
108 outlaws
無頼
三
女の名は段三娘。
この段家荘の三女で大虫窩と呼ばれている。虎の巣窟という意味だ。
大男と両替人は、段三城の兄たちで段二と段五。
それぞれ黒地虎、大民殃と呼ばれている。黒い蜱そして大きな蚰蜒の事で、周りが皮肉を込めてつけたのだが、本人たちは良く分からず喜んでいるらしい。
「まったく、親戚だから命がけで匿っているんだ。もしお前が手配されていると知れたらどうなっていたかわかるか」
「申し訳ありません、兄貴」
ため息をつく范全。
「まあ良い。あの段兄弟は悪どい奴らだから気をつけるのだ。祭を開いていたのも、博打でひと儲けしようとしていたのさ」
范全はそう言ったが、段三娘は段五から銭を取り返してくれた。きちんと筋は通すところもあるのだ。
翌日、王慶を訪ねる者があった。
なんと段家荘の長、段太公であった。
「昨日はわしの子供たちが失礼をしたようだ。まあ、お互いさまという事で水に流して欲しい」
「あなたがそうおっしゃるなら」
段太公は、王慶の生まれた日や、場所などを詳しく聞いてきた。何の事かと思ったが、本名は隠して嘘を混ぜつつ答える事にした。やがて段太公は満足したように帰って行った。
本当に何だったのだろうか。
「お前がお尋ね者だと、ばれていなければ良いのだが」
仕事から戻った范全が、眉をひそめた。
そこへまたも来客だ。
王慶は、玄関に立っている男に見覚えがあった。
間違いない。
あの日、東京開封府で声をかけた占い師、李助だ。
李助は王慶を見ても驚かなかった。
「やはりお主だったか。これほど早く再開できるとは」
「やはり、だと」
「段太公から、ある者を占って欲しいと言われてな。ことごとく、お主と符合したのだよ」
「覚えていたのかい」
ふふ、と李助は不敵な顔をした。そして范全に恭しく挨拶をする。
「これは范全どの。お初にお目にかかります。この方とは、ちと奇縁がありましてな」
范全は黙っている。
「それでぶしつけなのですが、段家がこの方をえらく気に入ってしまいまして。ぜひ娘の婿に迎えたいと申しておるのです」
段三娘の婿にだと。
「ご心配めさるな。私の見た卦でも、妻が夫を盛りたてる、最高の運勢と出ております」
范全は腕を組む。
あの段家の事だ、縁談を断ったらあとでどんな酷い目にあわされる分からん。だが、段家と血縁になるなど。と、しばし思案した後、ここは丁重に断りを入れた。
しかし段三娘は王慶を気に入ってしまっていると言い、李助は一歩も引かない。
これは無理だと判断した范全。
王慶に視線を送ると、決意したように頷いた。
「わかりました。そこまで言うのならばお受けいたしましょう。その代わり、こいつの名は、王慶ではありません。良いですね」
「良い決断です。名前など一つだろうが二つだろうが、関係ございません」
早速、縁談の手配が進められた。
かくしてその月の二十二日、婚儀が行われた。
親類一同が集められ、段家荘では朝から飲めや喰えやの大騒ぎ。范全は役所の仕事のため中座したが、祝宴は夜まで続いた。
やがて新郎新婦が部屋へと入っていく段となる。
段家の親戚の女性たちはまだ若い者が多く、二人の床の様子が気になって仕方ない。酒に酔った勢いに任せて、部屋の外で聞き耳を立てると顔を赤らめて、嬌声を上げていた。
そこへ段二が駆けこんできた。
「おい、お前たちこんなところで何やってるんだ」
そして二人の部屋の戸を叩き、叫んだ。
「三娘、起きろ。お前の横に禍の種が寝ているのだ」
「なんだい、騒がしいね。何が起きたってんだい。良いところだったのに」
段三娘が薄布を羽織っただけの姿で出てきた。邪魔された不満がありありと浮かんでいる。
王慶が顔を出した途端、段二が胸元に掴みかかった。
「お前だ。お前が疫病神だったのだ」
「一体何の事だい。この人が何をしたって言うんだい」
さらにそこへ范全も駆けこんできた。
「話は後だ。とにかく今は逃げなくては」
すぐに房州の官兵が駆けつけてくるというのだ。
黄達だった。龔家村で大きな顔をしていたが、王慶の力を借りた龔端たちが雪辱を晴らした男だ。
怪我を治した黄達は、龔兄弟はもちろん王慶を深く恨んだ。王慶の流刑先、陝州での事件を聞き、足取りを執念深く追った。そしてついに名を変えて潜んでいる王慶を発見し、州尹に訴え出たという。范全は親しい孔目からその事を聞き、全てを捨て一散に段家荘へ報告に来たのだ。
しかし逃げるといってもどこへ。
屋敷を出た一行の前に、李助が悠然と立っていた。
段五が急きこむように訊ねる。
「先生、俺たちはどうすればいいんで」
「こうなれば三十六計、逃げるにしかずです」
「でも、一体どこへ」
す、と李助が西を示した。
「ここから二十里、房山です」
この一大事に、李助はどこまでも落ち着いた顔をしていた。
明け方ごろ、一同が房山の麓に辿り着いた。
房山には五、六百の山賊がおり、寨を築いている。李助がここを選んだ理由、それは房山を束ねる廖立という男と親しい仲であるからだという。
不安な様子など微塵も見せない李助に、感心するとともに王慶は思う。
どうして山賊などと親しいのか。しかも剣の腕も結構なもので、金剣先生(きんけんせんせい)などと呼ばれているらしい。この男、どうもただの占い師じゃないようだ。まあ、ここは従うふりをして上手く利用してやることにするか。
王慶たちの前に、山賊たちが現れた。
そして頭領、廖立が下りてきた。李助の顔を見ると、おやという顔をした。
「兄貴、李助です。兄貴に助けを乞いに参りました」
事の顛末を語る李助。
あからさまに顔をしかめ出す廖立。
おいおい、冗談じゃないぞ。とんでもない災厄の種を連れて来やがって。ほとんど素人ばかりのようだが、件の王慶や段家の奴らは凶暴そうだ。これは、わしの地位が危うくなりそうだ。
「弟よ、わしも助けてやりたいところなのだが、見てくれ。この山はご覧の通り手狭で、お前たちを置いてやる余裕はないのだ」
王慶の眉がぴくりと動いた。
廖立が気付いた時には、王慶が朴刀を手にしていた。段三娘も同じだった。王慶と段三娘が目を合わせ、にやりとした。
初撃は辛うじて堪えた廖立だったが、すぐに朴刀の餌食となってしまった。
「逆らう者は、こいつと同じ目に遭うぞ」
王慶の一喝で、房山の山賊たちは平伏した。
王慶の全身を心地よいものが駆け抜けた。
愉悦である。
そして王慶は見た。いや、王慶にだけは見えていた。王慶にひれ伏す数万の人間を、確かに見たのだ。
王慶たちを追った房州兵は壊滅した。
さらに王慶は房州を襲った。普段から薄給で酷使されていた兵たちは、なんと王慶の側に付くという有様。房州はあっけなく陥ちた。
さらに王慶は次々に街を襲うと、捕らわれていた凶悪な犯罪者たちを解放した。そして彼らに忠誠を誓わせ、狂暴な軍を作り上げた。
彼らを率い、王慶たちは各地を襲い、占領してゆく。そして李助の計略で荊南を陥とした頃に、自らを楚王と称するに至った。
かくして王慶たちは三、四年のうちに六州を奪い取り、そしてついに八州八十六県に君臨することとなったのだ。
都とした南豊の宮殿。玉座に座り、愉悦に浸る王慶。
あの時、房山で見た光景が現実のものとなった。
いや、もっとだ。この国すべての人間を、俺の前にひれ伏せさせてやろう。
李助が言った。
「おめでとうございます、倀鬼王さま」
「張鬼王、だと」
李助は答えずに、薄く微笑むとどこかへ行ってしまった。
俺が虎に食われたとは、面白い。
李助、お前の卦には、俺の未来はどう出ている。
俺には見えているぞ。それに俺を奇相と言ったのはお前だ。
果たしてどちらが正しいのかな。いずれ分かろう。
王慶は杯を一気に空けると段三娘の部屋、虎の巣へと足を向けた。
折しも梁山泊軍が、壺関で田虎軍と戦を繰り広げていた頃であった。