108 outlaws
武人
四
次々と上がってくる報告に、晁蓋が気を揉んでいた。
物見の兵によれば、呼延灼軍は数里先に本隊を残してきているという。
「そちらを攻めてはどうだ」
「まだ緒戦ですし、向こうも奇襲には充分警戒しているでしょう。まずは相手の力を見極めるのが良いかと」
晁蓋の提案は、やんわりとであるが呉用に却下された。
大将は悠然と構えていれば良いのです、と呉用や宋江に何度も言われてはいるのだが、やはり何かしていないと落ち着かないのだ。ましてや戦いは目の前で起きているのだ。
呼延灼軍が左右に分かれ、自軍もそれに対応。中央の呼延灼が率いる軍は、林冲ら五将の軍と激突している。
林冲と互角であるという呼延灼の実力もさることながら、副将二人の実力も侮れるものではなかった。
「大丈夫です。彼らなら、やってくれます」
呉用は自分を落ち着かせるように、そう言った。
左軍では、穆弘と呂方の騎馬隊が右に展開、左には黄信と朱仝の隊がそれぞれ展開している。その中央前方に雷横の歩兵隊が陣取っていた。
敵の騎兵が左右に分かれ、歩兵が突っ込んでくる。およそ千五百ほどか。一方、雷横の隊は六百ほどしかいない。
「怖れるんじゃねぇ、野郎ども。お前らの力を見せつけてやれ」
雷横の言葉に歩兵たちが喚声で応える。
確かに兵力差はかなりある。しかし、それは兵の質で埋められる。呉用をはじめ、林冲や秦明などの考えも同じだった。
敵歩兵に対し、雷横は踏みとどまってそれを受ける構えだ。左右の騎兵隊はすでにぶつかりあっていた。
まだだ、まだだ。まだまだだ。もっと近づいて来い。
雷横が一番前で朴刀を構え、歯を食いしばり、そう唱えていた。
敵の歩兵が武器を上げ、目の前にまで迫った。
「今だ」
雷横が叫ぶと、組んでいた隊列が割れた。
虚をつかれた敵兵は止まる事もできず、割れた歩兵の間を駆け抜けてゆく。気付いた時には遅かった。敵兵が、左右から突き出される槍や刀の餌食となってゆく。
雷横も縦横に刀を振るい、次々と敵を地に斬り伏せてゆく。
「へへ、悔しいが良く斬れやがるぜ。さすがは湯隆の打った刀だ」
敵歩兵の三分の一ほどを片付けただろうか。もう詭計は使えない。真っ向からぶち当たり、打ち勝つだけだ。
敵騎兵は算を乱していた。穆弘の隊が真っ直ぐ突撃し、隊列をぶち抜けてゆく。そして反転し、また突っ込んでゆく。騎兵は敵がやや多いくらいだ。しかし穆弘を止められる者はいなかった。
黄信と呂方も縦横に戦場を駆け回り、敵を翻弄している。青州の軍人だった黄信はもとより、呂方もそれに引けを取らない動きだった。双頭山で山賊を率いていた男だ。普段は温厚だが、いざ戦いとなると小温侯の名に恥じぬ戦いぶりだ。
雷横がちらりと見ると、朱仝が追われていた。戦場を大きく回り、引き離そうとするが、敵の騎兵もさすがというべきか、しっかりと食いついてくる。朱仝は敵を引き連れ、林の側を通りすぎた。
敵騎兵が朱仝の後を通った時、林の中から無数の矢が飛来した。そして喚声が響き、兵たちが飛び出してきた。目の前の敵騎兵を次々と討ってゆく。
梁山泊の伏兵だった。その伏兵の先頭で李逵が二丁の斧を振り回している。たとえ騎兵だろうと臆することなく、馬ごとぶった切っているようだ。
朱仝の隊が反転し、敵に反撃を開始する。一騎を片付け、朱仝が馬を急がせた。
李逵の背後に敵が迫っていた。李逵は戦闘となると目の前しか見えなくなるのだ。
刀が振り下ろされる前に、朱仝が駆け抜けた。敵の首が飛び、李逵の足元に転がった。
それに気付いた李逵が朱仝の方を見た。李逵は礼を言うでもなく、雄叫びをあげると再び敵に突っ込んでいった。
ふう、と安堵のため息をつき、朱仝が再び馬首を返した。
梁山泊へ来た時、いや滄州で初めて会った時から、李逵との関係がぎくしゃくしていた。
朱仝は坊っちゃん、滄州知府の幼い息子、を李逵が手にかけたと思い、本気で殺そうとした。後(のち)に分かったがそれは勘違いで、坊ちゃんも一命を取り留めていたのだ。李逵が坊ちゃんの命を救ったとも言えるのだ。
朱仝は謝るべきだったのだが、怒った李逵は会いたくないと柴進の館に逗留する事になった。それから時間も経ってしまい、なんとなくうやむやになってしまった感があった。
なぜ宋江が李逵を可愛がっているのか、正直分からなかった。
だが、ほんの少しだが、分かるような気がしてきた。真っ直ぐで、でも不器用で、どことなく雷横に似ている、と朱仝は思った。
見ると、騎兵はあらかた片付いたようだ。あとは歩兵か。
朱仝は雷横の元へと駆けた。
長く美しい、自慢の髯(ひげ)が風にたなびいていた。
まだ両刃刀を握る手が痺れていた。
まさか、と思った。
近づいてくる女将軍は、まだ間合いに入っていなかった。槍でさえまだ届かぬ位置である。しかし、攻撃が来る、という確かな予感があった。
彭玘は困惑したが、天目将の由来ともなった、その予感を信じる事にした。
一瞬、青白い光を見た気がした。すぐに三尖両刃刀に衝撃を感じた。
本当に、あの距離から攻撃をして、しかも届かせた。相手の得物は二本あるとはいえ、刀なのである。
一体、どうやって。だが彭玘が考える間もなく、次の攻撃が襲ってきた。
分かる。攻撃がいつ来るのかも、どこに来るのかも、分かる。
だが、彭玘は苦しそうな顔をする。いつもの涼やかさは、そこにはなかった。
しかし、そんな彭玘には構わず、扈三娘はあり得ない所から刀を振るい続ける。
彭玘は必死に防ぎつつも、なんとか自分の間合いに持ち込もうと狙っていた。
彭玘の馬が駆けた。扈三娘の双刀が舞う中へ、決死の覚悟で飛び込んだ。
扈三娘も前に出た。刀を伏せ、目を細め、彭玘を見据えて駆ける。
扈三娘と彭玘が馳せ違った。
微(かす)かに扈三娘の表情が歪み、体勢が崩れた。いかに扈三娘といえど、彭玘の力にはいささか打ち負けてしまったようだ。
この機を逃すまじ、とばかりに彭玘が追いすがる。体勢の整わぬまま、扈三娘は彭玘の攻撃を何とかしのいだ。
扈三娘は両手で刀を振りつつ馬を巧みに操つり、距離を取ろうする。
しかし己の間合いに持ち込んだ彭玘の両刃刀が冴えわたっていた。扈三娘の軍装の袖が裂けた。
「貴様」
幸い皮膚は切れてはいなかった。扈三娘は、彭玘を睨むと二刀での渾身の連激を繰りだした。両刃刀が折れたのではないかという激しい音がしたが、彭玘は攻撃を受け止めた。しかし、やはり腕が痺れてしまった。
「小癪な奴め」
腕の回復を待つ瞬間の隙を狙い、扈三娘が駆けた。彭玘から離れ、逃げてゆく。
逃すものか。彭玘も馬の腹を蹴り、追った。
「待て、彭玘。勝ち急ぐな」
追う彭玘の方をちらりと扈三娘が見た。
ぞくり、と彭玘の背筋が凍った。
刀ではなかった。飛んで来たのは鈎(かぎ)のようなものが付いた縄だった。
斬撃だと思い身構えた彭玘は、その縄に絡み取られ、馬から落ちた。
すぐに梁山泊の兵が駆けつけ、彭玘を縛ると自陣へと連れて行ってしまった。
にこりと不敵な笑みを浮かべ、扈三娘も駆け戻った。
「待て」
呼延灼が陣から飛び出した。だが、その前に立ちはだかる男がいた。
病尉遅こと孫立である。
手にするのは竹節虎眼の鋼鞭。堂々たる騎乗に、呼延灼も唸るほどだった。
「行かせはせん」
「どけい、彭玘を返すのだ」
「返せと言われて返せるものか」
孫立が言い放ち、鞭を構えた。呼延灼も双鞭を構える。
奇(く)しくも武器は同じ、鞭である。
互いの馬が近づいてゆく。ゆっくりと確かめあうように、近づいてゆく。不用意に打ちかかることができない相手だと、構えた瞬間から互いに分かっているのだ。
見ている韓滔の喉がひりついてくるほどだった。
ぴたり、と馬の足が止まった。一瞬の静寂の後、同時に馬が駆けた。
三本の鞭がぶつかり合った。すぐに鞭が乱れ飛ぶ。呼延灼が鞭を雷鳴の如く唸らせれば、負けじと孫立も疾風の如く鞭を叩きこむ。
梁山泊軍も、呼延灼軍も、息をのんで見守った。
呼延灼と孫立、二人の様はまさに呼延賛と尉遅敬徳の再来か、と思わせる戦いぶりだった。
「どうした、よそ見をするとはわしも舐められたものだな」
孫立が怒りを込めた一撃を放った。二本の鞭で、呼延灼が受け止めるが、大柄なその体が沈むほどの力であった。だが呼延灼は沈む反動を上手く己の力に変え、孫立の鋼鞭を弾き返した。
彭玘の行方が気になっていたのだ。しかしそれを気にして勝てる相手ではなかった。
再び呼延灼が駆けた。鞭が轟音を立てる。辛うじてかわした孫立は、冷や汗をかいた。
当たれば骨など粉々になってしまうであろう一撃だった。いや骨だけではなく、命も砕けてしまうだろう。
「呼延灼どの」
韓滔が叫ぶ声が聞こえた。その背後には、もうもうと土煙が見えた。響き渡る地響きと共に、残してきた騎兵たちが現れた。
韓滔が本陣にまで戻り、出撃命令を出したのだ。
梁山泊軍は援軍の、その姿に目を見張った。押し寄せてきた敵は、鉄の塊(かたまり)のようだった。兵はもちろんのこと、馬も甲で全身を覆われており、わずかに足先が見えるだけであった。
花栄(かえい)が弓を引き絞り、放つ。しかし兵は避けもせず、頑丈な鎧でそれを弾いてしまった。
「ちっ、何だあれは」
「退くのだ、花栄」
後詰めにいた宋江が花栄の元へ駆け寄って来ていた。
宋江は林冲と目が合った。林冲が無言で頷いた。
「撤退、撤退せよ」
梁山泊軍の鉦が鳴らされた。応戦しようという構えだった秦明や扈三娘も、仕方ないという顔で馬を返す。
「勝負は預けておこう」
孫立が呼延灼の鞭を弾き、その場を離れてゆく。
呼延灼は追わずにそれを見つめ、呼吸を整えた。
「呼延灼どの、ご無事ですか」
「うむ。一度、本陣へ戻るぞ」
「彭玘の奴は」
「今は、目の前の戦に集中するのだ」
「はい」
呼延灼が言える事は、それだけだった。
きっと無事だ、などとは言えなかった。これは戦で、相手は強大な賊なのだ。
韓滔も、もう何も言わなかった。
気付けば、日が落ちようとしていた。