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無頼

 女の名は段三娘。

 この段家荘の三女で大虫窩と呼ばれている。虎の巣窟という意味だ。

 大男と両替人は、段三城の兄たちで段二と段五。

 それぞれ黒地虎、大民殃と呼ばれている。黒い蜱そして大きな蚰蜒の事で、周りが皮肉を込めてつけたのだが、本人たちは良く分からず喜んでいるらしい。

「まったく、親戚だから命がけで匿っているんだ。もしお前が手配されていると知れたらどうなっていたかわかるか」

「申し訳ありません、兄貴」

 ため息をつく范全。

「まあ良い。あの段兄弟は悪どい奴らだから気をつけるのだ。祭を開いていたのも、博打でひと儲けしようとしていたのさ」

 范全はそう言ったが、段三娘は段五から銭を取り返してくれた。きちんと筋は通すところもあるのだ。

 翌日、王慶を訪ねる者があった。

 なんと段家荘の長、段太公であった。

「昨日はわしの子供たちが失礼をしたようだ。まあ、お互いさまという事で水に流して欲しい」

「あなたがそうおっしゃるなら」

 段太公は、王慶の生まれた日や、場所などを詳しく聞いてきた。何の事かと思ったが、本名は隠して嘘を混ぜつつ答える事にした。やがて段太公は満足したように帰って行った。

 本当に何だったのだろうか。

「お前がお尋ね者だと、ばれていなければ良いのだが」

 仕事から戻った范全が、眉をひそめた。

 そこへまたも来客だ。

 王慶は、玄関に立っている男に見覚えがあった。

 間違いない。

 あの日、東京開封府で声をかけた占い師、李助だ。

 李助は王慶を見ても驚かなかった。

「やはりお主だったか。これほど早く再開できるとは」

「やはり、だと」

「段太公から、ある者を占って欲しいと言われてな。ことごとく、お主と符合したのだよ」

「覚えていたのかい」

 ふふ、と李助は不敵な顔をした。そして范全に恭しく挨拶をする。

「これは范全どの。お初にお目にかかります。この方とは、ちと奇縁がありましてな」

 范全は黙っている。

「それでぶしつけなのですが、段家がこの方をえらく気に入ってしまいまして。ぜひ娘の婿に迎えたいと申しておるのです」

 段三娘の婿にだと。

「ご心配めさるな。私の見た卦でも、妻が夫を盛りたてる、最高の運勢と出ております」

 范全は腕を組む。

 あの段家の事だ、縁談を断ったらあとでどんな酷い目にあわされる分からん。だが、段家と血縁になるなど。と、しばし思案した後、ここは丁重に断りを入れた。

 しかし段三娘は王慶を気に入ってしまっていると言い、李助は一歩も引かない。

 これは無理だと判断した范全。

 王慶に視線を送ると、決意したように頷いた。

「わかりました。そこまで言うのならばお受けいたしましょう。その代わり、こいつの名は、王慶ではありません。良いですね」

「良い決断です。名前など一つだろうが二つだろうが、関係ございません」

 早速、縁談の手配が進められた。

 かくしてその月の二十二日、婚儀が行われた。

 親類一同が集められ、段家荘では朝から飲めや喰えやの大騒ぎ。范全は役所の仕事のため中座したが、祝宴は夜まで続いた。

 やがて新郎新婦が部屋へと入っていく段となる。

 段家の親戚の女性たちはまだ若い者が多く、二人の床の様子が気になって仕方ない。酒に酔った勢いに任せて、部屋の外で聞き耳を立てると顔を赤らめて、嬌声を上げていた。

 そこへ段二が駆けこんできた。

「おい、お前たちこんなところで何やってるんだ」

 そして二人の部屋の戸を叩き、叫んだ。

「三娘、起きろ。お前の横に禍の種が寝ているのだ」

「なんだい、騒がしいね。何が起きたってんだい。良いところだったのに」

 段三娘が薄布を羽織っただけの姿で出てきた。邪魔された不満がありありと浮かんでいる。

 王慶が顔を出した途端、段二が胸元に掴みかかった。

「お前だ。お前が疫病神だったのだ」

「一体何の事だい。この人が何をしたって言うんだい」

 さらにそこへ范全も駆けこんできた。

「話は後だ。とにかく今は逃げなくては」

 すぐに房州の官兵が駆けつけてくるというのだ。

 黄達だった。龔家村で大きな顔をしていたが、王慶の力を借りた龔端たちが雪辱を晴らした男だ。

 怪我を治した黄達は、龔兄弟はもちろん王慶を深く恨んだ。王慶の流刑先、陝州での事件を聞き、足取りを執念深く追った。そしてついに名を変えて潜んでいる王慶を発見し、州尹に訴え出たという。范全は親しい孔目からその事を聞き、全てを捨て一散に段家荘へ報告に来たのだ。

 しかし逃げるといってもどこへ。

 屋敷を出た一行の前に、李助が悠然と立っていた。

 段五が急きこむように訊ねる。

「先生、俺たちはどうすればいいんで」

「こうなれば三十六計、逃げるにしかずです」

「でも、一体どこへ」

 す、と李助が西を示した。

「ここから二十里、房山です」

 この一大事に、李助はどこまでも落ち着いた顔をしていた。

 

 明け方ごろ、一同が房山の麓に辿り着いた。

 房山には五、六百の山賊がおり、寨を築いている。李助がここを選んだ理由、それは房山を束ねる廖立という男と親しい仲であるからだという。

 不安な様子など微塵も見せない李助に、感心するとともに王慶は思う。

 どうして山賊などと親しいのか。しかも剣の腕も結構なもので、金剣先生(きんけんせんせい)などと呼ばれているらしい。この男、どうもただの占い師じゃないようだ。まあ、ここは従うふりをして上手く利用してやることにするか。

 王慶たちの前に、山賊たちが現れた。

 そして頭領、廖立が下りてきた。李助の顔を見ると、おやという顔をした。

「兄貴、李助です。兄貴に助けを乞いに参りました」

 事の顛末を語る李助。

 あからさまに顔をしかめ出す廖立。

 おいおい、冗談じゃないぞ。とんでもない災厄の種を連れて来やがって。ほとんど素人ばかりのようだが、件の王慶や段家の奴らは凶暴そうだ。これは、わしの地位が危うくなりそうだ。

「弟よ、わしも助けてやりたいところなのだが、見てくれ。この山はご覧の通り手狭で、お前たちを置いてやる余裕はないのだ」

 王慶の眉がぴくりと動いた。

 廖立が気付いた時には、王慶が朴刀を手にしていた。段三娘も同じだった。王慶と段三娘が目を合わせ、にやりとした。

 初撃は辛うじて堪えた廖立だったが、すぐに朴刀の餌食となってしまった。

「逆らう者は、こいつと同じ目に遭うぞ」

 王慶の一喝で、房山の山賊たちは平伏した。

 王慶の全身を心地よいものが駆け抜けた。

 愉悦である。

 そして王慶は見た。いや、王慶にだけは見えていた。王慶にひれ伏す数万の人間を、確かに見たのだ。

 王慶たちを追った房州兵は壊滅した。

 さらに王慶は房州を襲った。普段から薄給で酷使されていた兵たちは、なんと王慶の側に付くという有様。房州はあっけなく陥ちた。

 さらに王慶は次々に街を襲うと、捕らわれていた凶悪な犯罪者たちを解放した。そして彼らに忠誠を誓わせ、狂暴な軍を作り上げた。

 彼らを率い、王慶たちは各地を襲い、占領してゆく。そして李助の計略で荊南を陥とした頃に、自らを楚王と称するに至った。

 かくして王慶たちは三、四年のうちに六州を奪い取り、そしてついに八州八十六県に君臨することとなったのだ。

 都とした南豊の宮殿。玉座に座り、愉悦に浸る王慶。

 あの時、房山で見た光景が現実のものとなった。

 いや、もっとだ。この国すべての人間を、俺の前にひれ伏せさせてやろう。

 李助が言った。

「おめでとうございます、倀鬼王さま」

「張鬼王、だと」 

 李助は答えずに、薄く微笑むとどこかへ行ってしまった。

 俺が虎に食われたとは、面白い。

 李助、お前の卦には、俺の未来はどう出ている。

 俺には見えているぞ。それに俺を奇相と言ったのはお前だ。

 果たしてどちらが正しいのかな。いずれ分かろう。

 王慶は杯を一気に空けると段三娘の部屋、虎の巣へと足を向けた。

 折しも梁山泊軍が、壺関で田虎軍と戦を繰り広げていた頃であった。

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