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伏竜

 燕青と目が合った。不安そうな顔であった。

 盧俊義は目尻を下げ、心配するなという表情をした。

 そして新しい馬の腹を蹴った。戦袍の脇腹が赤く染まっている。痛みは酷くはない。傷は深くはないだろう。

 三度(みたび)、孫安と向き合う。

 同時に馬が駆ける。

 棍と剣が火花を散らす。

 燕青が固唾を飲む。打ち合いの中、盧俊義の動きが鈍りだした。

 飛びだしたい。だが燕青はその気持ちを必死に堪えた。

 それは孫安軍でも同じだった。配下の金禎が飛びだしたくて、前のめりになっている。

 しかし誰も手を出してはいけない。盧俊義と孫安だけが、この勝負の決着をつけられるのだ。

 剣が閃き、盧俊義の戦袍が二度、裂けた。棍棒が、孫安の脇腹を打った。盧俊義、孫安が互いに呻く。

 気合いと共に得物が舞う。だが次第に、盧俊義の傷が増えてゆく。

 やはり体力では孫安が勝っているようだ。盧俊義が防戦一方になった。なんとか防いでいるものの、疲労は明らかだ。

 盧俊義は気力を振り絞った。目は孫安の動きを追っているが、腕が重い。

 孫安が剣を繰り出した。正確に首を狙っている。

 強いな。盧俊義はふと思った。

「旦那さま」

 声が聞こえた。燕青、か。

 その声が、盧俊義に力を与えた。

 腹の底から吼えた。

 腕が、動いた。

 盧俊義の棍棒が、孫安の剣を二本とも弾き飛ばした。

 驚きの表情を浮かべる孫安。

 上げた棍棒を、今度は振り下ろす。体重を乗せた一撃が、孫安の鎖骨辺りにめり込んだ。

 血を吐き、孫安が馬から落ちた。

 馬上から見下ろす盧俊義。

 孫安は地に倒れ、動かない。

 欧鵬、楊志が身を乗り出す。勝った、のか。

 ふいに盧俊義の体がぐらついた。

「旦那さま」

 燕青が駆け出していた。

 孫安軍から三騎が飛び出していた。秦英、陸清、姚約である。

 同時に梁山泊からは楊志、欧鵬、鄧飛が馬を飛ばす。

「盧俊義どのは頼んだぞ。俺たちは奴らを止める」

 燕青を追い抜き際、楊志が言った。

 燕青が足に力を込めた。

 

 盧俊義は鞍上で気を失っていたが、辛うじて落馬は免れていた。

 燕青が馬を跪かせ、盧俊義の大きな体を地面に寝かせた。戦袍を裂き、傷を診る。深くはない。だが血が止まらない。

 また、倒れている孫安の首に指を当てた。脈はしっかりとしている。これだけの死闘をしていながら、さすがと言うほかない。

 燕青は孫安の両手首を縄で縛ると、梁山泊の兵たちを呼んだ。

「おい、うちの大将に何しやがる」

 斬鬼の秦英だった。

 楊志がその前に馬を進めた。

「勝負はついた。おとなしく引き下がれ」

「まだ終わっちゃいねえよ」

 ゆらりと秦英が構えた。孫安と同じく、両手にそれぞれ刀。

 楊志は咄嗟に槍を構え、目を細めた。

 この男、かなり腕が立つ。

 ほお、と秦英が漏らした。

「あんた、相当強いようだな。面白い」

 秦英が馬を飛ばした。楊志が迎え討つ。 

 疾風のように刀が楊志を襲う。楊志は槍で刀を弾く。だがもう一本の刀が迫る。慌てずに楊志はそれも捌いた。

 楊志の目が何かを捉えた。馬鹿な、そう思った。刀だ。三本、いや、そんなはずが。

 脇を締め、槍を引き戻した。弾いた。

 だが楊志は驚愕した。四本目の刀が、楊志の首元を狙い、唸りを上げて迫っていた。槍では、間に合わない。楊志は、馬上で思い切り上体をのけ反らせた。秦英の刀を辛うじて避けた。

 二騎が馳せ違う。楊志が起き上がり、馬の向きを変える。

 秦英と再び向き合った。

「大した野郎だ」

 秦英が目を細めた。そして二騎が駆けた。

 再び凶刃が乱舞した。しかしなんと楊志は槍を放ると、腰元に手を伸ばした。素早く腰に佩いていた刀を引き抜くと、裂帛の気合を放ち、秦英の刀に合わせるように攻撃した。

 耳を劈くような、鋭い金属音が響いた。

 驚きで秦英が目を剥いた。

 楊志の刀に、刀身が両断されていたのだ。

「馬鹿な」

 それは湯隆が楊志のために造った刀だった。

 楊志はその刀を秦英に突きつけた。

 

 もの静かに見えるが、感じる闘気は相当だった。

 黒翅仙の陸清が、欧鵬と対峙していた。

 手には槍。そして欧鵬の得物も、槍である。

「行くぞ」

 囁くように陸清が告げ、馬を走らせた。

 欧鵬と陸清が交差する。両者ほぼ同時に槍を放つ。いや欧鵬の槍がやや早いか。正確に陸清の首を狙っている。

 だが陸清が放った槍は、欧鵬の槍に絡みつくようにして、その矛先を変えてしまった。そしてそのまま欧鵬に向かって来る。

 陸清の攻撃が遅かったのではない。後の先を取るために、あえて遅らせたのだ。

 上手い。だが。

 欧鵬の目が鋭くなった。両手に力を込め、槍を回転させるようにして、陸清の槍を弾いた。

 一旦、槍を引く陸清。欧鵬も息を整える。対峙する二人。やはり陸清からは仕掛けてこない。欧鵬が腹を括る。

 いいだろう、その勝負乗ってやる。

 気合いと共に鋭い突きを放った。陸清もこれには対応できなかった。

 休む暇を与えず、欧鵬が攻撃を繰り出す。陸清が防戦一方となる。

 さすがに守りも堅い。だが、ほんのわずかな隙を見つけた欧鵬が、そこを突いた。

 だが槍に手応えがなかった。

 目を疑った。馬上から陸清が消えていたのだ。

 視界の上方で何かが揺れた。

 まさか、上か。

 そのまさかだった。陸清が上に飛び上がっていた。そして上から欧鵬に襲いかかる。

 しかし今度は陸清が驚く番だった。鞍を踏み、欧鵬も飛んだのだ。

 黒翅仙と摩雲金翅が舞う。まるで猛禽類の戦いのように空中でぶつかりあった。そしてもつれ合うようにして、地面に落下した。

 両者しばらく動かない。

 やがて、立ち上がったのは欧鵬だった。 

 

「おらおらおらおらおら、どうしたどうした」

 大叫吼の姚約が朴刀を振り回し、鄧飛に襲いかかる。

 うるさい男だ。そう思いながら、鄧飛は容易く攻撃をかわす。

「ちょこまかと逃げやがって。かかって来いよ、怖いのか」

 姚約が吼える。

 しかし鄧飛は挑発には乗らない。相手の技は、素人に毛が生えた程度のものだった。だが、問題は姚約の体躯である。戦袍の上からでもわかるほど筋肉が盛り上がっている。特に首から肩のあたりは尋常ではない。刀を振る度に、ものすごい音を立てるのだ。

 一撃喰らえばお陀仏だ。

「ふん、お前がこっちに来ればいいだろう」

 と言いながら、鄧飛は用心深く姚約の周囲を回る。

 姚約が吼える。馬を近づけると、思いっきり朴刀を打ち込んでくる。

 待っていた。鄧飛が鉄鏈を放つ。鎖の先が姚約の手首に巻きついた。だが姚約は意に介していない顔をした。肘を曲げ、腕の筋肉が盛り上がった。

 しまった。鄧飛が思った時には遅かった。

 姚約が巻きついた鎖を思いっきり引き寄せたのだ。前につんのめる鄧飛。だが鉄鏈を、武器を放す訳にはいかない。

 鄧飛が姚約に突っ込むように馬を駆けさせた。

「うおおおっ」

 赤い目を見開き、吼える鄧飛。まさに火眼狻猊(かがんさんげい)だ。

 姚約が朴刀を構え、迎え討つ体勢をとる。姚約も吼えた。

 だが朴刀の届く範囲の直前、鄧飛が手綱を思い切り引いた。馬が棹立ちになった勢いを利用し、鄧飛が鎖を引っ張った。

 おおっ、とさすがの姚約もよろめいてしまう。

 すかさず鄧飛は手首を回転させ、鎖を姚約の腕から外してしまった。そしてそのまま数度振り回すと、勢いよく鉄鏈を放った。体勢を崩したままの姚約を、鉄鏈が襲う。

 真っ赤な血が飛び散った。

 鉄鏈の先に付いた分銅が、姚約の額を割った。

 

 盧俊義が晋寧に運ばれた。楊志は、孫安も運ぶように命じた。

 その間、孫安軍が動く事はなかった。

 晋寧は固く、その城門を閉ざした。

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