top of page

悲報

 大きな屋敷の広い庭で下男たちがせわしなく動き回っていた。用意された卓の上に皿や杯などの食器を並べてゆく。

 その様子を腰に手をあてた孔明が見ていた。

「もうじき準備が整います、兄者」

 孔明の元へ駆けてきた孔亮がそう告げた。孔明の弟である。

 この二人、青州は白虎山の地主である孔太公の息子たちで、それぞれ毛頭星、独火星と呼ばれていた。

「うむ、ではそろそろ出迎えの準備をするとしよう」

 孔明がそう言い、二人は屋敷の中へと入って行った。

「おい、長王三(ちょうおうさん)よ。今日は一体誰が来るってんだい。こんなに豪勢な宴の用意をして」

 背の低い男が、並べられた点心に手を伸ばしながら言った。

「おい、つまみ食いするなよ矮李四(わいりし)。旦那さまと若さまに怒られるぜ」

 背の高い長王三が矮李四に教えた。

「今日はなんでも、旦那さまがかねてから手紙を送っていた、山寨の好漢たちが見えられるそうだ。やっと顔を合わせられるってんで旦那さまも若さまも張り切っておいでだ。余計な事をするんじゃないぞ」

 わかってるよ、と言いながら矮李四は口をもぐもぐさせていた。

「こいつめ。さ、俺たちも行くぞ」

 長王三が十人ほどを引き連れ、庭から出て孔兄弟の後を追った。

 初夏には少し早いが、風は暖かく空は澄み渡っていた。

 

「二竜山の皆さまのお着きです」

 緊張した顔の長王三が声を張り上げる。そして下男たちに導かれて数人の男たちが庭へと姿を現した。

 孔明と孔亮もいささか硬い表情をし、拱手で出迎えた。

 青面獣の楊志が先頭を歩き、その後ろに巨躯で異相の僧侶、花和尚の魯智深が続く。その横にいる行者の姿を見て孔兄弟の顔が一層、引き締った。

 楊志が拱手して孔兄弟に向かう。

「この度はお招きいただき感謝いたしております。本来ならば、青州に居を移した際にお礼を言わねばならぬものを」

「こちらこそお会いできて光栄です、楊志どの。さ、堅苦しい挨拶は抜きにしてこちらへどうぞ。大したものはございませんが」

 孔明がそう促した。

 そうこなくては、と魯智深が席に着くや酒と点心を頬張った。

 楊志が他の頭目を紹介してくれた。

「内陸と違って、この青州は海の幸も豊富ですな」

 そう言ったのは、操刀鬼の曹正だ。魯智深と楊志が二竜山を奪うのに協力した男で、もともと居酒屋の主人だったという。

 その曹正の言葉に、まったくだ、と相槌をうったのが菜園子の張青と母夜叉の孫二娘夫婦だ。

「これはお久しぶりです、武松どの」

 孔兄弟が、とくに孔亮が強張った顔をしていた。

「過日の事は、俺も悪かった。どうか根に持たんで欲しい」

「なに、これも何かのご縁です。弟もすでに水に流しておりますよ」

 お互いに拱手し、武松が席に着いた。孔兄弟はもちろんだったが、あの時、武松を縛りあげた長王三や矮李四などの手下たちも、ほっと安堵のため息を漏らした。

 そして武松の側に腰をおろしたのが金眼彪の施恩。元孟州の典獄の息子で、金色がかった瞳の青年であった。

 鴛鴦楼で張都監らを惨殺した後に姿をくらませた武松を探し出すため、彼と親しかった施恩が狙われた。だが牢番をしていた康(こう)という知人がそれをいち早く知らせてくれたため、すんでのところで家族を連れ、孟州を抜け出す事ができたのだ。

 しかし武松の行方も杳として知れず、父を含め旅慣れぬ者ばかりで、施恩らはすぐに取り手たちの網の目にかかってしまった。

 屈強な十五人ほどの捕り手たちが施恩たちを取り囲んだ。下男を含めこちらは十人。人数はもちろん、戦力の上でも負けていた。

 強くなれ。

 武松の言葉が思い出された。

 施恩は臆することなく腰の刀を抜き放ち、捕り手たちに向かって吼えた。

 

 高価な皮張りの靴が土と埃にまみれていた。

 上等な上着が斬られ、破れ、血の色に染まっていた。

 施恩は袈裟懸けに捕り手の一人を切り捨てると、よろめいた。だが刀を地に突き刺し、杖代わりにして倒れる事だけは防いだ。

 施恩の周りには、下男たち全員が倒れ伏していた。捕り手の数はまだ七人残っていた。何とか三人減らしただけだった。

 施恩は背に父を守っていた。自分だけは、倒れる訳にはいかないのだ。

 息が苦しい。意識も朦朧としてきた。しかしそれでも倒れる訳にはいかないのだ。

 蔣忠を倒した武松の雄姿を思い出した。

 手にこびりついた血を着物で拭うと、刀を引き抜き捕り手たちに向けた。

「もう無駄だぜ、施恩さんよ。おとなしく捕まっちまいなよ。命までは取られねぇから」

 牙をむき出した彪を捕り手たちがなだめようとした。彼らとて怪我はしたくはないのだろうし、命を捨てるほどの覚悟はなかった。

 しかし施恩は違った。

 武松と出会い、己が甘ったれたお坊っちゃまであった事がわかった。

 施恩は武松の強さにあこがれた。

 強くなれ。

 また武松の言葉が聞こえたような気がした。

 兄貴、力を。施恩が再び吼えた。

 そこに駆けつけた張青は見た。

 傷を負いながらも屈することなく牙を剥き、吠える豹の姿を。

 

 施恩は、刀を構えたまま意識を失っていた。

 捕り手たちは、その施恩を怖れ、近寄ることができなかった。

 そして彼らは張青の手下たちに次々と屠(ほふ)られた。

 怯える施恩の父に素性を明かし、安心させた。

 そして張青はゆっくりと施恩の手から刀を外した。

「遅れてすまなかった」

 その言葉が聞こえたかのように、施恩がゆっくりと膝を地につけた。

 張青が手下に命じ、手当を急がせる。

 張青の不注意だった。全員仕留めたとばかり思っていた。

 張青が施恩を介抱している隙に、捕り手の一人が起き上がり、走って逃げてしまったのだ。

「追え、追うんだ」

 手下たちが慌ててそれを追った。しかし、ついに見逃してしまう事になる。

「こうなったら、わし達も青州へと行くしかあるまいな」

 十字坡の居酒屋に戻った張青が渋い顔でそう言った。

 殺し損ねた捕り手に、こちらの顔を見られている。もう隠れる事はできないだろう。

「何言ってんのさ。あんな奴ら返り討ちだよ」

 そう息巻く孫二娘を何とか説得し、張青とその部下たちは、十字坡を出発した。

 昼は隠れ、夜道を進んだ。施恩の怪我も悪化することなく回復し、ようやく歩けるようになった頃、今度は施恩の父が病にかかった。

 医者も見つからず、施恩の父は見る間に衰弱していった。

「恩(おん)よ、わしはもう長くない。こうして孟州から逃げる羽目になってしまったが、後悔はしておらん」

 古い廟を仮宿とし、寝床に伏した父に施恩が寄り添っている。冷たい手を温めるように擦り、施恩は言葉を詰まらせる。

 咳を何度かして、施恩の父はふいに笑顔になった。

「何よりお前の成長が見られた。強く、大きくなったな、恩」

 言い終えると施恩の父は、眠るようにその命の灯火(ともしび)を消した。

 施恩は手を握りしめ、黙って肩を震わせていた。

 廟の外で、蟋蟀(こおろぎ)が悲しげに鳴いていた。

 

 桃花山の頭領のお着きです、と矮李四が胸を張って告げた。

「この度はお招きいただき、ありがとう存じます」

 打虎将の李忠と、小覇王の周通が孔兄弟に拱手をする。

 卓に案内され、二竜山の一同とも挨拶を交わした。

 李忠は魯智深に笑いかける。

「これは和尚、またお会いできましたな。突然いなくなったので驚きましたよ」

「がはは、すまぬ、すまぬ。あまり世話になるのも悪いと思ってな。しかし、こんな所でまた会えるとは」

「まさに仏のお導きですね」

 魯智深の言葉を横から周通がさらい、一同が笑う。

「打虎将どの、あなた方も童貫軍の攻撃を受けたという事ですが」

 楊志がそう訊ねると、李忠は思い出すように目を閉じた。

 

 二竜山陥落の報は、すぐに桃花山にも届いた。

 童貫軍は都へと凱旋したが、次は桃花山だという噂が流れてきた。

 李忠は急いで武器の調達と、山寨の防壁の強化などを手下に命じた。しかし周通は焦る様子もなく、李忠に言った。

「桃花山から出ましょう、兄貴」

 何を言っているのだ、という表情の李忠に、周通は一通の手紙を差し出した。

「青州の孔明、孔亮兄弟から来ていたものです、覚えてますか」

 青州にも大きな山があるから興味があれば来てほしい、という内容だったか。二竜山軍も東へ向かったと聞いた。孔兄弟を頼って行くのだろうか。

 しかし戦いもせず、逃げ出すというのか。

「俺はこいつらを、死なせたくないんです」

 もともと桃花山は周通が興したものだ。手下とは歳が近く、友人のような間柄であった。

 李忠は目を瞑った。

 桃花山の手勢は二竜山よりも少ない。しかも二竜山は、童貫軍が夜雨に乗じたとはいえ、楊志や魯智深という手練がいたにもかかわらず、陥ちたのだ。

 黙って李忠を見つめる周通。李忠はしばし黙考すると、唸るように決断した。

 桃花山は手放そう、と。

 

 童貫軍はもぬけの殻となった桃花山に進軍した。しかしまったく反応がないため、童貫は敵の罠だと踏んだ。童貫は慎重に桃花山を囲み、長期戦の構えを見せた。

 周通の割り切りの良さが、ここで功を奏した。

 童貫が独り相撲をしている隙に、青州への距離を充分に稼げたのだ。空(から)の寨を囲む童貫の姿を思い浮かべ、李忠は苦笑するばかりだった。

「それは賢明な判断でした。ひとりの犠牲も出さずに済むに越したことはありません」

 楊志が神妙な面持ちでつぶやいた。二竜山の犠牲は大きかったと聞く。李忠は複雑な思いだった。

「皆さまお揃いになりましたので、改めて乾杯といきましょう」

 孔明が杯を上げ、皆もそれに続く。空いた杯を置き、一拍おいて孔明が話し始めた。

「本日、皆さまにおいでいただいたのは、今後の結束を固めるためでございます」

 兄の言葉を孔亮が引き継いだ。

 先日、青州軍と清風山が交戦した。青州軍は黄信、秦明を送り出したものの清風山に懐柔されてしまった。しかし慕容彦達は大軍を派遣し、清風山を陥落させた。それは二竜山、桃花山の面々も伝え聞いていた。

 清風山がなくなった今、矛先は二竜山と桃花山に向けられるだろうことが予想された。

 さらに孔兄弟は各地の侠客らと連絡を取り合っており、青州軍に目をつけられてもおかしくはない。さらに孔明にはある懸念があったため、協力体制を取ろうと考えたのだ。

「わしたちを青州に招いてくれた恩は返さねばならぬが、お主らは山賊ではあるまい。一体どうしてわしらと」

 魯智深の言葉に、孔明は少し悲しそうな目をした。鼻から深く息を吐き出し、杯を手にした。

 慕容彦達がこの土地を狙っている、と孔明はその懸念を口に出した。

 白虎山を含む広大な土地は孔家のものだった。そこで孔太公と孔兄弟は商売などで莫大な利を得ている。慕容彦達はそれが面白くないらしく、またその利を何とか手中に収めようと画策しているというのだ。

「父の容体が思わしくありません」

 孔亮が苦しそうに言った。

 実際、孔家の経営は孔太公によるところが大きかった。孔太公の人望ゆえに慕容彦達も手を出しかねていたのだろう。父に及ぶべくもない事は、兄弟自身が一番良く分かっている事だった。各地の好漢と交わる事が兄弟の楽しみであったが、それを使った苦肉の策といえよう。

 青州軍の動向を探るため張青と孫二娘、曹正と施恩の組み合わせで居酒屋を置く事になった。

 孔家の土地も自由に使って良いという。もともと居酒屋をやっていた三人と、快活林を切り盛りしていた施恩だ、喜んでその提案を受けた。

 新生桃花山も連携する事を快諾した。二竜山、白虎山の前線基地という形になる。

「約束は頼むから守ってくれよ。人様の土地なんだからな」

 張青はそう言ったが孫二娘は、ふふふ、と不敵な笑みを浮かべるばかりであった。

 武松が、やれやれ、という顔をして酒を飲んでいた。

 

 ほどなくして孔太公が世を去った。

 盛大な葬儀を執り行いたかったが密葬とし、その死を隠した。慕容彦達に、わざわざ狙ってくれと教えるようなものだからである。

 桃花山の寨で李忠は遠くの空を見ていた。

 すでに星がいくつか瞬(またた)いていた。

「仏の導き、か」

 孔明の屋敷で魯智深と再び会った。

 また楊志率いる二竜山の好漢たちとも協力することになった。

「それとも、星の定めか」

 無性に棒が振りたくなった。

 李忠は愛用の棒を握り、部屋を出て行った。

 西の空に暗雲が現れ、時折光っているようだった。

 嵐が来るのだろうか。

bottom of page