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夢想

 雪玉を、張清が手にしていた。
 木立を的にして、それを投げた。心地良い音と共に、木に当たった雪玉が弾けた。その音が、何度も雪景色の中で聞こえた。
 何度、投げただろうか。
 張清の手は真っ赤になっており、額には汗が浮かんでいた。
 張清が首を確かめるように回してみた。
 大丈夫だ。もう張りも、違和感もない。だが安道全はまだ戦に出る許可を与えてはくれない。
 その欝憤を晴らすように、張清がまた雪玉を投げた。
「朝から精が出るな。しかし礫じゃなくても上手いのだな」
「ああ、おかげさまでな」
 董平だ。張清は、董平の方を向きもせずに答えた。
「しかしお前こそ、こんな朝から用事でもあるのか」
「ちょっとな」
 そこで張清が董平を見た。蝋梅(ろうばい)の花を一輪、手に持っていた。董平は愛おしそうに、その花を見つめて言う。
「妻に贈ろうと思ってな。いつも尽くしてくれているからな」
 董平の妻、程小芳の事である。ふとしたきっかけで出会い、互いに愛し合った。いくつも障害があったが、いまは梁山泊で共に暮らしている。董平の、彼女に対する想いはあの頃と少しも変わっていないようだ。
 張清は何と言って良いか分からず、また雪玉を投げ、乾いた音を響かせた。
「ところで、妻を娶らんのか。お主を気にしている女子(おなご)は少なくないと聞くぞ」
「誰がそんな事を。大方、顧大嫂あたりが言いふらしているのだろうが」
「では、気になる女子はいないのか」
 その問いと同時に投げた雪玉が、的を外した。
「お主、もしや」
「違う。違うぞ。手が滑っただけだ。なんだその顔は」
「そうか。そうなんだな」
「勝手に得心するな」
「隠すことはないだろう。言ってみろよ」
「違うと言っている」
 頑として答えない張清。
 微笑みを浮かべた董平が、わかったよ、と去っていった。
 鼓動が早い。顔が熱い。
 くそっ、とやり場のない怒りを雪玉にぶつけた。
 言える訳がない。特に董平などには。
 なんと風流じゃないか、などと言うのだろう。だがそれが張清には耐えられない。
 気になる娘は、いる。
 だがそれが、夢の中で出会った少女だなどと、口が裂けても言えるものか。
 昼飯の後、気を取り直し、安道全を訪れた。
 戦に出してもらえるように嘆願するためだ。
「まだあの夢は見ているのか」
「いえ、実は」
 最近、見なくなってきているのだ。
 夢の中で少女に武芸を教え、礫の技を伝えた。少女の腕はかなり上達し、時おり張清が舌を巻くほどの礫を投げることもあった。
 張清が持てる技の全てを伝えた頃、夢の回数が減った。三日に一度となり、五日に一度さらに間が開くようになっていった。
 結局、少女の顔も名も、声さえも分からずじまいだった。
 腕を組んだ安道全が渋面を作っている。
「どうしたのです。何かあったのですか」
「もしかすると、もしかするかもしれん」
「何の事です」
「お主の夢、だよ。何かを暗示していたのかもしれないぞ」
「何かって、何です。思い当たる節はありませんよ」
「わしにはある」
 張清が驚く。どうして夢を見た本人ではなく、安道全がそう言えるのか。
 安道全は続ける。
「昨日、李逵が宴の最中に酔って寝てしまってな」
「なんでも、夢の中で蔡京らの首を斬ったとか。痛快な夢ですな」
「その後だ。見知らぬ書生風の男から、ある秘訣を聞いたのだという。田虎を倒すための秘訣なのだそうだ」
「ええ、聞きました。田虎を捉えたければ、瓊矢の鏃となんとやら、と」
「その瓊矢の鏃、だ」
 宋江はじめ呉用もその言葉の意味を解しかねていた。もちろん張清もである。だが安道全は言った。
 投瓜得瓊(とうかとくけい)。瓜(うり)を投じて瓊(たま)を得(う)。
 以前、張清の夢の話を聞いた時、その言葉が脳裏に浮かんだという。
 古代では女性が木瓜(もっこう)の実を投げて求愛し、男性は宝玉つまり瓊を贈って応じていた。これが転じて、男女が愛情の誓いの品を贈り合う意味となった。
 その少女が瓊なのではないのか、と安道全は考えた。
「そんな、所詮は夢ですよ」
「ああ、そうだ。だがお主のも、李逵のも、夢でつながっておる」
 張清も食い下がる。
「それに私の夢とつなげたのは、先生の思いつきでしょう」
「こういう事は閃きが大切なのだ」
 安道全も退き下がらない。
「それに鏃だ。鏃とは矢じりの事。張清、お主の渾名は何という」
 礫を称して没羽箭。羽の無い矢である。
「それを少女に教えていた。その少女も礫を使える。つまり瓊(けい)の矢鏃(しぞく)だ」
 張清の目が大きく見開かれた。牽強付会な点もあるが、辻褄は合う。
 張清はここにきて安道全の考えを否定できなくなった。いや、むしろ肯定したくなった。その考えが本当ならば、夢の少女に再び会えるかもしれないのだ。
 会いたい。探しに行きたい。胸の中でその衝動が大きくなるのを感じた。
 胸が熱くなる。いや顔が熱い。
 何だか全身が気だるくなる感じがした。頭は熱いのだが、体が震える。
 何だ、この感じは。
 むっ、と安道全が顔をしかめた。手を張清の額に当てる。
「馬鹿者。お主、汗をかいたまま雪の中にいたな」
 熱いのも当然だった。風邪を引いてしまったようだ。
「戦などもってのほかだ。しばらく寝ておれ」
 張清は額に手をやり、よろりとふらついた。

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