108 outlaws
騒乱
四
東平府は眠れぬ夜を過ごしている。
梁山泊軍が夜っぴて攻撃を繰り返していた。
「ええい、董平。とっとと奴らを討ち果たして来るのだ」
程万里の命で董平が城門から飛び出した。梁山泊からは林冲と花栄が名乗りを上げる。
「これは豹子頭と小李広か。またもや禁軍教頭、そして神箭将軍とは。こちらの槍はふたつ。二人相手でも文句は言わぬ。かかってこい」
雄叫びを上げ、董平が駆ける。林冲と花栄、左右からの攻撃を双鎗が受け止める。三人が馬を止めて打ち合いになった。
董平の槍捌きの凄まじさに、韓滔は度肝を抜かれた。
まるで右手と左手が別人の物ではないかと思うほど、自在に操っているのだ。あの二人を相手に、一歩も引かないというのか。韓滔は董平に、敵ながら憧憬の念を抱いた。
「おい、急げ」
彭玘の声で我に返った。退却の鉦が鳴らされていた。
梁山泊軍が一斉に東平府から離れてゆく。
林冲と花栄は顔を見合せ頷くと、渾身の一撃を同時に放った。
董平は槍の根元を両脇にしっかりと挟み、辛うじてそれを受け切った。槍を通じて体に痛痒を感じた。
「くそ、待て」
すでに林冲と花栄が五馬身以上離れ去っていた。董平は太腿を締め、馬を駆けさせた。
梁山泊軍は近くの寿春県まで下がり、陣を敷き直した。そこへ董平を先頭に東平府軍が殺到した。
朱武(しゅぶ)が松明を振る。月のない夜が、明るくなった。
東平府軍を取り囲むように松明が煌々と灯っていた。
深追いし過ぎた。董平は自らが殿となって、撤退を命じた。
四方の松明が狭められてゆく。剣戟の音、そして怒号。駆ける自軍の兵が、徐々に減ってゆく。
必死に董平は駆けた。松明は減ったが、まだ追って来る。前方に現れた梁山泊軍をかわし、草むらへと逃げた。
槍で草を薙ぎながら、先へと進む。董平の槍が草ではない、何かを切った。穂先のそれは縄のようであった。
次の瞬間、馬の足元から何本もの縄が上がってきた。馬の胴の高さまで、前後左右からぴんと張られた絆馬索だ。
解珍が夕刻、あちこちに仕掛けておいた罠のひとつだった。
「よし、引けい」
王英が叫ぶ。絆馬索に足を取られ、董平の馬が地面に引き倒される。
董平は咄嗟に馬から飛び降りた。
だが着地の寸前、体に縄が巻きついた。もがく董平だったが、両腕が動かせぬほど固く巻きついている。
その縄の端に扈三娘がいた。
「終わりです。観念なさい」
草むらから百近い伏兵が姿を見せた。
「わかった、俺の負けだ。好きにしろ」
董平は肩から力を抜き、夜空を見上げた。
月は見えなかったが、董平は程小芳の事を思った。
東平府軍が梁山泊軍を追った後、城門が閉じはじめた。
その城門に向かって疾駆する者がいた。活閃婆、王定六であった。
「行け、行け行け行けっ」
それを見守る阮小七が、自分が走っているかのように歯を食いしばる。
安山鎮と東平府の間、そこに湖がある。
梁山泊水軍が、そこに船を停泊させていた。
王定六は、そこから駆けたのだ。王定六の腰から縄が伸びていた。それは長い縄で、一方の端を郁保四の腰に巻き付けてあった。
王定六が門へ近づく毎に縄が伸び、重さが増す。
おああああ、と王定六は言葉にならぬ叫びを上げた。、腕を振り、腿を上げ、地面を蹴るように走る。
城門の門番が異変に気づいた。城門を急いで閉めようとする。
「王定六、もう少しだ」
阮小五が叫んだ。阮小二が、部下たちを走らせた。孫新もそれに続いた。
城門が軋(きし)みを上げ、閉じられる。隙間が細くなってゆく。
王定六が砕けそうなほど奥歯を噛みしめ、力を振り絞る。
門の隙間が細い線のようになった。
間に合え。いや、間に合わせる。
王定六がぐんと体を沈めた。最後の数丈で、さらに王定六が加速した。
門番も驚きのあまり、口を閉じることができない。
矢のように、王定六が隙間に飛び込んだ。その刹那、門が閉じられた。
間に合った。だが、これで終わりではない。
駆け寄る門番を蹴り倒し、王定六が門の裏側にとりついた。そして腰の縄を解き、閂にしっかりと巻きつけた。
「引けえ、引くんだあ」
ありったけの大声で、王定六が城外に向けて叫んだ。
縄の端にいる郁保四が腰を落とし、両の腕に渾身の力を込めた。太い蚯蚓ような血管が、丸太のような腕に走った。郁保四の野太い声が響く。
湖から城門まで伸びた縄がぴんと、一本の棒のように張られた。
「そのまま突っ込め」
阮小五が吠え、刀を閃かせた。
郁保四が右手を前に出し、縄の少し先を掴む。そして雄叫びと共に、一気に引っ張った。
城門が、みしりと揺らいだ。その音はさらに続き、門や城壁に亀裂が走る音がした。
応援の門番が色を失った。
亀裂音があちこちから聞こえ、ついに轟音と共に、閂ごと城門が吹き飛んだ。
史進が捕まり、顧大嫂も戻って来ない。
城内に入るため、東平府軍がいなくなったこの一瞬のために、王定六は駆けたのだ。
「よくやった。あとは任せろ」
勢いあまって湖にひっくり返った郁保四に向けて、阮小五が言う。
梁山泊水軍が東平府内へと斬りこんだ。兵たちは街の方々に散ってゆく。
「すげえなあ、お前」
倒れている王定六を引き起こしながら、阮小七が笑った。
あちこちから火の手が上がりだした。
「市民には手を出すな。襲ってくる兵だけを殺(や)れ」
門番を切り倒し、阮小二が命令を飛ばす。
牢城はどちらなのか。探す孫新の前に、顧大嫂が現れた。
「心配で来てくれたのかい。嬉しいねえ」
「馬鹿言うな。無事だってことは、分かってたさ」
「あら、信頼されてるんだね。まあ良いさ。ちょっと会わせたい人がいるんだ」
誰だ、とは聞かず孫新が頷いた。
顧大嫂のことを心から信頼している、そんな目だった。
「ぐ、貴様ら。汚い真似を」
役所の中、程万里が顔を紅潮させていた。目の前には娘の程小芳。そして娘は梁山泊の連中に捕えられていた。
孫新が低く唸るように詰め寄る。
「娘が可愛かったら、牢城の兵を退かすんだ。さあ、どうする」
「お父さま、わたしはどうなっても構いません。決して兵を退かせないでください」
後ろ手に縛られた程小芳が、気丈にもそう叫ぶ。
程万里は辛い顔になる。
「おとなしくするんだ」
顧大嫂が程小芳の頬を張った。ああっと程万里が駆け寄ろうとするが、孫新が小刀を顔に近づける。
「動くんじゃない、程万里。さあ、早く決めてもらおうか」
「待て、待ってくれ」
苦渋の決断だった。目を血走らせ、小芳を見る。
そして言った。
「すまぬ、小芳。わしはこの街を、東平府を守らねばならぬ」
「大した男だ」
孫新が鞭を振った。首筋に当たり、程万里はそのまま昏倒した。配下の役人たちも恐ろしくて近づきはしない。
「さ、行くよ。まさか街を選ぶとはね」
顧大嫂に、程小芳が小さく首を振る。
「これで良(い)いんです。父は、東平府の太守ですから、当たり前の選択をしたのです。さあ、行きましょう」
「まさか、あんた。こうなると分かって」
困ったような顔を、程小芳がした。
協力をしてくれれば董平と結びつける手助けをする、と顧大嫂が話を持ちかけ、程小芳は人質となった。
筋書きとはやや違う結果となったが、仕方あるまい。
史進は力づくで救出するだけだ。
顧大嫂が再び牢へと急いだ。
夜が明けた。
寿春県、梁山泊の陣。
宋江を前に、董平が仁王立ちしている。上体を縛られながらも、まるで立場が逆であるかのように宋江を睨みつける。
「貴様ら梁山泊のせいで、税が重くなったのだ。東昌府が貴様らの倉を襲ったのは、当たり前の事ではないのか。我らとて、遅かれ早かれそうしていただろう」
「まこと、董平どのの申す通り」
宋江はそう言うと、董平の前で深々と頭を下げた。
「こんな事で、許してもらえるとは思わない。だが今は、こうする事しかできぬ。梁山泊のために、すまない。縄を」
言葉が出なかった。
頭を下げた。頭領である男が自らの非を認め、頭を下げた。さらに董平にかけていた縄を外させたのだ。
宋江は頭を下げ続けている。
董平が動いた。
その手に、いつのまにか刀が握られていた。近くにいた梁山泊兵のものだった。
「動くな」
董平が刀を構え、機先を制した。
場が張りつめる。
宋江は董平をじっと見つめた。
「俺は負けた。終わりにしたい」
董平が自嘲気味に笑い、刀をくるりと反転させた。その切っ先を己の首筋に当てた。
董平が目を閉じる。
「駄目」
董平が、目を開けた。
馬鹿な。程小芳の声が聞こえた。
いや、己の未練がありもしない声を聞かせたのだ。
「待ってくれ」
また幻聴だ。今度は史進の声だ。
「俺と、まだ戦っていないだろう、董平どの」
刀が取り上げられた。董平の前に史進がいた。
宋江がほっとした表情を見せた。どうやら顧大嫂と水軍たちが上手く救いだせたようだ。
史進が続ける。
「せっかく連れてきたのに、死んじまったら何にもならないだろうが」
大柄な女に付き添われるようにして、程小芳がそこにいた。
董平は目を見開き、口をぽかんと開けた。
さっきの声は、幻ではなかったのか。
顧大嫂に肩を押され、程小芳が一歩前に出た。
そして顔を赤らめ、頭を下げた。
「董平と言ったね。あんた、責任取ってもらうよ。あんたと逢わせるって条件で、この娘は梁山泊に力を貸したんだ。この娘は、故郷を失ったんだ。わかるかい、その意味が」
俺と逢いたいがために、そんな危険を冒したというのか。その覚悟に、董平は素直に敬服するばかりだった。
程小芳に目を細めてみせ、董平は宋江へ向き直った。
次は自分が覚悟を見せるのだ。
「今しがた東平府兵馬都監の董平は死んだ。都合のよい話だと分かっている。だが、この程小芳と共に、ここに置いてはくれぬだろうか。この董平、身を粉にして」
「駄目な訳がないだろう。宋江どの、俺からもお願いします」
言葉を遮り、史進が横に並んだ。そして宋江に頭を下げた。
「もちろん、断る事などできませんよ」
嬉しそうに宋江が微笑んだ。
史進と董平も顔を見合せ、笑った。
そこへ白勝が駆けこんできた。
盧俊義と共に、東昌府へと赴いていたはずだった。
悲愴な顔をした白勝が告げたのは、盧俊義軍苦戦という報せだった。