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追跡

 黄泥岡で生辰綱を奪った棗売りの七人は晁蓋、呉用、劉唐、公孫勝と阮三兄弟。そして共犯者の酒売りは白勝だった。

 はじめ白勝の担いできた桶にしびれ薬は入っていなかった。まずは何でもない酒だと思わせる事が必要だった。

 七人は一つめの桶を空けてしまい、二つめに手をつける。

 劉唐が椰子の碗で酒をすくって飲んでみせる。白勝はそれに怒り、劉唐を追う。白勝が桶から離れた隙に桶に駆けよった色の白い男、それが呉用であった。

 呉用も同じように酒をすくった。だが飲む前に白勝に止められ、酒を桶に戻されてしまう。

 呉用の立案したこの作戦の仕掛けがここにあった。

 呉用の持っていた碗にしびれ薬が入っていたのだ。林の中でそれを仕込み、桶に碗を入れる。この時に、酒の中にしびれ薬が混入されてしまったのだ。

 先に劉唐が一口飲んでいるため、謝都管はじめ楊志でさえ、この酒は安心だろうと判断した。その油断が命取りだった、という訳だ。

 東渓村、晁蓋の邸宅で劉唐、呉用、公孫勝の三人が酒を酌み交わし、強奪作戦の成功を祝っていた。

 劉唐が作戦の秀逸さを褒めそやせば、呉用は俗物の知恵だと謙遜する。今度は道術も使わせて下さいよと、公孫勝が言うと一同は笑った。

「大変だ、わしらだという事が露見した」

 来客で席を外していた晁蓋が庭に駆けこんで来た。

 どこから露見したのかわからないが、はじめに捕えられた白勝は拷問に耐えきれず、晁蓋らの名前を吐いたのだという。

 間もなく正式に手配書が公布され、この東渓村に捕り手が押し寄せる。

 先ほどの客はそれを知らせるために来たのだという。

 役人の身である彼だから知り得た情報を、己の命さえ危うくなるかもしれないのに、旧知である晁蓋に伝えてくれた。晁蓋ら一同は、その男に感謝の念を禁じえなかった。

「来るなら来てみろ、だ。全員ぶった切ってやる」

 息巻く劉唐を制し、呉用が提案する。

「まったく血の気が多い人ですね。しかしこの人数では不利です」

「どうすりゃいいんだよ、先生」

「ここは定石通り、三十六計逃げるにしかずです」

 呉用と劉唐は、先に石碣村へ行き阮兄弟に知らせる事になった。石碣村にも捕り手は来るだろう。その時の対策をしておくためでもある。

 晁蓋と公孫勝は事後処理をしてから出発、石碣村で落ち合う事になった。

「これでこの家ともお別れか」

 目を細め、屋敷を見る晁蓋。保正という地位とも別れ、これからは追われる身だ。

「よいのですか」

「ははは、後悔はしてないさ。間違ったことをしたとは思っちゃいない」

 尋ねる公孫勝に、晁蓋は豪快に笑ってみせた。

 

 鄆城県の知県である時文彬(じぶんひん)は、何濤から文書を受け、驚くとともに大いに首をかしげた。

 晁蓋ほどの好漢が、このような大それた悪事をしようとは、にわかに信じる事ができない。しかし現に下手人の一人が捕えられ、加担したという証拠の供述はあるのだ。

 時文彬は二人の都頭、朱仝と雷横を呼び出した。晁蓋一味捕縛の命を告げると、やはり二人も同じように驚き、首をかしげた。

 命を受けた二人は総勢百人ほどの民兵を連れ、夜半に東渓村へと出向いた。

 月明かりに浮かび上がる晁蓋宅を見て、悩む朱仝。

 晁蓋どのほどの義侠が、生辰綱強奪の犯人だとは、いまだに信じられん。正直、何かの間違いであってほしい。

 朱仝は深く目をつぶり考えた。やがて目を開けると、口元を引き締め、民兵たちに指揮を飛ばす。

「見よ、あれが晁蓋宅だ。他の六人は知らぬが、晁蓋は相当の腕ききだ、覚悟してかかるように。奴らが逃げられないように、私と雷都頭とで挟み打ちの形をとる。まずは私が裏で待ち伏せをするから、雷都頭は合図をしたら表から攻め立ててくれ」

「ちょっと待ってくれ」

「なんだ雷横」

「朱仝、あんたは表から行ってくれ。俺が裏で待ち伏せする」

「雷横、お主は知らんだろうが、あそこには逃げ道が三本あるのだ。私は熟知しているから、私が行こう」

「うむ、そうか」

 と、雷横は身を引いた。

 晁蓋が生辰綱を奪ったのだとすれば、何か考えがあったのかもしれない。朱仝は、晁蓋を逃がそうと決めていた。だから自分が裏門に回る必要があったのだ。

 朱仝は三十人ほどの民兵を連れ、裏門へそっと回った。雷横らも表門へ押し寄せ、合図を待った。だが突然、屋敷から火の手が上がった。

「何事だ」

 朱仝と雷横は、図らずも同じ言葉を叫び、晁蓋の屋敷へと突入した。

 ふたりが屋敷を囲んだその時、晁蓋と公孫勝はいまだ身支度の最中だった。そこへ下男が、捕り手です、と報告に来た。晁蓋は捕まるものか、と屋敷に火を放ち、捕り手たちの混乱を誘ったのだ。

「こちらです」

 公孫勝を導き裏門へ回った晁蓋は、目の前にいる朱仝を見た。

「晁蓋どの」

「朱仝、か」

 晁蓋は朴刀を握りしめ朱仝に打ちかかる。朱仝は受けずに、身をかわし道を開ける形をとった。

「晁蓋どの、待つんだ」

 だが晁蓋は耳を貸さず、朴刀を振り回し、裏門から脱出してしまった。

 待ってくれ、晁蓋どの。

 何故だ、何故こんな事をしたのか知りたいのだ。

「晁蓋が表の方から逃げるぞ」

 朱仝はそう叫ぶと、闇の中、晁蓋を追った。

 

 一方の雷横は表門から火の手の上がる邸宅へと斬り込んだ。邸宅内で雷横は探すふりをして、適当に朴刀を振り回していた。

 朱仝が晁蓋を逃がそうと考えていたように、実のところ雷横も同じ考えだったのだ。日頃から尊敬し、世話になっている晁蓋がこんな悪事を働くはずはない。雷横もそう考えていた。

 火の手は強くなるばかりで、晁蓋たちの姿は見当たらない。もしかして朱仝が捕えてしまったのでは。そう思った時、裏から朱仝の声が聞こえた。

 表の方へ逃げた、と聞こえた。

 ここは捕まえるふりだけして、逃がしてしまおう。そう考え、また朴刀を振り回していたが、晁蓋たちは一向に現われなかった。

 朱仝は裏門から単身、晁蓋を追っていた。

 公孫勝は下男たちと先を駆け、晁蓋が殿(しんがり)を務める形だ。追う朱仝は振り返り、人がいないことを確かめると叫んだ。

「晁保正、まだ分からんか。私はあんたを逃がすつもりなのだ」

「何だと」

 その言葉に晁蓋は速度を緩めた。

「走りながら聞いてくれ」

 朱仝はあくまでも追っている風を装う。

「本当にあんたが生辰綱を奪ったのか」

「そうだ。わしらがやった」

 夜道に晁蓋と朱仝の息遣い、そして砂利を踏む音が響いている。

「なぜ」

「義のため」

 晁蓋は短く言った。

「これからどうするのだ。あんたは名の知れたお人だ。どこへ行ってもすぐに見つかるぞ」

 晁蓋は無言で駆けている。すでに屋敷からかなりの距離だった。

「梁山泊へ、行くと良い」

 朱仝が告げる。

「今、あそこは官兵も手が出せない所だ、残念ながらな」

「はは、そう言えば先生も同じような事を言っていたわ。梁山泊か」

 急に晁蓋が振り向き、足を止めると、朱仝に拱手をし、頭を下げる。

「すまぬ朱仝。この礼は、必ず」

「晁蓋どの、ご達者で」

 晁蓋が再び駆けだす。

 もういいだろう。朱仝は道端の側溝にはまったふりをして、転んだ。その拍子に松明も消え、辺りはまったくの闇となった。

「朱都頭」

 やっと追い付いて来た民兵たちが晁蓋を探すが、既にその姿を追う事はできなかった。

「逃げられたか」

 憤慨する朱仝の口元が綻んでいた。だが、この闇では誰もそれに気づく事はなかった。

 雷横は無事だろうか。朱仝は、ふとそう思った。

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