人間には見えねぇ。興味本位で聞くが、あんた本当に父親を殺したのかい」
その言葉に、孫安がぴくりとした。
顔をやや伏せて、奥歯をきつく噛みしめた。
「ああ、すまん。いいんだ、話したくなきゃ」
実は、孫安が顔を上げ、真剣な目を秦英に向けた。
占い師と王道人の手口。そして父を殺され、自分が捕らえられた顛末を。
秦英は酒を口に運びながら、しばらく黙っていた。
そしてまたにやりとした。
「なるほど、そういう事だったのか」
「信じるのか」
「言ったろう。そんな人間には見えないと」
よし、と秦英が杯を卓に置く。
「あんたの仇討ちに力を貸そう」
「どうしてお主が。ありがたいとは思うが、私の問題だ」
「ふん。まあ、どのみちあんたについて行くことに変わりはないんだ」
と孫安の杯に酒を注いだ。
孫安がそれを飲もうとして、遮られた。
しゃがれた大きな笑い声を上げながら、男が店に入って来たのだ。大きな男だった。盛りあがった肩、太い腕、腹は出ているが肥満という訳ではない。
一緒に入ってきた男が、薄笑いを浮かべて相槌を打っている。大男と並んでいるせいで、小さく見えるが決してそうではない。さらにこの男、目つきが悪く、大男よりも凶悪そうに見えた。
店は満席である。だが二人は迷わず卓へ向かう。
先客が、四人座っていた。
「どきな。そこは俺たちの席だぜ」
大男が当然のように言った。呆気にとられる先客たち。
目つきの悪い男が追い打ちをかける。
「聞こえないのか。俺たちの席だって言ってるんだよ」
大男の腕が、客の一人の胸ぐらを掴んだ。そのまま引き抜くように持ち上げると、放り投げてしまった。
何と言う怪力だ。
残りの三人が事態を飲み込み、悲鳴を上げながら逃げ出してしまった。
大男と目つきの悪い男が笑いながら腰を下ろした。
おずおずと給仕が二人の元へ行く。
「おう、また来てやったぜ。しかし最近の客は態度が悪くていけねぇな」
「突っ立ってないで、早く酒と肴を持って来るんだ」
へ、へい、と給仕が厨房へと駆けこんだ。
孫安が秦英を見る。
放っておけ。秦英の目がそう言っていた。
しかし、うるさい。
大男の声が店中に響き渡り、隣の声も聞こえないほどだ。
どこの誰それをぶちのめしてやったとか、あそこの役人どもを返り討ちにしてやったとか、他愛もない自慢話を延々としている。
ごろつき、か。
孫安と秦英は、しばし黙って酒を飲んだ。
酔いが回ってきたのか大男の声が、さらに大きくなる。
して他の客たちに絡みはじめた。給仕も店主も怖くて何も言えないようだ。
また来てやったと言っていたが、店にとってはいい迷惑だ。
大男たちは上機嫌だ。
「誰か俺さまたちと勝負する骨のある奴ぁいねぇのかよ。張り合いがなくて退屈なんだ、なあ金禎よ」
「へへ、まったくだ。腰ぬけばかりですね、姚約の旦那」
大男は姚約、目つきの悪い男は金禎というようだ。
姚約は客に、お前はどうだと尋ね回るが、みな逃げるように店を出ていってしまう。
それはそうだろう。人ひとりを軽々と持ち上げる男に楯突こうなどという者は、そうはいない。
品定めするように、金禎が店を見渡す。
そして孫安らを見とめた。
「なあ、あんたらちょっとは骨がありそうじゃないか。どうだいひとつ」
秦英は、無言で杯を空けた。
そして、
「おい、酒が切れた。二本ほど追加してくれ」
と、給仕に告げた。
まるで姚約と金禎などいないかのように振舞う。
金禎の目つきがさらに鋭くなった。
「なんだあ、手前ぇ。聞いてるのかよ」
それでも秦英は何も言わない。
酒が運ばれてきた。金禎が卓に置かれたそれを払い落してしまった。瓶が割れ、酒が床に飛び散った。
「生意気な野郎だ」
金禎が、秦英に向かって殴りかかった。
座ったまま秦英は、少し体を傾けた。拳は空を切り、勢い余った金禎は卓につんのめるようにしてよろけた。
手前ぇ、と毒づくが秦英は穏やかだ。
孫安は口の端を歪めた。
この男では勝てるはずもない。
「おい、舐められてるんじゃないのか」
ぬっ、と姚約が立ち上がった。やはり、でかい。孫安たちを圧倒するように上から睨みつける。
立ち上がろうとした孫安を、秦英が制した。
さらに、
「すまん、酒がこぼれた。もう一本追加してくれ」
これには孫安も呆れた。肝の座った男だと、改めて思った。
姚約が岩のような巨大な拳を握り、孫安たちの卓に振り下ろした。爆発したように、卓が粉々に破壊された。
にやりとした姚約の表情が一変した。
二人の姿が消えていたのだ。
床に転がったままの金禎が悲鳴を上げた。秦英が顔に刀を突き付けていたのだ。
秦英に殴りかかろうとする姚約の肩に、孫安が手をかけた。
「お前の相手は私だ」
姚約は体躯の割に素早かった。壁が崩れるのではないかというほどの大音声で吼えながら、拳を孫安に放(はな)ってきた。
孫安は両腕を体の前で交差するようにして、それを受けた。
孫安が吹っ飛び、壁に激突した。孫安が嗚咽を漏らした。口の端から血が垂れた。
秦英が叫ぶ。
「なぜ避(よ)けない、馬鹿野郎」
孫安を見て、姚約が不思議そうな表情を浮かべた。
倒れなかった相手は初めだ。だが再び拳を握り、打ち込んだ。
孫安は動かない。
舌打ちをして助成しようとする秦英。しかし金禎が足を掴んでいた。
「貴様」
「やっちまえ、姚約の旦那」
こいつの腕を切っても、間に合うかどうか。
秦英が孫安を見た。
孫安は右手を前に出し、左手をやや引いていた。
姚約の剛拳が迫る。その拳が当たる、そう思われた瞬間、孫安が片足を下げ、体を捻るようにした。
姚約には孫安が消えたように見えた。そのまま拳が壁にめり込んだ。
そして、ひたり、と首筋に冷たいものを感じた。
姚約のうなじに孫安の剣の腹が当てられていた。
「終わりだ」
姚約が吼えた。
拳を引っこ抜き、その勢いで再び孫安に殴りかかった。
だが結果は同じだった。拳は当たらず、背後からまたも剣を突きつけられる。
「くそぅ」
姚約が、何度めだろうか、吼えた。だがまたも、拳がかわされた。
そして姚約が白目を剥いた。孫安が剣の鞘で当て身を打ったのだ。
巨体が音を立てて崩れ落ちた。
「あ、手前ぇ」
金禎が秦英を振りほどき、小刀を手に立ち上がった。そして秦英に向かって行くが、姚約と同じように気絶させられてしまった。
それを孫安が意外そうな目で見ていた。
「首を斬り落とす、と思っていたのだがな」
「俺を何だと思っている。あんたがやらなかったから、俺も同じ事をした。それだけだ」
「そうか。さて、こいつらをどうしようか」
孫安は肩から力を抜き、床に転がる姚約と金禎を見ていた。
「うおおおおっ」
目覚めた姚約が拳を振りまわした。
すぐに我に返り、目の前に二人の男がいる事に気付いた。
孫安と秦英である。
この野郎、と立ち上がりかけ、また気付いた。
拘束されていないのだ。隣で転がっている金禎もだった。
「この町から出るんだ。それで店主は許してくれるとさ」
二人の目が覚めるまで、孫安は店の者や町の者に訊ねた。
大叫吼(だいきょうく)の姚約そして魔眼子(まがんし)の金禎、そう呼ばれているという。
確かにならず者だが、言うほど悪事を働いている訳ではなかった。今日のように、気に喰わない者を痛めつけたり、脅してただ酒を飲んだりしていたようだ。
役人を呼ぼうとした店主を止めた。自分も追われる身なのだ。
二人の事は任せて欲しいと告げると、面倒事を嫌った店側も承諾した。さらに迷惑料と修理費として、姚約たちが持っていた金を全部渡した。
「何だって、人の金を勝手に」
と吼えた姚約だが、
「自業自得だろう。命があっただけでもありがたいと思え」
という秦英の言葉に口を噤むしかなかった。
「じゃあな。好きなところへ行くんだな」
秦英が言い、孫安と共に歩き出した。
金禎が不安そうな目で姚約を見る。
「旦那、どうしましょう。俺たちどこへ行けば」
「どうするったってよう」
ぎろりと孫安たちを見た。そして立ち上がり、その後を追った。金禎も慌てて付いて行く。
気付いた秦英が刀に手をかける。
「あん、何だお前たち。まだ、やり足りないのか」
「ち、違う。行く方向が同じなだけだ」
「屁理屈言いやがって。自分たちの面倒は自分たちで見ろよ」
「そんなの当たり前だろ」
二人のやりとりを微笑ましく見ていた孫安が、金禎に向けて袋を投げてよこした。
「これは」
「お前たちの金だ。全部と言ったが少し残っていたようだ。忘れていたよ」
姚約と金禎がきょとんとしている。
「あんた、人が良すぎるぜ」
秦英が大きなため息をついた。