
108 outlaws
無頼
二
それから十日余り。やはり黄達が訴え出たという噂が流れてきた。
王慶は龔家村を離れる事に決め、孫琳と賀吉はやっと職務が果たせると安堵した。
龔端と龔正は五十両もの白銀を渡し、別れを惜しんだ。
そして陝州へ。
賄賂を受け取った典獄の張世開は、王慶の枷を外してやり、また殺威棒も免除してやった。王慶は破格の待遇を受けることとなった。
いつしかふた月が経ち、秋も深まってきたある日、王慶が張世開に呼ばれた。
陳州の獣角で飾った弓が欲しいから、目利きをしてくれと言う。陳州は東京開封府の管下、王慶なら真贋が分かるだろうとの考えだ。王慶は見事期待に応え、張世開はことのほか喜んだ。
それから張世開は、頻繁に用事を頼むようになった。しかしその費用は王慶持ちで、後からまとめて返すというやり方であった。
十日経って、張世開に銭を請求したが払ってもらえず、さらにひと月経っても同じだった。しかも、王慶の買ってきた物に文句を言い、時には罰として棒打ちまで喰らってしまうこともあった。
初めは良い顔してたじゃねぇか。どうしてこんな目に合わねばならんのだ。
這いつくばりながらも、王慶は張世開を睨んだ。
「む、何だその目は。いまにも噛みつきそうな目をしおって。反省が足りんようだな」
王慶はその日、さらに棒を受けた。
膏薬を足に張り、房で寝台に横たわる王慶。足がじんじんと痛み、怒りがふつふつと沸き上がる。
くそう、あの野郎め。何だって俺を目の敵にしやがるんだ。何とかしなくちゃなあ。
そして王慶は張世開の側仕えに近づいた。残り少ない金を渡し、肉や酒をご馳走する。
いつもご苦労様です、と王慶が下手に出れば、側仕えも悪い気はしない。
酒で良い気分になったところで、
「しかしお前も大変だなあ。典獄さまに酷い目にあわされて」
と王慶を憐憫の目で見る。
待っていた。
王慶は密かに目を鋭くさせる。
「いやあ、お気遣い痛み入ります。まあ、でも当然ですよね。やっぱりあの事が原因なんでしょうか」
「そうだ。お前があの男を痛めつけちまったからなあ。まだしばらく納まらないと思うぜ」
あの男、それは龐元といい、張世開の妾の弟であった。そしてこの龐元、なんと龔兄弟と出会った時に打ちのめした、あの棒使いだったのだ。
龐元は姉に泣きつき、張世開に王慶を痛めつけるように言っていたのだ。
合点がいった。そういう事だったか。
しかし、官を怕れずただ管を怕れる、か。
これ以上、やられるようならば逃げ出すしかないか。
まあその時はその時か。
王慶は手に入れた匕首を、懐に忍ばせた。
足の傷がやっと癒えた頃、張世開に呼ばれた。緞子を買って来いというのだ。
ははあ、妾の龐氏に与えるのだな。
王慶は着物を見る目もあり、なるだけ良い品を選んだ。だが張世開は色がどうのとか、柄が古いとか難癖をつけて怒鳴り散らした。そして今日中に上質な物と取り換えてこないと命はないぞ、とまで言われる始末。仕方なく金を上乗せして、良い緞子を手に入れた。だがすでに牢城の門は閉ざされてしまっていた。
当直は面倒を嫌って、王慶を入れようとしない。張世開の使いだと言っても、態度を崩さない。
思案する王慶。
恨み小なるは君子に非ず、毒無きは丈夫ならず、だ。このままいびり殺されるより、とことんまでやった方がましというものだ。
そう決めると、行動は早かった。
夜中を待ち、張世開の邸宅の裏へ回る。静かに塀を乗り越え、厠(かわや)から中へと忍び込んだ。
向こうの部屋から声が聞こえてくる。
「あいつも身銭を使い果たしたみたいです。そろそろひと思いに、恨みを晴らしてくださいよ」
「そうだな、明後日くらいにはやってやるとするか」
「そうこなくては。いよいよか、楽しみだなあ」
龐元と張世開の声だ。龐氏も同席しているようだ。
そのやりとりを聞くうちに、王慶の胸に怒りの炎が燃え上がってきた。
やがて張世開が便所に立った。側仕えに灯りを持たせて廊下を歩く。王慶は暗闇に隠れて待つ。
通り過ぎた張世開の背後に回りこんだ。気配に振り向いた張世開。だが王慶の手には匕首が握られていた。
叫ぶ暇もなく、耳の付け根から項あたりまでばっさりと斬られてしまった。白目をむき、血の海に倒れる張世開。
声にならない声を上げて逃げようとする側仕えの背にも、匕首を深く突き立てた。
返り血に濡れた王慶は、恍惚の表情を浮かべていた。
騒ぎに気付き、龐元が廊下へ出てきた。
「どうしたんです、義兄さん」
王慶が飛び出し、匕首を龐元に付き立てた。匕首が脇腹に突き刺さり、悲鳴が上がる。
龐元は這って逃げようとするが、王慶がその背に馬乗りになる。そのまま首を掻き切られてしまった。
次に龐氏も廊下へ姿を見せた。匕首を握りなおし、王慶が近づこうとした。
その時、王慶は見た。龐氏の背後から十数人もの男たちが、武器を手に襲いかかってくるのを。
実はその時、龐氏の後ろには誰もいなかったのである。はたして王慶は、またも怪異を見たのであろうか。
ともかく王慶は逃げた。
州尹は王慶を人殺しの罪で手配し、一戸一戸つぶさに調べたがついに見つけることはできなかった。
陝州を逃れた王慶。しかし、どこへ行ったものか、と思案する。
木の葉も散り、草も枯れる時節。なんとしても宿を確保したい。六十里ほど駆けると、朝方に家並みが見えた。そこでなんとか宿を見つけた。
すると宿から一人の男が出てきた。
おや、と王慶は思った。見覚えがある顔だったのだ。
そして近づき、声をかけた。
「兄貴、お変わりありませんか」
「ん、お前は」
眉を寄せ、王慶の顔を確かめる男。
「まさか、王慶か。どうしたんだその姿は」
男の名は范全。母方の従兄である。
房州の押牢節級をしており、公用で東京開封府に来た時、王家に何日か泊まっていたのだ。
ここで知り合いに出会うなんて。
まだまだ俺の運は尽きていないらしい。