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絶技

 呼延灼出陣の半月前。

 その情報を得た呉用は考えていた。

 先の高唐州戦では負けてもおかしくなかった。知府である高廉が、よもや妖術を使うなどと思ってもみなかったのだ。

 だが、いまこうして振り返ることができるのは、公孫勝の力で辛うじて勝つことができたからに他ならない。その情報がなかった、では済まされなかったのだ。それでは呉用が、軍師の務めを果たしていないという事にもなるからだ。

 蔡得章への偽手紙もそうだったが、詰めが甘いのだと己の事を断じた。だから今度の戦に対しては並々ならぬ対策を立てるべきである、と考えていたのだ。

 呼延灼がこれほどまでに、不敗の将軍とまで呼ばれる所以(ゆえん)は何なのか。

 もちろん個人の、武人としての技量が飛び抜けている事は間違いない。また将として、軍を束ねるに充分な力量を持っている事も間違いないだろう。

 だがそれだけではない何かがあるはずなのだ。それだけならばこの国にいる軍人でも、それに当てはまるものが多くいる。

 林冲然り、秦明然り、花栄然り。

 そんな時、呼延灼の強さは騎馬隊にあるようだ、という情報が上がってきた。

 過去の呼延灼の戦の情報を可能な限り集め、それを精査してみる。だがどの戦も圧倒的な勝利とだけ記され、詳細が残されてはいないのだ。

 いつになく渋い顔をして、呉用が唸る。

 刻は夜。もう日が変わろうとしていた。冬でもあるせいか、しんと静まり返り、燈台の芯が燃える音だけがやけに煩わしく感じる。

 詳細が残されていない理由は二つ考えられた。あえて記録に残していないか、または相手が記録に残す暇もなく全滅したか、である。

 とかく戦勝の記録は、時に誇張されて残されるものである。童貫などが良い例だったし、敗戦さえも勝利と偽りかねないところがあった。

 ならば呼延灼はあえて隠しているのだろうか。だとしたら、何故だ。

 呉用は頭に刻み込まれた、古今の戦術を紐解いてゆく。

 騎馬隊。敵を全滅させるような圧倒的な強さ。誰も知る事のない戦術。

 がたり、と呉用が立ち上がった。

 倒れた湯呑みを気にする事もなく、呉用は一点を見つめていた。いや、その目はどこか遠くを見ているようであった。

「鮮卑族」

 微かに呉用がつぶやいた。

 魏、呉、蜀が覇を争った三国時代を終わらせた司馬炎は晋を興した。しかしその統治は長く続かず、内紛と辺境の異民族の勃興とで、大乱の時代へと突入した。その異民族の中の鮮卑が用い、恐れられたという騎馬隊の戦術があった。今は忘れられた戦術である。

 呼延灼は宋建国時の忠臣呼延賛の子孫だ。そしてその呼延の姓は騎馬民族でもある匈奴の部族名に由来するものであったはずだ。

 匈奴も鮮卑と同じ異民族であり、同時期に勃興した。ならばその鮮卑の騎馬戦術を知り、呼延の家が代々伝えていたとしてもおかしくはない。

 しかしその戦術が使われるとして、どうやって対策を立てればよいというのか。

 呉用がふと気付いた時、すでに夜は明けていた。

 

 手掛かりは意外なところにあった。

「なるほど。それならば、心当たりが無いわけでもありません」

 湯隆であった。

 公孫勝を迎えに行った薊州からの帰路に、李逵と意気投合したという、腕の良い鍛冶職人だ。

 呉用は軍議を開き、頭領たちを集めていた。呉用が辿り着いた考えを一同に聞かせたのだが、やはりというか、その戦術を知る者はいなかった。しかし重い空気のその中で、おずおずと湯隆が声を上げたのだ。

 だが湯隆は、なんだか難しそうな顔をしていた。

「何か問題があるのか、湯隆」

 湯隆が腕を組み、考えるように話し出した。

「おそらくその戦術というのは、連環馬の計というものでしょう。ならば、それを破ることができる武器がひとつだけあるんです。うちには代々、様々な武器の図面が伝わっていて、そいつの図面もあるんで作ることはできます。ですが」

「ですが、なんだ」

「わしはそいつを作れはするが、使う事ができん。知る限り、その武器を使えるのは、わしの従兄だけなんです。その武器は、鈎鎌鎗と言って」

「おい、もしかしてそいつは、金鎗班師範の徐寧の事ではないのか」

 湯隆が言い終わらぬうちに、林冲が立ち上がった。湯隆も、ご存知でしたか、と驚いた様子だった。

「奴と、徐寧とは、開封府にいた頃から顔見知りでな。確かに、奴の金鎗法は独自のものだ。よく武芸の手合わせをし、互いに研鑽をしたものだ」

「はい、金鎗法の他にも従兄さんの家には代々、鈎鎌鎗の奥義が伝わっているのです。ただ残念な事に、受け継ぐのは従兄さん一人になってしまいましたが」

「なるほど。しかし、徐寧をいかにして梁山泊へ連れてくるのだ。よしんば連れてきたとしても、我らのためにその鈎鎌槍を振るってくれるだろうか」

 ふうむ、と呉用も難しい顔をする。

「かなり難しいでしょうが」

 と前置きをし、湯隆が話し始めた。

「なるほど。上手く行くかもしれない。でかしたぞ、湯隆」

 呉用の顔がやや明るくなった。湯隆の案を受け、呉用が細かいところを詰めることとなった。

 かくして鈎鎌槍が量産されることとなった。

 図面を元に湯隆が見本を作った。そしてそれを元にして雷横(らいおう)が鍛冶たちを指揮する。湯隆が来るまで、雷横が鍛冶を担当していたのだ。

「湯隆、お前の腕には遠く及ばんが、精一杯やらせてもらうよ」

「何言ってるんです。あんたの腕は大したもんですよ、雷横どの。わしの代わりはあんたしかおりませんよ」

「見え透いた世辞など言いおって」

 そう言われた雷横は満更でもない風だった。

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