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試練

 俺の梁山泊だ。この座は誰にも渡す訳にはいかん。豹子頭の林冲だと。罪を犯し逃亡しているとはいえ、東京(とうけい)で禁軍の武芸師範を務めていた一流の男だ。この梁山泊に誰ひとりとして敵う者はおるまい。こ奴を入山させてしまえば、この男は手下どもを掌握してしまうだろう。そうなればこの俺の立場が危うくなる。それはだめだ、絶対に避けねばならん。 俺がこの梁山泊の頭領なのだ。今までも、これからも。

 王倫はゆっくりと立ち上がり、両手を恭しく広げて見せた。

「ようこそ、梁山泊へ。林冲どののお噂はこの梁山泊にも届いておりますよ」

 笑みを浮かべてはいるが、目だけは冷めている、と林冲はそう感じた。

 王倫はさらに両手を左右に示し、脇にいた男たちを立たせた。二人とも、挟まれた王倫が子供かと見まごう程の体躯だ。

 向かって左が摸着天(もちゃくてん)の杜遷(とせん)、右が雲裏金剛(うんりこんごう)の宋万(そうまん)。紹介された二人が林冲に挨拶をする。

 杜遷は王倫と同じかそれより少し年上で、肩幅の広い筋肉質の巨漢だった。

 宋万も長身であるが、細長い印象だ。だが引き締まった体をしており、まだ若いようだ。

 杜遷と宋万、好対照の巨兵をしたがえた王倫は満悦の表情だ。

 王倫は柴進の手紙を受け取ると、軽く目を通し林冲に尋ねる。

「柴大官人どのはご健勝かな」

「はい、毎日狩りを楽しんでおられます」

「はは、相変わらずですか。では、まずは酒でも」

 王倫は酒食を運ばせ、考える。

ど うしたものか。柴進には恩義があるし、かといって林冲を入れる訳にはいかぬ。まったく金持ちの道楽か知らぬが、どこの馬の骨とも分からぬ輩(やから)ばかり世話しおって。もともと連中は罪人やはみ出し者だ、必ず災いの種を運んでくる。柴進はお墨付きの丹書鉄券があるから飄々としているが、周りではいつも厄介事ばかり起きている。それを皮肉って小旋風と呼んだのだが、柴進め、意味も知らず喜びおって。そうだ、俺に非は無い。受け入れたくとも、林冲がこの梁山泊の器ではないのだ。そうすれば、柴進にも義理が立ち、俺の立場も守られる。

 林冲が入山の話を切り出そうとした時だ。王倫が手をぽんぽんと叩くと、脇から手下が数人現われた。手には盆を持ち、その上に白銀と反物が乗せられてある。

「林冲どの、どうかこちらを受け取っていただきたい」

「どういう事ですか、これは。私はこの梁山泊に入山したいのですが」

「柴進どのの推薦もあり、私としても受け入れたいのは山々なのです。しかしいかんせん糧食も足りず、建物も整わないのが現状。どうぞこちらをお納めいただき、もっと大きな山寨をお訪ねなさった方が、林冲どののためには良いかと思います」

 王倫は冷たい目でそう言った。笑みは消えていない。

 なるほど体よく入山を断ろうというのか。この王倫という男、なかなかの食わせ者だ。

 だがここまで来て林冲も引き下がるわけにはいかない。

「はるばるここまで来たのです。この林冲、一命を投げ打ってでも梁山泊のために尽くしましょう。どうか、お考え直しを」

 林冲の横にいた朱貴がそれに続いた。

「兄貴、口出しして申し訳ない。確かに今ここは糧食も建物もぎりぎりだ。だが足りなきゃ役所から借りてくれば良いし、なによりこの梁山泊には広大な土地がある。開墾して田畑を増やせばもっと人員も増やせるだろう。また幸いこの山には木がいくらでもある。木こりや大工でも呼んで建物を作れば良い。この林冲どのの腕は確かだ、きっと梁山泊の名も天下に轟くようになります」

「朱貴、ここでは頭領と呼ぶのだ」

 王倫が諌めるが、杜遷が割って入る。

「ひとりくらい増えても変わりあるまい。兄貴、いや頭領、わしらは柴大官人に大恩のある身。ここで断ってしまえば忘恩負義の徒だと悪評が立ってしまいます」

 宋万が杯を空け、笑いながら言う。

「柴進どのへの義理もあるんだろ。林冲どのほどの好漢が仲間になってくれるなんて願ったりじゃないですか。こんな好機を逃してしまえば、天下の笑い者になってしまいますぜ」

 む、と王倫は唸った。悪評が立つ事や笑い者になること、それは王倫が最も嫌う事のひとつだった。

 この王倫という男、実に小心で狭量だが杜遷や朱貴、宋万といった頭領がそれを良く理解し、支えているのが分かった。三人の意見も王倫の自尊心を上手く利用したものだ。

 王倫は顎に手を当てしばし思案すると、ゆっくり林冲の方を向いた。どこまでも芝居がかった動きだ。

「皆がそこまで言うのならば仕方あるまい。だが本気で入山するとなれば、投名状を見せてもらわねばならん」

 では紙を、と言う林冲に朱貴が教えた。

「いやいや違うのです。ここでの投名状とは首のこと。誰かの首を取って来て、それを投名状と成すのです」

 なるほど人を殺させる事で、抜ける事のできない意識を植え付ける訳か。

 顔色を変えない林冲に向かって王倫は言い放った。

「ただし三日だ。三日の刻限を過ぎれば、この梁山泊からは出て行ってもらう」

 王倫は腕を伸ばし、指を三本立てた。

 やはり芝居がかった動きだった。

 

「すまない、林冲どの」

 通された部屋で休んでいると杜遷が入って来た。慌てて拱手し、迎え入れる。

 これを、と杜遷は酒と杯を差し出す。乾杯すると、杜遷が話し始めた。

「王倫の兄貴も、昔はああじゃなかったんです」

 と、一気に杯をあおった。

「わしと兄貴は昔からの腐れ縁でな、二人とも若い頃はそれなりに大志を持っていたものだ。兄貴が科挙に落ち、自棄(やけ)になって柴進どのの屋敷に転がり込み援助をしてもらい、この梁山泊に居を定めた。その時も、ここで大事(だいじ)を成し遂げるのだと息巻いていた。科挙に落ちたとはいえ、兄貴の知恵でここも徐々に大きくなっていった。朱貴や宋万が参加し、今や七、八百を抱える大所帯となった。もはや官軍さえ恐れをなし、近づいても来ない」

 そこまで言うと、深いため息をついた。

 空いた杯に林冲が酒を注(つ)いだ。

「寨(とりで)が大きくなればなるほど、兄貴の頭領の座への固執も大きくなっていったようだ。傲慢さが目立ち始めた兄貴を諌める者も、やはりいたが彼らは山から追放されてしまった。梁山泊の名声も高まり、正直嬉しくない訳がない。兄貴のおかげだ、と持ち上げ続けたわしらも悪かったのだな」

 今度は杜遷が林冲に酒を注ぐ。林冲は黙って話を聞いている。

「林冲どの、わしはあんたに仲間になってもらいたい。そろそろこの梁山泊にも新しい風を入れなければならない。兄貴にはあの頃の気持ちを思い返してほしいのだ。これは朱貴や宋万も同じ思いだ」

 杜遷が去り、林冲は思う。巨躯に似合わぬ気の遣い様。なるほど杜遷がいたからこそ、この梁山泊もこれほどまでに大きくなったのだ。王倫が狭量だとしてもそれを見限らない義理にも厚い男だ。

「三日か。やるしかないな」

 杯の中で月が揺れていた。

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