108 outlaws
集結
三
東昌府の太守から労いの言葉がかけられた。
兵たちも戦勝気分のようだったが、張清はいささかそんな気分にはなれなかった。
ここに龔旺と丁得孫がいないからだ。
誰もが、梁山泊の頭目十数人を敗走させた張清を褒めそやした。だがあの二人の事は、ちらりとも出てこなかった。だから余計そうだったのかもしれない。
龔旺と丁得孫も敵将に勝った。それにふたりがいなければ、敵の手に落ちていたのは自分だったかもしれない。
酒を飲む気分にもなれず、馬の様子を見にきた。
張清の馬は先日の戦で軽い怪我をしていたため、治療していたのだ。
「気に病むな。二匹の虎を捕らえてしまって、手を焼いておるよ、梁山泊の連中は」
「かもしれんな、皇甫端の爺さん」
皇甫端と呼ばれた老人が、張清を見もせずに言った。長く垂らしたあご髯が、月の光で銀色に見えた。
昼間は紫みを帯びて見える。紫髯伯と、友が呼んでくれたという。
皇甫端はいつの間にか東昌府にいた。そして馬匹係に文句を言っているところを、張清が止めたのが縁だった。
文句は馬の世話の仕方についてだった。どこかに所属していた訳ではないが、どうしてか馬に詳しいのだ。そこで試しに馬匹の仕事をさせてみた。
結果はすぐに出た。
馬の毛艶が美しくなり、馬体も見事なものになったのだ。
改めて張清が、仕事に就いてくれと頼んだ。皇甫端は、それが当たり前のような顔をしていただけだった。それが少しおかしかった。
「出が山賊だからだろうて。それを重用した事を面白くないと思っておるのじゃよ」
龔旺と丁得孫の事だ。
たしかにそうなのだろう。だが自分は、実力のある者をあたら失うのが惜しいと思っただけだ。そしてこの皇甫端もである。
治療中の馬が、張清を見た。
「強い馬だ」
皇甫端が優しい目をする。
「もう夜も遅い。爺さんも休んでくれ」
「馬鹿もの。わしが休んだら、馬たちは誰が見る」
「すまなかった」
こういう人だった。だから好きなのだ。
「じゃあ、何か手伝うよ」
そう言った時、遠くから張清を呼ぶ声があった。
梁山泊軍の糧秣を見つけたという、見回りの兵の報告だった。
荷車にして百あまり。さらに近くの河にも船が五百ほどいて、それにも糧秣が積まれているようだという。
「本当なのか」
張清も太守も疑った。改めて精査させると、やはり間違いないという。
梁山泊はこちらを囲んでいる。籠城戦と決め込むつもりか。望むところだが、いかんせん東昌府の糧秣が先に切れてしまうだろう。太守の顔にも、その考えが浮かんでいる。
「その糧秣、奪ってまいりましょう」
張清が一歩前へ出た。
奪えるのならば重畳、でなければ燃やすまでだ。
千の兵を連れ、張清が東昌府を出た。
天空には満月。今日はいつになく大きく見える。月光が辺りを静かに照らしている。好都合だったが、条件は向こうも同じだ。
兵に枚を食ませ、ゆっくりと進む。
斥候の報告だ。この先の街道を、輜重が移動しているという。
丈の高い草に身を伏せ、待った。ほどなくしてその輜重車が来た。
率いているのは二百ほどか。
張清は、先頭の巨漢の僧侶と巨躯の行者に目を奪われた。僧侶が大声で話しながら、大股で歩いている。行者は静かに頷いているようだ。
あの二人、とんでもない腕だ。こちらの数が圧倒的に優位だが、攻め込めない気を感じる。
かさり、と配下の兵が音を立ててしまった。
「誰か、隠れているのか」
行者が叫んだ。刀を抜き、こちらへ駆けてくる。二本の刀が妖しい光を放っているように見えた。
「わしの獲物を残しとけよ」
物騒なことを言い、僧侶も走りだした。手には鉄の禅杖。あれにやられてはひとたまりもあるまい。
「こっちだ、坊主」
張清は勢いよく立ちあがり、注意を引いた。
僧侶の顔が向いた。すでに礫が飛んでいた。
ぐあっ、と悲鳴を上げ、僧侶がのけぞった。行者は僧侶を助けると、逃げだした。梁山泊兵も蜘蛛の子を散らすように逃げ去って行った。
東昌府兵の喚声が上がる。輜重は本物だった。成果としては足りないが、敵にも露見してしまった。張清は輜重車を守らせ、東昌府へと戻った。
河が見えた。遠目に船が浮かんでいるのが見えた。河には糧秣船がいると言っていたか。
一台だけではやはり足りない。奪えはしまい。ならば少しでも減らしてやる。
輜重車を先に戻らせ、張清は残りの兵と河への道をとった。
突如、闇に包まれた。
満月だったはずだ。雲か。いや、雲ではないようだ。
「慌てるな、固まれ」
兵に檄を飛ばす。
闇は依然と、張清らを取り囲み続けている。
闇の中に、道士のような者が見えた気がした。
僧侶に行者に、今度は道士だと。
一体何が起きているのだ。
張清は礫を握りしめることしかできなかった。
「おう、和尚。ご苦労だったな」
李俊が微笑んでいる。
頭に血止めを塗り、包帯を巻いた魯智深は不服そうだった。
「くそう、まったく損な役回りだ。まったく軍師どのも酷いわい」
魯智深と武松の率いた輜重車を囮に、張清を東昌府から引きだした。
さらに李俊ら水軍の船を見せ、おびき寄せた。そこで張清を包んだ闇は、公孫勝の術によるものだった。
張清捕らわるの報に、東昌府太守は愕然とした。
日が昇り、東昌府は梁山泊の旗に囲まれた。
ゆっくりと門が開いた。
宋江と護衛の燕順、孫立だけが入城した。
対する太守も、数人の護衛のみだった。
「お主たちの倉を襲ったのが原因だ。税が重くされ、それが梁山泊のせいだと聞いた。ならばと思ったのだ。兵や民たちに責任はない。すべて私の命令だ。私の首をとるが良い」
宋江が、ふふ、と笑みを浮かべた。
「何がおかしい」
「これは、失礼いたしました。あまりにも潔いその言葉に、思わず嬉しくなってしまったのです」
太守は宋江を眇めるように見ている。
「もう攻撃はしません。私の言葉を信用してくれますか」
「そうか、良かった」
安堵したように太守が襟元を広げた。
「違います。太守どの、あなたの首は獲りません」
太守はなおも解(げ)せない顔をしている。宋江が合図すると、城門から兵たちが大勢入ってきた。
太守はぎょっとした。やはり攻め落とす気か。
しかし違った。兵たちは車を何台も引いて入ってきたのだ。
「税が課せられたのが我らのせいか、その真偽は分かりません。ですが、これは騒ぎを起こしたお詫びです」
それは輜重車だった。昨晩、報告があったものだ。まさか初めから、こうするつもりだったのか。
宋江はそれには答えず、輜重を運ばせ続けた。同じ量を、東平府にも送り届けているという。
「私たち梁山泊は、民を苦しませる気など毛頭ないのです。今回のように、民を苦しめる者を取り除くため、戦っているのです。それだけはお分かりいただきたい」
本当なのか。噂では聞いていたが。ただの山賊という訳ではないというのか。
捕えた張清たちはどうなったのだろうか。
宋江は、彼らはもう死んだと思い定めてください、とだけ言った。
輜重車を運び終えた梁山泊軍がきびきびと城門を出てゆく。
太守は黙って見送ることしかできなかった。
東昌府の厩舎に、燕順がいた。
太守との話のあと、別行動をとっていた。
護衛というより、むしろこのために来ていたようなものだった。
「やっぱり、紫髯伯の爺さんか。通りで馬が良いはずだぜ」
燕順が満面の笑みを浮かべている。
「当り前だ。いまさら何を言っておる、錦毛虎」
燕順の顔も見ずに言う皇甫端。その目は馬に向いている。
「はは、相変わらず元気そうで何よりだ」
燕順はしばらく黙って、皇甫端の仕事を見ていた。
変わらない。馬に対する細やかな気遣いも、滑らかな手つきも。あれから年を重ね、より熟練されたものになっているようだった。
さて、と皇甫端が腰に手を当てて、伸びるような仕草をした。そして奥から三頭の馬を連れて来ると燕順を見た。
「さて、行くとするか」
燕順が驚くほど、皇甫端の決断は呆気なかった。
「東昌府には世話になったが、その恩は返した。わしが義理を果たさにゃならんのは、張清の方だ。まあ、ついでにあの二匹の虎の面倒も見なくてはな。わしは動物の医者だからな」
と冗談ともつかぬ事を、真面目な顔で言った。
燕順が嬉しそうな顔をして、大声で笑った。
「そう言えば、生きておるんじゃろ」
「ああ、生きてるよ」
「なら良い」
「はは、しかし一体どうしてここにいたんだい、爺さん」
「お主こそどうして梁山泊などにおるのだ」
「ま、そいつは梁山泊に着いたら飲みながら話そうや。美味い酒を造る奴がいてなあ」
「ほう、そいつは楽しみだな」
二人に連れられた三頭の馬が、軽やかに闊歩している。
機嫌良さそうに首を上げ、尾を軽やかに振っていた。