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試練

 深々(しんしん)と降りしきる雪を眺めながら酒を飲む。

 視線の先にそびえる梁山泊の姿はまったくに壮大だ。だが、それに興趣を感じている面持ちではなかった。

 どうやって行ったらよいものか。

 湖の滸(ほとり)にある居酒屋で、林冲は一人思案していた。

 過去、柴進はこの梁山泊の頭領を世話してやった事があるのだという。今も連絡を取っており、この推薦状があればきっと受け入れてくれるとは言うが、さてどうやって行ったものか。

 雪はまだ降り続いている。

 このまま飲んでいても仕方あるまい。思い切って、店の者に聞いてみる事にした。

「すまないが、梁山泊まではどう行けばよいのだ」

「梁山泊ですか。あそこは山賊の巣窟ですよ、一体どうしてあんな所へ」

「どうしても行かなくてはならんのだ」

 店の者はしきりに、やめろと言ったが林冲も引く訳にはいかない。どうにか聞き出したのだが、問題は大きくなるばかりだった。

 梁山泊への陸路はなく、水路しかない。だが船がない。いくら金を積まれても、梁山泊へ船を出そうという者など見つからないのだという。

 ならばどうやって行けばよいというのだ。もう目の前にあるのに手が届かないとは。林冲は酒を一気にあおった。

 先ほどから視線を感じる。店の奥からのようだ。

 林冲は気付かぬそぶりで飯を注文し、酒を追加する。すると奥から鋭い目をした男が現われた。感じていた視線だった。

 男は店の者と何か話をしている。小声で聞こえないが、どうやらこの居酒屋の店主のようだ。男が手ずから酒を持ってきた。

「お待たせしました」

 低い、深みのある声だった。一介の居酒屋の店主とは思えない風格だ。

 黙って受け取り、手酌で飲む林冲。男は卓の横に立ったままだった。

「先ほど、梁山泊の事を聞いていたようですが」

 林冲はあくまでも黙っている。

「一体、梁山泊へ何用(なによう)ですかな、豹子頭どの」

 杯を持つ手をぴくりとも動かさず、平然と飲み続ける。

「人違いですよ」

「まったくいい度胸だな、林冲。お前には三千貫もの賞金がかかっているというのに、こんな所で悠々と酒など飲んでいるとは」

 男の口調が豹変した。堅気ではない、緑林に属する者のそれだった。

 いつの間にか男の手に幅広の包丁が握られていた。

「私を捕えようというのか」

 林冲は横目で武器の位置を確認する。手を伸ばせば届く距離にあるが、男の方が近い。

 どうする。やるか。

 だが、張りつめた空気は一瞬で弾けてしまった。

 男が笑った。

「お前を捕まえるには、わしも大怪我をしかねん。話がある、こっちへ」

 そう言って背を向けると、奥へと歩いてゆく。

 呆気にとられた林冲だったが、荷物と武器を手にすると後を追った。

 奥の間は湖上に張り出した水亭だった。梁山泊が、よりはっきりと一望できる。

「まあ、座ってくれ」

 目礼をし、席に着く。

「この辺りにも手配書が出回っている、気をつけるんだな」

 すでに男から殺気は消えていた。口調こそ変わらないが、人の良い店主の顔に戻ったようだ。

 男は林冲に尋ねる。

「さっきも言ったが、どうして梁山泊へなど行きたがる。行ってどうしようというのだ」

「あなたも知っての通り、私は大罪を犯し追われる身。もはやあの山寨に入るしか身の置き場がないのです」

「小旋風の柴進どのか」

 ここを紹介したのは、という意味だろう。林冲は、はいと答え手紙を見せた。

「なるほど、本物だな。よしあんたほどの好漢だ、頭領も喜んで迎え入れてくれるだろう。ちょっと待っていてくれ」

 この男は一体何者だ、と林冲が訝しんでいる間に、男は鳴り鏑(かぶら)矢(や)を取りだし窓から湖面に向けて放った。

ひょう、という音が寂寥(せきりょう)とした景色に響いた。

 しばらくして彼方から一艘の船が近づいて来た。水亭の窓に寄せると、男が船に乗り込む。

ここが梁山泊の入り口だったのだ。そしてこの男が門番だったという訳か。

「名乗り遅れたが、わしは朱(しゅ)貴(き)。旱地忽律(かんちこつりつ)の朱貴だ」

 朱貴の目元が鋭く光り、再び裏世界のそれに変わっていた。

 

 船はゆっくりと湖上を進む。

 山寨へと近づいてゆくと、その全容がはっきりしてきた。

 そびえ立つその様は天をも突き刺すようで、葉を落とした古樹はまるで巨大な逆茂木(さかもぎ)だ。

 奇岩を連ねる稜線は、その姿を湖面に映し自らを誇っている。

 広大な湖は天然の堀と化し、何人(なんぴと)たりとも寄せ付けない態度で、逆巻く白波は一体どれほどの命を喰らってきたのだろうか。

 梁山泊、まこと聞きしに勝る要害の地だ。

「見えたぞ。金沙灘(きんさたん)だ、あそこから上陸する」

 そう言った朱貴の顔も誇らしげだ。

 船を手下たちに任せた朱貴に続き、林冲も梁山泊にその一歩を記した。

 朱貴が先導して歩いてゆく。中腹にある断金亭(だんきんてい)をすぎると、大きな関門があった。その前には槍、刀、剣、矛など幾多もの武器が倉に並べられ、また投石、投木が積み上げられ、外敵に対する十全な備えである。

 第一の関門を抜けると頂上の聚義庁(しゅうぎちょう)まで続く道だ。道の両側にはおびただしい数の隊伍の旗が並べられていた。林冲たちはさらに二つの関門を抜け、ようやく山頂の正門に着いた。振り返り見下ろすと改めてその広大さが理解できた。

 頂上は広く四、五十丈平方もあるだろうか。その中央に聚義庁があった。

 朱貴が林冲を導き、中央の間に続く扉をくぐる。

「ここだ。頭領にはもう伝わっているはずだ」

 朱貴の言葉通り、正面にはすでに三人の男たちが座っていた。二人の巨漢を左右に従えた、中央に座する白衣の男。

 その男が、白衣秀士(はくいしゅうし)の王倫(おうりん)。

 この梁山泊の頂点に立つ男であった。

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