
108 outlaws

伏竜
二
燕青と目が合った。不安そうな顔であった。
盧俊義は目尻を下げ、心配するなという表情をした。
そして新しい馬の腹を蹴った。戦袍の脇腹が赤く染まっている。痛みは酷くはない。傷は深くはないだろう。
三度(みたび)、孫安と向き合う。
同時に馬が駆ける。
棍と剣が火花を散らす。
燕青が固唾を飲む。打ち合いの中、盧俊義の動きが鈍りだした。
飛びだしたい。だが燕青はその気持ちを必死に堪えた。
それは孫安軍でも同じだった。配下の金禎が飛びだしたくて、前のめりになっている。
しかし誰も手を出してはいけない。盧俊義と孫安だけが、この勝負の決着をつけられるのだ。
剣が閃き、盧俊義の戦袍が二度、裂けた。棍棒が、孫安の脇腹を打った。盧俊義、孫安が互いに呻く。
気合いと共に得物が舞う。だが次第に、盧俊義の傷が増えてゆく。
やはり体力では孫安が勝っているようだ。盧俊義が防戦一方になった。なんとか防いでいるものの、疲労は明らかだ。
盧俊義は気力を振り絞った。目は孫安の動きを追っているが、腕が重い。
孫安が剣を繰り出した。正確に首を狙っている。
強いな。盧俊義はふと思った。
「旦那さま」
声が聞こえた。燕青、か。
その声が、盧俊義に力を与えた。
腹の底から吼えた。
腕が、動いた。
盧俊義の棍棒が、孫安の剣を二本とも弾き飛ばした。
驚きの表情を浮かべる孫安。
上げた棍棒を、今度は振り下ろす。体重を乗せた一撃が、孫安の鎖骨辺りにめり込んだ。
血を吐き、孫安が馬から落ちた。
馬上から見下ろす盧俊義。
孫安は地に倒れ、動かない。
欧鵬、楊志が身を乗り出す。勝った、のか。
ふいに盧俊義の体がぐらついた。
「旦那さま」
燕青が駆け出していた。
孫安軍から三騎が飛び出していた。秦英、陸清、姚約である。
同時に梁山泊からは楊志、欧鵬、鄧飛が馬を飛ばす。
「盧俊義どのは頼んだぞ。俺たちは奴らを止める」
燕青を追い抜き際、楊志が言った。
燕青が足に力を込めた。
盧俊義は鞍上で気を失っていたが、辛うじて落馬は免れていた。
燕青が馬を跪かせ、盧俊義の大きな体を地面に寝かせた。戦袍を裂き、傷を診る。深くはない。だが血が止まらない。
また、倒れている孫安の首に指を当てた。脈はしっかりとしている。これだけの死闘をしていながら、さすがと言うほかない。
燕青は孫安の両手首を縄で縛ると、梁山泊の兵たちを呼んだ。
「おい、うちの大将に何しやがる」
斬鬼の秦英だった。
楊志がその前に馬を進めた。
「勝負はついた。おとなしく引き下がれ」
「まだ終わっちゃいねえよ」
ゆらりと秦英が構えた。孫安と同じく、両手にそれぞれ刀。
楊志は咄嗟に槍を構え、目を細めた。
この男、かなり腕が立つ。
ほお、と秦英が漏らした。
「あんた、相当強いようだな。面白い」
秦英が馬を飛ばした。楊志が迎え討つ。
疾風のように刀が楊志を襲う。楊志は槍で刀を弾く。だがもう一本の刀が迫る。慌てずに楊志はそれも捌いた。
楊志の目が何かを捉えた。馬鹿な、そう思った。刀だ。三本、いや、そんなはずが。
脇を締め、槍を引き戻した。弾いた。
だが楊志は驚愕した。四本目の刀が、楊志の首元を狙い、唸りを上げて迫っていた。槍では、間に合わない。楊志は、馬上で思い切り上体をのけ反らせた。秦英の刀を辛うじて避けた。
二騎が馳せ違う。楊志が起き上がり、馬の向きを変える。
秦英と再び向き合った。
「大した野郎だ」
秦英が目を細めた。そして二騎が駆けた。
再び凶刃が乱舞した。しかしなんと楊志は槍を放ると、腰元に手を伸ばした。素早く腰に佩いていた刀を引き抜くと、裂帛の気合を放ち、秦英の刀に合わせるように攻撃した。
耳を劈くような、鋭い金属音が響いた。
驚きで秦英が目を剥いた。
楊志の刀に、刀身が両断されていたのだ。
「馬鹿な」
それは湯隆が楊志のために造った刀だった。
楊志はその刀を秦英に突きつけた。
もの静かに見えるが、感じる闘気は相当だった。
黒翅仙の陸清が、欧鵬と対峙していた。
手には槍。そして欧鵬の得物も、槍である。
「行くぞ」
囁くように陸清が告げ、馬を走らせた。
欧鵬と陸清が交差する。両者ほぼ同時に槍を放つ。いや欧鵬の槍がやや早いか。正確に陸清の首を狙っている。
だが陸清が放った槍は、欧鵬の槍に絡みつくようにして、その矛先を変えてしまった。そしてそのまま欧鵬に向かって来る。
陸清の攻撃が遅かったのではない。後の先を取るために、あえて遅らせたのだ。
上手い。だが。
欧鵬の目が鋭くなった。両手に力を込め、槍を回転させるようにして、陸清の槍を弾いた。
一旦、槍を引く陸清。欧鵬も息を整える。対峙する二人。やはり陸清からは仕掛けてこない。欧鵬が腹を括る。
いいだろう、その勝負乗ってやる。
気合いと共に鋭い突きを放った。陸清もこれには対応できなかった。
休む暇を与えず、欧鵬が攻撃を繰り出す。陸清が防戦一方となる。
さすがに守りも堅い。だが、ほんのわずかな隙を見つけた欧鵬が、そこを突いた。
だが槍に手応えがなかった。
目を疑った。馬上から陸清が消えていたのだ。
視界の上方で何かが揺れた。
まさか、上か。
そのまさかだった。陸清が上に飛び上がっていた。そして上から欧鵬に襲いかかる。
しかし今度は陸清が驚く番だった。鞍を踏み、欧鵬も飛んだのだ。
黒翅仙と摩雲金翅が舞う。まるで猛禽類の戦いのように空中でぶつかりあった。そしてもつれ合うようにして、地面に落下した。
両者しばらく動かない。
やがて、立ち上がったのは欧鵬だった。
「おらおらおらおらおら、どうしたどうした」
大叫吼の姚約が朴刀を振り回し、鄧飛に襲いかかる。
うるさい男だ。そう思いながら、鄧飛は容易く攻撃をかわす。
「ちょこまかと逃げやがって。かかって来いよ、怖いのか」
姚約が吼える。
しかし鄧飛は挑発には乗らない。相手の技は、素人に毛が生えた程度のものだった。だが、問題は姚約の体躯である。戦袍の上からでもわかるほど筋肉が盛り上がっている。特に首から肩のあたりは尋常ではない。刀を振る度に、ものすごい音を立てるのだ。
一撃喰らえばお陀仏だ。
「ふん、お前がこっちに来ればいいだろう」
と言いながら、鄧飛は用心深く姚約の周囲を回る。
姚約が吼える。馬を近づけると、思いっきり朴刀を打ち込んでくる。
待っていた。鄧飛が鉄鏈を放つ。鎖の先が姚約の手首に巻きついた。だが姚約は意に介していない顔をした。肘を曲げ、腕の筋肉が盛り上がった。
しまった。鄧飛が思った時には遅かった。
姚約が巻きついた鎖を思いっきり引き寄せたのだ。前につんのめる鄧飛。だが鉄鏈を、武器を放す訳にはいかない。
鄧飛が姚約に突っ込むように馬を駆けさせた。
「うおおおっ」
赤い目を見開き、吼える鄧飛。まさに火眼狻猊(かがんさんげい)だ。
姚約が朴刀を構え、迎え討つ体勢をとる。姚約も吼えた。
だが朴刀の届く範囲の直前、鄧飛が手綱を思い切り引いた。馬が棹立ちになった勢いを利用し、鄧飛が鎖を引っ張った。
おおっ、とさすがの姚約もよろめいてしまう。
すかさず鄧飛は手首を回転させ、鎖を姚約の腕から外してしまった。そしてそのまま数度振り回すと、勢いよく鉄鏈を放った。体勢を崩したままの姚約を、鉄鏈が襲う。
真っ赤な血が飛び散った。
鉄鏈の先に付いた分銅が、姚約の額を割った。
盧俊義が晋寧に運ばれた。楊志は、孫安も運ぶように命じた。
その間、孫安軍が動く事はなかった。
晋寧は固く、その城門を閉ざした。