108 outlaws
才覚
五
飛虎峪に三騎が並んでいた。
赤兎馬に跨る関勝と、その後ろに郝思文、宣贊である。
日は昇っているが、まだ気温は上がり切っていない朝。
三人は清しい顔をしていた。
「まさか、こうして共に戦う日が来ようとは。運命とは、数奇なものだな」
「しかも梁山泊軍として、です」
関勝が言い、郝思文が笑った。宣贊は何も言わなかったが、微笑んでいた。
赤兎馬が嘶き、白い息を吐く。
関勝が首を軽く叩いてやった。
雲のない、抜けるような冬の空を見て、関勝は息を思い切り吸った。
呼延灼の策略によって夜襲は失敗、梁山泊に捕らえられた。
縄をかけられた関勝は、宋江の元へと連れられて行った。
宋江に向かい、関勝は言った。
「敵を欺くにはまず味方からと言う。見事にやられたよ。さあ、好きにしてくれ」
宋江はじっと関勝を見つめた。
呼延灼が裏切ったと見せかけ、関勝たちを連れてくるという策を聞いたのは。黄信(こうしん)が捕らえられた後だった。
関勝に苦戦する梁山泊のため呼延灼が考え、呉用だけに了承を得ていたという。
さきほど関勝も言ったように、こちらが知っていればその反応で、企みは露見しただろう。宋江にすら知らせないという呉用の判断が勝利を呼んだ。
だがもうひとつ懸念があった。関勝自身だ。
寝返ったばかりの呼延灼を信じるかどうか。正直、呉用は分(ぶ)が悪いと見ていた。呼延灼も最悪の場合を想定する、決死の策だった。
どうして、と呼延灼が静かに訊ねた。
「どうして、わしの策を聞き入れたのだ」
策を仕掛けた者が聞く台詞ではない。だが宋江は止めなかった。宋江も聞きたかったからだ。
「決まっているだろう。味方を信じただけだ。それで負けたら、わしもそれまでだったという事だ。違うかね」
関勝は迷うことなく言って、破顔した。
「おや」
梁山泊兵が関勝を戒めていた縄を切った。宋江が、その指示を出していた。縄目の残る手首を擦(さす)りながら、今度は関勝が訊ねた。
「どういう事かな、宋江どの」
宋江は床几から立つと、雪の上にひれ伏した。
「なんという心意気。この宋江、感服しました」
この宋江という男、まさか捕らえた敵に平伏するとは。
慌てて関勝は駆け寄り、助け起こした。
「わしは捕虜なのです。頭など下げず、早く首でも刎(は)ねるなり、好きにすればよいのです」
何だか関勝は可笑しくなった。これでは立場があべこべではないか。
そうですね、と宋江は真剣な顔で、関勝を見つめた。
「あなたを、味方にします。そしてあなたと同じように、あなたを心から信頼する事にします、関勝どの」
時が止まったのかと思った。そう思うほど、関勝は動けなかった。体も、思考もである。
わっはっは。関勝が大笑した。
「お主、言っていることが分かっているのか」
「はい、充分に」
「おかしな男だ。そう言われて、わしが味方になると思っているのか」
「もう、味方にしております。ご家族も、迎えに行かせてあります」
宋江の合図で、関勝の鎧や武器が運ばれてきた。
「おい、ちょっと待て。これは何だ」
「一日休息し。すぐに北京大名府攻略に戻ります。盧俊義どのと石秀が待っているのです。関勝どの、あなたには先鋒を務めてもらいます」
青竜偃月刀を手にした関勝に背を向け、宋江が去ろうとした。
隙だらけではないか。このまま一刀の元に斬り捨てることは、造作もない事だった。
だが、できなかった。
宋江がそのまま幕屋へと姿を消した。
関勝を味方だと言った。そして味方を、関勝を信じると言った。
斬れるはずがなかった。
赤兎馬がゆっくりと歩いてきて、関勝に鼻をこすりつけてきた。
「おい、赤兎。どうやらわしらはとんでもない所に来てしまったようだぞ」
赤兎馬が嘶いた。
「ほう、上等だと笑うか。頼もしいな」
「関勝どの、ご無事でしたか」
そこへ郝思文と宣贊が現れた。縄もされておらず、武器さえ手にしていた。
「おお、良い所へ来たな、二人とも。わしはどうやら梁山泊に入れられたようだ。どうだ、お主らも付き合ってはみないか」
関勝が赤兎馬の鼻を撫でながら、嬉しそうに笑っている。
郝思文が、仕方ないという表情になった。
「私はどこまでもついて行きますよ」
宣贊はしばし怖い顔をしていたが、やがて諦めたように天を仰いだ。
「関勝どのは私が推薦したのだ。こうなっては最後まで面倒を見るしかありません」
関勝が赤兎馬に囁いた。
「まったく、二人とも物好きな男だ。なあ、赤兎よ」
「あなたが言いだしたんでしょう」
郝思文と宣贊は互いに顔を見合わせ、そして笑った。
梁山泊に負けた。その悔しさが、少しだけ晴れたような気がした。
灰色の雪雲が厚く天を覆い、身を切るような風が唸りを上げている。
飛虎峪の高みの丘に宋江がいた。その脇に呂方と郭盛が、守るように付き従っている。
「あの者、関勝は大丈夫でしょうか」
大名府に向かって陣取る関勝軍を見下ろしながら、郭盛がつぶやいた。裏切るのではないか、という意味だ。
「宋江どのが、味方だと言ったんだ。心配するなよ」
「呂布に傾倒するお前の言葉とも思えんな」
「さすがは郭盛。上手いことを言うなあ」
呂方に皮肉を込めて言ったつもりだったが、肩すかしを喰らってしまった。
そのやりとりを聞いて、宋江が微笑んでいた。
双頭山の時から、こうだった。
好戦的な郭盛が、なにかと勝負をつけたがるのだが、呂方の人の良さに翻弄されてしまい、うやむやになるのだ。宋江はそんな二人が好(この)もしかった。
軍鼓が鳴った。関勝、郝思文、宣贊の表情が変わるのが分かった。
やがて大名府軍が姿を現した。
先頭にいるのは急先鋒の索超だ。腕の傷は癒えたようだ。
梁山泊め、前回の戦では不覚をとったが、今回も同じと思うなよ。
おや、と索超は目を細め、赤兎馬に乗った将、関勝を見やる。これまでには見たことのない相手だった。後ろに控える二将も、見たことがない。
あれは梁山泊に寝返った関勝将軍です、と兵が耳打ちをした。
その直後、索超が跳びだした。索超の顔が真っ赤だった。
救援に来たはずの者が寝返って、しかも救うはずの大名府を攻めるとは。索超は風の冷たさなどお構いなしに、馬の速度を上げた。
「わしが行こう」
索超に向かって関勝が駆けた。騎馬はやはり赤兎馬の方が上だった。後から駆けたのだが、その間合いをあっという間に詰めた。
面食らった索超だったが、すぐに得物の金蘸斧を打ちこんだ。
冷たい金属音が飛虎峪にこだました。
索超は、その一撃で知った。この男、とてつもなく強いと。
関勝も感じた。この男は充分に強いと。
だが、すぐに頭に血がのぼってしまうようだ。それが治ればまだまだ強くなれるだろうに。
関勝は、偃月刀を左右から休む暇なく打ち込む。索超は防戦に回るが、虎視眈眈(こしたんたん)と反撃の隙を窺う。
強者と戦うのはやはり良いものだ。関勝は知らずに笑みを浮かべていた。それを見て、索超はさらに頭に血が昇る。
愚弄するか、と無理矢理に偃月刀を弾き、上段に金蘸斧を振り上げた。
だがそこで索超の腕が止まった。索超の顔が歪んだ。
関勝が足で赤兎馬の腹に合図を出し、索超に向けて赤兎馬ごとぶつかっていったのだ。
両腕を上げていた索超は、体勢を崩した。とっさに片手で馬のたてがみを掴むことで落馬だけは免れた。
索超の目に鈍い光が見えた。関勝が偃月刀を上段から振り下ろすところだった。
万事休す。
「お主、腕を怪我しているな」
偃月刀はそのままだった。関勝が、鋭いが優しい目でそう言った。
「だから何だというのだ。怪我が理由で負けたとは言わん。関勝と言ったな。お主が上だった、それだけだ」
関勝は偃月刀をそのままに、赤兎馬の向きを変えた。
横目でちらりと索超を見やり、
「わしも同じだ。怪我が理由で勝ちたくはないのでな」
そう言うが早いか、そのまま駆けだした。
関勝が向かう先には李成がいた。索超の形勢が悪いと見、兵を率いて飛び出していたのだ。
それに応じ、郝思文と宣贊も飛び出した。
梁山泊軍と大名府軍、双方の兵たちがぶつかる。飛虎峪は乱戦の様相を呈した。
梁山泊兵を蹴散らし駆ける李成に、関勝が挑んだ。
ふいに刀を止められたその相手を見て、李成は息を飲んだ。
「久しぶりだな、李成。聞達の奴も健勝かな」
「おのれ関勝、敵に寝返りおって。わしの手でひと思いに葬ってくれるわ」
「この大刀の関勝、逃げはせん。存分にかかってこい。なんなら、聞達を連れて来てもよいのだぞ、天王の李成よ」
李成は、その言葉に歯嚙みをするばかりだった。
索超は聞いた。確かに大刀の関勝と名乗った。
大刀という二つ名は、聞達が名乗っている。確かに聞達も偃月刀を得物としていた。
それに李成に向かって、久しぶりだなとも言った。
この二人、いや聞達と三人は知己という事か。ついぞそんな話は聞いたことがなかった。
少し離れた場所で槍を振るっていた郝思文は、満面の笑みを浮かべた。
確かに聞いた。
関勝が、かつて呼ばれていた大刀という渾名を、再び名乗ったのだ。
「大刀の復活だ」
郝思文の槍が、喜びに打ち震えた。
雪雲はさらに厚くなり、夜かと思う暗さとなってきた。
それにつれて風も強くなり、人々は家の戸を固く閉ざした。
大名府軍と梁山泊軍の戦いは混戦となった。だが風と雪が強くなり、決着がつかぬまま両軍は撤退をした。
北京大名府、軍議の場が重苦しいのは、天候のせいでも、その戦果のせいでもなかった。
李成が苦りきった顔をしていた。聞達も同じだった。
若かったのだ、と聞達は思う。
李成、聞達と関勝は同じ隊に所属していた事があった。その当時から関勝の存在は出色で、すでに大刀という渾名で知られていた。
国境を脅かす異民族との戦いで李成と聞達の軍、そして関勝の軍が良い働きをしていた。関勝軍には、彼の幼い頃からの友が副官として就いていた。
そして次第に関勝軍の戦果にくらべ、聞達軍のそれは思わしいものではなくなっていった。
聞達は関勝に嫉妬した。
今ならば、そうは思わないのだろう。やはり若かったのだ、と聞達は思う。
ある時、関勝が聞達に共同での作戦を提案してきた。関勝たちが囮(おとり)になるので、その隙に敵の首領を討とうというものだった。
作戦通り、関勝軍が敵の大部分を引きつけた。
関勝軍はあえて寡兵で攻撃し、そこに敵は油断したのだろう。そして手薄になった敵の首領を、聞達が見事に討ち取った。
ここまでは良かった。その後、関勝軍を追い、敵を挟撃する手筈になっていた。
嫉妬心が、聞達の心に暗い言葉を囁いた。
このまま放っておけ。あの数では関勝は生きて戻れまい。敵将の首をとったのだ。李成と二人で、英雄になろうではないか。
聞達はその言葉を聞き入れた。李成も従った。
心の言葉通りに、聞達と李成は英雄と讃えられた。ただ計算違いだったのは、関勝が生きて戻ったことだった。
だが関勝は聞達らを責めはしなかった。率いていた兵をほとんど失ったことについて、自ら責を負った。副官だった友も行方知れずだという。関勝が悲しそうな顔をしているのを、この時初めて見た。
それから関勝はさらに辺境へと赴いていった。ただ時おり、その噂を聞くだけになった。
この時から、聞達の方が大刀、李成は天王と呼ばれるようになった。
天王、それは行方知れずになった関勝の友の渾名であった。
一面に積もった雪が朝の陽射しを照り返し、眩しいくらいだった。
城壁から索超が目を細めて見やる。梁山泊軍が目に見えて混乱をきたしている。これは好機だ。
李成と聞達の許可を得、索超は雪の中を飛びだした。後には副牌軍の周謹が続いた。
索超の読み通り、蜘蛛の子を散らすように梁山泊軍は逃げだした。
いくら関勝を味方に引き入れたところで、ここは我らが土地。昨晩からの雪が味方になってくれたようだ。
梁山泊を追いたててゆく索超の前に、ほとんどの兵が姿を消してしまった。だが見ると川の方に軍が集まっている。
どうやら水軍のようだ。船で川を渡って逃げようとしているのだろう。わざわざここまで冷たい中をやってくるとは御苦労だが、それも終わりにしてやろう。
索超が命令を飛ばし、川に向かって兵たちを駆け下りさせる。
水軍を率いていた李俊と張順がそれに気付いた。部下たちを叱咤し、次々に船を岸から離れさせる。李俊が、いち早く向こう岸についた船に声をかけた。
「宋江どの、早くお逃げください」
その声に応じるかのように、赤い外套を羽織った男が馬で駆けてゆく。
宋江、見つけたぞ。
「周謹、ここはお前に任せる。わしは宋江を追う」
周謹の返事を待たず、索超が道を駆け戻る。
大名府の地理は知り尽くしている。少し戻った所に川幅が狭くなっている箇所がある。そこならば馬で越えられるのだ。
索超はすぐにその箇所を越え、川に沿って駆けた。ほどなくして、宋江の姿を捕らえた。
金蘸斧を構え、ひた駆ける。顔に当たる風が痛いほどだが、構ってはいられない。
宋江も懸命に馬を操っているが、雪で速度を上げられない。ぐんぐん宋江に追いすがる索超。ついに馬二頭分ほどの距離に迫った。
反対の岸では、周謹と梁山泊水軍が交戦していた。周謹率いる大名府軍が優勢だった。
だが周謹は違和感を感じていた。
あまりにもあっけないのだ。初戦で大名府軍をあれほど苦しめた梁山泊軍と同じとは思えないほど、すぐに逃げてしまうのだ。
そして周謹は見つけた。やや上流の川岸に他の兵たちがいる。数人単位で固まって何か作業をしているように見えた。すぐに周謹はそこへ向かった。
そこに砲があった。まずい。砲は宋江を追う索超の方向に向いていた。
周謹があらんかぎりの声で叫ぶのと同時に、大きな音が鳴り響いた。
索超が金蘸斧を振り上げたところだった。だが爆音のすぐ後、足元の地面が激しく揺り動いた。
馬が棹立ちになる。索超が必死に手綱を引き、抑える。
だが馬が前脚を下ろす地面が、そこには無かった。
馬鹿な。目の前に宋江がいる、敵の首領がいるのだ。
あとほんの少し、ほんの少しだったのに。
落下してゆく索超は手を伸ばした。
だがその手は宋江に届くはずもなく、索超は馬もろとも凍てつく川へと没した。
梁山泊を攻めていた関勝に勝利し、味方へと引き入れた。
そして北京大名府軍の主力のひとり、索超を捕らえた。
もう少しだ。もう少しで、盧俊義と石秀を救出できるのだ。
「大丈夫ですか、宋江どの。顔色が悪いようですが」
呉用が心配そうに覗きこんできた。夜の軍議の場である。
「大丈夫だ。ええと、なにを話していたかな」
呉用が眉間に皺を寄せる。その場にいた林冲や秦明なども心配そうな顔になっている。
花栄が少し怒るように言った。
「おい、宋江。少し休んだらどうだ。後は我々で続けるから、今日のところは早く休め」
大丈夫だ、と言おうとした宋江だったが、その言葉が出なかった。
熱い。顔が火照っているようだ。熱があるのだろうか。
そう思った刹那、今度は急激に悪寒に襲われた。
歯をがちがちと鳴らし、宋江は自分を抱きしめるように腕を体に回し、震えた。
「おい、宋江」
体の力が抜けてゆく。
視界がぼやけてきた。
背筋を、激烈な痛みが走りぬけた。
頭頂からつま先まで、雷(いかずち)が突き抜けたような気がした。
宋江の膝が折れ、そのまま突っ伏すように地面に崩れ落ちた。