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集結

「まだ戦になど出てはならぬ」

 神妙な面持ちで、安道全が言う。

「と言いたかった。だが、すっかり回復しておるようじゃ」

 なんだかがっかりしたような顔だった。反面、目の前の索超は嬉しそうであった。

「では良いのですな、先生」

「まあ、わしの腕もあるだろうが、お主の気の持ち方が回復を早めたようじゃな」

 あとひと月はかかるだろう。安道全はそう診ていた。

 だが索超は動かせる個所だけでも、筋力を落とさぬようにした。片腕だけだったのがすぐに両腕になり、すぐに立てるようにまでなった。

 安道全はため息をつき、それでも嬉しそうだった。

 医者である。患者の回復ほど励みになるものはない。

「大したものですね。さすがは索超と言ったところでしょうか」

 呉用(ごよう)も呆れたような顔をしていた。

「これは、軍師どの。ああ、そうだ」

 懐から、索超が何かを取り出した。それは銀十両であった。

「あの時の占い料だ。必ず払うと言っていたのを覚えているかい」

「受け取りません」

 呉用は即座に言った。

「私は占いなどしておりません。あなただと分かっていて、あのようなことを言ったのです」

「どうしてもかい」

「どうしてもです」

 わかった、と笑い、索超が外へと向かった。

 その様子を、安道全がにやにやしながら見ていた。

 そのすぐ後に、東昌府への出撃が決まった。梁山泊の倉が襲われ、備蓄の麦をかなり奪われたのだ。

 呉用は悩んだが、索超を加えることにした。

 まるで重傷など負っていなかったような索超を見て、皆が驚いていたという。

 

 寿張を越え、その北、東昌府へ至る。

 盧俊義を主将に据え、軍師を呉用、公孫勝が務める。

 関勝、呼延灼、楊志といった猛将に加え燕順、樊瑞、欧鵬などが名を連ねる。さらに水軍を束ねるのは李俊と童威、童猛の兄弟という布陣だ。

 東昌府は静かに佇んでおり、人はおろか猫の子一匹出てくる気配もない。梁山泊を恐れてのことなのだろうか。

 無用な戦いをしないに越したことはあるまい。

 盧俊義の言葉で、まずは矢文を打ち込むことにした。奪ったものを返してもらいたい。困っているならば、後ほど送り届ける故、まずは返すのが道理であろう。

 あくる日、東昌府の門が開かれた。だが出てきたのは敵意をこれでもかと纏った東昌府の兵たちだった。

 中央に三騎が押し出されている。

 左右には馬に跨った、山賊かと思わせるような体躯も立派で凶暴な顔立ちの男たち。

 そしてそれを従えるのは、二人に挟まれているせいもあってか、線が細いようにも見える緑の服の男だった。

 男が顔を動かさずに命じた。

「龔旺、丁得孫、頼んだぞ」

 あるかなきかの静寂。すぐに左右の二人が飛び出した。

「盗っ人から奪って何が悪い。それを返せなどとは、片腹痛いわ」

 龔旺が吼えた。上半身にほとんど何もまとわず、隆起した筋肉を見せつけるようにしている。その体は、何と虎の斑紋の刺青で彩られていた。故に花項虎と呼ばれていた。

「まったくだ。お前たちのせいで受けた被害は、きっちりと払ってもらうからな」

 丁得孫が、睨みつけるように言う。顎から首にかけての辺りが瘡蓋(かさぶた)のようになっている。

 かつて丁得孫は首筋に矢を受けたが、そのまま戦いを続けた。矢には毒の類が塗られていたが、幸いにも命は失いはしなかった。だが、その痕が残ってしまった。その武勇譚から手負いの虎、中箭虎と呼ばれていた。

 二頭の虎が梁山泊軍めがけて駆ける。

 梁山泊軍からは、左右に項充と李袞を従えた樊瑞が飛び出す。歩兵を引き連れ、東昌府軍を攻める。

 龔旺と丁得孫は正面を避け、左右に大きく分かれた。

 それに合わせ、梁山泊歩兵も分かれる。

「へっへっへ、お待たせ」

 人の形をした虎のように見える龔旺が得物を担いだ。槍だったが、かなり太く大きかった。それを肩に担ぎ、軽く揺する。

 ぎろりと歩兵を見据え、一度後ろへ反るように振りかぶり、思い切り放り投げた。

 巨大な槍が、矢のように飛んだ。

 風を巻きこみ、ごうという音を立てる。避ける間もなかった。梁山泊歩兵隊の中央に土煙を盛大に上げ、突き刺さった。

 樊瑞はそれを凝視した。突き立った槍に、三人ほどが貫かれていた。皆、息絶えている。

 李袞が喚声を上げ、前に出た。恐怖を振り払うかのような叫びだった。

「俺に続け。武器を捨てやがって、奴は丸腰だ」

 龔旺は真っ直ぐ駆け続けている。その顔は、焦ったような表情ではなかった。

 号令で、槍兵が構えた。そこへ龔旺が突っ込んでくる。

 李袞が標鎗を構える。奴め、何を考えている。

「わざわざすまんね」

 大きな口を開け、龔旺が笑いながら両手を広げた。その龔旺に向かって、十数本の槍が突き出される。

 なんと、龔旺はそれらを掴んだ。がばりと身を乗り出し、槍を五本ほど抱きかかえてしまったのだ。

 兵が槍を引くが、びくともしない。龔旺は、むんと体を捻ると、槍を兵から奪い取ってしまった。

「勘違いするなよ。武器を手放したんじゃあない。武器はどこでも、いつでも手に入るからだ」

 右に二本、左に三本。槍を構え、先ほどと同じ勢いで放った。五本の槍が真っ直ぐに歩兵めがけて襲いかかる。歩兵は、動けない。

 槍に向かって、横合いから標鎗が飛んできた。李袞が放ったのだ。

 五本の標鎗は、五本の槍に命中した。落とすまではいかなかったが、勢いを殺し軌道を変えるのには充分だった。歩兵の足元の地面に五本の槍が突き立った。

 ぎろりと龔旺が李袞を睨んだ。

「今のを、俺に放てば討ちとれただろうに。惜しかったな」

「なら、そうするさ」

 李袞が跳躍し、標鎗を放った。

「遅い」

 馬を駆けさせ、身を低くした龔旺が笑う。

 標鎗は、龔旺の背を掠めるだけだった。

 龔旺が自分の槍を求めて駆けてゆく。

 悔しそうな李袞だったが、すぐにそれを追った。

 相変わらずの戦いぶりだ。呆れるとともに感心もする。

 奴だからできる戦い方だ。馬を駆る龔旺を見ながら、丁得孫が目を細めた。

 丁得孫が肩に得物を担いだ。それは飛叉だった。

 梁山泊軍歩兵が隊を組んで向かってくる。その中央めがけ、丁得孫が飛叉を打ち込んだ。やはり龔旺と同じように、とてつもない速さだ。

 だが梁山泊軍も、先ほど龔旺の攻撃を見ていた。素早く分かれ、飛叉は地面に突き刺さった。そして得物を手放した丁得孫へ、兵が殺到した。

 徒手のはずの丁得孫の手。そこに何かが握られていた。銀色の鎖のようだった。

「あいつと違って、物は大事にする性質でね」

 その鎖は長く、まっすぐに飛叉の柄につながっていた。

 気をつけろ、と誰かが叫んだ。

 丁得孫が鎖を思い切り引いた。地面から飛叉が抜け、丁得孫の元へと飛ぶ。

 さらに丁得孫が手首を返した。戻りながら、飛叉が大きく弧を描くように旋回した。

 その軌道の側にいた歩兵たちの首の辺りを、飛叉の切っ先が通り過ぎてゆく。

 血飛沫があがった。四人ほどの兵が天を見上げるようにして、倒れた。

 その時、丁得孫の目に光るものが見えた。五つほどだろうか、丁得孫へと飛んでくるそれは飛刀だった。

 項充が、放った飛刀を追うように駆けている。そして団牌に手を入れ、次の飛刀の準備をする。

「小癪な」

 丁得孫の手首がさらに捻られる。飛叉の軌道が変わり、飛刀を薙ぎ払った。そのまま大きく腕を回し、飛叉が丁得孫の手元に戻った。

 そして今度は項充めがけて、飛叉を放った。

 項充は避けようとしない。

 丁得孫の視界が突如赤くなった。突如、炎に包まれたのだ。

 さすがの丁得孫も動揺した。手元を狂わせ、飛叉の軌道がわずかに変わった。

 だがそれでも飛叉は、項充の持つ団牌に突き刺さった。飛刀を放つ間もなく、勢いで後ろに転がってしまう項充。

「早く離れろ、項充」

 叫んだのは剣を構え、指先を丁得孫に向けている樊瑞だった。

 炎は樊瑞の術によるものだった。

「まやかしか」

 そうと知った丁得孫は、団牌に刺さった飛叉の鎖を引く。項充がそのまま引きずられてゆく。

 抜けない。飛叉は団牌を貫き、項充の腕に刺さっていた。

 痛みは感じない。興奮しているのだ。だがこのままでは、まずい。

 東昌府軍が、項充を捕らえようと押し寄せる。李袞が助けに走る。

 鎖が切れた。

 思わず丁得孫がのけぞった。

 三尖両刃刀を構え、郝思文(かくしぶん)がそこにいた。

「すまない、助かった」

 李袞が、項充の肩に手を回し、陣へと戻る。

「二人とも下がってくれ。俺が相手になろう」

 その声に、龔旺と丁得孫が従った。

 中央にいた男が、ゆっくりと馬を進める。

「東昌府兵馬都監、張清いざ参る」

「梁山泊、井木犴の郝思文、いざ」

 

 張清と名乗った男。これまで見てきた兵馬都監と比べると、少し見劣りするようだ。

 得物は槍。確かに腕はあると見える。しかし梁山泊にはこれ以上の男どもが山といる。

 郝思文が馬を駆った。張清もそれに合わせ前に出る。

 まずは馬を馳せ違えての一撃。

 鋭い一撃だった。だが問題はない。

 張清が反転する前に、郝思文はすでに向きを変えていた。

 ぎょっとする張清。三尖両刃刀が、肩先をかすめた。

「さすがは、梁山泊か」

 何とか体勢を整え、槍を構え直す。郝思文もゆっくりと両刃刀を揺らす。

 馬を止めての打ち合いになる。十合あまり、立て続けにぶつかった。

 そこで張清が離れた。張清が、というよりも馬が自分でという風に思えた。

 梁山泊を襲った東昌府軍の馬が早かった、と報告を受けていた。なるほど、と郝思文が気合を入れ直す。

 だがそのまま張清が背を向け、逃げだした。郝思文は慌てることなく、それを追わない。

 郝思文は、花栄を知っている。逃げつつ、振り向きざまに矢を放つという必殺の手を知っている。

 その手で、秦明などの歴戦の兵も危うい目にあったのだ。同じ手を使う者がいたとして、それに乗る訳にはいかない。

 訝しむように、張清がちらりとこちらを見た。追ってこないのに気付いただろう。

 しかし張清の顔は落胆の色など、微塵も浮かべてはいなかった。

 張清の手が動いた気がした。

 突如、頭に痛みを感じ、視界が揺れた。頭の中で鐘が鳴っているようだった。

 郝思文は、手綱を握る手もおぼつかず、どさりと地面に落ちた。額が割れ、血の筋が流れていた。

 張清が馬を飛ばし、郝思文へと向かう。

「誰か、郝思文を」

 盧俊義がそう言うよりも早く、燕青が弩を構えていた。放たれた矢は、張清の騎馬の胸元に当たった。

 この距離では大した深さではない。だが隙を作るのには充分だった。梁山泊兵たちが郝思文を救出した。まだ意識が朦朧としているようだ。

 盧俊義は陣を下げた。初陣を負けで飾るとは。

 白勝を呼び、東平府の宋江の元へと走らせた。

「大将、援軍を呼びに行っちまうぜ」

 龔旺が、追いかけたそうな口ぶりだった。

「もう間に合うまい。まあ良い。どれだけ来ても同じ事だ」

 遠ざかる白勝を見ながら、張清が何かを手の中で転がしていた。

 そしてそれを腰元の袋に入れた。

 かちゃりと音がした。

 それは礫だった。袋の中には無数の礫が、入っていた。

 

 軍人として何かが足りないと、張清は感じていた。

 有名な呼延灼や秦明といった、恵まれた体格でもない。張清は槍を使っていたが、禁軍教頭の王進(おうしん)のような卓越した腕もない。

 周りには、それで良いと考える者も多かった。だが彼らを見て、却って張清は渇望するのだった。

 非番の日である。街を歩いていると、叫び声が聞こえた。

「誰か、ひったくりだ」

 すぐ後に、目の前の路地からそれらしき男が飛び出してきた。包みを手に掴み、少しだけ逡巡すると張清とは反対方向へ駆けてゆく。

 張清は気付くと追っていた。だが男は思いのほか足が早かった。このままでは逃げられてしまう。

 自分でも無我夢中だった。無意識に手に掴んだものを投げた。

 懐に入っていた銭だった。銭はまっすぐに盗人の頭に当たった。盗人が地面に転がり、すぐに取り押さえられた。

 荷物の持ち主が、しきりに礼を言っていたが、張清には聞こえていなかった。

 手のひらを見つめ、呆けたようになっていた。

 これか。これだ。

 見つけた。見つけたのだ。

 張清は、足りなかった何かを、その手に掴んだ。

 

 さすがに銭は勿体なかったので、どこでも手に入る石を選んだ。

 暇を見つけては河原に行き、手頃な石を集めた。

 投げるのに良さそうな石が手に入った時は、頬ずりせんばかりだった。

 それを見た同僚たちは、

「女よりも、どうやら石を好きになったらしい」

 などと陰で囁いたが、張清は聞く耳を持たなかった。

 初めは一間からだった。それがすぐに一丈になり、三丈そして五丈の距離になった。やがて走りながら、跳びながら。さらには同時になど、ありとあらゆる投げ方を研鑽した。

 そしてついに実戦で礫を使用する時が来た。山賊討伐に参加した時だった。相手はいつもの山賊とは比べものにならないくらい強かった。

 身体に虎の斑紋の刺青をした男と、首の辺りに大きな傷痕のようなものがある男が率いていた。さらにその二人は槍と杈を飛び道具として使ってきた。

 張清がいた地方軍はもはやこれまでかと思われた。

 だがその時、張清は礫を使ってみたのだ。

 修練の成果はあった。張清の礫は次々に山賊たちを打ち倒してゆき、ついに二人の頭領をも打ち倒した。

 欲しい物を褒賞として与えよう、と当時の知府が言った。

 では、と張清は先に捕らえた二人をもらい受けた。

 この時の二人が、龔旺と丁得孫であった。どんな目に合わされるか、と戦々恐々していた二人だったが、張清の言葉におどろいた。

 部下になれというのだ。命を拾った二人は一も二もなく従った。

 張清の礫の技が知れ渡り、いつしか没羽箭(ぼつうせん)と呼ばれるようになった。

「矢羽の無い箭(や)か。誰だか知らねぇが上手いこと言ったもんだ。ねえ大将」

 龔旺が感心したように唸った。

「おい龔旺。大将はないだろう。張清どのは、もう兵馬都監になったのだぞ」

 丁得孫が窘(たしな)めるように言ったが、張清は笑っていた。

「そのままで良いさ。兵馬都監だから、どうという気持ちは、俺にはない」

「さすが大将。話が分かるぜ」

 張清と丁得孫が、顔を見合せて笑った。

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