108 outlaws
夢想
二
喘ぐように、蔡京が目を覚ました。慌てて首筋を押さえる。
気のせいか。不快な夢を見た気がするが、覚えてはいない。だがそれ以上気にすることはなく、参内の支度をしている間に頭を切り替えてしまった。
ところがである。
朝議の前、いつもの部屋に現れた童貫と楊戩の様子がおかしい。二人とも、首のあたりを擦ったり、首を捻ったりしているのだ。
「高俅はどうした、童貫」
「はい、体調がすぐれないとかで、今日は来ないとの事です」
「昨夜、酒でも飲み過ぎたか」
「いえ、それならば良いのですが。ええと」
楊戩が奥歯に物が挟まったような言い方をした。
「何だ、はっきり言え」
楊戩はちらりと童貫を見て、言った。首筋に手を当てる。
「悪夢を見たというのです」
「なんだと」
蔡京の首筋がぴくりと痙攣した。
首を斬られる夢を見たというのだ。高俅は以前から、林冲の蛇矛に貫かれる夢を頻繁に見ていた。そして今度の夢だ。
もう駄目だ、いよいよ夢が現実となるのだ、と屋敷に閉じこもってしまったらしい。
さらに、童貫と楊戩が目を合わせ、おずおずと切り出した。
「実は、私たちも同じ夢を見まして」
「馬鹿者」
と蔡京はそれを一喝した。
「そんな夢ごときに惑わされてどうする。その話は他言するでないぞ」
高俅はもう終わりだ。
梁山泊に敗れてからめっきり覇気が薄れてしまった。あの飢えた野良犬のようなものを秘めた高俅は死んだ。そう思う事にした。
楊戩が報告をする。
現在、梁山泊の戦果は上々で、蓋州まで奪回したという。
このまま田虎を討ち取れるとは思えないが、そうなったとしても梁山泊の戦力は大きく削がれるだろう。もちろん敗れれば、宋江にその責任を取らせればよいだけだ。
蔡京にとってはどちらに転んでも利があるという訳だ。
ただ困るのは国が平穏になってしまう事だ。叛乱の火種がつねに燻り続けている限り、自分の権力は安泰なのだ。しかも田虎が滅びても北の遼も存続しており、西の王慶、南には方臘という賊徒がいる。
朝議の場、蔡悠が賊徒の話を切り出した。
「梁山泊軍が河北で快進撃をしているという報告です。そこで淮西へも討伐軍を出してはいかがでしょうか。王慶という賊徒は所詮成り上がり者。討伐軍と聞けば尻尾を巻いて逃げ出すに違いありません。今こそ天子さまの威名を国中に知らしめる好機と思われます」
ううむ、と帝が思案する。
余計なことを、と蔡京が舌打ちをする。
近ごろ、息子が帝に何かと近づいている。だが蔡京に対する絶大な信頼は揺らぐものではなかった。
しかし、威名を知らしめるという言葉に、帝の心は揺らいだ。
「誰か、出向く者はないか。または推挙する者は」
いる訳がない。そう思っていた蔡京は驚いた。なんと童貫が進み出たのだ。
「おお童枢密。そなたが出てくれるのならば、間違いはないだろう。頼んだぞ」
朝議が終わり、一同が退出する。童貫は去り際、蔡京の顔をちらりと見るだけだった。
童貫は、王慶に対して私怨がある。だがそれと国事とは別だと納得させ、理解していると思っていた。
ふいに蔡攸を思い浮かべた。あ奴が焚きつけたのか。
するとその蔡悠が現れた。
「驚きましたか、父上。まさか童枢密が自ら志願するなど、思われなかったでしょう」
「別に驚きはせん。時に恨みは、人を浅慮にするものだ。特に心の隙に囁きかけてくる妄言などには、耳を貸してしまうだろう」
「さすがは父上、深いお言葉だ。ところで、お身体(からだ)の具合はいかがですか」
「何の事だ」
「いえ今朝、青ざめた顔で目覚められたと聞きましたので。父上も、そろそろ暖かい南で余生を過ごされてはいかがかと」
「わしが邪魔か。お前に代わりが務まるくらいになれば、そうしたいのだがな」
蔡攸の目つきが変わった。
「私はあなたになるつもりはありませんよ。私は私だ。それに」
蔡悠は背を向け、歩きだした。
「あなたの影響力も少しずつだが弱くなっている。老いては子に従えと申します。引き際を間違え、寝首を掻かれぬよう」
「その言葉、そのままお前に返そう」
蔡悠が去った。朝議の間に蔡京はひとり残された。
生意気な口を聞くようになったものだ。確かに童貫の件は引っ掛かった。自分に聞かずに、出陣を決めてしまうとは。
王慶討伐に行かせないようにしていたのは、奴自身のためだったものを。奴では王慶に勝てんだろう。
まあ、仕方があるまい。
蔡京は長い息を吐き、退出した。そして歩きながら、首筋に手を当てていることに気がついた。
蔡攸の言葉が蘇った。
寝首を掻かれぬよう。
思わず、扉を殴りつけてしまった。
自分らしからぬ行為に、蔡京の心が余計に苛立った。