
108 outlaws

伏竜
二
竜はいる、と父は言った。
いるはずがない、と幼い自分は言った。
だが竜はいた。
この目で見た。
父の言葉は、真実だった。
孫安は、涇原に生まれた。
商いをしていた父は書物の蒐集が趣味だった。倉には各地から集めた様々な書物がずらりと並んでおり、母からも呆れられていた。特に父が好んだのは易や風水、奇門遁甲などの占術に関する書物だった。
多くの書物に囲まれていたため聡明に育ち、また剣も相当の腕前になっていった。
涇原を出て独り立ちしていた孫安が、久しぶりに故郷に戻っていた。
父と酒を酌み交わし、母の懐かしい味に目頭が熱くなった。
だがふと父の顔が曇りがちになるのだ。なにか心配ごとが、と孫安が訊ねた。
少し言い淀み、父が話し出した。
最近、ひとりの占い師が往来の一角(いっかく)に座るようになった。
人や土地の運勢を占うという触れ込みだった。それが、すこぶる当たるというので評判となったという。
占術に一家言ある父は、市井の占い師には興味を示さなかったが、隣家の友人がのめりこんでしまった。数か月前に失くした家宝の品物の場所を占ってもらったところ、ぴたりと当てたというのだ。
「それは良かった。まあ、あまり信じすぎず、ほどほどにするのだな」
嬉々として話す友人に、父はそう言うしかなかった。
しかし助言を聞かず、友人はますますのめり込んでゆく。その友人には、孫安と同い年の娘がいた。たいそう可愛がっていたひとり娘で、そろそろ嫁に行く歳だ。
「娘の将来はいかがでしょうか。良い縁がみつかるでしょうか」
「ふむ。この辺りの土地からは、面白い気を感じる。のちに名を成す者が、多く現れる予感がしますな」
喬家の息子か、と直感した。
喬冽は幼い頃より神童ぶりを発揮し、いまは二仙山で修業に励んでいるという。娘とも幼なじみだったが、すでに遠い過去の思い出だった。
「娘ごにも、思いもよらぬ縁がありましょう」
あの喬冽と同じような者と縁ができるのか。そう思うと、友人は欣喜した。
ただし、と釘を刺すように、占い師が言った。
「言いにくいのだが、実はご主人の土地の相があまりよろしくない。このまま放っておいては、土地の気が悪い方向に作用してしまうだろう」
友人は、はたと口を閉ざしてしまった。眉根を寄せ、周囲を気にする素振りを見せる。
「いかがなされた」
実は、と友人が語る。
例の家宝を失くした頃から、奇妙な事が起きていたのだ、と。
庭で十数羽の鳥が死んでいたというのだ。その時は、不気味さを感じつつ始末したが、それが断続的に起きているという。あまりの不吉さに、誰にも言えずにいたという。そして一昨日(おととい)もそれは起きたのだ。
やはりか、と占い師は唸って腕を組んだ。
「先生、どうすれば」
「私にお任せいただけるのであれば、お力を貸すことも吝(やぶさ)かではないのだが」
「それは、願ったりです」
その日から、占い師は友人の家に住み込むことになる。
占い師の指示で、家具の配置を変えたり、庭に妙な石塔を建てたりした。だがその二日後、友人の妻の悲鳴が聞こえた。
今度は鳥ではなく、十数匹の鼠が庭に落ちていたのだ。
唸る占い師。
「ふうむ。まだ駄目ですか」
先生、と詰め寄る友人に、占い師は呟くように言った。
「これは私の力だけでは対処できないようです。だがご心配めさるな。知り合いにこの道に明るい道人がいる。彼を呼ぶとしよう」
七日のち、その道人が現れた。
「良く来てくれた飛天蜈蚣よ。早速力を貸してくれ」
「待て。長旅で喉が渇いているんだ。酒でも飲ませてくれ。話はそれからだ」
飛天蜈蚣の王道人は無遠慮に言い放ち、椅子にどっかと腰を下ろした。