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伏竜

 晋寧の城外十里のあたりに軍が陣を敷いている。

 風にたなびく旗には孫(そん)の文字。

 威勝から孫安が二万の軍を率いて到着した。

 目を眇める孫安。晋寧の城壁には、梁山泊の旗が掲げられている。

 周りでは配下の十将が、同じように晋寧を見つめていた。

 流浪狗の梅玉。

 寒山虎の金禎。

 水上飛の潘迅。

 泥裏妖の馮昇。

 大叫吼の姚約。

 殭屍の楊芳。

 斬鬼の秦英。

 黒翅仙の陸清。

 白骨翁の胡邁。

 魔眼子の陸芳。

 いずれも不敵な顔をしている。孫安とは古い付き合いで修羅場をいくつも潜りぬけてきた者たちだ。

 目を細め、潘迅が言う。

「ちょっと遅かったみたいですね。しかし、晋寧が陥(お)ちてしまうとはね」

「田彪どのは無事かな。無事だと良いんだがな」

 並んでいた陸清が無表情に呟く。揶揄するように金禎が言う。

「そんなこと、ちっとも思っていない癖によ」

「思っては、いるさ。思っては、ね」

 くっくっくっ、と他の者たちも笑い声を洩らす。

 孫安が一歩前に出た。

「我々が遅かったというよりも、梁山泊が速かったと言うべきだな」

 その言葉に、一同が静かになる。

 これまで陵川、蓋州、壺関が攻略されていた。董澄、鈕文忠、山士奇を持ってしても、止められなかったのだ。

 改めて梁山泊の力を実感し、気を引き締めた。

 と同時に、孫安は嬉しそうでもあった。

「相手にとって不足なし。さあ、行くぞ」

 孫安が軍を進める。

 晋寧の城門が開かれ、梁山泊軍が城外へと出てきた。

 進み出たのはなんと一騎のみ。

「おいおい、ひとりで戦おうってのか」

 馮昇が呆れたように言った。

 楊芳は、大げさに驚いてみせる。

「これはこれは。さすがは梁山泊。我々ごとき一人で十分ということかな」

「ふざけやがって。叩っ殺してやる」

 これは陸清だ。

「では、こちらも一騎で行くとしよう」

 喧騒の中、孫安が馬を進めた。

 それを止める者はいなかった。孫安の配下たちは、黙ってそれを見送った。

 二騎が戦場の中央で邂逅した。

 少しの間(ま)、二人の視線が交差する。

「晋寧を返してもらおう」

「お主が孫安という男だな。噂は聞き及んでおる」

「良い噂だといいのだがな。してお主は」

「名乗り遅れた。わしは盧俊義」

「ほお、お主が河北の三絶か。噂通りだと良いな」

「その目で確かめてみろ」

 同時に二騎が駆けた。屠竜士と玉麒麟がぶつかった。

 孫安が両手に握る、鑌鉄の剣を振るう。盧俊義が手にするのは棍棒だ。鉄と鉄が激しく火花を散らした。

 孫安の剣が盧俊義の首を狙えば、盧俊義の棍棒も孫安の喉元を突こうとする。

「ははっ。噂通りで嬉しいぞ、盧俊義」

 言葉通り、戦いの最中にも笑みを浮かべる孫安。対する盧俊義は、お前もな、とだけ言った。

 一進一退の攻防に両軍は固唾を呑み、見守ることしかできない。

 戦いを見つめる楊志。手綱を握る手に力が入る。

 河北の三絶。

 孫安が仕切りに言っているその二つ名は、盧俊義がまだ若く、絶頂期の時に呼ばれたものだ。だがそれから十数年、強さの盛りは過ぎている。梁山泊での盧俊義の戦いを見て、おこがましい事であるが、楊志はそう感じた。

 しかし、である。遼国での戦いを経て、様子が変わってきた。往時の、とまではいかないかもしれない。しかし発する気、目つき、姿勢までも、なんだか若返ったのではないかと思わせるのだ。

 そして今、相当の手練である孫安と、互角に打ち合っているのだ。

「おいおい盧俊義の旦那、なんだか強くなってねぇか」

 鄧飛もそれを感じたらしい。

 打ち合いは二十合を越え三十合、四十合に至る。見ている方の体力が持たないほどだ。

 欧鵬が歯嚙みをした。

「どちらも化け物だな」

 攻防は五十合に及ぼうとした。

 だが、打ちかかろうとした孫安の乗馬が前脚を滑らせた。

 孫安軍から悲鳴が上がる。

 孫安は勢いよく投げ出されたが、体勢を整え、地面との激突は避けた。

 顔を上げると、盧俊義が馬上から棍を突きつけていた。

 

 強くなっている。

 燕青が盧俊義の戦いを見て、思った。

 そして楊志や鄧飛が感じた事を、誰よりも実感しているのも燕青であった。幼い自分を鍛えた全盛期の盧俊義を、その肌で知っている。だが何故か、燕青は言い知れない不安を、心の奥底に感じてもいた。

「あっ」

 燕青が驚きの声を上げた。

 盧俊義が棍棒を引いたのだ。さらに地面に片膝をつく孫安に対し、立つように促したのだ。

「馬のせいだ。馬を替え、今一度だ」

「ふふ、すまんな。さすがは玉麒麟か。素直に好意を受け取るとするよ」

 孫安が新しい馬に跨った。

 鄧飛は、勝負ありだろう、と吼えている。

 馬が躓こうと、それも含めた運も勝負の内。盧俊義ほどの者ならばそう考えるはずだ。はたして宋江どのの影響か。楊志はおぼろげながらもそう思った。

 かくして打ち合いが再開された。

 盧俊義の棒が横合いから襲いくる。孫安が、辛うじて下げた頭すれすれを掠めてゆく。さすがにひやりとした。だが同時に熱くもなった。

 久しぶりだ。こんなひりつくような命のやりとりは。

 孫安が左右の剣を同時に突き出した。盧俊義は、左の剣を棍棒で弾いた。しかし右剣の切っ先がすでに迫っていた。

 うおお、と叫び、盧俊義は体を捻る。だが、かわしきれない。脇腹を切り裂かれ、鮮血が飛び散った。

 しかし盧俊義は怯まない。目はしっかりと孫安を捉えていた。

 伸び切った孫安の右腕を狙い、棍棒を叩き込んだ。

 嫌な音がした。

 嗚咽を漏らし、孫安が態勢を整える。追撃は来ない。盧俊義も無事ではないのだ。

 太腿を締め、馬を下がらせる孫安。

 腕は、動く。

 折れてはいないが、指先まで痺れてしまっている。左の剣を握りなおし、盧俊義を睨む。

 盧俊義も孫安から目を逸らさない。少し腰を浮かし、尻の位置を整えた。

 二騎が駆けた。

 盧俊義有利、誰もがそう思った。だが孫安の剣は、二本の時と遜色ないほどの冴えだった。

 またもや十合、二十合と打ち合いが続く。

 鄧飛が唸り声を洩らす。

 どっちも化け物だ、とさっき欧鵬が言ったが、まったくだと思った。

 盧俊義の棍棒が孫安の首を捉えた。

 だが突き出した棍棒は、孫安から遠く外れた。

 盧俊義の体が宙にあった。今度は盧俊義の馬が足を滑らせたのだ。

 ぴたりと、剣の切っ先が盧俊義を狙っていた。

 孫安がにこりとした。

「馬を替えるといい。いま一度だ」

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