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夢想

 喘ぐように、蔡京が目を覚ました。慌てて首筋を押さえる。

 気のせいか。不快な夢を見た気がするが、覚えてはいない。だがそれ以上気にすることはなく、参内の支度をしている間に頭を切り替えてしまった。

 ところがである。

 朝議の前、いつもの部屋に現れた童貫と楊戩の様子がおかしい。二人とも、首のあたりを擦ったり、首を捻ったりしているのだ。

「高俅はどうした、童貫」

「はい、体調がすぐれないとかで、今日は来ないとの事です」

「昨夜、酒でも飲み過ぎたか」

「いえ、それならば良いのですが。ええと」

 楊戩が奥歯に物が挟まったような言い方をした。

「何だ、はっきり言え」

 楊戩はちらりと童貫を見て、言った。首筋に手を当てる。

「悪夢を見たというのです」

「なんだと」

 蔡京の首筋がぴくりと痙攣した。

 首を斬られる夢を見たというのだ。高俅は以前から、林冲の蛇矛に貫かれる夢を頻繁に見ていた。そして今度の夢だ。

 もう駄目だ、いよいよ夢が現実となるのだ、と屋敷に閉じこもってしまったらしい。

 さらに、童貫と楊戩が目を合わせ、おずおずと切り出した。

「実は、私たちも同じ夢を見まして」

「馬鹿者」

 と蔡京はそれを一喝した。

「そんな夢ごときに惑わされてどうする。その話は他言するでないぞ」

 高俅はもう終わりだ。

 梁山泊に敗れてからめっきり覇気が薄れてしまった。あの飢えた野良犬のようなものを秘めた高俅は死んだ。そう思う事にした。

 楊戩が報告をする。

 現在、梁山泊の戦果は上々で、蓋州まで奪回したという。

 このまま田虎を討ち取れるとは思えないが、そうなったとしても梁山泊の戦力は大きく削がれるだろう。もちろん敗れれば、宋江にその責任を取らせればよいだけだ。

 蔡京にとってはどちらに転んでも利があるという訳だ。

 ただ困るのは国が平穏になってしまう事だ。叛乱の火種がつねに燻り続けている限り、自分の権力は安泰なのだ。しかも田虎が滅びても北の遼も存続しており、西の王慶、南には方臘という賊徒がいる。

 朝議の場、蔡悠が賊徒の話を切り出した。

「梁山泊軍が河北で快進撃をしているという報告です。そこで淮西へも討伐軍を出してはいかがでしょうか。王慶という賊徒は所詮成り上がり者。討伐軍と聞けば尻尾を巻いて逃げ出すに違いありません。今こそ天子さまの威名を国中に知らしめる好機と思われます」

 ううむ、と帝が思案する。

 余計なことを、と蔡京が舌打ちをする。

 近ごろ、息子が帝に何かと近づいている。だが蔡京に対する絶大な信頼は揺らぐものではなかった。

 しかし、威名を知らしめるという言葉に、帝の心は揺らいだ。

「誰か、出向く者はないか。または推挙する者は」

 いる訳がない。そう思っていた蔡京は驚いた。なんと童貫が進み出たのだ。

「おお童枢密。そなたが出てくれるのならば、間違いはないだろう。頼んだぞ」

 朝議が終わり、一同が退出する。童貫は去り際、蔡京の顔をちらりと見るだけだった。

 童貫は、王慶に対して私怨がある。だがそれと国事とは別だと納得させ、理解していると思っていた。

 ふいに蔡攸を思い浮かべた。あ奴が焚きつけたのか。

 するとその蔡悠が現れた。

「驚きましたか、父上。まさか童枢密が自ら志願するなど、思われなかったでしょう」

「別に驚きはせん。時に恨みは、人を浅慮にするものだ。特に心の隙に囁きかけてくる妄言などには、耳を貸してしまうだろう」

「さすがは父上、深いお言葉だ。ところで、お身体(からだ)の具合はいかがですか」

「何の事だ」

「いえ今朝、青ざめた顔で目覚められたと聞きましたので。父上も、そろそろ暖かい南で余生を過ごされてはいかがかと」

「わしが邪魔か。お前に代わりが務まるくらいになれば、そうしたいのだがな」

 蔡攸の目つきが変わった。

「私はあなたになるつもりはありませんよ。私は私だ。それに」

 蔡悠は背を向け、歩きだした。

「あなたの影響力も少しずつだが弱くなっている。老いては子に従えと申します。引き際を間違え、寝首を掻かれぬよう」

「その言葉、そのままお前に返そう」

 蔡悠が去った。朝議の間に蔡京はひとり残された。

 生意気な口を聞くようになったものだ。確かに童貫の件は引っ掛かった。自分に聞かずに、出陣を決めてしまうとは。

 王慶討伐に行かせないようにしていたのは、奴自身のためだったものを。奴では王慶に勝てんだろう。

 まあ、仕方があるまい。

 蔡京は長い息を吐き、退出した。そして歩きながら、首筋に手を当てていることに気がついた。

 蔡攸の言葉が蘇った。

 寝首を掻かれぬよう。

 思わず、扉を殴りつけてしまった。

 自分らしからぬ行為に、蔡京の心が余計に苛立った。

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