
108 outlaws

疾駆
一
「お主ら、負傷しているではないか」
自軍に配された陳達と楊春に、喬道清が言った。
「悪りいな、大将。大目に見てくれや。あいつらには貸しがあるんだ。やられっ放しじゃあ、癪でよ」
陳達が軽く言うが、その目は真剣だった。
額の包帯が痛々しい楊春も、喬道清の目をしっかりと見つめている。
「お願いします。足は引っ張りませんから」
「それに、あんた強いんだろ。公孫勝の兄弟子だって聞いたぜ」
「ふふ、上手く言ったものだ。そこまで言われて断れるわけがない」
「そうこなくちゃな」
ふいに孫安を思い浮かべた。あ奴が梁山泊の何に感化されたのか、ゆっくりと確かめるとしよう。
喬道清たち三人が率いる軍が、敵軍と遭遇した。
先頭にいるのは武能と徐瑾だ。
「馬霊はおらぬか」
少し残念そうに、喬道清が馬を飛ばした。
おい待てよ、という陳達の声が遠ざかる。
喬道清が宝剣を抜き放った。そして二本の指を立て、剣先に添えた。
武能と徐瑾が驚いた顔をしていた。
「お、おい、あれは、もしかして」
「ああ、間違いない。喬道清どのだ」
「昭徳府で梁山泊軍に敗れたと聞いていたが」
「寝返った、ということか」
武能と徐瑾が目を合わせ、左右に軍を展開させた。二人は喬道清に掌を向け、文言を唱え出した。
はあっ、と武能と徐瑾が同時に声を上げた。豪雨と突風が、喬道清を襲う。
「私の力を知らぬ訳ではあるまい」
冷静に喬道清が言い、宝剣で天を示した。
風と雨は、見えない壁のようなものに阻まれ、喬道清の周囲をぐるぐると回ってしまう。
喬道清が眉間に皺を寄せた。
突然、身を刺すような冷気が襲ってきた。周囲をめぐる雨が、風と混じり雪と氷になったのだ。
喬道清の衣の端に霜が降り、ついに凍り始めてきた。
だが喬道清は冷静に、口の中で文言を唱えた。そして二本の指を剣の根元から先へ滑らせると、宝剣が燃え上がった。
そしてその燃える宝剣を、真っ直ぐに斬り下げた。
光の筋が走った次の瞬間、喬道清を包む氷が破壊され、飛び散った。
武能と徐寧が悲鳴に似た声を上げ、同時に馬首を返した。
しかしそれに追いすがる影があった。
「へへへ、こないだのお返しだぜ」
陳達が徐瑾を追う。そして武能には楊春が迫った。
「この死に損いめ」
馬を駆りながら、徐瑾が陳達めがけて突風を放つ。だが風の先には空の馬だけが駆けていた。
「こっちだ、こっち」
声の方向を見ると、陳達が部下の馬に乗っていた。自分の馬から飛び移ったというのか。
徐瑾が狙うたび、陳達は次々と別の馬に移り変わる。
「ちょこまかと煩わしい男だ。だが所詮は大道芸。まとめて吹き飛ぶがよい」
徐瑾が手綱を放し、両手で陳達そして部下たちに向かって突風を放とうとした。
陳達が跳んだ。
今度は、徐瑾目がけて、跳んだ。
風を跳び越え、空中で槍を逆手に持ち替える。
おおお、と雄叫びと共に体重を浴びせかけるように徐瑾とぶつかった。
両者が地面に落ちた。
そこには荒い息で喘ぐ陳達と、槍に貫かれた徐瑾が転がっていた。
風が、止んだ。
武能は、追って来る楊春たちの頭上から激しい雨を降らせていた。
乗り手も馬もずぶ濡れである。乾いた地面に向かおうとしても、すぐに武能が雨を降らせてしまう。
だが、ぬかるむ地面を必死に駆ける梁山泊軍の馬は、勢いを衰えさせない。
泥に汚れながら、楊春はじっと武能を見据え、思う。さすが皇甫端が育てた馬だ。
そして囁くように言う。
「もう少しだ。もう少しだけ、頑張ってくれ」
それに応えるかのように、楊春の馬が速度を上げた。
「ちぃ、しつこい連中だ」
追われている焦りもあるのだろう。武能が落ち着きを欠いてきた。馬も、口の端に泡を吹き始めている。
このままでは潰れてしまう。どうする。部下の馬を奪うか。
思案していた武能だったが、周囲に誰もいなくなっている事に気がついた。
楊春の部下が、武能の部下を片付けてしまっていたのだ。
馬の速度が落ちた。
その時、楊春が雨の中から抜け出した。
「追いついた。そして終わりだ」
大桿刀が武能を両断した。
武能の馬も力尽き、地面に倒れ込んだ。楊春は労うように、馬の首を撫でた。
喬道清が来た。
「よくやった。だが敵はまだ残っている。行けるな」
「もちろんです」
後から来た陳達がすれ違いざま、にやりと笑って見せた。
行けるか、ではない。行けるな、と言われたことに、楊春は少し満足した。