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無頼

​四

「私を行かせてください」

 孫安が開口一番そう言った。

 王慶討伐の勅令が、梁山泊に出されるという情報があった。そして孫安が駆けこんで来たのだ。

 宋江はやや暗い表情である。

「仇討ちか」

 孫安が黙って宋江の目を見つめる。

 孫安が若い頃だ。父が殺され、家族は離散した。その相手が、飛天蜈蚣の王道人とその相棒の李助だった。王道人は武松に討たれたが、李助はなんと王慶の軍師を務めているというのだ。

 千載一遇の好機である。

 孫安の瞳が熱を帯びている。

 危険だ。仇討ちに急ぐあまり、王慶討伐という本来の目的を見失ってしまわないか。それに、なにより無謀な行いをしまうのではないか。宋江はそう思った。

「奸臣たちが手ぐすね引いて待っているのは、我らが失敗すること。まして私は田虎(でんこ)軍から降った身。まず連中を納得させられる功績を上げねば、宋江どのが誹りを受けるようなことになりかねません。重々承知しております」

 宋江の心を読んだように、孫安が言った。

 その言葉に呉用が頷いた。

「そうですね。このままだと梁山泊は徒に兵を増やすだけで命令にも従わない、再び叛乱を企てているに違いない。連中ならそう考えてもおかしくはないでしょうね」

 ううむ、と宋江が唸る。

 確かに田虎や王慶の叛乱によって、罪もない民が苦しんでいる。もちろんそれを止めなければならない。だが、湧いてくる蠅をいくら潰したところで、その原因を除かねば根本的な解決にはならない。

 孫安は続ける。

「帝にも義理が立ちます。宋江どのは、為そうとしている事を為していただければいい」

 鋭い男だ。鋭すぎるのかもしれない。

 だがその言葉にも一理ある。

「わかった。最大限の支援はする。何でも言って欲しい」

「ありがとうございます、宋江どの」

「くれぐれも無理はしないでくれ」

 宋江は改めて声に出した。

 孫安は目を細めることで、それに応えた。

 

 勅使が来た。王慶討伐に出よ、という想定通りだ。

 宋江はあくまで丁重な言葉で、自身は出陣しない事を告げた。

 咎(とが)めかけた勅使を制し、

「私は出ないと言っただけです。こたびの討伐は、この孫安が指揮をとります」

 孫安が進み出る。勅使がしげしげと見やる。

 不満そうな顔だったが、

「では孫安、そなたを正先鋒に任じる。三月の期限を切る。準備を整え、疾く進発するように」

 と告げ、梁山泊を去った。

 王慶討伐軍には孫安以下、喬道清、卞祥、山士奇、唐斌そして田虎軍からの降将たちが名を連ねた。副将に盧俊義が任ぜられた。そして梁山泊軍からも編成された中に魏定国と単廷珪がいた。

 師である孫安とともに戦に出られることに興奮しながらも、やや緊張気味であった。

「まさかこんな日が来るなんてな。腕が鳴るぜ」

「ああ、でも落ち着けよ」

「なんだよ、良いところを見せようとして失敗するなと言いたいのか」

「そんな事は言ってない」

 二人とも、と孫安が声をかけてきた。自然と背筋が伸びる魏定国と単廷珪。

「頼んだぞ」

 その言葉だけで充分だった。

 魏定国と単廷珪は嬉しさを噛み殺し、互いの肩を小突き合った。

 

「駄目だ。君は残るんだ」

「嫌です。私も共に参ります」

 張清(ちょうせい)が困った顔をしていた。

 張清は討伐軍に加わったのだが、それを知った瓊英が、自分も行くと言いだしたのだ。

「もう仇討ちは果たしたのだ。君は梁山泊で待っていてくれ」

「嫌です」

 出そうになるため息を堪え、張清は粘り強く説得した。

 だがそれでも瓊英は首を縦に振らない。

 せっかく一緒になれたのだから、危険な目に遭わせたくないのだ。

 せっかく一緒になれたのに、心配しながら待つなんてできないわ。

「王慶と配下の者たちは凶暴な連中ばかりだと聞く」

「私では役に立たないと言うの。私の技はあなたから授かったものです。私は誇りに思っているのに」

 張清は唸るしかなかった。そして渋々、承諾するのであった。

 嬉々として喜ぶ瓊英の笑顔を見て、大きく息を吐く張清。

 今度はお前が守るのだ。

 いつか李雲に言われた言葉を思い出していた。

 

 関勝と唐斌が向かい合って、杯を傾けている。朱富の店だ。

 卓には文仲容と崔埜、そして宣贊と郝思文もいる。出陣前の宴という訳だ。

「しかし美味いな、ここの酒は」

 鼻息も荒く唐斌の声も大きくなる。そうだろうという風に関勝が微笑み、自らも喉を鳴らす。

 文仲容と崔埜も、美味い美味いと言いながら杯を重ねる。酒の追加に、朱富は大忙しだ。

「故郷のみんなにも、飲ませてやりたかったな」

 崔埜がしみじみと呟いた。目も潤んでいるようだ。

 その肩を、唐斌に強く張られた。

「泣いている暇はないぞ、崔埜。この酒が、誰もが飲めるようにするために、俺たちがいるのだ。そうだろう」

 そうですね、と頷く文仲容

「という訳だ。今度の討伐にここの酒を持っていくから、たんまり用意しておいてくれよ」

「ふふ、何だかんだ言ってお前が飲みたいだけではないか」

 関勝の返しに、ばれたか、とおちゃらけてみせた。

「お前らしいな」

 どっと笑い声が起きる。

 郝思文は、唐斌に惹かれている事に気付いた。強さもさることながら、その人間的魅力にである。大刀と天王。関勝と並び称される唐斌。田虎戦で共闘した時もだが、今はよりそれを感じている。

 そして何より関勝が嬉しそうなのが、郝思文にとって幸せな事だった。

 気合いを入れ直すように、郝思文が杯を空けた。

 その杯に宣贊が酒を注いだ。

「飲み過ぎるなよ」

 宣贊の目は深く、優しかった。 

  

 宋江と呉用が忠義堂にいた。

 孫安、盧俊義らは淮西に向け、すでに出発していた。

 奸臣たちは梁山泊の大義を利用している。先日の田虎然り、こたびの王慶討伐然り。梁山泊が勝っても負けても、漁夫の利を得るのは彼らなのだ、と呉用が語る。

「承知の上だ」

 宋江は己に言い聞かせるように言った。

 呉用は続ける。

「たとえ叛徒を平らげたところで、民の苦しみは終わりません。なぜなら国の中心が腐っているからです。宋江どのも、分かっているはずです。蔡京や王黼といった者はもちろんですが、根本の原因は」

「言うな」

 宋江がいつになく大きな声を出した。

 だがすぐに消え入りそうな声になる。

「それ以上は、言わないでくれ」

 呉用の言う通りだった。

 分かっている。いや、分かってしまった。

 国の腐敗、その根本の原因。

 それは帝だ。

 帝が、毅然とした態度で奸臣どもを排除しなければ、この状況はいつまでたっても変わる事はない。たとえ宿元景や陳瓘などの忠臣がいたとしても。

 呉用はじっと宋江の言葉を待つ。

 宋江が、卓上に広げられた地図を指差した。

「田虎に支配されていた河北。奪還したその地に、宿太尉が選んだ役人たちが置かれる」

 呉用は静かに頷いた。

 宋江は指を動かしてゆく。

 河北から黄河を越え南へ。

 今、王慶が支配している淮西だ。そして指をいったん止め、さらに南へ動かしてゆく。長(ちょう)江(こう)を渡ったそこは江南(こうなん)の地。

 呉用はそれを無言のまま見つめていた。

 淮西、江南が賊から解放されれば河北と同じ事ができる。つまり全土に梁山泊の意思を広げることができるという事だ。

 そして最後は中央。宋江の指は東京開封府の上にあった。

 まるで梁山泊が全土を占領していくようだ。呉用はの考えを言葉にしなかった。

 かつて、我々は叛徒ではないと言った宋江の逆鱗に触れるかもしれない。それに、国と戦うと明言した晁蓋と違い、宋江はあくまでも帝を廃するつもりなどないからだ。あくまで今の帝を据えたまま、国を救う事を目的としているのだ。

 国を倒して民を救う、国を変えて国を救う。目的や経緯は違えど、ほぼ同じ結果に至るのは偶然か、必然か。

「計画通り、江南に人を送ります」

 呉用が言った。王慶討伐が終わったならば、次は江南だ。何かと理由をつけて、方臘討伐の命令を出してくるのだろう。

 ならば先手を打つ。

 もちろん勅命がなくても、宋江は江南の民たちを救うつもりではあるのだが。

 江南の地は遠い。かの地で戦うためには、これまでのようにはいかない。兵、武器、糧食など必要な物資を、梁山泊から輸送していたのでは間に合わない。それに、莫大な労力と費用がかかってしまう。

 だから今のうちに、江南に梁山泊の拠点を作る。

 蔡京たちにはもちろん、いま江南を蹂躙している方臘にも邪魔されてはならない。危険な任務だ。

 裴宣と呉用が、そのための人選を行った。

 江南出身で土地に明るい者、そして旅慣れた者たちが主に選ばれた。

 劉唐、薛永、李立そして魯智深、武松などが忠義堂に集められた。

 江南の地図を示し、呉用が彼らに任務を指示していった。

「叛乱の意思あり、と思われてしまうかな」

「確かに蔡京らの目から見たら、十二分にそう映ることでしょう。もっとも、何もしなくても、我らが不利になるように捻じ曲げられてしまうのですが」

「宿元景どのに、面倒をかけてしまうな」

「お気になさらない方が。宿太尉も向こうの思惑で、こちらをうまく利用しているのですから、お互いさまでしょう」

「そうだな。慰めでも、そう思う事にするよ」

 夏の盛り、額に汗が浮かんでいる。

 酒でも飲もうか、と宋江は思った。

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