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集結

 東昌府の太守から労いの言葉がかけられた。

 兵たちも戦勝気分のようだったが、張清はいささかそんな気分にはなれなかった。

 ここに龔旺と丁得孫がいないからだ。

 誰もが、梁山泊の頭目十数人を敗走させた張清を褒めそやした。だがあの二人の事は、ちらりとも出てこなかった。だから余計そうだったのかもしれない。

 龔旺と丁得孫も敵将に勝った。それにふたりがいなければ、敵の手に落ちていたのは自分だったかもしれない。

 酒を飲む気分にもなれず、馬の様子を見にきた。

 張清の馬は先日の戦で軽い怪我をしていたため、治療していたのだ。

「気に病むな。二匹の虎を捕らえてしまって、手を焼いておるよ、梁山泊の連中は」

「かもしれんな、皇甫端の爺さん」

 皇甫端と呼ばれた老人が、張清を見もせずに言った。長く垂らしたあご髯が、月の光で銀色に見えた。

 昼間は紫みを帯びて見える。紫髯伯と、友が呼んでくれたという。

 皇甫端はいつの間にか東昌府にいた。そして馬匹係に文句を言っているところを、張清が止めたのが縁だった。

 文句は馬の世話の仕方についてだった。どこかに所属していた訳ではないが、どうしてか馬に詳しいのだ。そこで試しに馬匹の仕事をさせてみた。

 結果はすぐに出た。

 馬の毛艶が美しくなり、馬体も見事なものになったのだ。

 改めて張清が、仕事に就いてくれと頼んだ。皇甫端は、それが当たり前のような顔をしていただけだった。それが少しおかしかった。

「出が山賊だからだろうて。それを重用した事を面白くないと思っておるのじゃよ」

 龔旺と丁得孫の事だ。

 たしかにそうなのだろう。だが自分は、実力のある者をあたら失うのが惜しいと思っただけだ。そしてこの皇甫端もである。

 治療中の馬が、張清を見た。

「強い馬だ」

 皇甫端が優しい目をする。

「もう夜も遅い。爺さんも休んでくれ」

「馬鹿もの。わしが休んだら、馬たちは誰が見る」

「すまなかった」

 こういう人だった。だから好きなのだ。

「じゃあ、何か手伝うよ」

 そう言った時、遠くから張清を呼ぶ声があった。

 

 梁山泊軍の糧秣を見つけたという、見回りの兵の報告だった。

 荷車にして百あまり。さらに近くの河にも船が五百ほどいて、それにも糧秣が積まれているようだという。

「本当なのか」

 張清も太守も疑った。改めて精査させると、やはり間違いないという。

 梁山泊はこちらを囲んでいる。籠城戦と決め込むつもりか。望むところだが、いかんせん東昌府の糧秣が先に切れてしまうだろう。太守の顔にも、その考えが浮かんでいる。

「その糧秣、奪ってまいりましょう」

 張清が一歩前へ出た。

 奪えるのならば重畳、でなければ燃やすまでだ。

 千の兵を連れ、張清が東昌府を出た。

 天空には満月。今日はいつになく大きく見える。月光が辺りを静かに照らしている。好都合だったが、条件は向こうも同じだ。

 兵に枚を食ませ、ゆっくりと進む。

 斥候の報告だ。この先の街道を、輜重が移動しているという。

 丈の高い草に身を伏せ、待った。ほどなくしてその輜重車が来た。

 率いているのは二百ほどか。

 張清は、先頭の巨漢の僧侶と巨躯の行者に目を奪われた。僧侶が大声で話しながら、大股で歩いている。行者は静かに頷いているようだ。

 あの二人、とんでもない腕だ。こちらの数が圧倒的に優位だが、攻め込めない気を感じる。

 かさり、と配下の兵が音を立ててしまった。

「誰か、隠れているのか」

 行者が叫んだ。刀を抜き、こちらへ駆けてくる。二本の刀が妖しい光を放っているように見えた。

「わしの獲物を残しとけよ」

 物騒なことを言い、僧侶も走りだした。手には鉄の禅杖。あれにやられてはひとたまりもあるまい。

「こっちだ、坊主」

 張清は勢いよく立ちあがり、注意を引いた。

 僧侶の顔が向いた。すでに礫が飛んでいた。

 ぐあっ、と悲鳴を上げ、僧侶がのけぞった。行者は僧侶を助けると、逃げだした。梁山泊兵も蜘蛛の子を散らすように逃げ去って行った。

 東昌府兵の喚声が上がる。輜重は本物だった。成果としては足りないが、敵にも露見してしまった。張清は輜重車を守らせ、東昌府へと戻った。

 河が見えた。遠目に船が浮かんでいるのが見えた。河には糧秣船がいると言っていたか。

 一台だけではやはり足りない。奪えはしまい。ならば少しでも減らしてやる。

 輜重車を先に戻らせ、張清は残りの兵と河への道をとった。

 突如、闇に包まれた。

 満月だったはずだ。雲か。いや、雲ではないようだ。

「慌てるな、固まれ」

 兵に檄を飛ばす。

 闇は依然と、張清らを取り囲み続けている。

 闇の中に、道士のような者が見えた気がした。

 僧侶に行者に、今度は道士だと。

 一体何が起きているのだ。

 張清は礫を握りしめることしかできなかった。

「おう、和尚。ご苦労だったな」

 李俊が微笑んでいる。

 頭に血止めを塗り、包帯を巻いた魯智深は不服そうだった。

「くそう、まったく損な役回りだ。まったく軍師どのも酷いわい」

 魯智深と武松の率いた輜重車を囮に、張清を東昌府から引きだした。

 さらに李俊ら水軍の船を見せ、おびき寄せた。そこで張清を包んだ闇は、公孫勝の術によるものだった。

 張清捕らわるの報に、東昌府太守は愕然とした。

 日が昇り、東昌府は梁山泊の旗に囲まれた。

 ゆっくりと門が開いた。

 宋江と護衛の燕順、孫立だけが入城した。

 対する太守も、数人の護衛のみだった。

「お主たちの倉を襲ったのが原因だ。税が重くされ、それが梁山泊のせいだと聞いた。ならばと思ったのだ。兵や民たちに責任はない。すべて私の命令だ。私の首をとるが良い」

 宋江が、ふふ、と笑みを浮かべた。

「何がおかしい」

「これは、失礼いたしました。あまりにも潔いその言葉に、思わず嬉しくなってしまったのです」

 太守は宋江を眇めるように見ている。

「もう攻撃はしません。私の言葉を信用してくれますか」

「そうか、良かった」

 安堵したように太守が襟元を広げた。

「違います。太守どの、あなたの首は獲りません」

 太守はなおも解(げ)せない顔をしている。宋江が合図すると、城門から兵たちが大勢入ってきた。

 太守はぎょっとした。やはり攻め落とす気か。

 しかし違った。兵たちは車を何台も引いて入ってきたのだ。

「税が課せられたのが我らのせいか、その真偽は分かりません。ですが、これは騒ぎを起こしたお詫びです」

 それは輜重車だった。昨晩、報告があったものだ。まさか初めから、こうするつもりだったのか。

 宋江はそれには答えず、輜重を運ばせ続けた。同じ量を、東平府にも送り届けているという。

「私たち梁山泊は、民を苦しませる気など毛頭ないのです。今回のように、民を苦しめる者を取り除くため、戦っているのです。それだけはお分かりいただきたい」

 本当なのか。噂では聞いていたが。ただの山賊という訳ではないというのか。

 捕えた張清たちはどうなったのだろうか。

 宋江は、彼らはもう死んだと思い定めてください、とだけ言った。

 輜重車を運び終えた梁山泊軍がきびきびと城門を出てゆく。

 太守は黙って見送ることしかできなかった。

 

 東昌府の厩舎に、燕順がいた。

 太守との話のあと、別行動をとっていた。

 護衛というより、むしろこのために来ていたようなものだった。

「やっぱり、紫髯伯の爺さんか。通りで馬が良いはずだぜ」

 燕順が満面の笑みを浮かべている。

「当り前だ。いまさら何を言っておる、錦毛虎」

 燕順の顔も見ずに言う皇甫端。その目は馬に向いている。

「はは、相変わらず元気そうで何よりだ」

 燕順はしばらく黙って、皇甫端の仕事を見ていた。

 変わらない。馬に対する細やかな気遣いも、滑らかな手つきも。あれから年を重ね、より熟練されたものになっているようだった。

 さて、と皇甫端が腰に手を当てて、伸びるような仕草をした。そして奥から三頭の馬を連れて来ると燕順を見た。

「さて、行くとするか」

 燕順が驚くほど、皇甫端の決断は呆気なかった。

「東昌府には世話になったが、その恩は返した。わしが義理を果たさにゃならんのは、張清の方だ。まあ、ついでにあの二匹の虎の面倒も見なくてはな。わしは動物の医者だからな」

 と冗談ともつかぬ事を、真面目な顔で言った。

 燕順が嬉しそうな顔をして、大声で笑った。

「そう言えば、生きておるんじゃろ」

「ああ、生きてるよ」

「なら良い」

「はは、しかし一体どうしてここにいたんだい、爺さん」

「お主こそどうして梁山泊などにおるのだ」

「ま、そいつは梁山泊に着いたら飲みながら話そうや。美味い酒を造る奴がいてなあ」

「ほう、そいつは楽しみだな」

 二人に連れられた三頭の馬が、軽やかに闊歩している。

 機嫌良さそうに首を上げ、尾を軽やかに振っていた。

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