top of page

追跡

 迭配某州。

 何濤の顔に刻まれた刺青である。

 万が一失敗したら、雁も飛ばぬ辺境の地へ送ってやる、と府尹の命(めい)で入れられたものだった。某の箇所は空白、そこに流刑先が刻まれるという訳だ。

 その日の捜査を終え、何濤は帰宅した。今日も手掛かりなしだ。妻に刺青の件を聞かれ、なおさらげんなりするばかりだ。飯も喉を通らない。膝を抱えて座り込み、出るのは溜息ばかりだ。

 翌朝、弟の何清(かせい)がひょっこり顔を出した。何清は日がな博打ばかりやっており、金が無くなると何濤の元へ普請に来ていた。

 何濤はいつにも増して機嫌が悪い。

「何をしに来た、また博打か」

 と、素っ気ない態度だ。気を利かせた妻が何清を裏口へ通す。

「おいおい、冷てぇな兄貴。人の顔を見ると盗っ人みたいな扱いしやがって」

「しっ、聞こえるよ。今、大変な時なんだから」

「何だってんだい」

 妻は何清に話した。生辰綱の件で期限を切られ、刺青まで入れられ、命の瀬戸際だという事を。

「へへへ、何だそんな事かい」

「そんな事とはなんだい。あんたの兄さんなんだよ」

「そうさ、おいらは弟さ。普段から弟らしく扱ってりゃ、こんな事にならなかったかもしれねぇのにな」

「あんた、何か知ってるのかい」

 何濤の妻は怪訝そうに何清の顔を覗き込む。

「おいらにもちょっと儲けさせてくれるんなら、あんなこそ泥、屁でもねぇんだけどな」

 生辰綱の強奪犯をこそ泥だと言い放った。

 妻は何濤の元へ行き、急いで耳打ちする。何濤は聞くなり、掌を返したように笑みを浮かべる。

「何だ人が悪いな。清(せい)よ、何か知っているのなら教えてはくれぬか。礼ならいくらでもするから」

「へへ、兄貴も現金だな。いつも邪険にするくせに、こういう時はすり寄ってくるのかい」

「頼むよ、清。女房に聞いたろう、命が懸かってるんだ。どんな手掛かりでも良い。藁にもすがる思いなんだ」

「へぇ、おいらは藁かい」

「すまん、お前は藁なんかじゃないさ。そう、困った時の神頼みだ」

 こうなれば矜持も何もあったものではない。命を無くすくらいならば、弟に媚を売るなど我慢できる。

 何濤は、はぐらかす弟に何度も何度も頼みこんだ。その甲斐あってか、やっと何清は話す気になったようだ。

 これからはもう少し丁重に扱ってくれよ、と前置きをして何清は懐の巾着に手を入れた。

 何清が取り出したのは、とある宿屋の宿帳だった。

 

 その宿屋は黄泥岡から少し離れた安楽村という所にあった。宿屋は賭場も経営しており、そこへ出入りしているうちに、字の書ける何清は帳面をつける仕事を任されたというのだ。

 何清は帳面をめくり、六月三日の欄を示す。

「この日、七人兄弟の棗売りが泊まったんだ。名前は李と名乗っていたが、おいらはその中のひとりの顔を知っていたんだ」

 何濤と妻が身を乗り出し急かすが、何清はたっぷりと間をとって言った。

「東渓村の保正、托塔天王の晁蓋さ」

 何清はその昔、晁蓋の家に転がり込んでいた事があるというのだ。

 何清は続ける。

「そして宿の主人と賭場へ向かう途中、会ったのが村に住む白日鼠(はくじつそ)の白勝(はくしょう)という男さ。白勝は天秤を担いで、酒を売りに行くと言っていたんだ。なぁ、兄貴、犯人はこいつらで間違いないだろう」

「でかしたぞ、清」

 何濤はそう叫ぶと何清を連れ、府尹の元へと急いだ。犯人の手掛かりの報に喜んだ府尹は八人ほどの捕り手を何濤に与え、安楽村へと向かわせた。

 何(か)兄弟と八人は夜通し駆け、安楽村に着いた。

 白勝の家を見つけたのは真夜中丁度ごろだった。

「すまんが火を借りたいのだが」

 と何濤が戸をたたいた。

 戸を開けたのは白勝の女房だった。旦那は、と聞くと白勝は熱を出して寝込んでいるという。

 何濤と捕り手たちは家の中に押し入ると、白勝を布団から引きずり出した。何清に確かめると、間違いない、この男が白勝だ。

「何だお前らは」

 白勝は本当に熱でうなされており、弱々しい声だった。

 何濤が胸ぐらをつかむ。

「黄泥岡では上手いことやらかしたもんだな」

「何の事だい。黄泥岡で何があったってんだい」

 あくまでも白(しら)を切る白勝に、何濤はいらいらする。

「この鼠野郎。お前ら、探しだせ」

 何濤の命令に、捕り手たちが応ずる。かまどの中、天井裏、物置、あらゆる場所がひっくり返され、破壊されてゆく。

「ここも探すんだ」

 白勝がいた寝台をどけると、地面があらわになる。よく見ると、地面がでこぼこしているようだ。何か埋めたのか。

 捕り手たちが三尺ほど掘り返すと、硬いものにぶつかった。そして土の中から出て来たのは、ひと包みの金や銀だった。

 熱のせいもあったが、白勝の顔がさらに青くなる。

「待て、そいつは」

 何濤は有無を言わさず、白勝に覆面をかぶせ縄をかけた。騒ぐ女房も同じようにし、何濤たちは白勝の家を後にした。

「ほら兄貴、言った通りだったろう」

「いつも悪かったよ。これからは兄貴らしく振舞うよ」

 十日の期限も、すでに二日が過ぎ三日目に入った。

 これで安心してはいられない。白勝の口から共犯者の行方を聞き出さなくてはならないのだ。

 例え、どんな手を使っても、だ。

そこは一条の光も射さない小部屋だった。湿気が多く黴(かび)の匂いが鼻をつく。

 床に据え付けられた鎖が無造作に置かれ、その先の手枷や足枷にはまだ誰の者とも知れない血の跡が残されていた。

 壁には小さな燭台がひとつ。

 部屋の天井から吊るされた白勝の顔を、仄かな灯りが照らしていた。

 白勝の顔には血が滲んでおり、片目は大きく腫れあがっている。頬も赤く腫れており、歯が何本か白勝の足元に落ちていた。そしてその足は皮膚が破れ、肉も裂け、辺りには血が飛び散っていた。

 何濤はこの部屋が嫌いだった。いわゆる拷問部屋である。

 安楽村から取って返し、尋問を始めたのは夜明け前。白勝は一向に口を割る様子もなく、どんなに打ち据えても、知らねぇ、の一点張りだった。

 すでに日は高く昇り、昼食も終わろうかという時間だ。

 何濤は袖口で鼻を押さえ、眉をしかめる。この男、ただのこそ泥ではなかったか。

「白勝、何度も言っているが、堤轄の楊志そして東渓村の晁蓋が関わっているのは判明しているのだ。下手人はお前を入れて九人。残りの六人の居場所を吐けば、打つのは勘弁してやる。強情を張ることもあるまい」

「へへ、旦那。あっしはただの博打うちです。生辰綱の強奪など、大それたことなんかできませんや」

「あくまでも白を切るか、白勝」

 おい、と何濤は部屋の外の部下に声をかけた。

 数分後、部屋に連れられて来たのは白勝の女房だった。

 白勝が明らかに動揺の色を見せた。

「あんた、あたしには構うんじゃないよ。男なら意地を貫きな」

「黙れ」

 何濤は女房に猿轡をさせる。

「白勝よ、お前の男気は充分見せてもらった。私も女には手を出したくないが、こうなっては仕方あるまい。白勝、お前が悪いのだ」

 拷問係が殺威棒を振り上げる。

「やめろ、女房は関係ねぇ。頼む、やめてくれ」

「やめて欲しければ、吐くんだな。やれ」

 殺威棒が白勝の女房を打ちつける。

 すぐに服が破れ、血が飛び散る。それでも白勝の女房は気丈だった。白勝の方を向いたまま拷問に耐え、その目は、言うんじゃないよ、と白勝に強く訴えていた。

 何度、殺威棒を受けたのだろうか。

 ついに彼女は痛みに耐えかね、気を失った。

 拷問係はそれでも棒を振り上げる。

「待ってくれ。頼む、もうやめてくれ。言う、言うからやめてくれ」

 何濤は返り血のついた顔を白勝に向けた。

「それで良い。それで良いのだ、白勝よ。お前は悪くない」

 すまねぇ、晁蓋どの。へましちまった。すまねぇ、女房の命には代えられねぇ。何とか逃げ延びてくれ。

 白勝は涙を流しながらゆっくりと口を開いた。

 蝋燭の火が消され、部屋は暗闇になった。

 黴の匂いと、血の匂いだけが部屋中に満ちていた。

 

 

 

bottom of page