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疾駆

「お主ら、負傷しているではないか」

 自軍に配された陳達と楊春に、喬道清が言った。

「悪りいな、大将。大目に見てくれや。あいつらには貸しがあるんだ。やられっ放しじゃあ、癪でよ」

 陳達が軽く言うが、その目は真剣だった。

 額の包帯が痛々しい楊春も、喬道清の目をしっかりと見つめている。

「お願いします。足は引っ張りませんから」

「それに、あんた強いんだろ。公孫勝の兄弟子だって聞いたぜ」

「ふふ、上手く言ったものだ。そこまで言われて断れるわけがない」

「そうこなくちゃな」

 ふいに孫安を思い浮かべた。あ奴が梁山泊の何に感化されたのか、ゆっくりと確かめるとしよう。

 喬道清たち三人が率いる軍が、敵軍と遭遇した。

 先頭にいるのは武能と徐瑾だ。

「馬霊はおらぬか」

 少し残念そうに、喬道清が馬を飛ばした。

 おい待てよ、という陳達の声が遠ざかる。

 喬道清が宝剣を抜き放った。そして二本の指を立て、剣先に添えた。

 武能と徐瑾が驚いた顔をしていた。

「お、おい、あれは、もしかして」

「ああ、間違いない。喬道清どのだ」

「昭徳府で梁山泊軍に敗れたと聞いていたが」

「寝返った、ということか」

 武能と徐瑾が目を合わせ、左右に軍を展開させた。二人は喬道清に掌を向け、文言を唱え出した。

 はあっ、と武能と徐瑾が同時に声を上げた。豪雨と突風が、喬道清を襲う。

「私の力を知らぬ訳ではあるまい」

 冷静に喬道清が言い、宝剣で天を示した。

 風と雨は、見えない壁のようなものに阻まれ、喬道清の周囲をぐるぐると回ってしまう。

 喬道清が眉間に皺を寄せた。

 突然、身を刺すような冷気が襲ってきた。周囲をめぐる雨が、風と混じり雪と氷になったのだ。

 喬道清の衣の端に霜が降り、ついに凍り始めてきた。

 だが喬道清は冷静に、口の中で文言を唱えた。そして二本の指を剣の根元から先へ滑らせると、宝剣が燃え上がった。

 そしてその燃える宝剣を、真っ直ぐに斬り下げた。

 光の筋が走った次の瞬間、喬道清を包む氷が破壊され、飛び散った。

 武能と徐寧が悲鳴に似た声を上げ、同時に馬首を返した。

 しかしそれに追いすがる影があった。

「へへへ、こないだのお返しだぜ」

 陳達が徐瑾を追う。そして武能には楊春が迫った。

「この死に損いめ」

 馬を駆りながら、徐瑾が陳達めがけて突風を放つ。だが風の先には空の馬だけが駆けていた。

「こっちだ、こっち」

 声の方向を見ると、陳達が部下の馬に乗っていた。自分の馬から飛び移ったというのか。

 徐瑾が狙うたび、陳達は次々と別の馬に移り変わる。

「ちょこまかと煩わしい男だ。だが所詮は大道芸。まとめて吹き飛ぶがよい」

 徐瑾が手綱を放し、両手で陳達そして部下たちに向かって突風を放とうとした。

 陳達が跳んだ。

 今度は、徐瑾目がけて、跳んだ。

 風を跳び越え、空中で槍を逆手に持ち替える。

 おおお、と雄叫びと共に体重を浴びせかけるように徐瑾とぶつかった。

 両者が地面に落ちた。

 そこには荒い息で喘ぐ陳達と、槍に貫かれた徐瑾が転がっていた。

 風が、止んだ。

 

 武能は、追って来る楊春たちの頭上から激しい雨を降らせていた。

 乗り手も馬もずぶ濡れである。乾いた地面に向かおうとしても、すぐに武能が雨を降らせてしまう。

 だが、ぬかるむ地面を必死に駆ける梁山泊軍の馬は、勢いを衰えさせない。

 泥に汚れながら、楊春はじっと武能を見据え、思う。さすが皇甫端が育てた馬だ。

 そして囁くように言う。

「もう少しだ。もう少しだけ、頑張ってくれ」

 それに応えるかのように、楊春の馬が速度を上げた。

「ちぃ、しつこい連中だ」

 追われている焦りもあるのだろう。武能が落ち着きを欠いてきた。馬も、口の端に泡を吹き始めている。

 このままでは潰れてしまう。どうする。部下の馬を奪うか。

 思案していた武能だったが、周囲に誰もいなくなっている事に気がついた。

 楊春の部下が、武能の部下を片付けてしまっていたのだ。

 馬の速度が落ちた。

 その時、楊春が雨の中から抜け出した。

「追いついた。そして終わりだ」

 大桿刀が武能を両断した。

 武能の馬も力尽き、地面に倒れ込んだ。楊春は労うように、馬の首を撫でた。

 喬道清が来た。

「よくやった。だが敵はまだ残っている。行けるな」

「もちろんです」

 後から来た陳達がすれ違いざま、にやりと笑って見せた。

 行けるか、ではない。行けるな、と言われたことに、楊春は少し満足した。

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