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集結

 軍を率いる、という人間ではないのかもしれない。

 東昌府との先の戦いで、盧俊義はそう感じた。

 若い頃から河北の三絶と呼ばれるほど、己の武を誇ってきた。だが持っていたのは、あくまでも単独での強さ、そして商売のず抜けた才覚であった。

「気を落さぬよう、盧俊義どの。まだ初めてではないですか。勝敗は兵家の常であることはご存じでしょう」

「ふふ、さらりと言ってくれるな、軍師どの。その言葉、胸に刻んでおこう」

 下手に同情されるよりも良かった。この呉用、晁蓋と共に梁山泊を支えてきただけのことはある。盧俊義は顔を上げた。燕青が微笑むようにしていた。

 わかった。一度で挫けるわしではない。これまで何度も失敗をしてきたではないか。盧俊義は水を呷るように飲んだ。

 そこへ宋江の軍が到着した。

 すぐに陣が組まれ、梁山泊軍が東昌府軍と相対した。前回と同じように、東昌府は張清を中心とした三騎が兵を率いている。

 徐寧が飛びだした。東昌府からは張清が出た。

 鈎鎌鎗が舞う。張清の槍は、徐寧の技をなんとかしのぐので精いっぱいだった。

 徐寧の頭に、この程度の者に苦戦を、という思いがよぎった。油断だった。

 張清の右手が素早く動き、何かが飛んだ。徐寧の眉間が割れた。

 梁山泊軍が色めき立った。

 燕順が駆け、徐寧に縄をかけようとする敵兵を蹴散らした。そして張清に向かう。

 突風の如き刀が張清を襲う。再び、張清の腕が動いた。

「さっき見て、分かったぜ。石礫の類だな」

 そう言うや馬首を返し、距離を取ろうとした。

「分かったから、何だというのだ」

 放たれた礫が、逃げる燕順を追った。燕順の背中に激痛が走った。口中に血の味がした。

 燕順を棗木槊で守るように、韓滔が入れ替わった。

「なるほど礫か。しかも相当の腕だ」

 韓滔が正面からぶつかった。張清は数合打ち合っただけで、韓滔と距離を取った。韓滔は礫を警戒して、それを追わない。

 二人の間は相当離れてしまった。矢でも当たるか、という距離だ。

「得意の手はどうした」

「自分で言ったのだぞ、後悔するなよ」

 礫を侮っていた。没羽箭。矢のように飛来したそれは、韓滔の人中に当たった。

「馬鹿やろう」

 歩兵に韓滔を任せ、彭玘が三尖両刃刀を構える。張清は、ゆっくりと馬を進め、彭玘を見据える。

「次から次へと。少しは休ませてくれよ」

 ぞくりと、彭玘は感じた。攻撃が来る。顔だ。

 張清が礫を放った時には、すでに彭玘は避けていた。

 そのまま前へ出ようとする彭玘。しかし礫の軌道が変わった。傾けている彭玘の顔の方へと、礫が曲ったのだ。

 礫は彭玘の頬に、めり込むように当たった。血と、歯が数本飛んだ。

 韓滔、彭玘が立て続けに敗れ、呼延灼が目を剥いた。それを感じ取ったのか、踢雪烏騅がその脚を前に出そうとした。

 しかしそれを追い越す影があった。宣贊である。

 宋江は味方が手も足も出ない事に冷静さを失っていた。そしてそれは梁山泊軍の居並ぶ豪傑たちも同じであった。剛刀を回し、駆ける宣贊に声援を送る。

 まずい、と呉用は思った。

 このままでは、飛んで火に入る夏の虫よろしく、ただ突っ込んでは討ち取られてゆくだけである。

「宋江どの、ここは一旦退くべきかと」

「待ってくれ、軍師どの。相手は連戦で疲れている。この機を逃す訳には」

 呉用は言い募ろうとした。悲痛な叫びが起きた。

 口元から血を流している宣贊が、陣に助け戻された。

 呼延灼が、待っていたように飛び出した。

 

「おい、大将はもう充分だ。助太刀に行こうや」

 龔旺の言葉に、ゆっくりと丁得孫が首を振った。

「どうしてだ。大将がやられちまうぞ」

「いや、まだだ。我慢して見てるんだ」

 ぐぬ、と龔旺が歯嚙みした。

 その間にも、梁山泊軍から新手が飛びだした。両手に鉄鞭を持った、いかにもな猛将だ。

 宋江が言うように、龔旺が言ったように、張清はすでに疲労しきっていた。腕も重く感じる。あと何回、礫を放てるだろうか。

 だがその目の前の将に、張清は釘付けとなった。

 呼延灼だ。若い頃から憧れだった。

 軍人ならば、誰でも聞いた事のある名将、呼延灼だ。

 張清の腕に力が甦る。鉄鞭を交差させた呼延灼が吠える。槍を横たえ、張清も前に出た。

「馬鹿な。正面から打ち合うのかよ、大将」

 聞こえたのか、張清はちらりと龔旺を見た。それでも止まらない。

 鉄鞭が上段から振り下ろされた。張清がかわす。充分な余裕をもったはずだが、びりびりとした震動のようなものを肌に感じた。

 これが呼延灼将軍。俺はその人と戦っているのだ。恐怖は感じない。不思議な高揚感に、張清は包まれていた。

 呼延灼の第二撃が迫る。張清は目にも止まらぬ速さで、腰の袋から礫を取り出す。そしてそのまま鉄鞭を握る呼延灼の腕めがけて、至近距離から礫を放った。

 呼延灼の腕が、横に弾かれた。当てた。

 だが鉄鞭はまだその手に握られていた。呼延灼は苦悶の表情だった。得物を離さなかったのは、呼延灼だからこそと言えた。

 礫は効いている。追撃してこないのが、その証だ。

 張清が槍をしごき、呼延灼に向けて突きを放つ。しかしその一撃は刀に弾かれた。呼延灼の愛馬の側面から、赤茶けた髪の男が張清を睨んでいた。

 呼延灼に痛打を与え、張清もこれでひと区切りだと思っていた。だが梁山泊は許してはくれないようだ。

「今度は俺が相手だ」

 徒歩で斬りこんだ劉唐だ。

 呼延灼の鉄鞭もかくやというような攻撃だった。まともに喰らえば、骨ごとやられる。

 劉唐は半歩下がり、馬の脚に狙いを変えた。

 気付くと馬が反転していた。回った勢いで、馬の尾が劉唐の顔面を打ち、その毛が絡みついた。

 陣中の燕順は、背の痛みも忘れるように見入っていた。

 やはり馬が良いのだ。張清のだけではない。副将はじめ東昌府軍全体の馬の質が、とても良いのだ。

 燕順が声を上げた。劉唐が礫に倒れた。

「全軍、攻撃せよ」

 宋江が叫び、戦鼓が打ち鳴らされる。

 待ってましたと龔旺、丁得孫が兵を率い飛び出す。

 引きずられてゆく劉唐を見送り、張清はその場に留まっていた。

 敵将を幾人も倒した。だか捕らえることができたのは、今の将のみだ。

 腰の袋を揺する。まだ充分に礫はある。

 これからが勝負だ。

 張清は梁山泊軍を見据え、背筋を伸ばした。

 乱戦となった。

 梁山泊軍の歩兵は龔旺と丁得孫を足止めし、騎兵はあくまでも張清を攻め立てる。

 張清は静かに息を吐き、腕を軽く振った。

 まだいける。もう少しだけいける。

 気付くと目の前の、顔に青痣のある将が、張清を狙っていた。

 楊志が刀を横薙ぎに払った。

 張清は刀を避ける勢いを利用し、鐙の方向へ体を倒した。楊志が一瞬、標的を見失った。

 馬腹の陰から礫が飛んできた。楊志は体を捻り、何とか礫をかわした。礫は脇腹をかすめて飛んだ。

 体勢を立て直そうとする楊志は、次の礫が迫るのを見た。礫が楊志の兜を直撃した。めまいが楊志を襲う。

 張清が鞍に戻った時、朱仝と雷横が左右から迫っていた。

 腕よ、動け。

 奥歯を噛み、左右の袋に手を入れる。礫を取り出し、左右同時に放った。

 朱仝も雷横も、右手でしか放てない、そう思い込んでいた。両手で、しかも正面ではない敵に放つなど。

 雷横の額が割れ、朱仝は首筋に礫を受けた。

「雷横」

 朱仝が叫ぶ。半分白目を剥いた雷横が、ずるりと馬から落ちた。

 そこへ東昌府軍へが押し寄せる。助けたいが、朱仝も体が痺れるようになっており、動けない。

 雷横が捕らえられた。

 だが東昌府兵を追い散らし、関勝がそれを救った。馬を飛ばし、朱仝が雷横を鞍に乗せる。関勝に目礼をし、陣へと駆け戻った。

「疲れているところ申し訳ないね。さて、次はわしが相手だ」

 青竜偃月刀の矛先を、ぴたりと張清に向けた。

「ここは戦場ですよ、関勝どの。申し訳ないなど」

「わしを知っているのかね」

「もちろん」

「光栄だ」

 赤兎馬が駆けた。

 関勝の一撃を何とかかわした。肌がひりひりする。

 格が違う。張清は素直にそう思う。だからこそ全力で挑まねばならない。

 む、と関勝が唸った。

 張清の肩から力が抜けたようだ。関勝を見る、その目が澄んでいる。この場面で、この顔ができる男は、そうはいない。

 張清の掌が、関勝に向けられていた。放つ挙措が見えなかった。

 咄嗟に構えた青竜刀の刃が、欠けた。関勝でなければ、顔面を血に濡らしていただろう。

「見事だ、張清」

 敵に、その言葉を送るとは。

 去りゆく関勝を見て、張清は自然と身が引き締まった。

 振り向くと、そこに董平がいた。

 東平府が陥ちた、とは聞いていた。だが、董平がどうなったかは聞いてはいなかった。

 いま目の前にいる董平は、張清と向き合い、その槍をこちらに向けている。

「裏切り者め」

 張清が吐き捨てるように言った。

 同じ、梁山泊の側に位置する府を守る者として、そしてその双鎗将と呼ばれるほどの技量に、敬意を払っていた。

「まさか、賊に与するとはな。風流などとよくも言えたものだ」

 董平はそれに応えず、じりっと馬を寄せてゆく。

「何とでも言うが良い。だが呼延灼どのや関勝どのに、同じ事を言えるのか」

「抜かせ」

 礫が放たれた。董平は落ち着いて、それを槍で払いのけた。すかさず、二の礫が迫る。これも董平はかわした。

「いつもの鋭さがないようだな。梁山泊は、東昌府が盗った麦を返せば、これ以上攻撃はしないと言っている。受け入れてはどうだ」

 張清の顔に悔しさが浮かぶ。

 言う通りだった。関勝への一撃が、最後の力だった。

「信用できるかよ、そんな事」

「ならば仕方あるまい」

 前のめりになり、董平が馬を駆けさせる。あっという間に張清の眼前に迫った。張清は腿を締め、馬の向きを変えた。だが董平は離れずにぴたりと、追って来る。

 ここまできて、負けてなるものか。

 董平が近づく。槍が突き出された。張清はひらりと身を横たえるようにして、それをかわした。勢い余った董平が、張清の馬と並んだ。

 張清が槍を捨てた。そして突き出された董平の槍を両手で掴んだ。

 渾身の力を込め、槍を引く張清。思わず槍を引き返す董平。

 その勢いを利用し、張清が董平に飛びかかった。

「放せ、張清」

「放せと言われて、放す奴がいるか」

 二人は組みあいながらも、落馬することなく駆けた。

「おい、そこをどけ」

 二人に向かって駆けていた索超が叫んだ。

「そうは行くかよ。俺たちが相手してやるぜ」

 ゆく手を阻んだ龔旺が吼えた。手には、あの大きく太い槍だ。それをいまにも投げつけようと構えている。丁得孫も少し離れて、索超を牽制するようにしている。

 索超の目は、張清と董平を追っている。

「どっち見てやがる」

 龔旺が槍を放とうとした時、左右から騎兵が飛ぶように駆けてきた。右からは林冲と花栄、左からは呂方と郭盛だった。

 龔旺と丁得孫が、四騎に引き離されてゆく。

 機を逃さず、索超が金蘸斧を閃かせ、真っ直ぐに駆け抜けた。

 張清は形勢悪しと見るや董平を離し、一散に陣へと駆けた。すかさず董平がそれを追う。

 ちらりと後ろを見た張清は、手を握ったり開いたりした。

 今の間に少しだけ回復したようだ。だが、あと一発が限界か。

 礫が飛んだ。もう無いと思っていた董平は、対応が遅れた。礫は董平の耳をかすめた。

 くそ。耳に当てた手に、血が付いた。

 董平を引き離した。だが別の将が追って来る。張清は腰の袋を見る。

 これで、本当に最後だ。

 駆けたまま半身になり、礫を放った。

 礫は真っ直ぐ飛んだ。索超が気付いた時には、礫が目の前にあった。

 鈍い音をたて、索超の額から鮮血が飛び散った。

「貴様」

 驚いたことに索超は気を失ってはいなかった。金蘸斧を握りなおし、なおも前に出ようとしている。

 だが張清が逃げおおせるには充分だった。

 最後に一度だけ龔旺と丁得孫を振りかえり、唇を噛んだ。

 

 林冲に向けて、龔旺が槍を放った。

 唸りを上げ、槍が襲いかかるが、林冲の愛馬の動きはそれよりも早かった。槍が地面に突き刺さった時、林冲はすでに龔旺に向け、駆けていた。

「林冲、任せろ」

 花栄が五本の矢を立て続けに放った。だが花栄は、目を疑った。龔旺は、向かって来る矢に向かって両手を広げていたのだ。

「礼を言うぜ」

 凶暴そうな歯をむき出しにし、笑う龔旺。そして体に突き立つ寸前の矢を、がばりと抱え込んだのだ。

 すぐさま龔旺は振りかぶり、奪った矢を手で投げつけてきた。

 弓で放つような速度は出ない。だが充分に危険な威力を持っていた。

「何という奴だ。花栄、もう矢を射るなよ」

 矢を蛇矛で弾いた林冲が突っ込んだ。花栄も槍に持ちかえ、それに続く。

「おっと、こいつはやべえ」

 得物がなくなった。あいつらの槍を奪えるか。

 くそ、と毒づきながら、龔旺が両の手を広げ、決死の覚悟で突っ込んだ。

 丁得孫は飛叉を放たずに、手に持っていた。

 その飛叉で呂方と郭盛の攻撃を防いでいた。左右からの攻撃は、まるで打ち合わせたかのように連携が取れている。

 反撃の隙を狙うが、赤い騎兵が下がれば白い方が。そして白が退けば赤が、とその隙を与えてはくれない。

 埒が明かない。しばらく防戦に徹していた丁得孫だったが、攻撃に転ずることにした。

 目の端で、龔旺が捕らえられるのを見たのだ。

 握っていた手を緩め、飛叉を地面へ落とす。

 予想外の動きに、呂方と郭盛が警戒した。

 飛叉は地面に落ちず、すれすれで止まった。飛叉の付け根から細い鎖が伸びており、それを丁得孫が握っていた。

「喰らえ」

 丁得孫の手首が返った。飛叉が生き物のように、呂方に向かって跳ね上がった。

 何とか画戟を上げて防いだが、弾かれた飛叉はそのまま郭盛へと向きを転じた。

「奇妙な技を使いやがる」

 飛叉が大きく、小さく、丁得孫の上で弧を描いては襲いかかる。

 かくして呂方と郭盛は攻撃しかね、丁得孫との距離がじわじわと開いてゆく。

 それを見て、陣中から燕青が飛び出した。弩を構え、丁得孫に向けて矢を放つ。矢は馬の蹄に当たった。

「何事だ」

 驚き、棹立ちになった馬が地面に倒れ、丁得孫も放り出された。郭盛と呂方がそれを取り押さえる。

 丁得孫は観念したのかおとなしくしていたが、依然として鋭い眼光だった。

 両軍が退却の鉦を鳴らす。

「これで一勝一敗です、旦那さま。しかも二人、敵将を捕らえました」

「気を遣いおって」

 そう言ったが、盧俊義は嬉しそうだった。

 しかし張清という男ひとりに十数人が敗北を喫したのだ。

 負けたという雰囲気が、梁山泊軍を包んでいた。

 呉用は東昌府を見やり、羽扇をくゆらせた。

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