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夢想

 李逵が叩頭して拝謁すると、くすくすと笑い声が漏れた。

 むっ、とするが李逵は何とか堪えた。

「李逵よ、そなたは先ほど、多くの人間を殺めたな。どうしてそんな事をした」

「あいつらが人さまの娘を奪おうとするので、たたっ斬ってやったんです」

「そうであったか。うむ、まさに好漢だ。その義勇を称え、そなたを値殿将軍に任じよう」

「さすがは天子さまだ」

 そう言って李逵が何十回も叩頭した。

 そこへ四人の者が進み出た。

 李逵が鼻を鳴らす。なんだか悪党の臭いがぷんぷんする。

 蔡京、高俅、童貫、楊戩であった。

 四人が帝に拝謁し、奏上する。

「田虎討伐に赴いている梁山泊が、任務も果たさずに終日酒ばかり飲んでいるとの事。ぜひとも奴らに懲罰をお与えくださいますよう」

 ここで堪忍袋の緒が切れた。

 手に二丁の斧、髪を逆立て、まるで鍾馗のような形相で四人に向かって駆けた。旋風のように斧が閃き、四人の首が一度に飛んだ。

「天子さま、こんな奴らの言う事を聞いちゃいけません。宋江の兄貴は三つも城を陥とし、さらに田虎って野郎の首を獲るために戦っているんだ」

 兵たちが李逵を取り囲んでいた。いまにも飛びかからんとする兵たちに、李逵が吼えた。

「来るなら来てみろ。お前らもこうなるぞ」

 床に転がっている蔡京らの首を見て、兵たちが怖気づいた。誰も手を出すことができず、李逵は大股で宮殿を後にした。

「わはは愉快、愉快。ついにやつらの首を獲ってやったぞ。まるで夢のようだわい。これで宋江の兄貴も喜んでくれるだろうて」

 悠々と歩を進める李逵の前に、また山が現れた。天地嶺だ。そしてその入口にあの書生が待っていたかのように、いた。

「いかがでしたか、将軍。お楽しみいただけましたか」

「おう、面白かったぞ。なにせ悪党どもを成敗してやったからな」

「そうでしたか。実は私は汾沁の者なのですが、たまたまここへ遊びに来てあなたや宋江どのの忠義の心を知りました」

「おう、そうだ。宋江の兄貴とおいらたちは田虎の首を獲りに来たのだ」

「はい。そこで田虎を捕らえる秘訣があるので、それをお伝えするために参ったのです」

「秘訣だと。なんだそれは」

 微笑んで書生が告げた。

 

 田虎の族を夷(たいら)げんと要(ほっ)すれば

 須(すべから)く瓊矢(けいし)の鏃(ぞく)と諧(した)しむべし

 

「田虎の族を、何だって」

「この秘訣をしっかりと覚えて、どうか宋江どのにお伝えください」

 書生は何度も、李逵が覚えられるまでその秘訣を唱えた。

「ふう、もう大丈夫だ。ありがとよ」

「はい。李逵どの、あそこをご覧なさい」

 書生が林の方を指さした。林の中に誰か座っているようだ。

 あれは誰だ、と振り返ると書生の姿は煙のように消えていた。

 李逵が林に行ってみると、青石に老人が腰かけていた。

 あっ、と声を上げ、李逵が駆けだした。

「おっかあ、おっかあ。おいらだよ、鉄牛だよ」

「その声は、本当にお前なのかい」

 盲た目で老婆が李逵の顔をじっと見た。確かに李逵の母であった。李逵の目からは大粒の涙があふれ出た。

「おっかあ、ごめんよ。今度は本当に役人になったんだ。梁山泊は招安を受けたんだ」

「そうかい、そうかい。立派になったねぇ」

「いま、近くに来てるんだ。おぶって上げるから、宋江の兄貴のところへ行こう」

 と、そこに不穏な唸り声が聞こえた。そして立ち込める獣の臭い。

 虎だ。巨大な虎が、李逵に向かって喉を鳴らしていた。

 あの時、殺したんだけどな。いいさ、何度だって殺してやる。今度こそおっかあを守ってみせる。

 李逵が腰の板斧を抜き、虎に向かって駆けた。

 

 がたんと大きな音がして、卓が引っくり返った。

 そこで寝ていた李逵が床に転がり落ち、手足をばたばたさせている。

「おっかあ、虎は逃げたぞ」

 叫び声と共に李逵が跳ね起きた。頭領たちがぐるりと取り囲み、李逵を覗き込むようにしていた。

 宋江が心配そうに声をかける。

「おい、李逵。どうした、大丈夫か」

「あれは、夢だったのか」

 どうやら夢で暴れていたらしい、と分かり頭領たちも卓へ戻ってゆく。

 李逵が夢を語る。蔡京らの首を斬り落としたという話に、鮑旭や解(かい)兄弟などは、手を叩いて喝采を送った。

 宋江は複雑な思いだったが、その後の話が気になった。

「田虎を捕らえる秘訣だと」

「はい、意味は分からんのですがね」

 そして李逵は書生から教えられた言葉を、しっかり伝えた。

「呉用、今の秘訣をどう思う」

「さて。何とも言えません。およそこういった言葉は事が起きてからか、その寸前になって、これだと分かるもの」

「確かに」

 智真長老の偈、羅真人の偈、そして九天玄女の書。すべてがそうであった。

 李逵はお役御免とばかりに、あちこちの卓を渡り歩いていた。夢の中での奸臣退治を自慢げに語っているのだ。

 杯に残った酒を飲み、宋江は苦笑した。

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