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反旗

 田虎は威勝、沁源県に生まれた。

 子供の頃から腕力が強く、また武芸もこなし、近隣の悪童どもとつるんでは悪さをはたらいていた。長じて猟師となっても、その素行は変わらなかった。

 ある日、田虎は獲物を仕留め損ねた。毛並みの良い、立派な鹿だった。諦めきれずに追ったが、すぐに日が暮れた。

 あの鹿を売れば相当な銭になったものを。田虎は酒を呷りながら吼えた。弟の田豹(でんひょう)と田彪(でんひゅう)も声をかけられないほどだった。

 そして田虎は何か思いついたように、邪悪な笑みを浮かべた。

 翌日、獲物を担いでいる他の猟師に、田虎が声をかけた。

「いよう、景気が良いみたいだな」

「ああ、おかげさまでな」

 猟師はあまり気乗りしない風だった。田虎を避けたがっているのが分かる。

「おいおい、待ってくれよ。立派な獲物だなあ。ちょっと見せてくれや」

 と言いながら田虎はむんずと猟師の袖を掴んでしまう。そして有無を言わさず引き寄せ、拳を握った。

 ひっ、と悲鳴を上げる前に、田虎の拳が猟師の顔面を襲った。鼻柱が砕けたようだ。鼻血を噴き出しながらのたうち回る猟師。

 田虎は、せせら笑いながら獲物を肩に担ぎ、その場を去った。

 猟師は家に帰るとすぐに役所へ訴え出た。

 だが役人たちはどうしてか動こうとしない。猟師が怪我を見せ、喚き散らしてやっと重い腰を上げた。田虎の元へ行く最中にも捕り手役人たちは、考え直せとか、やめた方が良い、などと消極的な態度のままだ。

「よう、揃いも揃って、何をしに来たんだ」

 腕を組み、役人たちをねめつける。

 捕り手役人たちが二の足を踏む。

「こ、こいつがあんたに殴られて獲物を盗られたって訴え出たのでな。すまんが役所まで来てくれんか。手荒な真似はしたくない」

「ほう、俺がやったって証拠でもあるのかよ」

「そ、それを調べるためにだな」

「面倒くせぇな。それなら力ずくで連れてったらどうだ」

 うっ、と捕り手役人たちが怯んだ。

 猟師は、役人たちが面倒だから嫌な顔をしているのだと思っていた。だがそれが違うという事を理解した。

 田虎を、怖れていたのだ。

 あの時の猟師と同じように、捕り手役人たちが血を流しながら地に倒れている。

 へへへ、とにやついた笑顔柄で、田虎が猟師に向かって来る。

「いい度胸だな、お前。まさか訴え出るなんてな」

「ぐ、ふざけるな」

 猟師は怯んだが、落ちていた役人の棒を拾い、構えた。あの時は不意をつかれたのだ。猟師も普段獣を相手にしているだけあり、腕には自信がある。

 おおっ、という雄叫びと共に棒を振り上げ、田虎に向かって駆けた。

 田虎は笑みをくずさずに動かない。

 猟師の頭に鈍痛が走った。白目を剥き、猟師が倒れる。

「甘いんだよ」

 猟師の背後に田豹が立っていた。

 田彪もその横で笑っていた。

 三人が刀を手にし、獲物を狙う顔になった。

 

 田虎の名が威勝周辺に知れ渡るようになった。

 役人たちは田虎を恐れ、その振る舞いを見て見ぬふりをするばかりだ。すると田虎はさらに傍若無人となり、役人はますます手が出せなくなる。

 田虎は思う。

 なんだ、猟師などつまらぬ事をするのではなかった。自分の力がこれほどだったとは。これまで偉そうな顔をしてきた連中にお返ししてやらねばならんな。

 いままでつるんできた者たちと徒党を組み、暴れ回った。

 さすがの役人たちも命の危険を感じ、知らぬ顔はできなくなった。ついに兵を出動させる事態となる。

 だが周囲は山が多く、隠れる場所はそれこそ無数である。また田虎は猟師であった。山を知らぬ兵たちは、田虎たちの格好の獲物となった。

 常日ごろ役人の横暴に腹を立てていた者、また単に暴れたい者の目に、田虎は英雄にも映ったであろう。次々と威勝へとそういった者たちが集まり、日に日に田虎の勢力は大きくなった。

 また、もう一つ違う類(たぐい)の者も田虎の元へ来ることとなる。それはこの騒ぎに乗じて、利を得ようとする者である。

 威勝の富豪、鄔梨がそうであった。

 田虎が手下と共に大手を振って通りを闊歩していた。道を遮るものは無い。役人はいつの間にか姿を消していた。虐げられてきた民の中には声援を送る者さえいた。

 その田虎の前に、ひとりの男が拱手して立っていた。鄔梨である。

「お初にお目にかかります。手前は鄔梨と申します。田虎さまのご活躍を嬉しく思う者のひとりでございます」

「お主の名は知っているぞ。大した金持ちと聞く」

「いえいえ、わたしなどつまらぬ者でございます。たまたま商売がうまく行っただけでございます。こうして田虎さまにお声をかけたのは、ぜひ祝杯をあげたいと思った次第で」

「祝杯だと」

「はい。田虎さまが河北を制したお祝いです」

「わしはまだどこも取っておらんぞ」

「間もなくでございましょう」

「ははは、面白い男だ。金持ちは鼻もちならんが、お主は違うようだ」

「さすが、見る目をお持ちだ」

 田虎と鄔梨は声を合わせて笑った。

 威勝で一番の酒店を貸切り、宴が催された。すべて鄔梨の出費である。

 ぷはあ、と杯を空け、口元をぬぐう田虎。頬がかなり赤らんでいる。

 鄔梨は自分で言っていたように、たまたま商売でうまく行った人間だ。そもそも武芸の方が好きで、千斤を持ちあげる力を持っており、重さ五十斤の大潑風刀を得物としていた。

 その鄔梨だけあって、田虎とは話が合う。乗せられた田虎は、酒が進むほどに役人の悪口(あっこう)をとめどなく溢れさせ、河北を支配下においてやると吼えた。

 そして酒をぐびりと空けると、鄔梨が気分良く持ち上げてくれるのだ。

 空いた杯へ、ひとりの少女が酌をする。なみなみ注がれた酒をまた田虎が干す。

 尽きぬ武勇譚を話しながら、田虎の目がちらちらとその少女を窺う。

 鄔梨が、周囲に聞こえないよう囁く。

「お気に召しましたか」

「何の事だ」

「その娘です」

 田虎は無言で、また酒を飲む。

「実は私の妹なのです。私に似ず器量良しで」

 田虎が笑った。

「冗談ではなく、田虎さまは大事を成す人物とお見受けしております。ぜひ縁を結びたいと願っておるのですが」

 田虎がにやりと笑った。

 だが笑いたいのは鄔梨であった。

 なぜ鄔梨が富豪となったのか。それは機を見る力に長けていたからだ。そして目的を叶えるのに、手段を選ばなかったからである。

 こうして妹を嫁がせ、今をときめく田虎の懐に入り込んだのだ。

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