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才覚

 朝早く、蔡京の元に密書が届けられた。

 北京大名府の留守司である梁世傑からのものだった。

 大名府が梁山泊に攻め落とされようとしている、至急、援軍を送ってほしいという内容だった。先にも手紙は届いていたが、すでに事態は切迫していたのか。

 蔡京は、もちろん帝には報告せずに、すぐに童貫ら軍の主だった者を集めた。

 一同は驚きの声を上げたが、誰も進んで出撃しようという者はなかった。苛立つ蔡京は童貫を名指ししようとしたが、ひとりの者が声を上げた。

「憚(はばか)りながら、推薦したき者がございます」

 がっしりした肩幅の体格の良い男だった。その姿から想像される通りの野太いがよく通る声で男が言った。

「ほう、何という者だ。して、お主は」

 男は衙門防禦史を務める、宣贊という者だった。

 宣賛の顔を見て蔡京は、なるほどと思った。この男の事は耳にしていた。名前ではなく、その渾名の方を覚えていたのだ。

 醜郡馬と呼ばれていた。

 辺境での戦いの事である。宣贊が夷狄(いてき)の将と矢数比べをして、勝利を収めた。その武芸を見込まれて、宣贊はとある郡王の婿に迎えられ、郡馬の官となった。

 しかし郡王の娘は宣賛の容貌を嫌った。

「帝の一族の私が、あんな醜い男の妻になるなんて」

 とあからさまに吹聴していたという。だが宣贊は、何も言わなかった。

 そんなある日、宣贊の妻が死んだ。

 人々は、やはり宣贊を苦にして死んだのだと陰で囁いた。

 本当にそうなのか。宣贊は妻を丁重に弔い、それ以上何も言わなかった。

 そうして人々は、宣賛を醜郡馬と呼ぶようになったという。

 宣賛を前にして、蔡京は思う。

 そんな渾名で呼ばれて何とも思わぬものなのか。

 だが、蔡京はそれ以上考えるのをやめた。

 目の前の者がどうであろうと関係はない。己にとって利益となる者なのかそうでないのか、大切なのはそれだけである。例え醜くとも、役に立ってくれれば、それで良いのだ。

 改めて蔡京は問うた。宣賛の推薦する者とは誰かを。

「その者は関勝と申します。いまは蒲東で巡検に甘んじておりますが、武芸の腕はもちろん一流。また古今の書物にも精通し、万夫不当の勇を持っております。この者を上将に用いれば、必ずや水泊の賊どもを掃討せしめるでしょう」

 ほう、と蔡京が言った。関勝というその名も覚えがあった。

「よかろう。その関勝を連れてまいれ」

 表情を崩さずにいた宣贊がほのかに笑った。

 

 蒲東へ向けて、宣贊が馬を駆っていた。

 蒲東は東京から見て北西、延安府よりも手前に位置している。

 関勝と会うのは久しぶりになる。この招聘をどう思うだろうか。宣贊は微妙な顔になる。おそらくは喜ぶまい。そういう男だ。

 だが、と宣贊は思う。奴のような男こそ、今の開封府に必要なのだ、と。

 数日して蒲東につき、すぐに役所へと向かった。

「おお、懐かしい顔だと思ったら、宣贊ではないか。一体いつ以来かな」

 部屋で誰かと談じていた関勝が、明るい笑顔で迎えてくれた。

 宣贊は変わらぬその笑顔に、往時を思い出した。

 宣贊が郡馬になった後、辺境で任に就いていた時の事である。そこに関勝もいた。

 広い肩幅で体格も良く、目は鋭いがどこか涼やかだった。そしてあご髯を伸ばしており、得物は青竜偃月刀だった。ひと目見て、只者ではないと分かる風貌であった。

 夷狄との戦いにおいて、関勝の活躍は目を見張るほどで、宣贊はすっかり感服してしまっていた。開封府など中央の軍にいても全くおかしくないほどの実力だった。

 そう褒める宣贊に、関勝は笑って答えるのであった。

「なに、中央は堅苦しくてな。わしのような者は、偉い連中の目の届かない所にいるのがちょうど良いのだ」

 素直にもったいないと思った。だが関勝自身も言うように、中央は水が合わないらしい。

 そしてその事をむしろ楽しんでいる風でもあった。宣贊は武芸だけではなく、関勝のそんな人柄に惹かれた。

 ある日、関勝と飲むことになった。

 辺境である任地には店などひとつしかなく、自然と他の者も集まることとなる。その中の何人かが宣贊を見て、醜郡馬だ醜郡馬だと囁いていた。

 宣贊は気にしないようにしていたが、関勝に聞かれるのは心苦しかった。

 突如、関勝が周囲に聞こえるような大声になった。

「ほう、なるほど、醜郡馬か。良い渾名だな」

 宣贊はもちろん、まわりの兵たちも目を丸くした。

 関勝は構わずに続けた。

「強く逞しい郡馬か、お主にぴったりではないか」

 兵たちは関勝が何を言っているのか分からないという顔で、囁きあっている。

 関勝は胸を張って言う。

 まさか知らぬ者がいるとは思わんが、と前置きをして、

「醜の字は本来、おそろしく強い、強く逞しい、という意味だ。漢末期、三国の時代にも文醜や楊醜という名の武将がいたことを、軍人ならば知っておろう」

 囁き合っていた兵たちは顔を真っ赤にしてどこかへ行ってしまった。

 宣贊とて本当は気にしていない訳ではなかったのだ。己の容貌の事は己自身がよく分かっているし、騒ぎ立てても仕方ないと思っていただけだ。

 だが、関勝のこの言葉で救われたような気がした。

「関勝どの、かたじけない」

「わしは何もしていないさ。さあ飲もう、宣贊。今日はまだ時間があるぞ」

 宣贊は笑い、大きく頷いた。

 宣贊は、もう醜郡馬の名を恥じることはなかった。

 そうして一年経つか経たぬかの内に、宣贊は開封府への異動が決まった。それを関勝は誰よりも喜んでくれた。

 宣贊は、別れ際にずっと聞きたかった事を訊ねてみた。

 周りでは関勝は、関羽の子孫だと言われていた。その真相についてである。

「さあな、わしにも分からんよ」

 関勝は、宣贊が呆れるほど爽やかな顔で笑った。

 開封府でも、関勝の名は知られていた。以前は中央にいて、やはりその実力で名を知らしめていたという。それもそうだろう、と宣贊は思った。

 また関勝は、かつて大刀という渾名で呼ばれていたらしい。関勝の得物である青竜偃月刀からその名がつけられたという。

 引っ掛かる点があった。かつて、だというのだ。かつてとはどういう意味なのか。

 宣贊は噂を聞いた。

 関勝には友がいた。その友も抜きんでた軍人で、大刀の関勝と共に、天王と並び称されていたという。

 だが突然、関勝は中央を辞した。その友も一緒だったという。そしてその時以来、その渾名を捨てたというのだ。

 一体何があったというのだろうか。

 そして宣贊がその答えを得ないまま、いまに至る。

 宣贊は思う。あの時のせめてもの礼がしたい。

 この梁山泊戦で功績をあげてもらい、再び中央に返り咲いて欲しいのだ。

 宣贊が事情を告げると、まず関勝は卓を挟んで座っていた男を紹介した。

 同じ巡検の郝思文といい、関勝の義兄弟なのだという。関勝よりも年は下で、実直そうな男だった。

 それから関勝は、顎と一緒に髯を摘む仕草をしながら、どこか嬉しそうな顔で言った。

「なるほど、梁山泊か」

「お願いします、関勝どの。いま北京大名府が危機に陥っているのです」

「手柄を立ててどうこうしよう、という訳ではないが」

 関勝は、宣贊の想いを分かっていたかのように笑い、

「他でもない友の頼みだ。断る訳には行くまい」

 と答えた。

「興味があったのだ。梁山泊とかいう奴らには。それと」

 関勝は、この郝思文も一緒に連れて行く事を条件とした。

 関勝の目に適った男を連れて行くというのだ、宣贊に断る理由はなかった。

「さて、ひとつお手並み拝見と行こうじゃないか。なあ、郝思文」

「はい、そうですね」

 と郝思文も気持ちの良いほどの笑顔を見せた。

 

 梁山泊軍が北京大名府を包囲して、幾日経っただろうか。

 大名府の留守司である梁世傑は、開封府からの応援が来るまで籠城すべきだと判断した。

 梁山泊軍と対等に戦える索超は左腕に矢傷を負い、治療中なのである。いまは少しでも体力と兵力を温存するしかなかった。

「いかな梁山泊でも、この大名府を攻め落とすことはできません」

 王太守の言葉通り、梁山泊は大名府を攻めあぐねていた。だが、それでも梁世傑は安心できないようであった。

「義父からの返事はまだか」

 と日に日に憔悴していくようであった。

 だがその日、梁世傑の顔に精気が蘇った。

 王定が返書を携え、戻ってきたのだ。

「よくぞ戻った。で、義父は何と」

 奪い取るように返書を読み、梁世傑はこれで助かった、と大きなため息をついた。

「関勝という武人が、救援に駆けつけてくれるとの事だ」

 喜びあっている梁世傑と王太守を尻目に、顔に暗い影を落とした二人がいた。

 大刀の聞達と、天王の李成であった。

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