108 outlaws
夢想
四
西へと向かう魯智深と武松。陽城の居酒屋で酒を飲んでいた。
二人の耳に人々の声が聞こえてくる。
角の卓の二人の客は、はじめ声を潜めていたが、酒が増えるにつれ段々と大きくなってきた。
「まったくよう。あいつらが来てから、商売あがったりだ」
「本当だよな。ずっとこのままなのか。これならお上の方がましってもんだぜ」
特にこの陽城、近隣の沁水の守将は虎の威を借る狐よろしく、横暴な振る舞いばかりで住民は苦しんでいるようだ。
魯智深と武松は構わずに飲み続ける。
二人の愚痴は熱を帯びはじめる。
「噂だけど、田虎討伐軍が出されたらしいぜ」
「本当か、それは。だとしても、官軍じゃあ頼りなくて期待できんな」
「いや、それが今度はそうでもないようだぜ」
「どういう事だ」
「討伐に出陣したのは、なんと及時雨の宋江率いる梁山泊だというのだ」
「梁山泊だと」
「ああ、そしていくつか城を奪還したというのだ。東京開封府の方から来た商人に聞いたんだ。おそらく間違いあるまい」
「早く、ここにも来てくれないかな」
武松が杯を持った手を止めた。魯智深は笑みを湛えた。
世間的には梁山泊は官軍に負け、招安を受けた事になっている。だが梁山泊ひいては及時雨に、期待を抱いているのだ。
突然、店主が静かにするように言った。
すぐ後に四、五人の男たちが入ってきた。どの顔もごろつきか山賊のそれである。客を一人ひとり睨(ね)め回している。
「これはこれは、旦那がたお揃いで。すぐに席を用意しますので」
店主が愛想笑いを浮かべる。どうやら田虎側の連中のようだ。先ほどまで不満を漏らしていた二人は黙りこんでいる。
頭格の男が言った。
「残念だが、今日は酒を飲みに来たのではないのだ。不審な者が近くをうろついているんで探しているのだ」
頭格が、魯智深と武松に目を止めた。
「おい、お前たち。見るからに怪しいな。何者だ」
凄む頭格だったが、二人は構わず酒を飲んでいる。そしてなんと酒の追加を、主人に頼んだ。頭格たちの事を、まったくいないかのように振る舞っている。
これには客たちも堪え切れず笑った。いつも虐げられている彼らの憂さを晴らしてくれたのだ。
しかし頭格の方は穏やかではない。おい、と刀を見せるように声を荒げるが、やはり魯智深と武松は涼しい顔だ。
「魯の兄貴、蠅がうるさいようですね」
「放っておけ。今は酒を飲むのに忙しいのだ」
頭格が真っ赤になり、二人に詰め寄った。
仕方ない、といった風に二人がやっと顔を向けた。
「お前たち、見かけない顔だな。どこから来た」
「ご覧の通り、旅の僧だ。お前らこそ何者だ」
「お前らみたいな僧がいてたまるか。俺たちは寇孚さまの部下だ。いいから答えろ、どこから来た」
寇孚とは、この陽城の守将だ。
あっ、と一人が声を上げた。魯智深の禅杖を指差している。
「鈕文忠さまは頭を潰されておりました。こ奴の禅杖なら」
陽城の東の街道で、田虎軍の将である鈕文忠とその配下の骸が発見された。急報を受けた寇孚が、下手人を探させていたのだ。
魯智深が言う。
「そいつは奴の事か。それならわしが説教してやったわい。当然の報いだ」
殺気が漲った。
す、と武松が立ち上がった。流れるような動作で、妖刀を抜き放っていた。二人の首が音もなく、飛んだ。
風が吹いた。禅杖が起こす風だった。鈕文忠と同じように、二人の頭蓋が砕けていた。
微動だに出来ぬ頭格。もう残りは自分だけだ。
逃げねば。そう思うが体が動かない。頭格はそのまま、妖刀に貫かれた。
「これは迷惑をかけてしまったな、ご主人」
頭を掻きながら魯智深が笑う。武松は銭を放り、荷物をまとめている。
呆気にとられていた店主が我に返り、おずおずと魯智深に訊ねた。
「あんた達、いったい何者だね」
「旅の僧、ではもう通じないかのう」
経緯を語る魯智深。話終えた時、店主が嗚咽を漏らした。
「どうされた、主人」
「どうもこうも、ありませんよ」
客の一人が告げた。
あの街道の居酒屋は、店主の息子夫婦が営んでいたのだと。
「断る。やるのならば、俺たちの手を借りず、自分たちの力でやるのだ」
武松は厳しい目で、彼らを一喝した。
店主の息子夫婦の死に、住民たちの怒りが沸点に達した。そこで住民たちは寇孚を追いだすため、魯智深と武松を頼ろうとしたのだ。
「そんな、そう言わずに。俺たちだけじゃあ」
「駄目だ」
と武松はにべもない。魯智深は腕を組み、黙っている。
点きかけた火が消えそうになった時、主人が言った。
「わかった。わしはやるぞ。息子たちの仇はとってくれたのだ。あとはわし達の番だ」
そう言って拳を握る。やはり怖れで震えていた。
だが主人の決意に、次々と賛同する者たちが増えた。そしてその火は、静かに陽城中に広がっていった。
施恩か、と魯智深は思った。
かつて武松が孟州に流された時、典獄の息子であった施恩が彼に近づいた。理由は、奪われた快活林を取り戻すためであった。
だがいざという時に、施恩は尻込みをした。そこで武松は喝を入れた。本当にその決意があるのかを、施恩に問うた。そして施恩は自分の思いを吐露し、決意を示したのだ。
いま目の前の住民たちにも、同じ事をしたのだ。
「これはわし達の出番はないかもしれんの」
「いえ、魯の兄貴にも、ひと肌脱いでもらいますよ」