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夢想

 寇孚は額に青筋を浮かべ、怒りをなんとか抑えていた。

 不審者を捜させていた手下が返り討ちにあったと報告があった。

 そして今、寇孚の前にその不審者がいた。肥った和尚と、凶悪そうな行者である。

 二人は縄をかけられ、後ろ手に縛られていた。住民たちが彼らを騙して捕らえ、引き渡しに来たのだ。

 しかしこの二人、怖ろしい風貌をしている。しかも和尚の禅杖は二人がかりでやっと持っているほどだ。

「よくやった、お前たち。後で褒美を与える。もう帰って良いぞ」

 しかし住民たちは、危険な目に遭ったのだから処分を確認するまで帰れない、と言う。

 まったく面倒くさい連中だ。

「わかった。すぐに斬首してやるから、そこをどいていろ」

 寇孚の言葉に、住民が離れた。その時、するりと縄が解けた。魯智深と武松の手が自由になり、得物が渡された。寇孚の手下たちが反応する間もなく、斬り伏せられていた。

 にやりと魯智深が笑う。武松がこの策を言いだした時には驚いた。かつて二竜山を陥とすため、曹正が考えた策だ。

「き、貴様ら」

 立ち上がり、後ずさる寇孚。

 だが魯智深の禅杖と、武松の妖刀が寇孚を狙っている。

「さあ、逃げ場はないぞ。おとなしくこの街から出ていくのならば、何もせん。どうする」

「貴様たちは何者だ。この街の事など関係ないだろう」

「お主が田虎の配下ならば関係は大ありだ。なにせわしらは梁山泊の者なのだからな」

「なっ」

 寇孚は言葉を詰まらせた。梁山泊は蓋州まで奪ったと聞いていた。

 しかし、

「くく、出まかせを。こちらの方面には進軍していないはずだ」

「ほう、情報が早いな」

 武松が一歩前に出る。

 寇孚は落ち着きを取り戻していた。兵たちが騒ぎを聞きつけ、集まってきた。住民たちの顔が不安に曇りだした。

「くはは、武器を捨てろ。形勢が逆転したな。とっとと俺を殺していればよかったものを」

 武松が刀を手から放した。床に落ち、からからと音を立てる。

「お前ら、こいつらを捕えろ。いや、殺してしまえ。一人も生きて返すな」

 兵たちが動いた。

 しかしその刃は魯智深たちではなく、寇孚に向けられた。

「忘れていたようだのお。兵たちのほとんどは、元々この陽城の者だ。守るべきはお主ではなく、この街の住民だ」

 そんな馬鹿な。そんな馬鹿な。

 吼えた寇孚が刀を拾い、駆けた。

 刹那、武松が風のように動いた。

 鈍く、何かが砕ける音がした。

 寇孚が後方へ吹っ飛んでいた。そのまま壁に激突した。寇孚の鳩尾が、深く抉れていた。

 武松の岩のような拳が、赤く染まっていた。

 

 陽城が、住民の決起で陥落した。その報は瞬く間に広がった。

 陽城にほど近い沁水、ここではすでに住民が守将の陳凱を捕らえていた。沁水は高揚した空気に包まれていた。

 魯智深らの目的地は、この沁水であった。

「あなたが趙員外どののご親族ですね。よく似ておるわい」

「あなたが魯智深さまですね。お噂はかねがね聞いておりました」

 陳凱が捕らわれ、手下の者たちも逃げてしまったようだ。だが田虎の勢力下である事には変わりない。その親戚は、趙員外の元へと行くことを承諾した。

「その前にお二方、長旅お疲れでしょう。喉でも潤していきませんか。美味い酒のある店があるのです」

 と趙員外と似た、優しい笑みを浮かべた。

「さすが員外どののご親戚だ。わしらを分かっていらっしゃる」

 

 翌日、雪が降りやんだ。

 いつまでもじっとしている訳にもいかない。

 呉用と朱武は協議し、軍を二手に分けることにした。

 このまま北上し、威勝を目指す宋江軍。そして西から迂回し、背後から威勝を攻める軍は盧俊義が率いる。

 蓋州の守備に残る花栄に、宋江が会っていた。

「頼んだぞ、花栄」

「おい宋江、まさか俺を置いて行くとはな」

「そう言うな。この蓋州は要で、梁山泊軍の後衛になるのだ。田虎軍が襲ってきた時に、お前ほど頼りになる者はおるまいよ」

「ふふ、まあ良い。そういう事にしておこう。期待通り、背後はしっかりと守るさ。だが」

 ふいに花栄が真剣な顔になる。

「決して無茶はするなよ。何かあったらすぐに戴宗なり王定六を走らせろ。分かったな、宋江」

「心配するな。幸先の良い報せがあったではないか。私たちに追い風が吹いているのではないかな」

 梁山泊軍の元に、陽城と沁水の民が反旗を翻し、守将を捕らえたという朗報が届いていたのだ。

 しかし花栄は心配そうな顔をしている。

「わかったよ。遠慮なくそうさせてもらうよ」

 宋江は笑い、二人は堅く手を握った。

 盧俊義軍が先に出発した。それを見送り、宋江は地図を広げた。許貫忠の地図を、蕭譲が書き写したものだ。 

 耿恭によると、蓋州から先の要所は、南から壺関、昭徳、潞城、褕社。まずは壺関へと攻めのぼる。

 雪を踏みしめ進軍する宋江軍を、花栄が城壁から見守っていた。

 宋江、盧俊義を鼓舞するように、蓋州の城壁で梁山泊の旗が翻っていた。

 

「いや、本当に美味い酒でした」

「お口にあったようですね。私も嬉しいです」

 店から出た三人。そこへ子供が駆けてきて、武松にぶつかった。武松の視線に、思わず泣きそうになる。一緒に駆けていた友達も同じような顔になる。

 武松の大きな手が、覆いかぶさるように迫った。

 ひっ、と子供が身をすくめ、目を瞑った。

 くしゃりと優しく、武松の手が子供の頭を撫でた。

「友が待っているぞ」

 戸惑った子供だったが、逃げるように友達の方へと走った。少し行ったところで振り返り、ごめんなさいと頭を下げ、走って行った。

 趙員外の親戚が、口元をほころばせる。

「子供たちが駆けまわるなど、どれほどぶりに見た事か。お二人に改めて礼を言わなければいけません」

 魯智深は嬉しそうな顔をした。

「いえいえ、わしらはほんの少し力を貸しただけです。民たちが自分たちで戦ったのです、なあ武松よ」

「そうですね」

 武松がそう答え、少し考えこむようにした。

 虐げられ苦しむ民を救いたい。宋江は常にそう言っている。

 陽城そして沁水の人々は、自分たちの力で自由を取り戻した。

 梁山泊が救わずとも、である。

 いや、違う。梁山泊が田虎軍と戦っている事実に後押しされたからだ。宋江の想いが、行動が、人々の中にも広がっているのだ。

 私は何もしていませんよ。

 宋江ならきっとそう言うのだろう。

 振り返った武松は、そこに魯智深がいない事に気付いた。

「魯の兄貴は」

「え、あれ。いままで、そこに」

 趙員外の親戚も目をぱちくりさせる。

 一体どこへ行ったというのだ。

 踏み出そうとした武松が、咄嗟に飛び退(すさ)った。

「なんだ、これは」

 武松の頬に汗が伝った。

 魯智深が直前まで立っていた場所、そこに黒く大きな穴が口を空けていた。

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