
108 outlaws

疾駆
三
信じられぬ、という顔だった。
索賢らはおろか、術を駆使する武能と徐瑾まで敗れてしまうとは。
馬霊は拳を戦慄(わなな)かせた。
喬道清が裏切ったためだ。梁山泊に敗れ、戦死したと思っていた。しかし寝返っていようとは。
とすると孫安も、なのだろうか。孫安は晋寧で敗れた。投降していれば、ここにいてもおかしくはない。だが孫安ひいては梅玉たち配下の姿がない。
怒りを鎮めようと、馬霊が息を吐いた。
ともかく、目の前の敵に集中せねば。
一人の道士が、幾人かの将を引き連れていた。顔は若いようだが、白髪(はくはつ)のためか老成しているようにも見えた。
梁山泊に公孫勝という道士あり。
馬霊も聞き及んでいた。喬道清を降したのもこの男に違いない。
対峙する鄧飛が言う。
「おい奴さん、とんでもなく恐ろしい面で、こっちを睨んでやがるぜ」
「うむ。ただならぬ気を感じるのは確かだ」
欧鵬も、馬霊を見据えながら答えた。
だが、と鄧飛がにやりとした。
「先手必勝だ」
と鉄鏈を振り回しながら、馬を飛ばした。さらに欧鵬も、鄧飛を追って飛びだした。
残った楊志が渋い顔をしている。
「まったく鄧飛はともかく、欧鵬まで」
「心配ありません」
公孫勝が悠然として言った。
楊志が横目で見る。以前にも増して超然としてきたように見えた。
戴宗も飛び出したい思いだったが、それを堪(こら)えた。
鄧飛と欧鵬が馬霊に迫る。
馬霊は馬に乗らず、縦にした輪に裸足で乗っている。上半身はほぼ裸で、手には戟(げき)を構えている。
激突した。
馬上からの攻撃を、馬霊が迎え討った。馬霊は、足を乗せた輪を意のままに動かし、馬よりも細かく、自在に動くことができる。
鄧飛の鉄鏈を後ろに退いてかわすと、その場で回転し、その勢いで欧鵬に襲いかかる。
「なんだ、こいつ。」
と鄧飛も文句を漏らす。
欧鵬は冷静に馬霊の動きを見極めようとする。常人の動きではないようだが、さにあらず。どんな動きをしようと足は二本だけだ。
しっ、と気合を発し、槍を繰り出す欧鵬。槍は馬霊の足元を狙っていた。
馬霊の顔色が変わった。
槍が輪を掠め、馬霊の体勢が揺らいだ。
機と見た鄧飛が、足を絡め取ろうと鉄鏈を放った。
馬霊は急いで避けたが、片足を捕らえられてしまった。
「捕まえたぜ」
力を込め、鄧飛が思いっきり引っ張る。
しかし鄧飛が嗚咽を漏らし、鉄鏈を放してしまった。見ると、鄧飛の額から血が噴き出している。
孝義県で楊春が喰らったものか。これも妖術なのか。
と、欧鵬が殺気を感じ、槍を回転させると何かを弾いた。
地面に落ちたそれは金磚だった。金でできた、掌に収まる大きさの、煉瓦のようなものだ。
馬霊はその隙に、二人を距離を置いていた。
足に二輪、そして金磚。こまるで那吒太子だ。
欧鵬は呼吸を整え、攻撃に備え、
「鄧飛、無事か」
と声をかける。
鄧飛は、戦袍の袖を破って額に巻き付け、
「おう、問題ない」
と赤い目を見開いた。
馬霊の周囲に、数十の金磚が浮かんでいた。手を振ると、それが鄧飛と欧鵬に襲いかかった。
接近戦から、離れての戦いに変えたのだ。金磚は尽きる事がないのかと思われるほど、次々に飛んでくる。
こうなってしまうと誰も近づく事ができない。
鉄鏈を回し、金磚を弾き続ける鄧飛が、目で欧鵬に問いかける。
どうする。このままじゃあ埒が明かないぜ。
そうだな。では、俺が隙を作る。
欧鵬が目でそう答え、鄧飛が口の端を上げた。
気合いを発し、欧鵬が馬を横に駆けさせた。そして馬霊めがけて突進する。馬を左右に振り、金磚を避けながら駆ける。
もう少しで届く。
だが欧鵬が愕然とする。馬霊が足を軽く動かすや、一瞬にして離れた位置に逃げてしまったのだ。
神駒子と呼ばれる馬霊の本領発揮である。
歯噛みをしながら、それでも諦めずに追おうとする欧鵬。
同じく歯嚙みをしていた戴宗が思わず一歩、踏み出そうとしたその時。
静かに、公孫勝が馬を進めた。
来たな。お前を待っていたのだ。
金磚で欧鵬、鄧飛を牽制しながら、馬霊が静かな闘志を燃やし始めた。
田虎軍には喬道清がおり、二番手に甘んじてきた。しかし奴は投降した。そして奴を降した公孫勝を討ち取れば、名実共に自分が最強ということだ。
馬霊が両手を広げ、無数の金磚を現出させた。
鄧飛が顔を曇らせる。
「あんな数、捌ききれないぜ」
馬霊が両手を前に振ると同時に金磚が梁山泊軍めがけて飛んだ。
公孫勝が手にした古定剣をかざす。
ふっ、と息を吹きかけると古定剣が炎に包まれた。そして剣を薙ぎ払うように振った。
炎の円弧が戦場を駆け抜けた。それに触れた金磚はたちまち燃え上がり、灰と化した。
「そうこなくては、倒し甲斐がないというものだ」
さほど驚くでもなく馬霊が言った。
鄧飛と欧鵬が、部下たちを退却させる。ここからは術と術のぶつかり合い。邪魔になるだけだ。
頼んだぜ。
鄧飛がすれ違いざま言った。公孫勝は静かだが力強く頷いた。
「さあ、参ります」
炎を纏う古定剣を、ぴたりと馬霊に突きつけた。