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求道

 高唐州が固く扉を閉ざしておよそ十日あまり。

 時おり偵察の隊が出てくるだけで、本格的な戦闘には至っていない。

 互いに時を待っていた。

 高唐州軍は高廉の傷が癒えるのを。そして梁山泊軍は公孫勝の到着を、である。

「ただいま戻りました。遅くなり申し訳ございません、宋江どの」

 公孫勝が梁山泊の陣に帰還した。後ろに控える戴宗も、やっと任務を果たせたからか、どこか満足げな表情だった。

 おや、と宋江が訊ねた。李逵の姿が見えないのだ。

 戴宗は少し言いにくそうに笑いながら、二仙山での出来事を話した。

「いないものは仕方がない。じきに援軍と輜重が届くという報が、晁蓋どのからあった。すぐに出陣の準備を」

 梁山泊軍に緊張が走る。それと共に昂揚感のようなものも感じられた。高廉の妖術に対抗するために呼び戻された公孫勝の存在がそうさせているのだろう。

 宋江が横目で公孫勝を見ている。宋江はほんの少し、不安でもあった。実際に公孫勝の道術を目にしていたわけではなかったからだ。晁蓋が梁山泊に入山する前後の戦い、その時に術を使ったと聞いている。

 しかしその後、戦において公孫勝は術を使っていない。そしてそのまま薊州へと戻っていたのだ。

 帰還した公孫勝は以前よりも醸し出す雰囲気が、より超然としている気がした。

「勝てるのか、高廉の妖術に」

 林冲が馬を寄せてきた。公孫勝は顔を前に向けたまま言った。

「まだ高廉とやらの術を見ていないので、分からぬ。だが、負けるわけにはいかない」

「そうだな。何かできる事があれば、遠慮なく言ってくれ」

 公孫勝が頷き、林冲は隊列に戻って行った。

 梁山泊軍が陣を広げた。雁の翼のように左右に陣を広げる。

 左の将は花栄、秦明、朱仝、欧鵬、呂方。右には林冲、孫立、鄧飛、馬麟、郭盛。そして中央に陣取るのが宋江、呉用、公孫勝である。実に堂々たる布陣であった。

 高唐州の城門が開いた。高廉が飛天神兵を従え、姿を見せた。高廉はすでに剣を抜き、楯を構えていた。不敵な笑みは変わっておらず、どうやら肩の傷も癒えたようだ。

「この前は汚い手に騙されたが、それは万策尽きた証。何度来ようとも、貴様らに勝機はない事を認めるのだな」

 はあっ、と高廉が剣を天に掲げ、呪文を唱えた。

 たちまち太陽が雲に隠れ、天が暗くなり、さらに黒気が立ち昇り、風が巻き起こり始めた。さらに高廉が左手の楯を打ち鳴らす。すると飛天神兵の間から例の虎や豹、狼などが現れ、唸りを上げる。

 梁山泊兵の間に動揺が走る。前回の戦いの恐怖からか、どうしても浮足立ってしまう。

「行けい」

 高廉の号令で神兵が進軍を始めた。百人ずつが三隊の編成だ。獣たちが神兵を抜け、梁山泊軍に向かって駆ける。

 梁山泊軍が迎え討つ態勢を取る。

「公孫勝」

 宋江が叫んだ。公孫勝が馬上で、背負った古定剣をすらりと抜き放った。

 高廉の目が公孫勝を捉えた。

「もしや、あ奴も術を使うのか。あの男を狙え」

 高廉が叫び、剣を公孫勝に向けた。

 公孫勝は慌てることなく、古定剣を斜め上方に向けて、気合を発した。すると剣が向いている先の雲の間から光が差し込みだした。

 その光は地上を覆っていた闇を払うように広がった。すると光に当たった虎や豹などの獣が、砂のように崩れた。そしてひらひらと、獣の形をした紙が地に落ちてゆく。

「なんだと。我が術を」

 高廉の顔に明らかに動揺の色が浮かんだ。

「見ろ、李俊が言った通り、あの獣は紙でできているのだ」

 秦明が狼牙棒を振りかぶり、突進した。そして目の前に飛びかかって来た狼に打ち下ろした。ぎゃん、という悲鳴と共に狼の頭蓋が砕け、やはり紙となって散った。

 宋江が鞭を振り、総攻撃の号令をかけた。

 林冲をはじめとする雁の右翼と、花栄をはじめとする左翼が高唐州軍を押し包むように閉じてゆく。

「貴様らの好きにはさせぬ。我が名は薛元輝(せつげんき)。覚悟せい、山賊どもめ」

 花栄めがけて薛元輝と名乗る将が迫って来た。節元輝は両手に刀を構えたまま、器用に馬を駆けさせている。

 咄嗟に花栄が槍を繰り出し、牽制する。薛元輝はうまく右手の刀で槍を捌くと、左の刀を斜め下から繰り出した。しかし花栄はいなされた槍をそのまま回し、石突の方でそれを受け止める。体勢を立て直そうと薛元輝が馬を下がらせた隙に、花栄は馬首を返し、薛元輝に背を向けた。

「逃げるか、卑怯者め」

 薛元輝が猛然と花栄を追った。その隙だらけの背に狙いをつけた時である。薛元輝の全身に悪寒が走った。

 薛元輝と花栄の目が合った。

 自分は奴の背を見ていたはず。一体、どういう事だ。

 花栄が体を捻り、矢をつがえていた。薛元輝は、それを理解する前に額を射抜かれた。

「わざわざ近づいてくれるなんて、悪いな」

 花栄に続けとばかりに、梁山泊軍が高唐州軍に押し寄せた。高廉の術はすでに効力を失い、地には高唐州軍の死体だけが増えてゆく。

 ついに撤退の鉦が鳴らされた。高唐州軍が撤退してゆく。

 梁山泊軍は城門まで少しのところに迫ったが、城壁から石や丸太などが落とされてきたため、追撃を断念した。

「何者だ、あの男は。しかし、このままでは終わらぬぞ」

 逃げ込んだ高廉が恨めしそうな目で公孫勝を睨みつけていた。

 公孫勝は涼しげな顔をして、古定剣を納めた。

 戦場には、獣の形をした数え切れないほどの紙切れだけが風に舞っていた。

「痛てて、ふざけやがって、あの小僧。今度会ったら絶対に叩っ斬ってやるからな」

 李逵が腰に手を当てながら、よたよたと歩いていた。

 しかし、いったいここはどこだ。あの時、李逵の乗った手巾が雲になり、あっという間に空高く運ばれた。

 李逵は落ちないようにしっかりと捕まりながらも、羅真人を痛罵していた。しかしどこまで飛んだ時であろうか、ふいに雲が消え去り、李逵は地上へと真っ逆さまに落ちたのだ。 

 羅真人の術の力なのか、落ちた李逵は無事だったが腰を痛めてしまった。

 少し歩くと近くに街が見えた。李逵が行き交う者を捕まえ聞き出すと、武岡鎮というところで、二仙山からは徒歩で三日くらいの距離だという。

「そんな距離を一気に来たのは良いが、戴宗の兄貴たちとはぐれちまったなぁ」

 二仙山へ戻るかどうしようか迷っていたが、大きな音を立てて腹の虫が鳴いた。

 腹が減っては戦はできぬ、と李逵は飯屋に向かった。するとその近くに人だかりができていた。

「見ろ。すごい力だ」

「大したもんだ」

 などと観衆の声が聞こえてきた。興味を持った李逵は人垣の上から覗いてみる事にした。

 男が鉄瓜鎚(てつかつい)を操っていた。三十斤ほどもあるだろうか。演武のように舞い、鉄瓜鎚を軽々と扱っている。

 男は袖をまくり腕をむき出しにしていた。鉄瓜鎚を動かす度に、その腕に筋肉が盛り上がり、血管が浮いて見えた。尋常ではない腕の力があればこそできる芸当なのである。

 李逵は、なかなかのものだなと感心していた。

「さあ、ご覧あれ」

 そう言った男はぐるりと鉄瓜鎚を頭上まで上げると、勢いよく振り下ろした。鉄瓜鎚が側にあった大きな石の柱を、轟音とともに打ち砕いた。

 そしてその鉄瓜鎚を、これ見よがしに地面に突き立てた。鉄瓜鎚自身の重さと男の力とで、観衆の足元に地響きが伝わった。

 観衆がひと際大きな喝采を送る。男が恭しく礼をし、おひねりを拾っている時である。

「ほう、面白いもん使うなあ」

 李逵が笑いながら鉄瓜鎚に手をかけていた。

「なんだ、お前は。俺の物に触るんじゃない」

「いいじゃねぇか、ちょっとくらい」

 李逵が地面にめり込んだ鉄瓜鎚を、軽く引き抜いた。

 男は目を丸くしていた。

 鉄瓜鎚は三十斤もあるが、力があれば持てない訳ではない。だが、男は目の前で起きている事が信じられぬという顔であった。

 李逵はその鉄瓜鎚をまるで玩具のように、ほいほいと操っていたのだ。

「あ、あんたは一体、何者(なにもん)だ」

「よくぞ聞いてくれた。おいらは」

 黒旋風の李逵さまだ。

 その言葉と同時に、李逵が鉄瓜鎚を元あった地面に置いた。

 先ほどよりも、大きな地響きが起きた。

 

 男は、湯隆(とうりゅう)という名だった。

 湯隆は幼い頃に水疱に罹った。だが治癒したものの体に痘痕(あばた)が残ってしまった。それが豹の斑紋のようなので、金銭豹子と呼ばれているのだという。

「あなたがあの黒旋風なのですか。梁山泊の好漢たちの噂はかねがね、ここ武岡鎮にまで鳴り響いています。ぜひお会いしたいと思っていたのです」

「そうかそうか」

 李逵の方も、あご髯をさすりながら満面の笑みであった。

 湯隆の家に招かれた李逵が、今度は驚いた。

 家というよりもそこは工房のようであった。大きさや形の異なる様々な鉄鎚や鉗(かなばさみ)が所狭しと並べられている。さらに床(ゆか)には金床(かなとこ)や鞴(ふいご)が置いてあった。

「お前は鍛冶屋なのか」

「はい、あちこちで鍛冶をして渡り歩いております。今はここを仮宿としておりますが」

 湯隆の父は延安府の知寨(ちさい)であったのだが、鍛冶にも精通していたという。そのため経略使の种老相公の目にとまり、その側に仕えたというのだ。経略使とは辺境などに置かれる武官である。その経略使の目に留(と)まるとは、よほど腕が良かったのだろう。だがその父も数年前に世を去ったという。

「今思えば、親不孝者です。博打にはまってしまい、このようにあちこち流離っているのですから」

 だが腕の方は確かで、あの鉄瓜鎚も湯隆が造ったものであった。ああして自ら得物の出来栄えを見せ、客を呼んでいるのだという。

 博打が好きな李逵は、うんうんと我が事のように頷いていた。

 突如、李逵は思い出した。そう言えば、梁山泊で鍛冶のできる者が足りないと言っていたような気がする。いまは雷横、あの朱仝というひげ野郎の相棒、とかいう男が任についていたはずだが、本職ではないと言っていた。

 李逵はにやりとして湯隆の肩を叩いた。

「まあ、ここでこうしておいらと会えたのも偶然ではないという事だ。どうだ、良ければ梁山泊でその腕を存分に振るってみては」

「良いのですか、本当に。そいつは願ったり叶ったりです。梁山泊には李逵どののような豪傑がたくさんいるんでしょう。俺が作った得物を、天下の好漢が使ってくれるなんて」

「おお、それはおいらが約束しよう。梁山泊には腕っこきが山ほどいるのだ。まあ、おいらが一番だけどな」

 湯隆は酒屋に行き、そこで李逵と兄弟の杯を交わした。

 兄貴、と呼ばれる事に李逵はとても嬉しそうで、何度も呼ばせていた。

 二人は酒を酌み交わしながら話に花を咲かせる。

「やはり英雄にはその者にふさわしい武器がなければいけません。兄貴には一番に、良い斧を打って差し上げます」

 李逵は手を叩いて喜び、やがて武器の話になる。

「手前味噌ですが、どんな武器でも造ることができる自信はあります。今はあまり使い手の少ない武器とかも、親父がそういうの好きだったもんで。例えば、槍の穂先に鎌がついたような鈎鎌鎗ってのがあるんですが、そいつも俺が知ってる限り一人しか使い手がいませんね。もちろん、俺独自の物もできます。そうですね代州(だいしゅう)にいたころには、とても僧とは思えぬ人に特注の禅杖を打ったり」

 武器の話になると意外に口数が多くなる湯隆に驚きながらも、さすがはおいらの弟分だと李逵も嬉しい様子だった。

 酒瓶の数は、まだまだ増えそうだ。

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