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武人

 二人の男が対峙していた。

 一人は槍を持ち、もう一人は長い柄(え)の矛を持っていた。

 二人を囲むように、大勢の人間がいた。彼らはみな、武具をつけていた。兵であった。

 槍の男が大きく踏み込み、突きを放った。矛の男は紙一重でそれをかわし、矛を繰り出そうとした。しかし、ふらりと体が傾き、倒れそうになった。

 すんでのところで矛の男は、右足を横に出し、しっかりと大地を踏みしめた。

「へへへ、もう倒れそうじゃねぇか。とっとと諦めるんだな」

 槍の男が、涼しい顔で半歩近づいた。よく見ると、矛の男は肩で息をしており、顔も汗にまみれていた。

「余計なお世話だ。俺よりも、自分の心配をしするんだな」

「強がりを」

 言葉と同時に、槍が突き出された。矛の男はまたしても紙一重で避け、足をふらつかせた。

 槍の男は、好機とばかりに矢継ぎ早に槍を繰り出した。しかし、槍は当たらない。

 さすがに、おかしい事に気がついた。

「き、貴様。馬鹿な」

 槍がまた突き出された。矛の男は、やはりそれをかわすと、今度はふらつかずに左足をしっかりと踏み込んだ。そして手にした矛を勢いよく、突いた。

 激しい金属音が聞こえた。槍の男が背中から、地面に倒れた。

 槍の男の頭から兜がなくなっていた。頭のすぐ側(そば)に、二つに割れた兜が、落ちていた。

「ちぃ、惜しかったな」

 矛の男の言葉に、槍の男は思い出したように息を吐きだした。

 勝負あり、の軍鼓が鳴らされた。

 観戦していた兵たちが、喝采を送る。

「次の奴、出て来い」

 矛の男が息を整え、笑みを浮かべた。

 そして次の相手が場に現れた。矛の男よりも背が高く、体も大きかった。手にしているのは刀だ。

「さあ、来い」

 矛の男が笑った。

 

「あの矛の男は」

「はい。何でも、腕試しだとか。今朝からずっと騒いでおります」

 呼延灼の質問に、使いの者が答えた。

 呼延灼は東京開封府に来ていた。朝からの職務を終え、帰ろうと兵営を通りかかったところだった。

 呼延灼は矛の男に、興味が湧いた。名を聞いても、使いの者は知らないという。

 大きな喝采が起きた。

 大きな男が倒れていた。持っていた刀が地面に突き刺さっていた。

「これで、九十九人。さあ、次の相手は誰だ」

 矛を立て、腰に手を当てて男が笑っていた。

「あっ、呼延灼さま」

 使いの者が止める間もなく、呼延灼は男の前に出て行ってしまった。どこか嬉しそうな顔をしていた。

「あんたが次の相手かい」

「お主、名は何という」

「質問してるのは俺の方だぜ。まあいい、俺の名は韓滔だ。あんたが百人目だぜ、光栄に思うんだな」

 韓滔は、呼延灼に指を突きつけ、にやりと笑った。

「百人だと。ひとりで勝ち抜いたというのか」

「そうさ、観衆がいるんだ。嘘じゃあないぜ」

「なるほど。だが百人に勝ってどうするつもりだ」

「分からねぇよ。ほら、拳法でも百人組手とかあるだろ。あれと一緒さ」

 面白い男だ。こういう男は、嫌いではない。

「なるほどな、分かった。では参ろうか、韓滔」

「待ちな、あんたの名前を」

 聞いていない。

 韓滔はそれ以上言葉を出す事ができなかった。

 目の前の男が腰に佩いていた鞭(べん)を右手に持った。ただそれだけで、韓滔の体が竦んだのだ。

 開封府にこんな野郎がいるなんて聞いてないぜ。誰なんだよ、この男は。

 しかし韓滔は己を必死に鼓舞し、矛を構えた。その矛は棗木槊(そうぼくさく)と呼ばれるもので、柄が棗(なつめ)でできており、長さの割に軽く扱えるのだ。

 おおお、と韓滔が吼(ほ)え、呼延灼に突っ込んだ。

 韓滔は鞭の間合いの外で、刺突を送る。だが呼延灼は武器の短さなど意にも介さぬ様子で、韓滔が繰り出す手を次々と捌いてゆく。

 一歩また一歩と、呼延灼が近づいてくる。

 小手先の技では敵わない。そう腹をくくった韓滔は、自らも踏み込んだ。

「ほお、来るか」

 すでに鞭の間合いである。だが韓滔は呼延灼と五分に打ち合っていた。

 韓滔は棗木槊を短く持っていた。短く持つ事で鞭に対抗していたのだ。しかしいかんせん、長い柄が邪魔をしていた。

 そこに呼延灼の鞭が襲いかかる。

 韓滔は咄嗟に棗木槊を脇に抱えるようにし、石突を斜め後方の地面に突き立てた。そして柄を握っていた手を緩めた。

 韓滔の上体が、自分の重みを利用して後方へすべるように倒れてゆく。

 鞭がものすごい音をたて、空(くう)を切った。

 すかさず韓滔は、左足で地面を踏み、再び柄を強く握った。腹筋を絞り、起き上がる勢いで、呼延灼の顔めがけて棗木槊を突き上げた。

 呼延灼は目を見開き、歯を食いしばった。

 矛の先が、呼延灼の頬を切った。呼延灼は辛うじて首を曲げ、矛を避(よ)けていた。

 韓滔は避けられた矛先と共に、見た。

 呼延灼が、両手に鞭を持っているのを。

「双、鞭だと。あんた、あの呼延将軍」

 両の肩に衝撃を受け、韓滔はそのまま地面に叩きつけられた。あまりの勢いに、韓滔の体が跳ね上がったほどだった。

 また地面に落ち、大の字になる韓滔。

 指の一本も動かせない。

「ぐ」

 言葉にならない言葉が口を突いた。

 目からは涙があふれていた。何故泣いているのだ。

 韓滔は、自分でも分からなかった。

「二本、使う気はなかったんだがな」

 見下ろす呼延灼がそう言った。

 韓滔は嬉しくなどなかった。勝てなかったのだ。何を言われても、負けは負けだった。

 見ていた兵の誰かが、韓滔を揶揄(やゆ)するような事を言った。

「黙れ」

 呼延灼が怒鳴った。憤怒の形相で、一同を見渡す。

「韓滔を侮辱する者は、このわしが許さぬ。男が負けに涙して、何を笑う事がある。もしそれを笑う者があるのならば、即刻ここから立ち去れい」

 空気がびりびりと震えた。誰ひとりとして、動ける者はいなかった。

「見込みのある男だ。またどこかで会おう、百勝将の韓滔よ」

 呼延灼が人混みを押しのけ、去っていった。

 韓滔はまだ泣いていた。

 己の腕には絶対の自信があった。実際に九十九人まで勝ち続けたのだ。

 最後の相手が呼延灼だったからとか、疲れていたからだとかは理由にはならない。

 武挙に通り、自分の腕に自惚れていたのかもしれない。

「百勝将、か」

 韓滔はまだ涙を流していた。

 しかしその涙は、嬉し涙に変わっていた。

 驚いたのは韓滔の方だった。

 近隣を荒らしまわる賊の討伐軍に選出された時、その指揮官が呼延灼だったからだ。

「お久しぶりです、呼延灼どの。あの時の事は忘れられません」

 喜色満面に言う韓滔に、呼延灼は黙って頷くのみであった。

 後で分かったことだが、呼延灼としても嬉しかったのだという。ただ、他の兵たちもいる手前、韓滔ひとりを特別扱いするような真似はできなかったのだ。

 相手の賊は百人ほどの徒党を組み、山に塞を築いていた。こちらはその半数のみである。

 呼延灼は何度も上役と交渉したのだが、それ以上は必要ないと、にべもない態度だったという。

 しかしその代わり、呼延灼は精鋭を集めた。それは兵たちの耳にも、噂として入ってきており、否応なく士気を高めるのだった。もちろん韓滔もだ。

 それに応えるように寡兵の彼らは負けることなく、山賊たちを追い詰めてゆく。

 その中で、韓滔は別として、呼延灼はある兵が気になった。

 年齢は韓滔と同じくらいだろうか。まだ若いが、しっかりとした基礎に裏打ちされた武芸を持っていた。得物は三尖両刃刀で、敵の攻撃にも焦ることなく淡々と対応しているように見えた。

「彭玘って奴です。俺と同じ開封府の生まれです」

 韓滔に聞くと、そう答えが帰ってきた。

 代々、武門の家だという。なるほど呼延灼の目に留(と)まるのも、無理からぬことだった。

「天目将なんて呼ばれてますよ。確かに腕はありますね」

 なるほど、しかし韓滔にしては歯切れの悪い物言いだった。

「勝負好きのお前の事だ、あの彭玘とは戦った事はないのか」

 ええ、と韓滔は煮え切らない顔で、頷く。

「韓滔の勝ちですよ、もちろん。こいつの強さは呼延灼どのも知っての通りでしょう」

 いつの間にか側にいた彭玘が、薄く笑っていた。韓滔の方は、やはり複雑な表情で口の端(は)を歪めていた。

 山寨が目の前に迫ってきた。

 呼延灼は会話を切り上げ、兵たちを配置につけた。

「中に首領がいるはずだ。焦らずに行け。決して無理はするな」

 呼延灼の指示で、山寨に近づいてゆく。

 こちらの姿は向こうからは見えているはずだが、相手は姿も見せない。もしかするとすでにもぬけの殻なのかもしれないが、用心に用心を重ね、一歩ずつ近づいてゆく。

 韓滔の、棗木槊を持つ手にも力が入る。

 寨を囲み、二刻ほど経った。中からは、やはり攻撃もなく、それどころか人の気配すらないようであった。

 呼延灼も、兵たちも思った。賊どもはとうに逃げ去ってしまったのではないのか。

「誰もいないのでは、呼延灼どの」

「うむ。どうやらそうらしいな」

 韓滔が一歩、寨に近づいた。

「待て、動くな」

 突如、彭玘が叫んだ。

 韓滔の眼前に、彭玘の三尖両刃刀が飛びだしてきて視界を遮った。

 何をする、と言おうとした韓滔の耳に風を切る音が聞こえ、その後に短い金属音が届いた。三尖両刃刀に何かが当たった音だった。

 それは矢だった。

 韓滔が見ると、足元に細い糸が張られていた。仕掛け矢か。

 彭玘がこちらを見て、にこりとしていた。

 仕掛けをすべて外し、突入した。敵は寨に潜んでいた。

 彭玘は見事に三尖両刃刀を舞わせ、襲いくる賊を斬り伏せてゆく。さらに彭玘は、苦戦する仲間の手助けをしながら戦っていた。

 それでも息を乱すことのない彭玘に、呼延灼は感嘆した。

 韓滔だけではなく、このような男もいたとは。やはり開封府は、層が厚い。

 しかし奮戦する彭玘の背後から、賊がひとり近づいていた。

 呼延灼がそれに気付き、駆けつけようとしたが、別の賊に阻まれてしまった。他の将は、彭玘の危機に気付いてはいなかった。

 背後の賊は手にした朴刀を振りかぶり、彭玘の背中めがけて振り下ろした。

 危ない、と叫ぼうとした呼延灼は見た。

 彭玘は振り向くこともなく両刃刀を背中側に回し、賊の刀を受けたのだ。

 まるで背中に目があるかのように、である。

 奇襲に失敗した賊の方がうろたえ、なすすべもなく彭玘の刃に倒れた。

 呼延灼の隊は敵を殲滅させると、寨に火を放った。そして陣に戻り、帰投の準備を始めた。山上からはまだ黒い煙が立ち上(のぼ)っている。

「見ましたか、呼延灼どの」

 韓滔が近づいてきた。左腕を微(かす)かに負傷しているようだ。

「何を、だ」

「あいつの戦いですよ」

 仲間の手当てをしている彭玘に向かって、韓滔が顎をしゃくってみせた。

「あいつは、彭玘は何か、見えてるんですよ。その、見てなくっても、ええと」

 韓滔は自分でも何と言って良いのか分からないようだったが、呼延灼には通じた。

 呼延灼も見たのだ。

 韓滔に向かってきた仕掛け矢を、まるで飛んでくる位置が分かっていたかのように防いだ事を。そして、後ろから襲いかかる刃を、彭玘が見ることもなく防いだ事を。

 三尖両刃刀を得意とし、額に第三の目である天眼を持つ二郎神君。

 それになぞらえ天目将と呼ばれているという訳か。天眼はあらゆるものを見通す力を持ち、天目とも呼ばれている。

「あいつと戦った時、嫌というほどそれを味わったんです」

「それで渋い顔をしていたのか。しかしお前が勝ったんだろう、韓滔」

「何とか、粘り勝ちですよ」

 呼延灼は興味深そうな笑みを浮かべた。

 韓滔をして、戦いたくないと言わしめる彭玘という男。

 なかなか面白そうな男だ。

 呼延灼は笑いながら、彭玘の背を見つめていた。

 彭玘がくるりと向き返り、にこりと笑った。

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