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絶技

 時遷は何食わぬ顔で、羊の革箱を担いでいた。

 片足をひきずるようにゆっくりと歩いていた。

 時遷が開封府を出てから三日目の、まだ朝飯時を過ぎた頃合い。山東へ向かう道であった。

 やがて古い廟が見えた。時遷は箱を背から降ろすと、廟の前の木陰に腰を下ろした。そして大きく肩を回すと箱に肘を掛け、木にもたれかかる。

 しばらくすると時遷が来た方向から二人の男が急ぎ足でやってくるのが見えた。二人の男は徐寧と湯隆であった。

 やっと来やがったか。小声でぼそりと呟くと、時遷は気付かぬふりで欠伸をしてみせた。

「おい、そこの男。おとなしくしろ。よくも俺の鎧を盗みおって」

 叫ぶが早いか徐寧は時遷の襟元を掴むと、片手で無理矢理に立たせた。

「おい何だよ、手前ぇは。やぶからぼうに、人の胸ぐら掴みやがって」

 負けじと時遷も唾を飛ばす。

 追いついた湯隆が間に割って入り、ひとまず二人を引き離した。徐寧の目は、革箱と時遷とを交互に睨んでいた。

「もう一度聞こう。その革箱に入っている鎧を盗んだのはお前か」

 徐寧は射るような目で時遷に問うた。時遷は悪びれずに胸を張って笑った。

「そうとも。こいつを盗んだのはおいらだが、だからどうするというのだ」

「こいつは大きく出たものだな。どうするか見せてやろうか」

 徐寧が腰の刀に手をかけ、一歩踏み出した。

 時遷は慌てるなとばかりに手で制し、あくまでも落ち着いた様子で言った。

「まず箱の中身を確かめてみたらどうだい」

 堂々とした態度に訝る徐寧。はたして湯隆が箱を開けて調べてみると、中には鎧の影も形もなかった。

 鎧をどこへやったと詰め寄る徐寧にも、あくまで時遷に怯む様子は見えなかった。

 湯隆は、示し合わせていたとはいえ、時遷の大胆さに驚きを隠せずにいた。

「良いだろう、教えてやろう。俺は泰安州生まれの張一って者だ」

 張一こと時遷は語る。

 自分は、確かに鎧を盗むように頼まれたのだと。依頼されたのは、泰安州の郭大官人であという。郭大官人は种老相公に近づくために、徐寧の鎧に目をつけたというのだ。

 王都尉に三万貫でも売らなかったという話を聞いたのだろう。郭大官人は、張一とその仲間の李三に、盗んできたら一万貫渡そうと持ちかけたのだという。

 そして張一はうまく盗み出したが、徐寧の家から逃げる時に足を打って挫いてしまった。そう言って裾を捲くり、痣のできた足首を見せた。

 そこで鎧は李三に持たせ、先に行かせたのだという。

「もし、あんたがおいらの事を訴えないのなら、李三に言って鎧を返しても良いんだぜ。結局見つかっちまったし、おいらだって牢になんざ入りたくもねぇからな」

 徐寧は張一の話を、まだ信じ切れてはいないようだ。

 当然である。

 そこへ湯隆が提案した。

「従兄(にい)さん、こいつの足なら飛んで逃げる訳にもいくまい。こいつの言う通りにして鎧を取り返しましょう。もし、無い時は役所へ突き出せばいい」

「ふむ、そうだな。よし張一、とっととその李三という奴のところへ案内するんだ」

 へいへい、と張一が先に立ち、足を引きずりながら歩きだした。

 二日ほど進んだが、李三には追い付いつかない。

 張一の足もまだ治っておらず、徐寧は段々と苛立ってきた。急かす徐寧を湯隆がなだめつつ、張一が酒や飯で機嫌をとった。

 そんな旅路、三人の前を一台の荷車が通った。空(から)の荷車にひとりの若い男が乗っており、三頭の馬に引かせていた。

 湯隆がはっとした顔になり、その男に近づくと愛想良く笑いかけた。

「これはこれは、こんな所でお会いするとは。どうしてこんな所に」

 男は湯隆を見ると、にっこりと笑い返した。

「やあ、湯隆どのではないですか。あなたこそどうして」

 男の名は李栄といった。湯隆が泰安州の泰山廟に参拝した時に知り合い、意気投合したのだという。李栄はなかなか義侠心がある男なのですと、湯隆は笑った。

 確かに見た目も爽やかな男だ。しかも身のこなしから素人ではない何かを感じる。徐寧も、この李栄という男が嫌いではないと感じた。

「そうだ、李栄どの。すまぬがわしらも車に乗せてはくれんか。わしらも丁度、泰安州へ行くところなのだ」

「良いですとも。どうぞどうぞ、旅は道連れと申しますからね。私も独りで寂しかったところです」

 快諾する李栄に、徐寧の顔も綻(ほころ)んだ。

 張一も足を引きずっているところだったし、渡りに船とはこの事か。

 車に揺られながら、徐寧は李栄に何気なく訊ねてみた。

「時に、李栄どの。泰安州にはさる金持ちがいると聞くが、ご存じかね」

「そうですね、有名なのは郭大官人でしょうか。お役人との付き合いも盛んで、食客を何人も世話しているとか」

 張一の顔が、ほら見ろと言っているようだった。徐寧には、まだ信じかねる所があった。だが李栄も知っているくらいだから間違いはあるまい、と思うのであった。。

 車に揺られ、さらに一日。

 李栄は武芸にも造詣が深く、みちみち軽く歌なども披露してくれた。

 それがまた上手いもので、徐寧の焦る心をいくらか落ち着かせてはくれた。

 職務の事は妻が上手く取り計らってくれている、と信じるしかない。引き返す訳にもいかぬところまで来たのだ。いざとなれば泰安州まで行くしかあるまい。徐寧は覚悟を決めた。

 道は人里を離れ、寂寥としてきた。

「このあたりは悪名高い梁山泊の縄張りに近いのではないか」

「ええ、そうですが心配はありません。私は良くここを通っておりますが、危ない目に会った事などございません」

 徐寧の心配をよそに、李栄はあくまでも爽やかな笑顔だった。

 そういえば近く、呼延灼が討伐軍を率いて進発すると聞いていた。己もという思いはあったが、呼延灼ほどの将軍ならばという思いもあった。

 日も暮れかけ、四人は酒屋へと入った。飯も酒も李栄が金を出してくれ、張一は媚を売るように喜んで手酌で飲んでいる。それを見ながら徐寧が、李栄に注がれた酒を一気に飲み干した。

 徐寧が李栄に返杯をしようとして、酒瓶を落としてしまった。

「これは、申し訳ありません。指が滑って」

 いや、違う。

 指どころか、手の感覚がおかしい。いや、目の感じもなんだか違和感がある。

 まるで自分の手ではないような、ぼんやりと遠くから見ているような感覚だった。

 これは、まさか。

 徐寧は体全体が浮遊するような感覚に襲われた。

 腰の刀に手をやるが、すでに掴んでいるのかさえも分からなかった。

 李栄と張一の顔がぼんやりと見える。

「き、さまら」

 徐寧は気を振り絞るが、そのまま卓に突っ伏してしまった。湯隆が謝るように頭を下げた。

「すみません、従兄さん」

 意識を失った徐寧の手は、それでもしっかりと刀の柄を握りしめていた。

 悪い夢を見ているようだった。

 徐寧は不快な感じと共に、呻き声を漏らしながら目を開けた。そこに湯隆の顔が飛び込んできた。

 一瞬で思い出した。

 夢ではない。すべて現実だ。

 徐寧は跳ね起きると、握った拳を湯隆に向けて放った。数瞬前まで眠っていた者の動きとは思えなかった。

 虚を突かれた湯隆は避ける暇もなく、拳を喰らった。

 湯隆の巨体が倒れた。徐寧はさらに湯隆に馬乗りになり、拳を振り上げた。湯隆は抵抗することなく、徐寧を見つめていた。口の端から血が流れていた。

 それを見てか、徐寧は拳を上げたまま肩で荒い息をした。

「湯隆、お前、どうして」

 湯隆の胸ぐらを掴み、徐寧が悲しそうな顔をした。そして顔を上げると、部屋を見回した。

「ここは、どこだ」

 呟く徐寧に、湯隆が答えた。

「ここは、梁山泊です、従兄さん」

 徐寧は言葉を失った。梁山泊、だと。

 徐寧はゆっくりと立ち上がると、寝台に腰を下ろした。

 湯隆が体を起こし、徐寧の足元にひれ伏した。

「すみません、本当にすみません。このような真似をしてしまい。しかし梁山泊のためには、従兄さんの力を借りるしかなかったのです」

「徐寧どの、私からも謝ります」

 李栄が部屋に入ってきた。李栄の言葉が思い返される。

 梁山泊近くの道で、危ない事に会ったことがないと言っていた。それはそうだろう。この男も梁山泊の一員だったのだから。

 李栄の本当の名は、楽和(がくわ)だという。いまさら名などどうでもよい、と徐寧は思った。

「何を。この俺に何をさせようというのだ。山賊のために、何をしろというのだ」

 ゆっくり顔を上げ、徐寧が湯隆と楽和を見据えた。悲嘆に暮れている訳ではない、武人の目だった。

 徐寧は楽和らに、聚義庁という所へと案内された。

 聚義庁に頭領だという者が並んでいた。こいつらが、梁山泊の頭領か。

 特に目を引いたのは中央に座する男だった。

 托塔天王の晁蓋。とても保正を務めていたとは思えない、剛胆で気骨がある男だと、徐寧はひと目で感じ取った。

 隣に座っている宋江という者からも挨拶を受けた。この宋江が、あの及時雨だというのか。名声とは結びつかないような小さな男だと思った。

「このような手を使って申し訳なかった、徐寧どの。どうしてもお主の力が必要だったのだ。まずは、非礼をお詫びする」

 晁蓋が頭を下げ、言った。腹の底から出る、力のある声だった。

 なるほど、大抵の者ならば魅了されてしまうのもうなずけた。

「この私の事を知って、ここへ連れてきたらしいが、一体何をさせようというのだ。こうなっては逃げも隠れもせぬ。まずは話だけでも聞かせてもらおうか」

「うむ。お主も禁軍の教頭だ、呼延灼の名は知っておるだろう」

 黙って徐寧は首肯する。

 その呼延灼が、およそ半月後に梁山泊討伐軍を率いてくる。それは徐寧も聞き及んでいた事だ。梁山泊がその情報をすでに掴んでいるとは、少し驚きであったが。

「だからどうだというのだ。呼延灼どのと俺と何の関係があるというのだ」

「鈎鎌鎗」

 軍師の呉用という男がぽつりと言った言葉に、徐寧は思わず反応してしまった。

 いま確かに、鈎鎌鎗と聞こえた。

 徐寧は湯隆の方を確かめるように見た。湯隆は徐寧の目をしっかりと見つめ、頷いた。

「梁山泊へ攻め寄せる呼延灼が、失われた戦術を用いるかもしれないのです。かつて鮮卑が使った、連結させた騎馬を用いた戦術です。それを破るには徐寧、あなたの家に伝わっている鈎鎌槍を用いることが不可欠なのです」

「連環馬、なのか」

 徐寧は思わず口に出していた。

「やはり知っているのですね」

「呼延灼どのが、連環馬を使うというのか」

「いえ、使わないかもしれません。しかし、使うかもしれません」

 徐寧が呉用を睨む。

「起こりうること全てを想定して、それに備えなければならないのです。ですからあなたの力を借りる事にしたのです」

「いつ、俺が力を貸すと言ったのだ。山賊どもに、協力をするわけがないだろう。ましてや呼延灼どのを倒すためなどと」

 だが呉用はあくまでも涼やかな顔で続ける。

「鈎鎌鎗の技を、実戦で使ってみたくはないのですか。それとも永久に使われない技を後世に伝えていくのですか」

「貴様、言って良い事と悪い事が」

 足を踏み出した徐寧だったが、湯隆と楽和が遮るように一歩前へと出た。

「待て、金鎗手」

 聚義庁の入口の方から声が聞こえた。徐寧が声の方を向くと、何かが飛んできた。

 身を捻りつつ、その長い棒のようなものを受け止めた。

 徐寧はそれを見て、驚きの声を上げた。

「これは」

「鈎鎌鎗だ、徐寧。湯隆が復元し、すでに隊を組めるほど量産している」

 入口にいたのは林冲だった。さらに徐寧が驚いた顔をした。

 思い出した。流罪先で陸謙らを殺した林冲は、梁山泊に入山していたと。

「林冲、お前」

 徐寧はかける言葉を探したが、見つからなかった。

 林冲の手には蛇矛が握られていた。そのまま林冲は聚義庁へと入ってくると、徐寧の前で止まった。

 す、と蛇矛を構える林冲。

「どうだ、久しぶりに手合わせでも」

 ぞくりと、徐寧の背筋に冷たいものが走った。

 林冲はあの頃より、禁軍教頭だった頃よりもさらに強くなっている。

 あの頃も強かった。しかし鋭さが増し、さらに凶暴な感じが漂っていた。もともと林冲にはそういう一面があった。それが梁山泊に来て、表に出てきたという事か。

 しかし徐寧は、林冲の極限まで研ぎ澄まされた刃物のような鋭さと、それ故の脆さのようなものを感じてもいた。

 徐寧は鈎鎌槍をじっと眺めていたが、構えずに腕を下ろした。

 悔しいが、勝てぬ。

 今の林冲には勝てぬと、はっきりと分かった。林冲は格段に腕を上げている。

 実戦か。常に実戦に身をさらしているが故なのか。

 徐寧は鈎鎌槍の穂先をじっと見つめた。

 鈎鎌鎗は鈍く、だが美しく輝いていた。

 与えられた居室に徐寧が佇んでいた。

 目の前には羊の皮が張ってある赤い箱。そしてその横に盗まれた賽唐猊があった。

 妻と息子も梁山泊に来ていた。徐寧が重篤な病に倒れたので看病にきて欲しい、と言われたというのだ。

「盗んだのは本当にお前だったのだな、張一。いや時遷といったか」

 その言葉に反応して、どこからともなく時遷が姿を現した。

「さすが金鎗手ってところかい。だから武人と犬は苦手なんだよな」

「今は、わざと気付かれるように気を出していたろう。鼓上皂と呼ばれているらしいな。大したものだ、あの日はまったく気付きもしなかった。部屋の中まで入られていたというのにな。俺にお前を責めることはできぬ」

「いやいや、危なかったんだぜ」

「だが、結局は盗まれた。そうだろう」

 時遷は答えるでもなく、にやにやとしていた。

 徐寧は己の腕を過信していた事を恥じているようだった。

 禁軍教頭が何ほどでもない。盗人ひとり気付く事ができなかったのだ。

「まあ、そんなに落ち込みなさんな。俺の腕が良すぎたってことさ。その鎧は返すぜ。確かに、ああまでして隠すほどの代物だ。おれもそいつを盗めて光栄だったぜ」

 じゃあな、と時遷は足音もなく部屋を後にした。

 ふ、と徐寧は皮肉げな笑みを浮かべた。そして立ち上がると鈎鎌槍を手にした。

 徐寧の目は、鈎鎌槍に吸い寄せられるようだった。

 湯隆は図面を元にしてまず一本、作ったという。

 そしてそれを参考に、梁山泊の鍛冶たちが量産した。徐寧が手にしているのは湯隆が打った、その一本であった。

「さすがは湯隆だな」

 徐寧の家には代々、鈎鎌鎗の技が伝えられている。

 呉用の言う通り、誰も使う事のない、失われた技である。

 だが自分が使う事がないまま終えようとも、代々伝えていかなければならない。それが家伝だ。

 しかしいま、それが甦ろうとしている。

 しかも、鈎鎌鎗法が編み出された由来でもある、連環馬を相手にするためだというのだ。

 問題は相手が呼延灼で、使うのが梁山泊であるという点だ。逆ならば何の迷いもなかったろう。

 だが、しかし。

 徐寧はじっと鈎鎌槍を見つめていた。

 何の因果か。

 だが、鈎鎌鎗が使えるのだ。この手で、この世に蘇らせる事ができるのだ。

 徐寧は、自問を何度も、何度も繰り返した。

 やがて立ち上がった徐寧は、大きく息を吐いた。

 

 精兵が七百人、練兵場に揃えられた。

 林冲や秦明に鍛えられた者の中から、徐寧がさらに厳選した兵たちだ。

 皆、その手には鈎鎌鎗が握られていた。

 その七百の前に、やはり鈎鎌槍を手にした徐寧がいた。

「はじめに言っておくが、時間がない。これからお前たちに教える鈎鎌鎗法、一朝一夕で修得できるほど甘いものではない」

 徐寧の厳しい目が一同に向けられる。兵たちが緊張するのが見てとれた。

「お前たちは、あの林冲のしごきに耐えてきた者たちだ。充分に素質はある。だが、俺は林冲ほどやさしくはないぞ。覚悟だけはしておけ」

 そう言って鼓舞した徐寧だったが、梁山泊の兵たちはあきれるほど、ほとんど弱音を吐く事がなかった。

 指導をする徐寧を見ながら、林冲がにやりとしていた。思わず徐寧も笑みを浮かべた。

 さすがに半月では厳しいと思っていたのだが、これならば何とかなるかもしれない。徐寧は禁軍での調練を思い出していた。

 帝を守るための禁軍はさすがに精兵ぞろいだったが、梁山泊の兵たちも負けてはいなかった。どの兵も、自分たちが梁山泊を守るのだという気迫に満ちているように感じた。

 それも、これまで林冲、花栄、秦明などという男たちがいたからこそなのだろう。徐寧も彼らに負けじと声を張り、気合を入れた。

 結果としてではあるが、官職を捨て、安寧な生活を捨て、梁山泊に残るという決断をした。

 だがその決断が間違いではなかったかもしれない、と徐寧は思うようになった。

 兵に技を伝えると同時に徐寧は、戦場となる平野に穴を掘らせるよう、呉用に進言した。その穴に兵を潜ませるためである。

 陶宗旺が一隊を率いて昼夜兼行で、穴を完成させた。

 すぐに半月が経ち、その時が来た。

「いよいよだな。仕上がりはどうだ、徐寧」

「やってみなければ分からん。さて行くか、林冲」

 戦の支度を済ませてやってきた林冲に、徐寧がそう答えた。

 まるで、旅に出る前の様なやりとりだった。

 だが二人の目は梁山泊のはるか向こう、迫りくる敵をしっかりと見据えていた。

 

 初戦は、徐寧たち鈎鎌鎗隊の出番はなかった。

 呼延灼は、様子見とばかりに将軍格だけでの一騎打ちを挑んできたのだ。

 呼延灼に当たるのは林冲をはじめとする五将。互角の勝負となったが、扈三娘が敵将の彭玘を捕らえるという手柄を立てた。

 明日は呼延灼も本気を出すだろう。連環馬を繰り出してくるならば、鈎鎌鎗隊の出番だ。

 兵たちの緊張が増しているようだ。初日に戦う事がなかったのが、余計そうさせたのだ。ただでさえはじめての武器を使っての実戦なのだ。

 翌日、日が昇る前、鈎鎌鎗隊は北に位置する戦場へと向かい、穴へと入った。

 今日は来るのか。きっと来るだろう。しかし上手く使えるのか。

 闇の中、否応なしに兵たちの不安が募ってゆく。誰もが無言だった。兵たちの息づかいさえ聞こえるような静寂の中、そこに詩(うた)が聞こえてきた。

 

 四撥三鈎通じて七路

 分とともに九変して神機に合す

 二十四歩前後に那(いな)し

 一十六翻大転囲す

 

 徐寧の声だった。鈎鎌鎗の秘訣の詩である。

 兵たちは思い出した。半月の間、このために訓練をしてきたのだ。

 詩の一句一句に合わせ、技を思い出す。自然と体が動いてくる。

 怖れるな。お前たちは見事に鈎鎌槍を修めた。己の力を信じよ。

 徐寧の声は、そう言っているようであった。

 穴の中がほんのりと明るくなる頃、地面が揺れた。

 来た。

 途方もない馬蹄の轟きを感じる。

 間違いない、連環馬がついに来たのだ。

 徐寧は目を閉じていた。

 耳で、肌で、馬蹄の近づきを感じ取る。

 ここだ。

 徐寧は目を見開き、爪先に力をこめた。

 一気に上体を穴から出す。連環馬の足が見えた。

 徐寧は正確に狙いを定め、鈎鎌鎗を突きだした。

 徐寧に恐怖や焦燥はなかった。

 徐寧は万感の思いをこめ、鈎鎌鎗を薙(な)いだ。

 狙った連環馬の足首が刈られ、馬が首から地面に突っ込んだ。

 徐寧の姿を見て、兵たちも意を決したように雄叫びを上げた。次々と連環馬が引き倒されてゆく。

 口伝のみで伝えられてきた鈎鎌鎗法が、いま蘇った。

 徐寧はこみ上げる笑みを噛み殺すように、押し寄せる連環馬を睨みつけた。

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