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波紋

 梁山泊は招安を拒絶した。

 その報に、朝議の場が騒然となった。

 張幹辦は、

「我らはただ粛々と詔を全うしようとしただけのこと。ところが梁山泊の連中ときたら」

 と身振り手振りでその様子を伝える。

 思うところのある陳宗善だったが蔡京の手前、何も言えずにいた。

 かくして、梁山泊討つべしの気運が一気に高まった。

 その蔡京は顔には出さぬものの、内心ほくそ笑んでいた。

 やはり梁山泊を帰順させるなど初めから無理だったのだ。帝にすり寄っていた宿元景の鼻を明かしてやったという思いだ。

「聖旨をないがしろにするなど、天をも恐れぬ所業。もはや梁山泊の逆賊どもを叩き潰すよりほかないかと」

 帝も、ため息をつきながら、良きに計らえというばかりだった。

 かくして総大将を童貫とする梁山泊討伐軍が編成された。

 率いる軍は八路軍。東京開封府管轄下の睢州、鄭州、陳州、康州、許州、鄧州、洳州、嵩州の八州から徴収された兵たちからなる軍だ。

 そして各州の兵馬都監がそれをまとめる。それぞれ段鵬挙(だんほうきょ)、陳翥(ちんしょ)、呉秉彝(ごへいい)、韓天麟(かんてんりん)、李明(りめい)、王義(おうぎ)、馬万里(ばばんり)、周信(しゅうしん)である。

 その兵馬都監が軍営にいた。

「気張ることはない。我らにかかれば、梁山泊など恐るるに足りずだ。そうだろう」

 正先鋒に任じられた段鵬挙が鼻息を荒くしていた。

「はん。正先鋒だからって、あんたが頭じゃないんだ。鎮鄷都(ちんほうと)だか何だか知らんが、あんまりでかい口聞いてると、そっちが地獄行きだぜ」

 それに王義が噛みついた。

「なんだと」

「なんだよ」

 いまにも斬り合わんばかり二人の間に、逡巡もなく男が割って入る。その顔には焦りどころか、笑みさえ浮かべていた。韓天麟である。

「まあまあ。鎮鄷都どのも、玉虎爪(ぎょくこそう)どのも矛をお納めください。お二人にもしもの事があればこの戦、我らはどう戦えばよいのですか」

 沈黙がやや続き、段鵬挙と王義が互いに背を向け、どかりと腰を下ろした。

 壁際に座っていた陳翥が、そのやりとりを見てにやりとしている。何か言おうと周信、馬万里を見るが、ふたりともまるで関心がない様子だった。鼻を鳴らし陳翥は、呉秉彝の方に目をやる。

 呉秉彝は興味がないというよりも、何か物思いにふけっているようだった。

「どうしたね。何か心配事でも」

「いや、何も」

 と答える呉秉彝だったが、やはり上の空だった。陳翥が思い当たった。

「そういや、あんた。陳州だったよな」

 呉秉彝は無言である。

「陳州といえば、あの百勝将という男がいたよな。呼延灼将軍と共に梁山泊に挑んだが、敗れて降ったと聞いたが」

「そのような男。知らぬな」

「知らない訳ないだろ。あの有名な男だぜ」

「くどい」

 刺すように睨む呉秉彝に気圧され、陳翥は黙るしかなかった。

 部屋の空気が、ぎしぎしと軋むようだ。

 耐えきれなくなった李明が声を上げた。

「ったく。こんなんで大丈夫なのかよ。戦う相手は梁山泊だぜ」

 その言葉に八人の視線が絡みつく。触れただけで弾けてしまいそうなほどに、緊張が高まった。

「お前たち、何をしている。時間だ、童枢密の元へ」

 絡み合っていた視線が、一瞬にして声の主に向けられた。

 男はそれだけ言うと、去っていった。

 誰もが分かった。ここにいる誰よりも強い男だと。

 八人は、それを追うしかなかった。

 

 嬉々とした表情で、童貫が刀を磨いていた。勝てぬ戦には積極的ではない童貫ではあったが、事ここに至ると話は別だった。

 童貫の補佐に、二人の将軍が任命された。かつて二竜山、桃花山を陥とした際にも付き従った、飛竜将の鄷美と飛虎将の畢勝である。

 その畢勝がやってきた。

「首尾はどうだ」

 童貫は刀に目をやったまま聞いた。

「抜かりなく」

 畢勝が答える。

 ほどなくして鄷美が現れた。後ろに将らしき者たちを従えている。

 梁山泊討伐の軍を率いる兵馬都監だ。全部で八人ほど、ひと癖もふた癖もある顔ばかりだった。

 ほう、と呟くと、刀からやっと目を離し、童貫が口を開いた。

「難攻不落などと嘯いておるが、片腹痛い。これまで梁山泊に敗れた連中が弱かっただけのこと。名将といわれ抜擢された呼延灼、関勝も、所詮は田舎でお山の大将を気取っていたにすぎぬ」

 兵馬都監らの顔を順に見やり、童貫は続ける。怖れた様子の者はひとりもいない。

「お前たちは違う。本当の官軍の強さを見せつけるのだ。遠慮することはない。梁山泊の連中を、骨も残らぬほどに殺しつくしてやろうではないか」

 応、と八人の声が響く。

 これが童貫か。先ほどまで己が一番強いと嘯いていた八人の誰もが、身を固くしていた。

 鄷美が梁山泊周辺の地図を取り出した。畢勝が印を書きこみながら、戦術を練りはじめる。

 童貫は刀を再び引き寄せた。

 刀身に映る、自分の顔が見えた。嬉しそうに笑っていた。

 やはり戦が好きなのだ。

 水が漏るような船を使ったのも、御酒を濁酒とすり替えたのも、どうやら阮小七の仕業らしかった。

 しかし宋江は、小七を責めることはしなかった。確証がある訳ではなかったからもあるが、それ以上に悲しかったのだ。

 招安の使者を迎える際、武松や劉唐らが反対の意を示した。そして阮小七もそうならば、阮兄弟をはじめとする水軍の連中も招安に反対なのだろう。

 そう考えると、いかに宋江の考えが難しいものであるという事がわかった。もちろん秘密裏に事を進めようとしていた自分にも非がある。

 しかし梁山泊の仲間たちを思えばこその決意だったのだ。これほどまでに招安に反対されては、宋江は胸が苦しくなるのであった。

 そして数日たち、戴宗そして白勝の手下からの報告が、矢継ぎ早に入ってくるようになった。呉用の予想通りの展開となったのだ。

 梁山泊討伐軍が編制された。童貫がそれを率いるという。八州から集められた兵たちから成り、それを束ねる八人の兵馬都監の名も明らかとなった。

 一縷の望みを抱いていた宋江だったが、こうなれば覚悟を決めるよりなかった。

 天にたなびく替天行動の旗を見やり、晁蓋に思いをはせた。

 しばらく戦はなかったが、さすがのひと言だった。戦の準備をしていた事もあるが、非戦闘員の退避も含め、瞬く間に臨戦態勢を整えたのだ。

 目を細め、杜遷が梁山の頂上の旗を見つめていた。兵たちのところから戻ってきた宋万が横に並んだ。

「どうしたんだい。何か見えるんですかい」

「替天行動か」

 宋万も旗を見上げた。勇壮に旗が翻っている。

「王倫と共に梁山泊を興した時、我らも同じ思いだった。だが、お前も知っているように、その志の炎はやがて消えてしまった」

 宋万は黙って頷く。

「だが風が吹いた。林冲そして晁蓋どのという風が、炎を蘇らせたのだ。もう若い者に道を譲る時だと、ずっと思っていたよ。だがいよいよ童貫が来るのだ。そう考えると血が滾ってな」

 嬉しそうな杜遷に、宋万も微笑む。

「俺もだよ。そういえば、何か前より若く見えるぜ、杜遷」

「よく言うわ。ならばお前に上席を譲るのではなかったな」

「ちょ、それ本気かよ」

 杜遷が大笑し、宋万もつられて笑った。

 摸着天と雲裏金剛。

 黎明期より梁山泊を支えるこの二柱が並び立っている。ただそれだけで、兵たちは心が高揚するのを感じるのであった。

 

 愛馬の調子がぐんと良くなった。

 紫髯伯と呼ばれる、皇甫端が来てからだ。

 腕の良さは燕順から聞いていたが、それ以上だと林冲は思った。騎馬を用いた戦が得意な呼延灼も同意見だった。

 同じように馬を眺めていた楊志がいた。

「童貫が来るらしいな」

 とそこまで言い、思い出した。楊志はかつて童貫と戦をしているのだ。そして、敗れた。

「あの時は、完全に不意をつかれた。だがそれを言い訳にはしない。戦なのだからな」

 楊志がほんのり笑んでいるように見えた。

「お主、嬉しいのか。あの時の借りを返せるからか」

「俺が、嬉しいかだと」

 驚くようにして楊志が、自分の顔を確かめるように触れた。そして大きな笑みを浮かべた。

「なるほど。そうなのかもしれんな。だが違う」

「違う、とは」

「童貫ではない。俺が会いたいのは、奴の側近の畢勝という男だ」

 畢勝と鄷美。童貫の副将として常に側にいる軍人だ。

 梁山泊で林冲と戦ったのち、楊志は東京開封府へと向かった。だが復職は叶わず、その日を過す金もない楊志は、やむなく家宝の刀を売ることにした。そこで没毛大虫の牛二に因縁をつけられ、事故で彼を殺してしまう。刀は捕縛された時に押収されていた。

 だがその刀を、畢勝が持っていたのだ。あの時は取り返すことができなかった。

 忘れようとしていた。

 だが畢勝の名を耳にし、楊志の心の消えかけていた火が、再燃したのだ。

「一度、手放そうとしたくせに取り戻そうなど、都合がいい考えだがな」

 と楊志は自嘲気味に笑った。

 林冲も軽く口の端を歪めた。初めて会った時の、棘のある感じが消えていると思った。実力に裏打ちされた自信に漲っていた。だが同時に傲慢でもあった。その険がとれ、人間的に大きくなったようだった。

 林冲はある男の顔を思い浮かべる。花和尚の魯智深だ。

 向こうはそうは思っていないが、林冲は魯智深に救われた。同じように楊志も、魯智深に救われたのだろう。僧侶だから、ではない。もともと魯智深が持っている、人を包み込むような何かだ。

 馬を走らせていると、一陣の風が二人を追い越した。

 戴宗だった。やけに急いでいるようだ。

 振り返った戴宗が告げた。 

 童貫軍が済州に入った。

 およそ十万という大軍だという。

 戴宗の言葉に、林冲と楊志は思わず手綱を握りしめた。

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