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騒乱

​三

 梁山泊が汶上県を襲った。

 東平府の南東、梁山泊から東の県だ。

 汶上県の人々は恐れをなし、東平府へ我先に逃げ込んだ。

 太守の程万里は躊躇したが、難民を受け入れるため門を開くしかなかった。

「どれ、どんな顔してる事やら」

 難民と共に紛れこんだ顧大嫂が、可笑(おか)しそうに言った。

 汶上県襲撃は詭計だった。史進を救うために、朱武が考えた計だ。

 襤褸をまとった顧大嫂は貧しい民を装い、牢へと向かった。

「昔お世話になった史旦那が捕まっていると聞いて、やってきた次第なのです。ひと目会わせてくれれば、思い残すことはありません」

「駄目だ、駄目だ。そいつは梁山泊なんだ、会わせる訳にはいかん」

「お役人さま、どうかお慈悲を」

 顧大嫂は涙を流し、何度も何度も会いたいと訴えた。

 さすがに牢役人も気の毒に思ったようだ。何もできないだろう、という思いもあった。

 明かりも射さない牢に史進が座していた。重そうな首枷を嵌められながらも、背筋を伸ばしていた。

「はっ、大した玉だねえ、あんたも」

 顧大嫂も笑ってしまうほど、堂々とした捕らわれっぷりだった。差し入れの食事を喰らいながら、声を低くする。

「しくじっちまったよ。俺には潜入は向いてないんだな、やはり」

「何を言うと思ったら、やっと分かったのかい。まったく」

「はっきり言うなよ。俺だって落ち込むんだ」

「まあ良い。史進、もう少しだけ待ちな。いま救いだす算段を立てているから」

「いつまで待てば良い」

「晦日の夜だよ」

 おい、と牢役人がやってきた。先ほどより上役のようだ。誰が入れた、と顧大嫂を棒で追い出してしまった。

「なあ、お役人さまよ」

「な、なんだ」

 威張り散らしていた役人も、史進には怯えるような顔を見せる。

「今日は、何日だ」

「二十八日だ。明後日が晦日だな」

 そうか、と史進は壁にもたれかかった。

 すぐに寝息が聞こえ、牢役人は安堵したように、そそくさと立ち去った。

 

 おや、と顧大嫂は立ち止まった。

 通りの先にひとりの男がいた。平服を着ているが、その体つきから軍人だと知れた。

 男はどこかの家の塀の側にいた。そして二階の窓から落ちてきた紙の包みを受け取った。さらに自分が持っていた紙を窓に投げ込むと、満足したようにどこかへ行ってしまった。

 はて、と顧大嫂が行ってみるが、すでに窓は閉ざされていた。不思議に思いながらも、顧大嫂は安宿へと戻って行った。

 二日後の夜である。

 騒がしさに、顧大嫂は宿を飛び出した。何か起きている。人々がある方向を見て、騒いでいる。あれは牢城の方向だ。

 顧大嫂が駆けだした。聞こえてくる声から、何があったのか分かった。

 牢城で誰かが暴れているという。間違いない。史進だ。

 まったく、何やってんだい。晦日だって言ったはずなのに。

 だが悪いのは史進ではなかった。

 いまは三月、大の月。したがって晦日は三十日。牢役人が一日勘違いをしていたのだ。

 朝、小便に連れられた時、背を向けていた牢役人を手枷で殴りつけた。さらに首枷をへし折ると、鍵を奪った。そして牢から出した囚人を史進が指揮し、暴れまくったのだ。

 それに遅れて、城外でも騒ぎが起こった。梁山泊も異変に気付き、攻撃を開始したようだ。

 顧大嫂は史進に合流するため、牢城へと急ぐ。

 たどりついた顧大嫂は、塀に身を隠した。すでに東平府の兵たちが牢城を、十重二十重にとり囲んでいた。

 どうするかねえ。

 と、顧大嫂の脳裏に、陳達の言葉が浮かんだ。

 確か、東平府の芸妓に入れ込んでいたと言ったか。

 ふう、と大きく息をつき、顧大嫂がまた駆けだした。

 東平府から煙が立ち上った。

 呼応する日は明日のはずだ。まさか顧大嫂が失敗したのか。

 焦る宋江の元へ、さらなる報告を持って王定六が飛び込んできた。

「何事だ」

「陶宗旺の耕作地が、襲われました」

 奥歯を噛みしめ、宋江が立ちあがった。怖れていた事が起きた。

 奪ったのは東昌府の軍だった。梁山泊が汶上県を襲ったことに触発されたのかもしれない。

 陶宗旺は無事で、人的な被害は少ないという。ただ倉にあった麦が相当奪われたという。

 宋江は怒るよりも、悲しみを覚えた。

 梁山泊が、民の敵とみなされる事が悲しかった。だが倉の麦は梁山泊にとっても必要なものだ。取り返すしかあるまい。たとえ力ずくでも。

「宋江どの、向こうはわしが」

「すまない、盧俊義どの」

 王定六が進み出た。

「ひとつ、気になることが」

 盧俊義は目で先を促す。

「東昌府の連中の馬の質が、なんだかとても良いそうで」

 東昌府軍は麦を馬で運び去った。駆けつけた梁山泊の騎馬隊がそれを追った。だが、ついに追いつくことはできなかったという。

「段景住がそう言ってるんで」

 なるほど間違いはないという事か。

「気を付けてください。呉用も、行かせましょう」

 うむ、と頷き、盧俊義が駆けて行った。燕青が後に続いた。

「王定六、こっちも出陣だ」 

「はい」

 風のように王定六が駆け去った。

 梁山泊軍が安山鎮から進発し、東平府から数里のところで陣形を整えた。

 早くも門が開き、東平府軍が飛び出してくる。

 その先頭に、目を引く将がいた。、疾駆する馬上でいささかも揺らぐことなく、二本の槍を両の手に持っている。

「我が名は東平府兵馬都監、董平。憎っくき梁山泊どもめ。私のこの槍で、遊んでやるとしよう。さあ、誰から来る」

「あれが双鎗将か。相手にとって不足なし」

 真っ先に飛び出したのは韓滔だった。

 槍の二刀流、韓滔も見るのは初めてだった。

 唸りを上げ、棗木槊が舞う。棗木槊は長い。槍が二本だろうと、その向こうから攻撃ができる。

 だが韓滔は苦戦した。二本の槍を両腕のように使いこなし、棗木槊を押さえこんでは反撃をしてくる。

 韓滔の額に汗がにじむ。思わず呼延灼の双鞭を思い出させた。

 一方の董平は涼やかな顔のままだった。

「ここは一度退け」

 韓滔の背後から槍が伸びてきた。徐寧が鈎鎌鎗を突きこんできたのだ。

 韓滔は少し躊躇ったが、馬首を返し陣へと戻った。

「それでいい、百勝将」

 退く韓滔の背に徐寧がそう言った。

「梁山泊、徐寧。さあ、勝負だ。双鎗将」

「お主が金鎗手か。禁軍教頭と矛を交えられるなど」

 嬉しいな、と董平が前に出た。

 三本の槍が幾度となく交差した。

 徐寧が家伝の技を繰り出す様は、まるで飢えた獅子のようだ。董平の槍の技は、川が流れるように時にたおやかに、時に激しく繰り出される。

「徐寧と対等に渡り合うとは、あの董平、かなりの手練ですな」

 林冲が言った。聞こえたのか、韓滔が歯嚙みをした。

 このままでは決着がつかない。宋江は退却の鉦を鳴らさせた。

 徐寧も口惜しそうだったが、鉦に従った。だが、董平は徐寧を追った。そこに梁山泊軍は四方から董平を囲んでゆく。

 しまったとばかりに手綱を操り、董平は戦場を駆けまわる。東平府軍の援護もあり、董平は城内へと逃げ込んだ。

 程万里は眉に皺を刻んで、董平を迎えた。

「申し訳ありません」

「まあ良い。充分な兵力を出せなかったのだ」

 東平府軍の一部を、牢城の方に割いていた。史進が暴動を起こしたからだ。それも今は膠着状態であった。

「太守さま、折り入ってお話が」

 董平が畏まった顔で、前に出た。程万里は嫌な予感がした。

「かねてよりお願いしております、縁組みの件なのですが」

 予感は当たった。

 この非常時に、そんな話をしている場合ではないだろうに。風流双鎗将が聞いてあきれる。と言って、この危急の時に戦を放棄されては困る。

「わかっている。そうだな、梁山泊を追いかえすことができたならば、具体的な話を進めるのに吝かではないが」

 嘘である。

 娘を、程小芳をこ奴にくれてやるわけなど無い。

 だがその言葉に董平の目は輝いた。

「本当ですね」

「できたならばの話だ」

「かしこまりました」

 鼻歌でも歌い出しそうな顔をしおって。

 内と外に火種を抱え、さらに獅子身中の虫か。

「おい、侍医を呼べ」

 程万里の胃がきりきりと痛んだ。

 

 李瑞蘭と会った。

 どうやら捕り手役人に通報したのは、女将の婆さんのようだった。噛みついてきた婆さんを張り倒すと、顧大嫂は李瑞蘭に迫った。

「あたしは止めたんだ。史進の旦那は、結構良くしてくれたからね」

 李瑞蘭は、とある話を聞かせてくれた。

 兵馬都監の董平と、太守の程万里の不和である。

「そいつは良いことを聞いた。これで貸しは無しだよ。もうじき梁山泊が攻め込んでくる。逃げるなりなんなり、好きにしな」

 あの窓の下に、顧大嫂はいた。男が紙切れを投げ込んでいた窓だ。今日も窓は開いていた。

 顧大嫂がそこへ紙を投げ込む。

 すると飛び下りそうな勢いで若い女が顔を出した。

「やあ、あんたが董平どのの想い人だね」 

「これは本当なの。董平さまと、一緒にしてくれるって」

 程小芳は投げ込まれた紙を持っていた。

「まず中に入れてくれないかい。詳しい話は、それからだよ」

 程小芳はじっと顧大嫂の顔を見つめた。

 ややあって裏木戸が開き、初老の女性が現れた。辺りを伺い、顧大嫂を招き入れた。

 二階へ上がり、程小芳の部屋へと通された。

 顧大嫂を見ると、程小芳がぱっと立ちあがった。

 何か言いかけた程小芳を、顧大嫂が遮った。

「まず聞くよ。どんなことでもする、その覚悟はあるかい」

 軽く胸の前で拳を作ると、程小芳はゆっくりと頷いた。

 顧大嫂が不敵に笑みを浮かべた。

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