
108 outlaws
無頼
三
まず軽い毒薬を、顔の刺青の上に塗る。次に良薬で手当てをする。すると瘡蓋ができるので、それを金玉の粉末で治療する。
そうしてふた月ほどで、王慶の顔から罪人の証である刺青が消えてしまった。
「こいつはすげぇや。兄貴がこんな技を持っているなんて、知りませんでしたよ」
「まあな」
「こないだ会った時も教えてくれなかったじゃないですか」
「まあな」
范全(はんぜん)があまり良い反応をしなかったので、王慶はそれ以上の追及をやめた。
この技は范全が健康府赴いた時、安道全に弟子入りして教わったものだった。
范全は勤勉で実直、そして覚えが早かった。そのため安道全も気に入っていた。ところが范全は追い出される事になる。妻の死で、安道全は医者を辞めたからだが、范全がそれを知ることはなかった。
弟子として認められなかった。ただその思いだけが、心に深い影を落としていた。だから誰にもその事を話していなかった。話したくなかった。
「安先生」
ぽつりと范全が呟いた。
房州城外、定山堡の東にある家。そこに王慶が隠れ棲んだ。
やがて三月以上も経ち、年も明けると王慶に対する追及の手も、すっかり忘れられていくようであった。
もう大丈夫だろう。そう思い、王慶は遠くまで散策することにした。
歩いていると、人々が同じ方向へ向かっているのに気づいた。
聞くと、西の段家荘に芸妓を呼んで祭のようなものが催されているという。
興味を抱き、王慶は段家荘へと足を向けた。
舞台にはまだ芸妓が上がっていなかったが、その周りでは幾つも卓が並べられ、多くの人間が集まっていた。
博打である。
その中で、一人の男が目に入った。
いかつい大男で、卓の上には盆と骰子が六つ。そして五貫が積まれていた。大男はぎろりと、通りかかる人々に目を向ける。だが怖れをなし、誰も近寄ろうとしない。
ふふ、王慶は可笑しくなった。
あれじゃあ誰もやらねぇよ。
そして懐の銭に手を当てた。范全が用立ててくれた錠銀だ。
ようし、ここは范全の兄貴に良い物でも買ってってやらくちゃなあ。
どかりと大男の前に腰を下ろし、錠銀を放る。
するともう一人、背の高い男がやって来た。大男とどことなく似た顔だと思った。
「あんた、ずいぶん気前の良いこったな。だがそいつは大き過ぎだろう。俺が両替してやるよ。替え賃は後でいただくがね」
と半ば無理やり、錠銀を二貫にして王慶に渡した。しかもすでに二十文差し引いていたのである。
王慶は口の端を歪めた。
まあ、ここはうるさく言わないでおこう。
「さあ、始めよう」
瞬く間に王慶と大男の卓に人が集まり始めた。
王慶の腕が良いと、広まったのだ。大男はすでに三貫負けている。だが取り返そうと思えば思うほど、悪い手しか出ない。
喝采に包まれ、王慶が五貫をせしめた。
王慶は錠銀を取りもどそうと、さっきの両替人を探したが見当たらない。
そこへ大声が轟く。
「おい、どこへ行きやがる、いかさま野郎」
「あん、負けたのが気にいらねぇってのか。これだから田舎者は嫌だねぇ」
大男が赤い顔で王慶の前に立ちはだかった。
王慶は逃げもせずに、悠然と体を開く。
があっ、と大男が叫び、巨大な拳を打ってきた。
王慶は体を捻りながら左手で拳を捌いた。そしてそのまま右肘を、男の鳩尾へ打ちこんだ。そしてさらに左足を低く回し、男の脚を刈って転がしてしまった。
男の顔がさらに赤くなる。だが王慶が胸に足を置き、立ち上がることができない。
すると両替人が走ってきた。だが助けるでもなく、卓の上の銭をかっさらうと逃げて行ってしまった。
「待ちやがれ、この野郎」
王慶は両替人を追った。逃がしてたまるか。
だが、王慶の前に立ちはだかる者がいた。
「待つのはあんただ。人さまの庭で、無礼は許さないよ」
それは女だった。
髪を派手な簪で飾り立て、耳飾りや腕輪をじゃらじゃらさせている。化粧はほとんどしておらず、凶暴そうな目をしていた。
女が上着を脱ぐと、王慶は目を見張った。
むき出しの両腕と肩には、そこらの男では敵わないような、隆々とした筋肉に覆われていたからだ。
女が構えを示し、突風のように拳を突きこんできた。
ほう、筋は良い。だが素人の拳だ。
王慶はからかってやろうと思い、受けに回った。
鋭い突きを何度も放ち、女は思う。相手は避けるのに精一杯だ。どうやら大したことない男みたいだね。そして、さらに速度を上げた。
しかし、防戦一方のはずの男の口元が、笑っているではないか。
何がおかしい。
いや、何かがおかしい。
怒りを込めた虎の如き一撃を、女が打ち込んだ。狙うのは男の胸元、心臓の辺り。
黒虎偸心の技だ。
ほお、と拳を避けながら、王慶が感心した。
そして伸び切った腕を捻り、女をひっくり返した。そのまま頭から地面に落とす気だ。
だが女も、さすがというべきか、悲鳴ひとつ上げない。
気にいった。
王慶は、地面すれすれで掴んだ手首を勢いよく回した。女はさらに半回転して、王慶に抱きかかられる形となった。
虎抱頭の手であった。
王慶がにやりとする。
「着物を汚しちゃいないだろ。手荒な事をしたと怒りなさんなよ。突っかかって来たのはそっちの方なんだからな」
「そんな事で怒るもんかい。でもあんた、大した腕をしてるじゃないか」
女がしげしげと王慶を見つめる。
と、そこへ、
「おいこの野郎。よくも妹に手を出しやがったな」
「ゆるさねぇぞ。この野郎」
前方からは、逃げたはずの両替人が。そして後ろからは大男が叫びながらやってくる。
やるならやってみろ、とばかりに王慶が半身になり、拳を構えた。
さらに別の声。
「みんな、やめるんだ。同じ土地の者同士だ。拳を納め、話し合おうじゃないか」
三人が拳を止めた。
王慶は驚いた。
そこへ割って入って来たのは范全だった。